日記・コラム・つぶやき

2017年9月14日 (木)

2017-9-14 どっこいさんの誕生日


 
今日はどっこいさんの88回目の誕生日です
2006/9
 普通に暮らしていたある日 歯科受診のために私の車で 歯科医院迄送って行く途中でした
 
会話の最中で 突然どこに向かっているのか見当がつかなくなった様子に驚きました
 
咄嗟に「ついに始まった」という気持ちでした
 
とりあえず 歯科医院で治療を終えて そのまま内科へ向いました
 
平素から病院嫌いなので理由を考えた結果 軽く咳をしていたので 「高齢者は喘息になると怖いから 先生に診て頂こう」と話しました
 
素直についてきてくれてほっとしたものの 先生には予め夫の気質を話さなければならないと思い 急いでメモを書いてお渡ししました
 
「認知症」と言う言葉は決して使わないでください
 
治療薬も「喘息の薬」として説明してください
 
とお願いしました
 
先生も了解してくださったのですが やはり「認知症」としての服薬治療が始まりました 
 
その後も(現在でも)「認知症」と言う言葉は使わないことに徹底しました
 
日頃から「認知症」については忌み嫌っていましたから あなたがその病ですとは言えず 言えばそんなことはないと 服薬にも抵抗すると思ったのです
 
服薬していても症状は進行して行きました
2011/1
 めまいが強いということで 主治医にご紹介頂いて 地域の総合病院で脳のMRI検査を受けました
 
結果は「認知症」以外には特筆すべき変化はないとのこと「アルツハイマー型認知症」が確定しました
2
月には 夜間不安になるらしく 2時間毎くらいに私を起こしに来ました
3
月には異常な空腹感に耐えられず 従来の2-3倍もの量を食べてしまっていました
 
私も24時間観ていることもできず 留守中には 半解凍の冷凍食品も食べてしまっていました
 
その結果当然のことながら「肥満」となり ついに呼吸困難に至り 夜間救急車のお世話になりました
 
救急病院では1泊させて頂いたものの 入院はできないので転医するように言われ 地域の総合病院に入院させていただいたのですが 個室で24時間付き添わなければ受け入れられないと言われて2日目には退院させられました
 
一般病室では監視の体制がないのでそれもやむを得ないこととは思いつつも 医療の薄情さにも情けない思いをしました
4
月には突然 茫然自失という状況となり 自分自身も妻のことも分らないという感じで突っ立っていました
 
犬の動物病院へ行くにもついてくるというので連れて出たものの 途中で尿意を訴え あわてて近くのスーパーに立ち寄りましたが 車を降りて数歩歩くうちに失禁していました
 
覚悟してはいたものの ここまで来た と言う思いで やはり辛く 夫には恥をかかせないようにとだけ気を配りをしました
 
 
 
服薬の量を増やしたものの 一人で自宅介護をするには限界に来ていました
 
この時期に介護保険の利用申請をして ケアマネの紹介を受けました
 
デイサービスの際にも「高齢者の運動の専門家のところで 筋肉が衰えないようにトレーニングしよう」と説明し 施設の車での送迎も断り 私の車で送迎していました
 
デイケアサービス施設の方にも「認知症」と言う言葉は使わないでくださいとお願いしていました
 
ショートステイで ボランティアの仕事で一日留守となるときにも安心して出かけられるようにし 私の息抜きをしたりしていましたが 私の頭髪は抗がん剤の副作用並みに脱毛し 経験したこともない激しい下痢や腹痛を繰り返し 自分が病院に飛び込むことがあり Dr,に夫の入院を薦められました
 
夫が自宅で転倒すると私の力では起こしてやれずご近所のお方のお世話になったりしましたが 「仏の顔も3度」と申します これ以上お頼みすることはできないと決意して 精神科入院となりました
 
その後 グループホームに入所した頃は車いすでしたが 2015/8転居により 現在のグループホームへ入所し 今では自発歩行もすり足が少なくなり 屋外散歩に出させて頂いています
 
多くの方々のご協力 ご尽力のお陰であり 感謝の気持ちで一杯でございます
 
一日措きに面会に行きますが
 
「久しぶりだね 東京から来てくれたのかい」
 
「東京へ帰りたいね 何時頃かな」と聞きます
 
「東京は地震が来るかもしれないから 高齢者は危ないので此方にいたほうが安心だから我慢してね」と答えます
 
「わかった」と言ってくれますが 5秒後には同じことの繰り返しです
 
 
 
今年は結婚50周年でもありますので 昨年迄は誕生日には3時にケーキだけ届けていましたが 今日の誕生日は 88才米寿の祝いでもあり パックの「赤飯」ですが 同じフロア―の皆様にも召し上がっていただき 「おやつ」には和菓子を届けさせていただき皆様と共においしく頂くことができました
 
満面の笑みで 満足の様子でした 
 
人生の伴侶として 私のやりたいこと「動物福祉」の向上を願う活動の一番の理解者であり 協力者でありました
 
財布は私が握っていたのですが 不足を聞いたことは一度もなく その点でも有難いことでした
 
阪神・淡路大震災の際にも家事一切と 当時の所属団体の支部事務所が半壊状況で使えなくなっていましたので 我が家がその役割を担うことになり 電話等の応対も夫にすべて任せていましたが 誠実に努めてくれました
 
私が被災動物救護活動に専念できたのも夫の協力があってのことでした
 
普通の生活に戻った頃「カレーとコロッケは当分見たくない」と言ってました
 
「男子厨房に入らず」の人でしたから 自炊は相当に辛かったようですが それも不足は言いませんでしたし 私も活動が終って初めて「カレーとコロッケ」で 凌いでいたことを知りました
 
有難いことに 夫は 登山 音楽 書画が趣味でしたし それぞれにプロに近い実力がありました
 
飲む打つ買うは絶対やらない(知る限りですが)人なのです
 
その苦労がないだけでも 幸でした
 
 
 
現在 一人の生活に浸れるのも 社会保障と皆様のお陰に寄りますので 唯々感謝の気持ちで一杯でございます

 

2017年9月 1日 (金)

2017-8-30阪大ナレッジキャピタル-カフェラポ 参加

8/30 19:0020:30 

ナレッジキャピタル超学校 大阪大学COデザインセンター × ナレッジキャピタル -対話で創るこれからの「大学」-「第2回 あたりまえを疑って本質に迫る」

Facebook友「関心あり」のイベントからたどり 30日の15:08に 申し込みメールを送信したものの 時間的に半ばあきらめていましたが ご返信を頂いて 慌てて出かけました

大阪駅はすべてが違ってて方向感覚も働かず 歩き回りました

お陰で日頃の歩行数をはるかに超えて距離8.4km 11403歩となっていました

脂肪燃焼量 42.0g これだけなんだ と なかなか痩せられないですね

        

「カフェラボ」と名の通りに 各人が登録IDを受付で確認後に飲み物をそれぞれが好みで購入して着席しました

老若男女 60人くらいの参加でしょうか?

FBで興味ありの先生方のお姿は確認できず 残念でした

添付写真ご参考までにご高覧下さいますようよろしくお願いいたします

         

人々が欲しいと思う 情報はあるが 不要物の情報が解り難い

全国規模の不要物の情報整理ができていない

社会全体の過大であると指摘されていました

事実の共有ではなく 価値観の共有が必要であるともご指摘がありました

        

動物問題にも当てはまることです

多頭数飼育崩壊 等の事実の共有も大切ですが 対応策についての価値観はまとまることはなく 「とりあえず の対応」に終始していることが 問題解決の将来への対策の進展には至らないのかと感じます

「体験がなければ 無駄がわからない」とも指摘されました

これについてもなるほどです

動物あいごに関わる人々の多くに ネット情報の全てが「事実である」かのような錯覚を抱かせるfake情報を発信する人々がいても それを真実か否かと確かめる前に「信じる」ということが起きていることは 「体験がなければ 無駄がわからない」ということに繋がります

「思惑の違いの蓄積-失敗から学ぶ」

経験を積むことの大切さであると感じます

「やらないリスクとやって失敗するリスク」

「知らないことのリスク」

           

「株式会社 会社 ナカダイ」 “使い方”を創造し”捨て方”をデザインする(リーフご参照ください)

廃棄物に対して このような取り組みをされるお方もおられることは 救いのように感じます

中台澄之氏の発想の堅実さに敬意を感じました

山崎吾郎氏 大阪大学COデザインセンター 准教授

お若いが人類学として「臓器移植の人類学」身体の贈与と情動の経済-世界思想社2015発刊されておられるようです

個人的に関心があります

       

20:30頃終了して 私的に講師のお二方にお話しさせていただきました

リサイクルと言うテーマから 「過剰生産」について尋ねてみました

動物の過剰生産=余剰動物 についての考察もお願いしますと申し上げました

       

次回も楽しみにしたいと思います

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1. 大阪大学COデザインセンター|CENTER FOR THE STUDY ...

www.cscd.osaka-u.ac.jp/#!page4

埋め込まれている動画 · イベント 20179 5() 10:0011:30 サイエンスカフェ@千里公民館 一歩先の未来をみんなで考える:新しいテクノロジーとの付き合い方 STiPS Handai研究会 2017810() 13:0016:10 STiPS Handai研究会 第31回 企業 …

2017年8月18日 (金)

2017-8-18息抜き

2017-8-18息抜き
 
返信しなければならないのか? お預けなのか? 目下検討中のコメントをいただいていますが
 
物事の感じ方は 良いことでも 佳くないことでも 感じ方が違えば価値も変わるでしょう
 
堅実なコメントが多くありがたいと思っておりますが 中には嫌がらせだけを楽しまれると感じる 頓珍漢がお得意な方のコメントに苦笑させられています
 
 
 
世の中 人々の考え方は千差万別
 
思想統制国家の中で生きておられる人々もおられますから 自由に個人の意見が言えることはありがたいことです
 
 
 
敗戦の日の一言を記する間もなく 夏休み隊のサービスに疲れました
 
 
 
夏休み隊を連れて 親族が揃って 久しぶりに息抜きをしてまいりました
 
 
 
京都「五山送り火」をおいしい御馳走を頂きながら 伊勢丹デパートの窓から眺める夜空の灯火を鑑賞(無主教なので参拝でもなく)してまいりました
20:00
レストランの中の明かりもすべて消されて 町中が闇になったところに灯される松明の火は 次第に大きくなり やがて「大」「妙法」「舟形」「左大文字」「鳥居型」と続きますが 「鳥居型」は確認できませんでした
 
 
 
父母を偲ぶことは無主教であっても 灌漑深いものではあります
 
戦没した父 若くして夫を亡くし 子育てに苦労したであろう母
 
親しかった友 動物を介して知り合えた多くの方々 そして関わった多くの動物たち
 
安らかにと祈ります
 
 
 
昨夜からようやく平日の静けさに戻りましたが 今日は「ヨガ」
 
行きはよいよいですが 帰りは倍の時間がかかります
 
自宅までの道の途中で一服に丁度良い 初老のご夫妻が経営されるお食事所で お昼を頂くことにしています
 
今日は焼魚「鰆」 あっさりとおいしく頂きました
 
品数も程よく揃い700円とお安いので金曜日のお定まりコーストなっています
 
何事もありがたく感謝の気持ちで一杯でございますImg245


2017年8月 9日 (水)

2017-8-9 敗戦国の原水爆反対に思う


 
第二次世界大戦の終戦に導くとの 言い分で 米国は「ひろしま」のみならず 「長崎」にも超大量殺人兵器投下を実施しました
 
 
 
本日の報道で 現在 18~19才の若い国民に「終戦の日を知っているか?
聞き取り調査をされていました

14%
 知らない
86%
 知っている
 
でした
 
 
 
日本は戦後反戦教師による偏った教育が定着していました
 
好戦的であれと言うことは言いませんが 教師とされての「教え」は教師の思想を押し付けるものであってはならないでしょう
 
事実に基付く対立する思想を 生徒 学生に考えさせる「教育」でなければならないと思います
 
 
 
隣国の 日本敵視教育が 強化されるに従い 日本国民からは「それは違う」と言うことを「正しい」と教え込まれた若い人々が育ち 反日国民が増えているようです
 
 
 
北が核爆弾の使用をほのめかすことを「核兵器反対」と言っていれば 世界から「核兵器」が消えるのであれば 戦後70年以上も「核兵器反対」と言うこともなかったでしょう
 
 
 
理想と現実は 矛盾だらけです
 
「核兵器」なき社会の実現のためには 皮肉にも「核兵器」を捨てては負けなのです
 
「使うかもしれない」が現実の「抑止力」となっている現状は否定できません
 
 
 
「核兵器」に国の力を象徴させる国家がある限り 
「核兵器」はなくならないでしょう

 
「核兵器」がない国は常に「核兵器」の標的として見られることも否めない情けなさがあります
 
 
 
「核兵器」の標的として見られること それでも「良い」と考える国民が多ければ 覚悟のうえで暮らさなければならないでしょうね
 
それでいいのか?
国民人一人々が考えなければならないことでしょう


 
 
犠牲になられたすべての命に黙祷を奉げます

2017年8月 6日 (日)

2017-8-6原爆投下と日本人


 
日本人は本当によく言えば穏やか そうならざるを得なかった敗戦国の民でもあったからでしょうか?
なさけなく感じることもありますが 他国のこととは言え 過去をほじくり返して 過大な被害意識を「誇り」とするかのような行為が虚しいと思うこともあります

 
そこまでしないと気が済まない 国民的な被害意識はなぜと言う感じもします 
 
 
 
戦時に 平時の犯罪とされる行為を全くしなかった国も 参戦した国の現地の人々もいないでしょう
 
戦争は敵国民を殺すことが仕事なのですから その場にいればそうするしか選択の余地はなかったでしょう
 
そうでなければ 自分が殺されていた
 
好いか 悪いかは 戦争に無関係な第三者が論じることであり 当事者には選択の余地はなく 殺すか殺されるかのどちらかしかないでしょう
 
 
 
他国の戦争被害者意識と比較をすれば 日本人の原爆被害の意識は穏やかと言うべきなのか 「平和」という状況がもたらす過去への決別なのか?
自分の国のことながら不可解に思うことがあります
      

 
もっと怒れというつもりもなく 慰安婦問題のように 国家間で約束したことにさえもなし崩しにして新たに賠償を求めるということにも 何処かこれで良いのかと感じます
 
今も終戦に導いた「原爆投下」という考えは米国民の多くの人々が支持されているのでしょう
 
 
 
慰安婦問題で 誇大主張を重ねてでも 国民に意識を植え付ける国民性は悲しいのか あっぱれなのか?
      

15:07~ 15:50 NHK
大阪  原爆の絵は語る~ヒロシマ 爆撃直後の3日間~
      

 
当時の青少年の方々が絵に描いて記録された 被爆直後の様子が赤裸々に残されています
 
悲惨 凄惨 表現の言葉はどれも適用できないほどの惨たらしさです
 
見ることは辛いのですが 見なければ自分が体験しなかった過去に蓋をするようで 申し訳なく感じます
 
動物の参事でさえも辛く悲しいことですが 同胞であり 親しくしていた人々の悲惨な現実を見なければならなかったことは筆舌に尽くせないであろうと感じます
 
 
 
同じ1Chで「東京裁判」のドラマも続けられています
 
 
 
しかし 今この時を原爆投下による悲惨なな記録に思いを馳せる日本人がどれだけいるのか?
       

 
過去を忘れることもすべてが悪いことではないでしょうが 知りつつ思い出から外すのか?
知らないから思いも馳せられないのか
?
多くのことを考えさせられます

 
 
 
何事にも 現実を知って 現実を好転させるための努力をするのか?
誰かがするから我関せずなのか
?
       

 
関心のないところで 何かが起こっていても不足は言えないでしょう

 
 
人社会のことも
 
動物との共生の問題も
 
順位はあるでしょうが fake情報もあることを知り どうすればそれらを識別できるのか? 
 
自らの生き方に問いかけることは必要だと思うのです
 
信じることに対して警戒心を持つのか?
無関心と われ関せずに浸るのか
?
何も考えないで暮らすことを「生き方」にしているのかと感じる国民が多くなっているように感じるこの頃です
       
犠牲となられたすべての命に黙祷を奉げます

2017年7月27日 (木)

2017-7-27 バス旅


 
1回の予定でバス一人旅を楽しんでいます
 
友をお誘いすると 双方の都合の調整に時間がかかるので 思い付きで決めています
 
毎回相席していただくお方に恵まれて 楽しく過ごさせていただいています
 
世間話等での饒舌でも 個人情報の知りたがり屋さんでも困りますので 程よくご挨拶と不快でない程度の会話が楽しめることは良い時間を過ごせます
26
日は岡山方面に行きました
 
この度のバス旅は些か残念と言うところでした
 
お昼は不味くて ひまわり畑は遠距離からのバスの中での眺めだけで 日葵が 百日草程度にしか見えなくて バンフのうたい文句に「異議あり」でした
 
最後に廻った「滝」が不服挽回と言ったところで 「滝」までの山道は足元の良くない行程でしたが 滝に到達できて満足でした
 
 
 
自然の美しさは 格別ですね
 
バスの車窓から見る景色は 山々が途切れることなく続き 美しい河の流れがあって まだまだ日本にこれだけの自然があるのだと安堵感を与えてくれます
 
 
 
中国道を走行するバスのルートも 嘗ては我が愛車で走ったコース
 
車窓から見える町の姿は変貌してはいますが あのあたりに覚えありというところが数々ありました
 
 
 
まだ 今日のように活動団体が多くなくて あらゆる相談が舞い込んでいました
 
行政交渉にしても 多頭数飼育の調査や引き取りに出向くにしても 出かける時には 高速道路もなく ナビもなかった時代でしたから 地図に主な分岐点を赤マークして メモに交差点の名と目印を列記して 右か左か注意書きもして前日の支度は大変でした
 
 
 
数々の思い出がよみがえりました
 
閑話休題
 
昔も今も 自然の美しさと それがなくては生きられない人と動物の暮らしがありますね
 
人と人 人と動物のとのつながりには 良い情報と理性と適切な愛と思い遣りが必要ですね
 
大切にしたいですね 

2017年7月16日 (日)

2017-7-15 生命誌研究館ミニシンポジュウム

暑い最中 昨日の「ヨガ」のお釣りを引きずりつつも 期待していましたので 「形づくりと細胞周期の関係」聴講してまいりました

本日のミニシンポジュウムは 専門家の中の専門家の方々のお話で 正直私にはわからないことばかりでした

しかし ところどころ 興味を惹かれるところがあって しがみついておしまいまで座っていました

小休憩で個人的な質問をしてみました

「人間を超える知能を有する生物が表れると思われますか?」 と 

お答えは 人間が最高に賢いのか? バクテリアは人を体内から食い殺す破壊力を持っていて 「強い」

私の感じたことでは 仕掛けもコストも莫大な原爆で殺人をする人間に勝る 微小なバクテリアはもっと強いということでしょうか? と

        

東京工業大学の 立花和則氏は 40億年後には人の♂は不要になるであろうと話されていました

      

従来は 未完の卵に精子が働きかけて 分裂が起こると 考えられていたそうですが卵は精子の働きがなくても生命としての基礎は整っているそうです

今はまだ精子の働きを「姑息に?」くっつけているような状況らしいです

「マヒトデ」(水生生物のひとで)は♂♀の比が 1:100 で 「アマゾネホウキボシヒトデ」は 全卵♀だそうです

胎内の胎児時期に既に胎児の体内に♀卵が発生しているが 出生後も時期(排卵期)が来るまで待機しているそうです

       

細胞分裂の過程の 分裂の分かれ道の図式のお話は わかるようなわからないような 学者というお方はこんなことをお考えなのかと改めて感服いたしました

分裂の分かれ道とは 筋肉になるか 骨になるか 等々の分かれ道のことですが 人生も数々の帰路がありますから なるほどと変に肯きます

何処の帰路で「動物福祉」か「動物あいご」の選択をすることになるのか?

細胞の分裂の岐路にも 働きかける要素があるようですから 心の岐路には 偶然か意図してか 出会人で決まることもあるのでしょう

私の岐路は1匹の犬との出会いでした

「腹死狂会系」とか存在しない組織のことを書いて悦に入っているご仁もいて 人は人種だけではなく

心種で 生き方も違うのかなと思います

次回は「生きている」8/19土 13:30

楽しみです 

 

2017年7月 3日 (月)

2017-7-3 過ぎ去った日の事 明日のこと



忘れたことだから 思い出さないでおこう
 
なのに 思い出してしまう
 
あの日のこと あの人のこと
 
忘れたはずなのに 古い写真を見ていると蘇える
 
 
 
あの頃は
 
何度も何度も泣いたのに まだ泣けた
 
何度も何度も笑ったのに まだ笑えた
 
何度も何度も怒ったのに まだ怒った
 
 
 
もう 
 
笑うことも
 
泣くことも

怒ることも
 
なくなったはずなのに
 
 
 
でも 明日を迎えたら
 
もっともっと笑おう
 
もっと? 少しだけ?泣こう
 
もっと ほんの少しだけ 怒ろう
 
生きてる証だから
 
 
2017-7-3
 S,Ma

2017年6月18日 (日)

2017-6-17生命誌研究館 「チョウと植物の関係」の研究聴講

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20176172


2017-6-17生命誌研究館 「チョウと植物の関係」の研究聴講
昨日のヨガの影響で 今日はさっさと歩けない ヨガの当日よりも翌日に悲鳴が上がります
日頃使わない体のあちこちがきしんでいますが 是非参加したいレクにのたのたと足を運びました
      
何事も知らないことを知ることはなんだか心地いいことです...
「知識」は何時かどこかで 役に立つこともあり 生涯単に知っただけのこともあります
それでも何事にも興味津々なので 知らないよりも知ることは楽しいことが多いものです
    
無論 知りたくもない誹謗中傷 fake情報は除いて ですがね
しかし 時には【知りたくもない誹謗中傷 fake情報】であっても知らされると なるほどと 馬鹿さ加減の因果関係や 発信元の人物像が窺え 無駄ではないこともありますけどね
    
定例の第三土曜生命誌研究館レクに参加してまいりました
本日は 尾崎克久研究員の御研究が論文として 今春社会に出されてそうで なぜチョウの親が孵化後の幼虫の食性まで配慮して産卵できるのかと言う趣旨の御研究のお披露目でした
自然の配慮とは「すごい」ことがあふれているのに 私たちは何の気なしに見て「当たり前」と思い込んでいるのですね
その些細な疑問に立ち向かうことが学問の面白味なのでしょうが 根気とチャレンジ精神がチャンスをつかむ「幸運」をもたらし それをつかめる見極めができることは学問であり 知識でありますが それらは何時も自然の中に潜んでいるのだと改めて思わせてもらえます
上辺しかわからなくても「不思議」と「面白い」が新たな学問の誘いかなと 高齢者となった今頃ではありますが 改めて感じ入っています
次回はミニシンポジュウム「形づくりと細胞周期の関係」を考えてみましょう!
と言うことのようです
楽しみにしています
皆様もどうぞ

2017年6月 7日 (水)

2017-6-7 将来の人材育成と年金と介護費を考える

2017-6-7 将来の人材育成と年金と介護費を考える
 
公的年金は受給額が次第に下がり 介護費用は次第に上がっています
 
夫の年金で介護費用はようやく間に合っていましたが この先どれだけ生きているのか?
現実の問題として考えると正直怖いですね
 
私の介護費用が必要になった時には 果たしてどうなるのか?
自分の年金ではとても賄えないことだけは確かですから 不安はあります
 
法改正で自己負担額が3割負担と決まりましたが 今まで何とかしのいでいた人々がしのげなくなる時何が起こるのか?
介護職の方々の処遇のためには給与UPは当然ですが 現実の問題では 利用者の負担UPは即生死にかかわることもあるでしょう
 
市民税額決定書が届いたものの 青色申告をしなければ当然控除はなく 認知症で自己申告ができない人々の税額は控除無のままで「しかたかない」といって見過ごすのか?
個人番号何のためになっているのか?
個人番号の活用はどれだけどこに適切に活用されているのか?
長生きが怖いと思う時代が迫っていると感じます
 
自殺率は確実に上がるのではないかと案じます
 
老後の経費を備えると言っても 実力の程度で 備えられないこともあります
 
高額資産家から貧困層に配分できるような仕組み 世代間互助と 提言されているようですが 個人の資産を他人に使ってくださいとは言いにくいし 協力も難しいことでしょう と思います
 
 
 
私は自分自身の緊急救護活動に際しては 絶対に!! 救命措置はしないでほしいとメモを持ち歩いていますが 仕事でしなければならない医療職の方々には困った注文なのでしょうね----
本当に 適切な条件で 対人「安楽死処置」(安楽殺処置)を認めていただきたいと念じます
 
今夜のBS4CHで 介護談義をされていますが ケヤマネさん次第で経費が変わることもあるとのこと
 
健康なうちに 介護ボランティアをして 将来の自分のための施設探索を兼ねることを勧めておられます 
 
家族介護費の税額控除も検討すべしとの意見があるようですが 金額ばかりではなく 体力はどうしようもないことです
 
介護ロボットと言っても すべての人々が恩恵にあずかれるものでもなく 明るい介護をと言えども 現実はやはり厳しいでしょう
 
将来を支えて頂くための若い世代に対しても配慮は必要です
 
動物のために公費を負担している 行政機関は再考が必要と思います
 
先ずは子供の育成に国家としての 経費負担をし 人口減少にもっと積極的に対策をとらなければならないでしょう
 
動物のことは 飼主責任を厳しく問わなければならないと思います
 
声の大きな 票につながる動物の「あいご」に加担する議員諸氏には 将来何が必要かをお考えいただいて 票になることだけを考えるのではなく 声を大きくする気力もない働く親御さんたちのことにも動物の「あいご」に示されるほどの協力と関心を以っていただいて 行動をとっていただきたい
 
子供育成こそがすべての国家の原動力です
 
国を支えて頂くための子供さんたちのことは 国家の存亡がかかっていることです
 
動物のことに対しては動物愛好家の相互負担を務めとして 公費の支出は 対人支援 特に子供教育費の全額国家負担等に充てることで 養育費支援に活用されることが本筋と感じます
 
何事も人材次第です
 
動物福祉も適切な人材があってのことです
 
現実に照らして しなければならないことの順位を検討するときだと思います

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