日記・コラム・つぶやき

2017年11月13日 (月)

2017-11-12 仏教と自死に関する国際シンポジウム(関西大会)まつだコメント

2017-11-12 仏教と自死に関する国際シンポジウム(関西大会)まつだコメント
 https://www.facebook.com/events/1758582174184285/1791230850919417/?notif_t=admin_plan_mall_activity&notif_id=1510284323394113


 
ヨガのレッスンを終えて 時間がないのでヨガマットを背負い 昼食も摂らずに会場へ滑り込んだ
 
何とか初めから聴講はできた
 
昨日今日は疲労困憊で 横になっていた
 
罰当たりだったのか?
            

 
しかし 感動するには至らなかった
 
休憩ごとに聴講者の数が減っていったのも あるいは時間に拘束されたお方もおられたであろうが 私と同じ思いをされたのかもしれないと感じた
 
私はそれでも 最後まで座にいて質疑まで確かめた
 
私も質問を入れたので あるいはと思う気持ちはないとは言えないのであったが お答えにはなれないであろうとも感じた
 
 
 
質問
 
インドにおけるカースト制度で 貧困にあえぐ人々がいる
 
牛に救急車が用意されるが カースト下位の人間には医療さえも与えられないのはなぜか?
宗教に分派ができるのはなぜか
?
           

 
答えられないことは当然だとも感じる
 
仏教の教えの元であられる「釈迦」の教えをひたすら信じて実践されるなら 分派などされることはないというのが 浅はかな 無学な 正直な私の考え方
 
キリストの教えについても マホメットの教えについても同じ
 
それゆえに 後世の人々が都合よく解釈された宗教には信頼感が乏しく 信じられる人々はお幸せであればそれで大層結構であり 救われておられることもお幸せなことであるので何も異論もない
 
私は 現在の既存の宗教に救われたいとも思わないし 信頼の全てを寄せることもできない 
 
宗教家からは多分「不幸な人」と評されると思うが それでも心底信じることができないのに信じた振りもできないから致し方ない
 
 
 
心から尊敬できる宗教家に出会わなかったからかもしれない
 
宗教にも「金=経済力」がまつわることも仕方がないとは思うが好意的には感じられない
 
今日の「そこまで言って委員会」でも宗教法人税が取り上げられていた
 
信教の自由は当然だが 無宗教で生きる自由もまた当然
 
宗教の拡大のために税制優遇されるなら 無宗教で生きる人にも何らかの税制優遇措置があってよいのではないかと感じる
 
宗教団体の資産となる広大な敷地の確保も関係ないし 相互互助の恩恵もない
 
宗教は常に自らが信じる宗教が最高位でなければ意味がない
 
だから 信じないものを哀れと言う感覚で蔑むことになるように思う
 
無宗教であれば 他の宗教を貶めることも必要ない
 
私は一人教祖で一人信者と言っている
 
人智を超える力を現存の宗教で補おうとされるには無理があると感じるが 全てを科学で説明しきれないところに宗教が生まれたと思う
 
地球がある宇宙のほかにも宇宙があると言われると それを科学で究明できるのに地球の余命35億年?には間に合うのだろうか?
人生が130年となるようなことを聞くと 「幸」がもっと々遠くなるようにも感じる

 
長生きが「幸」と刷り込まれたのは自殺者が増えた要因の一つでもあるように感じてしまう
 
短命でも「幸」な人生もあり 長命でも「不幸せ」な人生もある
 
自殺者が家族共に非難にさらされることは 生きていることの「意義」を深く感じていないからかもしれない
 
人にも動物に対しても単に生きていれば立派とは言えないと思う
 
 
 
律蔵のなかでは、他人を殺すことは罪という文脈はあるが、自分で自分を殺すことについての言及はない。あるいは、身投げは悪だという項目もあるが、これは単に飛び降りるなといっているだけ。飛び降りると下の人が危険だから、飛び降りの禁止なだけ。
 
此の一言はとても共感する
 
凄惨なご遺体に向かわれる方々のことも思い至っていただきたい
 
ご自分が「死」によって苦しみから救われたということになっても 生きている人々を苦しめてはならないであろうが そこまで考えられないから 「自死」となられるのか?
              

 
仏教で人を殺してはいけないという法律があるが、それは重要物語がある。この世は一切皆苦、苦しいんだという教えによって、みずから死んだり、人を殺したり、人に殺してもらったりする事件がおきた。
 
人に殺してもらったりする事件
 
と言う表現は殺された人の人格を傷つけるように感じる
 
時には嘱託殺人もあろうが 普通には 被害者であり 頼んで殺されることは珍しいことだと思うが 宗教家故にこのような表現となるのか? 説明不足なのか?
私には違和感が残る

 
 
 
結論、一番古い仏教経典、最初期の経典に、自殺が罪悪、犯罪、いけないことであるという記述はない。その後の時代の変化のなかで、自殺が悪いという記述はあるものの、最初期の経典にそのような記述はない。

そのことは教えが時代によって変えられて行ったことの証明であり 時代の価値観の変化で宗教の解釈が変わることは普遍的ではないからだとも感じてしまう
 
ど素人の勝手な解釈と嘲笑されるであろうが そのようなことが積み重なって 「営利的な宗教」かできるのかもしれないと思ってしまう
 
 
 
自殺にまつわる世間の画一的なイメージは残念に思っている。自殺で亡くなった人は弱い人、罪だ、おかしい人だという声が残念。それは生きている我々が勝手に決めつけている。世俗で欲望にまみれて生きている我々の方が、仏教的な人としては劣っているのかもしれない。
 
 
 
亡くなった人の顔をこっちが判断、ジャッジしてはいけない。生きている人も様々な気持ちで生活しているように、死んだ人も様々な気持ちで死んでいった。
 
自殺を称賛することもないが 貶めることもない このことばには賛同する
 
 
 
インドは元々カースト制のもと差別されていた。仏教は生まれで人を差別しない。
 
之には大きな違和感を持つ
 
差別されている カースト制下位の人々が 聖なる「牛」以下であって 救えないで 貧困 レイプ等に苛まれていても放置されているとしか見えない 
 
仏陀の国としての誇りは何処かと問いたい
 
宗教」の救いとは何か?
               

 
基調講演にも パネリスト各位にも これぞ宗教家仏教は素晴らしいという感じは持てなかった
 
多分に不遜であるからなのだと自覚はしている

2017年11月 3日 (金)

2017-11-3 文化の日に考える

2017-11-3 文化の日に考える

最近の日本人はどうなってしまったのか?

モラル崩壊とみられる所業が次々と報じられる
 
尤もやってほしくない職種である政治家 大企業 警察関係者 報道も含めてと言うところが恐ろしいと感じる 
 
雇用における「ブラック企業」 中小ではなく 業界を代表されるような大企業さえも名を連ねていることは 日本全体がモラル崩壊に進んでいるようで恐ろしく 情けない
 
動物に関する活動にもモラル崩壊は見られる
 
 
 
人間の「幸」とは何か?
先ずは安心安全ではないかと感じる

 
それに加えて 「豊かさ」を求めることになるのだと思う
 
「豊かさ」とは何をもって豊かであると感じるのか?
人それぞれの感じ方は違うと思うが 最も基本とされることはやはり「安心安全」ではないかと思う

 
人や製品を信じることができる「安心」
 
日々生活することにおいて「安全」であることを意識できること
 
どれを見ても不安な状況であることは すべての国民が考えなければならないのではないだろうか?
「文化の日」

 
継承したい優れた文化を維持するためには「モラル崩壊」は絶対に避けたいと感じる

2017年10月31日 (火)

2017-10-31 偉大だった吉田茂元総理 

2017-10-31 偉大だった吉田茂元総理 
吉田 茂(よしだ しげる
1878(明治11)/9/22 生 
1967(
昭和42)/10/20  89才永眠 
1967(
昭和42)/10/31 国葬
葬儀は東京カテドラル(カトリック教会)で行われた

10/31戦後唯一の国葬が日本武道館で行われた

官庁や学校は半休 テレビ各局は特別追悼番組を放送して吉田元総理を偲んだと記録されている

今日 10/31は日本国として 戦後唯一の国葬でその死を悼んだ 偉大な政治家吉田茂元総理を偲ぶ日であると思います
         
私の父もまた 国のためにと命を奉げた人でしたが 吉田茂元総理とは比べようもありませんが 9/22は私の実父の誕生日でもあります
それ故ではありませんが 吉田茂元総理には特別の敬意を感じます
敗戦国であっても 自尊心は失われずに 戦勝国アメリカと復興のための交渉をしていただいたことが今日の繁栄の基を築かれたと思います
「政治家」として尊敬を一身に集めておられるお姿は 今の票集めにのみと言いたくなるような政治家とは格段の違いがあると思うのです
時当に 衆院選を終え 当落各位がそれぞれに語られる言葉には「なるほど」「さすが」と感嘆できる言動に出会うことがないことは残念に思います
心底尊敬できる政治家が 日本を世界から尊敬される国に磨き上げてくださるようにと 願いつつ 国民の一人としても「無関心」で生きることはしたくないと思います
ユーモアと政治家手腕 確かな自信に満ちておられた吉田茂元総理
何時の日か 吉田茂元総理のように傑出された政治家が表れることを願いつつ 若い国民には その名さえも語られることがなくなりつつあるように感じますので 改めて この偉大だったお方を偲びたいと思います
静かに ご冥福をお祈り申し上げます

2017年10月15日 (日)

2017-10-13選挙について考える Ⅱ


2017-10-9
 選挙について考える をUPさせて頂きました
 
【左翼的な人々は 果たして「リベラリスト」なのか?
 
と書きました
2017-10-13
 付け スマホ情報のサンケイで「リベラリスト」を取り上げていました
 
日付的にはメディアが当方の後追い!! したと言いたいところですが メディアも着目されたことは それなりに問題視されたのだと感じました
 
その後 盛んにメディアで「リベラリスト」が取り上げられています
 
「リベラリスト」で検索したら http://S-ma.cocolog-nifty.com/ も上がっていました
 
 
 
諸外国での意味付けと 日本で使われている意味には違いがあるとのこと
 
検索から見つけた以下のご意見に関心を持ちました
------------------------------------------------------------
2017-10-13
参考資料
 http://www.tachibana-akira.com/2016/05/7262

「リベラル」が嫌いなリベラリストへ

投稿日:  作成者: tachibana

このエントリーをはてなブックマークに追加

------------------------------------------------------------
とても考えさせられる内容です

 
日本を代表される「学者」について 改めて考えてしまいました
 
ティアハイム誤情報の発信をされている 動物に関係される「学者」の方々とも相通じる別世界の住人
 
のような印象です
 
文字(学問だけ)が主流の世界に住まれると 現実の世界にはフェイクでも夢想でも違和感が無くなるのかもしれないと思ってしまいます
 
 
 
選挙戦も熱戦が繰り広げられています 
 
日本を自尊心が持てる 適度に軍事力を有する独立国にしたいのか?
無力で 他国に都合の良い 従属国を作りたいのか
?
現状で自称「リベラリスト」には後者が頭に浮かんでしまいます
 
皆様はどのようにお考えでしょうか?

2017年10月 9日 (月)

2017-10-9 選挙について考える


 
広辞苑
 
リベラル liberal 
1
個人の自由、個性を重んずるさま。自由主義的。
2
自由主義者。
 
と示されます
 
 
現状での 憲法改正について 肯定的か 否定的か と言う観点では 「リベラル」と言う表現ではなく 肯定派 否定派と表現することで よりわかりやすくなると感じる
 
集団的自衛権 を改悪とするなら 日本一国で すべての侵略を自衛しなければならなくなる
 
であるのに 自衛隊は違憲とされるのは 何もしないで「侵略者が来たら話し合おう」ということになるのか?
緊急時に話し合っている余裕があれば良いが 防衛力が弱いから攻め取れると 邪な考えで突然侵略された場合にはどうされるのかも 示されなければならない

 
「私たちは軍事力を持たない平和主義思想ですから 侵略しないでください」
 
と言って 引き下がらせることができるのか?
      

 
左翼的な人々は 果たして「リベラリスト」なのか?
憲法改正を肯定するか 否定するか の違いで 否定する人々が「リベラル」と言ってよいのか
?
「リベラル」と言う方が印象に良いからか
?
左翼支持メディアの 印象操作の一端にも感じられる

 
 
 
「自由主義者」とは 左にも右にも 偏らない いろいろな発想ができることを示すものではないのか?
「立憲民主党」が「リベラル」と言うには 広辞苑の説明からは無理があると感じる

 
「立憲民主党」とは現行憲法のみを永久に維持する考え方なのか?
何かの条件次第で 新たな憲法制定をされるのか
?
そうであれば それはどのような状況で 新たな 憲法制定をされるのか
?
       

 
横文字にすることで 印象が変えられることは商業関連の範囲にしていただきたい
 
選挙公約に関しては 具体的に 憲法改正肯定 か 否定で示していただきたい
 
「立憲民主党」が「リベラル」と言うには 合点がいかない

2017年10月 8日 (日)

2017-10-7小池知事の主張と野党の主張

10/7 10ch 9;30~  選挙情報  希望の党分析?
小池知事は

 
公約の名は「ユリのミクス」とでも称します!
とのフレーズで 12の「ゼロ」を示されたとのこと

1 原発→2030年目途

2 隠蔽

3 企業団体献金

4 待機児童

5 受動喫煙

6 満員電車

7 ペット殺処分→

8 フードロス

9 ブラック企業

10 花粉症

11 移動困難者

12 電柱

 
 
小池知事の価値観として取り上げられたことであっても 国民すべてが支持できるのかは疑問に感じる
1
 原発について2030年目途とされた根拠は?  廃炉だけでもそう簡単に短期間でできるとは考えられない
2
 隠蔽 については 内部から小池知事自身が問われ党籍離脱者が出ている

4 待機児童と共に貧困児童についてはどのようなお考えなのか?
6
 満員電車については 鉄道運行会社の協力なくしてはできない 

 
単に法令か条例規制しても 現実的に積み残しが出るのであれば 満員でも乗車できる方が良いということも言える
7
 ペット殺処分についてはゴマすり公約→膏薬(貼って剥がす程度)かと感じる
 
 何度も示しているが どのような手段でゼロとなったと証明されるのか?
      
児童等の対人例については戸籍がある限りは 証明可能だが 無戸籍児童もいる現実で ゼロと言い切れることはできないとも感じる
      

 
動物については マイクロチップによって完全に個体管理ができたと仮定しても 登録等法令順守義務違反者はなくならないのが社会であり 気楽すぎる主張だと感じる
      

 
行政機関での「殺処分ゼロ」なのか 日本国中の動物の「殺処分ゼロ」なのか不明であり 日本国中の動物の「殺処分ゼロ」であれば 虐待 ネグレクトにしないための方策も併せて提示されなければ意味がないし 証明できる手段も提示されなければ「言葉遊び」に過ぎない
      

 
ペット殺処分とされているが 野生鳥獣についてはどのようなお考えなのか?
「殺処分」禁止とされた台湾等での現実をどのように判断されるのか
?
      
法的に取り上げる順序として 「貧困児童ゼロ」が優先されなければならないと言いたいし 高齢者の家庭内介護についての現状を改善されることの方がはるかに重要課題であり 「
ペット殺処分ゼロを」項目の7番目に入れるということは単に人気取りに陥っているとしか感じられない
      

 
経済力もない 体力もない 施設にも入れない 孤独死対応を示していただきたい
 
国民の「孤独死ゼロ」に優先して「ペット殺処分ゼロ」が表明されること自体が 国の施策を真剣にお考えなのかと問いたくなる
      

10
 花粉症 についても 法律で規定できることではないと感じる
 
人体は100%の 確率で 同一の発症原因や 治癒の断定ができるとは考えられないのに どのような医学的根拠で10 花粉症ゼロが達成できるのか? 単に発病の予防か治療効果についての規定なのか?
発病の予防であれば 原因植物を淘汰されるお積りなのか
?
防護マスクを配布されるのか
?
治療無料化されるのか
?
      
ゼロと減数は明らかに異なることであり 12の項目について「ゼロ」とされるための手法が同時に示されなければ 一人合点と言わざるを得ないと感じる

 

「立憲民主党」について番組内で コメンテーター氏から党名としては立派だと評価されていたが 単に憲法改正阻止だけを主張されると 本当に日本国民を守るための手段も示していただきたいし 「話合い」と言われると 「話合い」が嫌いな国が周辺に多く 軍事力を強化し既成事実で日本の固有の領土も侵略しようとしている国々のことは 野党であってもなぜ真剣に相手国と話合われないのか?
       
話合いの成果でも示されるのであれば 憲法改正阻止の説得力も生じるが 単に日本の国力を弱めて 他国の利益が増すことに無関心ではないのかと案じられる

 
国会議員諸氏の中には 日本を良い国にしたのか 弱い国にして他国に準じることを是としたいのかと 判断に迷うことがある
 
 
 
選挙権を得てから 棄権をしたことはありません
 
投票後に後悔したことは何度かありましたが 議員諸氏の良心までは見抜くことは困難です
 
それでも棄権はしない
 
議員になられる方々が 国民を裏切ることのないようにとひたすら願うことしかできません

 

それでも 選挙で意思表示をすることは国民の義務だと言いたいです

 

 

 

 

2017年9月14日 (木)

2017-9-14 どっこいさんの誕生日


 
今日はどっこいさんの88回目の誕生日です
2006/9
 普通に暮らしていたある日 歯科受診のために私の車で 歯科医院迄送って行く途中でした
 
会話の最中で 突然どこに向かっているのか見当がつかなくなった様子に驚きました
 
咄嗟に「ついに始まった」という気持ちでした
 
とりあえず 歯科医院で治療を終えて そのまま内科へ向いました
 
平素から病院嫌いなので理由を考えた結果 軽く咳をしていたので 「高齢者は喘息になると怖いから 先生に診て頂こう」と話しました
 
素直についてきてくれてほっとしたものの 先生には予め夫の気質を話さなければならないと思い 急いでメモを書いてお渡ししました
 
「認知症」と言う言葉は決して使わないでください
 
治療薬も「喘息の薬」として説明してください
 
とお願いしました
 
先生も了解してくださったのですが やはり「認知症」としての服薬治療が始まりました 
 
その後も(現在でも)「認知症」と言う言葉は使わないことに徹底しました
 
日頃から「認知症」については忌み嫌っていましたから あなたがその病ですとは言えず 言えばそんなことはないと 服薬にも抵抗すると思ったのです
 
服薬していても症状は進行して行きました
2011/1
 めまいが強いということで 主治医にご紹介頂いて 地域の総合病院で脳のMRI検査を受けました
 
結果は「認知症」以外には特筆すべき変化はないとのこと「アルツハイマー型認知症」が確定しました
2
月には 夜間不安になるらしく 2時間毎くらいに私を起こしに来ました
3
月には異常な空腹感に耐えられず 従来の2-3倍もの量を食べてしまっていました
 
私も24時間観ていることもできず 留守中には 半解凍の冷凍食品も食べてしまっていました
 
その結果当然のことながら「肥満」となり ついに呼吸困難に至り 夜間救急車のお世話になりました
 
救急病院では1泊させて頂いたものの 入院はできないので転医するように言われ 地域の総合病院に入院させていただいたのですが 個室で24時間付き添わなければ受け入れられないと言われて2日目には退院させられました
 
一般病室では監視の体制がないのでそれもやむを得ないこととは思いつつも 医療の薄情さにも情けない思いをしました
4
月には突然 茫然自失という状況となり 自分自身も妻のことも分らないという感じで突っ立っていました
 
犬の動物病院へ行くにもついてくるというので連れて出たものの 途中で尿意を訴え あわてて近くのスーパーに立ち寄りましたが 車を降りて数歩歩くうちに失禁していました
 
覚悟してはいたものの ここまで来た と言う思いで やはり辛く 夫には恥をかかせないようにとだけ気を配りをしました
 
 
 
服薬の量を増やしたものの 一人で自宅介護をするには限界に来ていました
 
この時期に介護保険の利用申請をして ケアマネの紹介を受けました
 
デイサービスの際にも「高齢者の運動の専門家のところで 筋肉が衰えないようにトレーニングしよう」と説明し 施設の車での送迎も断り 私の車で送迎していました
 
デイケアサービス施設の方にも「認知症」と言う言葉は使わないでくださいとお願いしていました
 
ショートステイで ボランティアの仕事で一日留守となるときにも安心して出かけられるようにし 私の息抜きをしたりしていましたが 私の頭髪は抗がん剤の副作用並みに脱毛し 経験したこともない激しい下痢や腹痛を繰り返し 自分が病院に飛び込むことがあり Dr,に夫の入院を薦められました
 
夫が自宅で転倒すると私の力では起こしてやれずご近所のお方のお世話になったりしましたが 「仏の顔も3度」と申します これ以上お頼みすることはできないと決意して 精神科入院となりました
 
その後 グループホームに入所した頃は車いすでしたが 2015/8転居により 現在のグループホームへ入所し 今では自発歩行もすり足が少なくなり 屋外散歩に出させて頂いています
 
多くの方々のご協力 ご尽力のお陰であり 感謝の気持ちで一杯でございます
 
一日措きに面会に行きますが
 
「久しぶりだね 東京から来てくれたのかい」
 
「東京へ帰りたいね 何時頃かな」と聞きます
 
「東京は地震が来るかもしれないから 高齢者は危ないので此方にいたほうが安心だから我慢してね」と答えます
 
「わかった」と言ってくれますが 5秒後には同じことの繰り返しです
 
 
 
今年は結婚50周年でもありますので 昨年迄は誕生日には3時にケーキだけ届けていましたが 今日の誕生日は 88才米寿の祝いでもあり パックの「赤飯」ですが 同じフロア―の皆様にも召し上がっていただき 「おやつ」には和菓子を届けさせていただき皆様と共においしく頂くことができました
 
満面の笑みで 満足の様子でした 
 
人生の伴侶として 私のやりたいこと「動物福祉」の向上を願う活動の一番の理解者であり 協力者でありました
 
財布は私が握っていたのですが 不足を聞いたことは一度もなく その点でも有難いことでした
 
阪神・淡路大震災の際にも家事一切と 当時の所属団体の支部事務所が半壊状況で使えなくなっていましたので 我が家がその役割を担うことになり 電話等の応対も夫にすべて任せていましたが 誠実に努めてくれました
 
私が被災動物救護活動に専念できたのも夫の協力があってのことでした
 
普通の生活に戻った頃「カレーとコロッケは当分見たくない」と言ってました
 
「男子厨房に入らず」の人でしたから 自炊は相当に辛かったようですが それも不足は言いませんでしたし 私も活動が終って初めて「カレーとコロッケ」で 凌いでいたことを知りました
 
有難いことに 夫は 登山 音楽 書画が趣味でしたし それぞれにプロに近い実力がありました
 
飲む打つ買うは絶対やらない(知る限りですが)人なのです
 
その苦労がないだけでも 幸でした
 
 
 
現在 一人の生活に浸れるのも 社会保障と皆様のお陰に寄りますので 唯々感謝の気持ちで一杯でございます

 

2017年9月 1日 (金)

2017-8-30阪大ナレッジキャピタル-カフェラポ 参加

8/30 19:0020:30 

ナレッジキャピタル超学校 大阪大学COデザインセンター × ナレッジキャピタル -対話で創るこれからの「大学」-「第2回 あたりまえを疑って本質に迫る」

Facebook友「関心あり」のイベントからたどり 30日の15:08に 申し込みメールを送信したものの 時間的に半ばあきらめていましたが ご返信を頂いて 慌てて出かけました

大阪駅はすべてが違ってて方向感覚も働かず 歩き回りました

お陰で日頃の歩行数をはるかに超えて距離8.4km 11403歩となっていました

脂肪燃焼量 42.0g これだけなんだ と なかなか痩せられないですね

        

「カフェラボ」と名の通りに 各人が登録IDを受付で確認後に飲み物をそれぞれが好みで購入して着席しました

老若男女 60人くらいの参加でしょうか?

FBで興味ありの先生方のお姿は確認できず 残念でした

添付写真ご参考までにご高覧下さいますようよろしくお願いいたします

         

人々が欲しいと思う 情報はあるが 不要物の情報が解り難い

全国規模の不要物の情報整理ができていない

社会全体の過大であると指摘されていました

事実の共有ではなく 価値観の共有が必要であるともご指摘がありました

        

動物問題にも当てはまることです

多頭数飼育崩壊 等の事実の共有も大切ですが 対応策についての価値観はまとまることはなく 「とりあえず の対応」に終始していることが 問題解決の将来への対策の進展には至らないのかと感じます

「体験がなければ 無駄がわからない」とも指摘されました

これについてもなるほどです

動物あいごに関わる人々の多くに ネット情報の全てが「事実である」かのような錯覚を抱かせるfake情報を発信する人々がいても それを真実か否かと確かめる前に「信じる」ということが起きていることは 「体験がなければ 無駄がわからない」ということに繋がります

「思惑の違いの蓄積-失敗から学ぶ」

経験を積むことの大切さであると感じます

「やらないリスクとやって失敗するリスク」

「知らないことのリスク」

           

「株式会社 会社 ナカダイ」 “使い方”を創造し”捨て方”をデザインする(リーフご参照ください)

廃棄物に対して このような取り組みをされるお方もおられることは 救いのように感じます

中台澄之氏の発想の堅実さに敬意を感じました

山崎吾郎氏 大阪大学COデザインセンター 准教授

お若いが人類学として「臓器移植の人類学」身体の贈与と情動の経済-世界思想社2015発刊されておられるようです

個人的に関心があります

       

20:30頃終了して 私的に講師のお二方にお話しさせていただきました

リサイクルと言うテーマから 「過剰生産」について尋ねてみました

動物の過剰生産=余剰動物 についての考察もお願いしますと申し上げました

       

次回も楽しみにしたいと思います

------------------------------------------------------------

 

1. 大阪大学COデザインセンター|CENTER FOR THE STUDY ...

www.cscd.osaka-u.ac.jp/#!page4

埋め込まれている動画 · イベント 20179 5() 10:0011:30 サイエンスカフェ@千里公民館 一歩先の未来をみんなで考える:新しいテクノロジーとの付き合い方 STiPS Handai研究会 2017810() 13:0016:10 STiPS Handai研究会 第31回 企業 …

2017年8月18日 (金)

2017-8-18息抜き

2017-8-18息抜き
 
返信しなければならないのか? お預けなのか? 目下検討中のコメントをいただいていますが
 
物事の感じ方は 良いことでも 佳くないことでも 感じ方が違えば価値も変わるでしょう
 
堅実なコメントが多くありがたいと思っておりますが 中には嫌がらせだけを楽しまれると感じる 頓珍漢がお得意な方のコメントに苦笑させられています
 
 
 
世の中 人々の考え方は千差万別
 
思想統制国家の中で生きておられる人々もおられますから 自由に個人の意見が言えることはありがたいことです
 
 
 
敗戦の日の一言を記する間もなく 夏休み隊のサービスに疲れました
 
 
 
夏休み隊を連れて 親族が揃って 久しぶりに息抜きをしてまいりました
 
 
 
京都「五山送り火」をおいしい御馳走を頂きながら 伊勢丹デパートの窓から眺める夜空の灯火を鑑賞(無主教なので参拝でもなく)してまいりました
20:00
レストランの中の明かりもすべて消されて 町中が闇になったところに灯される松明の火は 次第に大きくなり やがて「大」「妙法」「舟形」「左大文字」「鳥居型」と続きますが 「鳥居型」は確認できませんでした
 
 
 
父母を偲ぶことは無主教であっても 灌漑深いものではあります
 
戦没した父 若くして夫を亡くし 子育てに苦労したであろう母
 
親しかった友 動物を介して知り合えた多くの方々 そして関わった多くの動物たち
 
安らかにと祈ります
 
 
 
昨夜からようやく平日の静けさに戻りましたが 今日は「ヨガ」
 
行きはよいよいですが 帰りは倍の時間がかかります
 
自宅までの道の途中で一服に丁度良い 初老のご夫妻が経営されるお食事所で お昼を頂くことにしています
 
今日は焼魚「鰆」 あっさりとおいしく頂きました
 
品数も程よく揃い700円とお安いので金曜日のお定まりコーストなっています
 
何事もありがたく感謝の気持ちで一杯でございますImg245


2017年8月 9日 (水)

2017-8-9 敗戦国の原水爆反対に思う


 
第二次世界大戦の終戦に導くとの 言い分で 米国は「ひろしま」のみならず 「長崎」にも超大量殺人兵器投下を実施しました
 
 
 
本日の報道で 現在 18~19才の若い国民に「終戦の日を知っているか?
聞き取り調査をされていました

14%
 知らない
86%
 知っている
 
でした
 
 
 
日本は戦後反戦教師による偏った教育が定着していました
 
好戦的であれと言うことは言いませんが 教師とされての「教え」は教師の思想を押し付けるものであってはならないでしょう
 
事実に基付く対立する思想を 生徒 学生に考えさせる「教育」でなければならないと思います
 
 
 
隣国の 日本敵視教育が 強化されるに従い 日本国民からは「それは違う」と言うことを「正しい」と教え込まれた若い人々が育ち 反日国民が増えているようです
 
 
 
北が核爆弾の使用をほのめかすことを「核兵器反対」と言っていれば 世界から「核兵器」が消えるのであれば 戦後70年以上も「核兵器反対」と言うこともなかったでしょう
 
 
 
理想と現実は 矛盾だらけです
 
「核兵器」なき社会の実現のためには 皮肉にも「核兵器」を捨てては負けなのです
 
「使うかもしれない」が現実の「抑止力」となっている現状は否定できません
 
 
 
「核兵器」に国の力を象徴させる国家がある限り 
「核兵器」はなくならないでしょう

 
「核兵器」がない国は常に「核兵器」の標的として見られることも否めない情けなさがあります
 
 
 
「核兵器」の標的として見られること それでも「良い」と考える国民が多ければ 覚悟のうえで暮らさなければならないでしょうね
 
それでいいのか?
国民人一人々が考えなければならないことでしょう


 
 
犠牲になられたすべての命に黙祷を奉げます

より以前の記事一覧

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ

最近のトラックバック