日記・コラム・つぶやき

2023年3月24日 (金)

オープンアダプションと動物保護活動の将来 | Facebook 問い合わせ


またも 嫌われ役ですが 私の役割であると思っています
ご不快であれば悪しからず 
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オープンアダプションと動物保護活動の将来 | Facebook
明日 21:00
オープンアダプションと動物保護活動の将来
オンラインイベント
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2023-3-24s.maコメント


西山ゆう子氏については 
HN「さんかくたまご」様 FB Megumi Takeda様が再度のフェイク情報発信として 糾弾されています
当ブログトップに掲載しています

西山ゆう子氏は無視されることを続けておられますが 
このように大衆を教育されるお立場であれば 
フェイク情報発信として糾弾されておられることに
お応えになる義務がおありと感じます



動物あいごに関するあまりにも多い フェイク情報は 
動物愛ごに関わる人々を蔑視した発想からであると感じます



ある西山ゆう子氏支持者のお方にその旨を指摘したところ 多分ですが その支持者のお方は直接に西山ゆう子氏に問い合わせをされたと思います そして返事をもらわれたのでしょう

私 マツダが西山ゆう子氏に対して問い合わせをしていないが 
HN「さんかくたまご」様 FB Megumi Takeda様を支持していることに対して 批判的でした


HN「さんかくたまご」様 FB Megumi Takeda様の問い合わせを無視されている
西山ゆう子氏が HN「さんかくたまご」様 
FB Megumi Takeda様の情報を支持している 私マツダの 問いにお答えくださることはないと感じます

私の問いにお答えになるなら 
HN「さんかくたまご」様 
FB Megumi Takeda様の問いに
お答えになられることが先決でしょう

HN「さんかくたまご」様 FB Megumi Takeda様が 
西山ゆう子氏に再度メール送信したと主張されていますが返信はないと
書いておられます



不都合な問い合わせは黙視して 支持者には丁寧に答えられるとすれば善良な教育者とは感じられない


誰でも間違いはしますが 間違いを指摘されたときの対応が
その人の生き方 考え方の基本を示すものと感じます
 

間違いを認めて訂正 謝罪するか 反論し その根拠を示すか 無視することで時を稼ぎ 
あったことをなかったことにするのか



お人柄が現れることでもあろうかと感じます


フェイク情報を信じ込ませて 
何らかの利益にありつくとすれば 
動物あいごに関わる人々に対する
蔑視そのものであると感じます
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お問い合わせは下記のフォーム、またはお電話より承ります。
058-214-3442受付:水〜日 9:00-17:00
2023-3-24 14:39 マツダ送信

2023年2月17日 (金)

2023-2-17 過去録再掲 動物福祉とは何をするのか?

2023-2-17 過去録再掲 動物福祉とは何をするのか?

三度過去録再掲ですが 変わらない動物あいごと災害時対策は 何度提示しても十分には考えていただけない

目先の「ノーキル」にとらわれた「あいご活動」?の「つもり活動」は 果てしなく続くのかと感じています
動物福祉を見捨てでもわが心の安寧に固執して「ノーキル」から離れられない

奈良市が行政機関として3年連続殺処分ゼロと報じられていましたが それなりにご立派ではありますが 「地域猫」や「TNR」で遺棄された猫たちの生死不明の頭数は読まれないですから 社会全体としての殺処分問題は残っていると感じています
根性が悪いと言われるでしょうが 貧困児童をさておいての 
動物あいごへの公金助成は再検討されたいとは感じます


松田 早苗

2017年2月17日  · 

読者様への返信    

【何が一番大事か考えると「うちの仔」なんですね。】

はい 私もそう思います

同時に 誰にも存在を知られないで「生きている」 また 人の「ノーキル」発想の影響で「生かされている」動物たちもいますね

残念?と言いますか 私はそれらの動物たちの苦境を知ってしまいました

48年前にタローと名付けた1匹の成犬となる前の5~6ケ月くらいの子犬に出会いました

その頃はまだ「動物福祉」と言う言葉も知らず 知識もゼロ 単に「かわいい」と「かわいそう」だけで我が家に迎えることになりました

その経過は説明すると長くなりますが この犬を迎えることに 積極的に自ら求めたというよりも 状況がそのようになっていったということなのです

飼主のないかわいそうな犬とだけ聞いていました

我が家に迎えて半年も過ぎるころ この犬の素性がわかりました

同じ市内とはいえかなり離れた山手のあたりで いつもこの犬のもとの飼主宅付近を通行される方が いつみても親子で 踏んだり 蹴ったり 叩いたりの暴行を加えていたそうです

ある日 犬だけが離れて道路にいたので とっさに連れ帰ってしまわれたそうです

その後 その方の友人知人のところへお願いしたものの 間もなく返されて困っておられました
(S,Ma注-振り返って感じることですが 普通のご家庭では飼育したくならない 犬小屋の奥に隠れたまま 何事にも無反応な子犬でした 
対人恐怖症からだったとは  のちに気が付きましたが 私が意識して相手になることを強要しなかったことが 結果的に正解であったと後に得た知識で知りました)

そして 直ぐ近所だった私に声が掛かりました

当時は共働きでしたから 躊躇したものの その愛くるしさに惑わされて 引き受けてしまうことになりました

迎え入れても 当座は全く鳴かないし ベランダから 室内に誘っても入っては来ませんでした

そしてしばらくの後に この犬が虐待被害犬であったことを知らされました 事情がわかると 鳴かないこと 人のそばに来ないことの理由がわかるような思いでした

一層愛おしくなり 我が家の一員としてそのまま14年間の天寿を全うするまで終生を過ごすことになりました

この犬を迎えたことで 被虐動物のことを知り もっといろいろと知りたいと思ってグループ活動に参加しました

知るほどに 何とかしなければと思うようになりました

シンポジュウム等に参加して知識の取得に努め いつも最前列で手を上げて質問していました

行政機関との交渉にも 業者の調査にも 飼主訪問にも 可能な限り時間を費やし 状況改善のために努力をしてみようと思ったのです

先ずは 茶道 華道 木彫と趣味を全て捨ててしまいました 
そうせざるを得ないほどに時間をとられました

ボランティアが歩けば 浮浪動物に出会う という時代でした

民間の動物の飼い方も粗末でした

飼料も家人の残飯が普通でしたし 屋外飼育は当たり前で 伝染病も多くて 平均寿命が6~7年とされていました

行政機関の「殺処分」方法も 保管管理の状況も 今とは天国と地獄の差ありました

行政機関で引き取られた動物たちはあまりにも多数であり 保管場所がなく段ボールに入れられたまま積み上げられて 下は圧死している それ以前には 大型も小型も成犬も子犬も 同居で共食いもありました

行政機関の「保管施設」はほとんどが窓もなく 空調もない コンクリートの立方体でした

そのような社会状況を見て見ぬふりはできず せめて「安楽死処置」(安楽殺処置)をさせてやりたいと行動したのが 私の所属していた団体でした

当時では珍しい ベントバルビタールが用いられました

行政機関での「殺処分」に不満と義憤を感じた全国の動物福祉に関心があった人々は 北は北海道から 南は沖縄まで 空輸でも 私たちのシェルターに「安楽死処置」(安楽殺処置)を依頼してこられました

当時は神戸市内の繁華街にも犬も猫も毎日と言っていい程度に浮浪していました

その結果 私たちの運営シェルターの年間の最多収容頭数が12000匹を超すことがあり とても終生飼養などできるわけもなく 「安楽死処置」(安楽殺処置)に追われたというのが実態です

「殺処分」するなと言い続けた人々は対応行動としての 実効性のあることは何もされず 単にベンと口で誹謗中傷に明け暮れ 挙句に週刊誌に垂れ込みました

主に誹謗中傷していたそれらの人々が住んでいた 大阪府は当時としても最悪の保管状況で 当該シェルターに連れてこられる動物の半数以上が大阪府からでした

週刊誌は 事実を興味本位に取り上げ皇室叩きの延長に 売れる読み物として書くことで 真実を知らされない 知ろうと努めない世間は「殺処分」を非難し その流れは今も続いています

当時の誹謗中傷のサンプルのような週刊誌を今も後生大事にブログに残しておられるお方がいます

今は動物あいごの人々の間では大物らしいですが 人を誹謗中傷し 人を貶めて 捏造したこともメディアに訴える それらの嫌がらせをする人が 本当に動物を愛していると言えるのかは 今も疑問に思っていますが 一度得られた「ご名声」は私など歯が立たないところですし 社会はうわべが繕える人が「えらい」お方になるようになっているようです

実力もおありなのでしょうから「仕方がないこと」の一つです

阪神・淡路大震災までは動物愛護団体と言ってもわずかしかなく 実行動で動物の保護収容活動をするところとなるとほんの少しでした

阪神・淡路大震災当時も悪意のデマは飛び交いましたが そのデマの続きが 被災動物を数千匹「殺処分」していたという 団体の代表理事名での愚かな誤認情報に基付く事実無根の記事で 各政治家やその他の関係各位に送付したと自慢そうに書いていました

この件では 続けて此方も執拗に謝罪訂正を求め続けましたが 当該団体所属だったNさんお一人は謝罪されましたが 首謀者の団体代表は 自分の名をネットに流すことが「名誉棄損」に当たるとまで言っていたようです

錯覚と傲慢 滑稽もここまでくると
軽蔑することしかできません

自分のHPで 自分の書くことは信用するなと言う類の書き込みまでするような輩が 未だに「動物虐待防止とかでご活躍」のご様子です

これらの事実からも日本の動物あいごの脱線振りは「仕方ないと思います。」につながりそうです

しかし それでは 日本の動物は救われません

被災動物救護活動では全国初の官民協働作業となり 絶対に「殺処分」はしないと決めて活動をしましたし その活動には多くのボランティアさんが全国から参加してくださいました

それらの方々に対しても 被災動物救護活動についての誹謗中傷は許せないと思いました

被災動物救護活動の基本は 飼主がおられる動物か否かが判断できないというところで「殺処分」はしないと決められました

日常の保健所とされての活動もすべて休止されて 被災動物としての保管 飼主返還 譲渡 治療に専念しました

総数 1556匹保護しました

書ききれませんので もとに戻ります

動物あいごに携わられる方々が 
真実を知ることから初めていただきたいと思います

まつだ についてさえも 10年前に現役退任してすべての役職も肩書もない現状ですが 敵視している輩はまだ「殺処分」に専念しているかのような書き方で あの手この手で嫌がらせをしています

動じている輩の言い分も「老害失せろ」とか 「どんどん殺せですか」とか

知り尽くしたつもりになれるのんきな人々です

自分たちは現実の活動をどれだけされているのか 実態は知りませんが すべてを知り尽くしたかのような態度で「コメント」を楽しんでいます

私たちはこれだけの活動をしていますというところはあまり印象に残らないので不明です

一部の人は 餌付けとTNRはしているのでしょうが 
ご自分の飼養猫も屋内飼育反対で 内外 自由行動が猫の幸と主張している人もいます

動物はお好きでも 
人間社会に対しては配慮ができない人々のようです 

私とは生き方が違うので お好きにどうぞと言ってあります

此方も懲りずに 5フリーダム(5項目の自由)に基付く「動物福祉」の向上を訴えています 

多くの思いを同じくしてくださる方々に励まされています

「仕方ないと思います。」
と思われることも「仕方ないと思います」が 
真実を知ることには努力していただきたいと思います

また ご意見を頂ければ嬉しいことです

よろしくお願いいたします

長くなりましたことごめんください  松田早苗

 

2023年2月 4日 (土)

2023-2-4 84歳になりました

2023-2-4 84歳になりました
いつの間にか84歳になっていました ははははは

この年まで生きていることを考えたこともなかった20-30-40-50-60-70歳代
80歳代になってこの先何時まで生かされるのだろうかと考えました
考えたところで致し方のないことではありますが 80歳を超えて 何もかも一人でしなければならない転居は意地でやり遂げたものの 振り返って82歳では体力的に成し得なかったと感じます

昨年よりも今年 体力は確実に衰えてゆくことを感じます
気力はまだまだのつもりではあり FBにも憎まれ口を書いてはいますが 面倒だと感じることも多くなりました

日々の祈りに
「夫と妹を看取るまでは 私の体を動ける体にして生かしておいてください 二人を看取った後は翌日に死が訪れても依存はありません」と亡き父母に祈っています
生きている間は たとえ及ばずながらも 社会や他人様のために役立つ生き方でありますようにと心がけてはいますが 何時 他人様のお世話になることになるやもしれず

一人でいることは 嫌いではないので コロナ禍でもあり外出を控えていますから 在宅が多く 食べることも1日2食で 朝食は9時頃 時には間食をしますが 17時頃に夕食を済ませて 朝まで固形物は取らず水分しかとりません

成るように成る
成るようにしか成らない
とも思います

幸いこの新しい土地では 日々の小さな出来事を喜び合い 助け合い 良きご近所さんに恵まれて 同年齢の2人と2年先輩の仲良し3人組となりました 
転居で一番に挙げた条件が 「死後のミイラ化を防ぎたい」 でしたから お互いに姿を見ない日にはスマホのSMSで確認しあったりしています
そのお一人が絵手紙を趣味にされていて 素敵なメッセージを書いてくださいました

今の時代に生きる人々の苦悩は 私たちの時代とは違うものがあると感じることがあります
私が生かされた時代は 苦労もあったが それなりに良き時代であったとも感じます
感謝の気持ちを忘れずに 残された日々を誠実に生きたいと思います
的外れなコメントを書くこともあるでしょうが悪しからず ということです
感謝を込めて  2023/2/4  松田早苗


2023年1月19日 (木)

2023-1-18災害時に備えて

2023-1-18災害時に備えて

近年 私が気がかりになっていることを皆様にも知っていただければと存じます

女性のファッションについて

やたらにロングサイズのデザインが流行っていますね

ロングサイズのデザインのスカートでもワンピースでも 災害時にはとても安全に行動がとれるとは考えられない 

私のお節介な提案ですが これからデザインされる場合には ウエストで切り替えてロングスカートを取り除き 常に携帯している「パンツ」を着用できるようにされることをお勧めします

切り替えなしのドレスかスカートを着用される場合にはハサミも携帯し 外出中に被災された場合には いざというときには裾を切り取る覚悟が必要だと感じます

瓦礫で覆われた道路は 「パンツ」でも歩きにくいことがあります

履物も常にスニーカーを携行し ハイヒールなどもってのほか 助かる命を落としかねません

折りたためるナップザックも必要でしょう

手提げやショルダーは障害物を避けながら歩くには邪魔です

荷物は背負いで両手が使えることも大切です
500㏄くらいの水と 飴かチョコレートくらいを持っていることも大切です

緊急時には空になってもペットボトルは捨てないことです
小分けに使用するポリ袋も大いに役立ちます
食器としての利用と 汚れたらゴミ袋として活用できます

マジックペンは黒を使ってください
赤は紫外線に弱く退色が早いため文字が消えてしまいます
強調したい場合でも 主要な情報は黒ペンで書き周囲を赤で囲むようにしてください

携帯の予備バッテリーとケーブルも私は常に携行しています
公衆電話や 自動販売機を利用するためにコインを用意しておくと役立つことがあるかもしれません
だから私のバッグはいつも重いねと言われますが 備えとして入れています

私事ですが 動物に関わり始めてからは 若い時から私の時代では「ズボン」か「スラックス」を使っていましたが 今では「パンツ」ですね
(私には今でもパンツ=下着ですが----)

動物と関わると「しゃがむ姿勢」が多いことと 素早い動作を安全にこなす必要がありましたからね

神戸が大震災に襲われることなど想像もしなかったことでしたが 
現実は何時何処で何が起こるか予測不能です
 
飼育共生動物の同行非難に備えて 日常に首輪と名札を付ける習慣をお勧めします
私は どの部屋にも犬の頭数分のリードを備えていました

首輪がなくても最低でリードを掛けることはできます

リードはあらかじめ首の太さに応じて 結びこぶを作っておくとフックを結びこぶで止めて首を絞めることなく利用可能です

大災害に備えて 真に障碍者に対する負担軽減を考慮されるのであれば 特に盲導犬はAIの開発を進めることが大切だと感じます

既存の盲導犬育成事業保護のためを 視力障碍者のためのような置き換えは不親切だと感じます

瓦礫の道を犬と同行される障害者のご負担を真剣に検討されるなら AIの開発は必然です

犬が好きではなく 道具としての利用にして使役することも 犬と人間共に不幸です

盲導犬貸与の形式はその不幸を防ぎきれないでしょう

蛇足ながらあえて申し上げたい
公共広告機構のCMも 
「地域猫」「TNR」活動のアピールと共に再検討していただきたい
誰のためになっているのか?

「福祉」とは何か? 安易な「よさそう」は 「よくない」ことがあります
皆様もお考え下さい

2023年1月17日 (火)

2023-1-17あの日

2023-1-17あの日
巡り来たあの日 忘れられないあの日 
犠牲になられた すべての命に「安らかに」と祈りを捧げます

あの頃を振り返り 我ながらよく働けたことに感謝しています
56歳だったあの日から28年 来月早々に84歳となりますが あの頃のことは忘れられません
渾身の力で働いた 惜しみなく働けた 阪神・淡路大震災での動物救護活動が後に「動物福祉元年」と評されたことは私個人にとっても記憶に残る働きでした
世界の人々のご支援のたまものであり 国内各地からのボランティアの方々のお力添えのおかげ様でした

今では想像も及ばないことでしょうが 当時は被災者の方々の一時避難所に 動物との同行避難をされておられた方々に 動物のフードを配って歩きましたが そのたびに罵声を浴びせられました
「いぬねこの餌配る暇があれば人間のために働け」と
動物に対する価値観は今ほど成熟していない時期でしたし 誰もが不安との戦いと いらだちの中での言葉であったことは承知していましたから「すみませんね」か沈黙で応じました
動物愛護団体も少なく 現状のような民間シェルターもなく 近畿圏では当時私が所属していた団体が運営していたシェルターだけでした 
被災以前の日常の活動で 浮浪動物の保護活動をしていたことで ケージや用具 知識は備えがありましたから助かりましたが 半面 被災までの活動では動物の「安楽死処置」(安楽殺処置)を是認していたことで 被災動物を殺しているとフェイク情報を流され メディアも無責任報道をしていたこともありました

日本国内初の獣医師会と民間団体の共同組織を立ち上げ 行政が監督指導をされるという組織「兵庫県南部地震動物救援本部」を設立し 災害時における動物救援活動に多くの資料を残すことができました

神戸市は被災者対策でとても 動物救援に職員を配置する余裕がないとのことで 行政とされては 兵庫県が職員を配置してくださり 神戸市は被災動物のシェルター設置のために当時の「神戸市動物管理センター」の活用と続く墓苑内の一角に土地を提供してくださいました
にわか造りの農業用ビニールハウス内に 個体別でケージ保管という苦肉の策からの 被災動物救護活動の出発でした
動物もストレスをため ボランティアも未経験者が多く ボランティアに来られた日に咬傷事故被害にあわれてご自宅に帰られることもありました
その後 5月にプレハブ造りのパドック付き個体別犬舎が完成し移動させてからは 保護動物たちのストレス症状が軽減し世話もしやすくなりました

一般譲渡が難しく譲渡先が決まらなかった 残されていた動物たちも 獣医師やトレーナーの方々のご協力により引き取っていただき 国内初の本格的な震災被災動物救援活動を無事に終えることが出ました
動物救護頭数 1556匹(犬1039 ネコ508  その他9)

ボランティア参加人数 延べ 21.789人

活動期間 1995/1/21~1996/5/29 

2023年は 今後に起きるであろう大災害に備えることですが 広域大災害の予想もありますから 日常生活における動物共生の問題は山積しています
安易な多頭数飼育は対人にも対動物にも問題を多くします
民間団体のシェルターにも規制と非常時対策の義務付け 
全飼育動物と「地域猫」活動の猫にも 個体識別としてマイクロチップの罰則付き装着義務の法制化が必要だと感じます

2023年1月13日 (金)

動物との飼育共生を考える

2018-1-12の 過去録再掲ですが 今も状況は変わらず 動物に関わる人間の職業維持=生活維持のために 不適正多頭数飼育であっても 「生死」 「幸不幸」を確認しない遺棄と同様なTNR であっても「生きていればよし」とされていると感じます

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S.Y様 真剣にこの問題を提起していただきありがとうございます

私はこの問題については 長年取り上げてきました 

基本姿勢として「安楽死処置」(安楽殺処置)是認よりも一歩踏み込んで 否定してはならないと主張していますので 「またか」の思いの方も少なくないのでしょう

FacebookTLにも会ったこともない方が 長年の付き合いで得たかのような 上辺の「ノーキル」からの「安楽死処置」(安楽殺処置)全面否定の批判 というよりも誹謗としての言葉遣いで書き込まれます

その方の個性ですから 致し方ないのですが 日本の動物に関わる多くの方々は 本音で「ノーキル」「殺処分ゼロ」でよしとされているように感じています

その表れの一端が「TOKYOZEROキャンペーン」であると感じています

とりあえず 「ノーキル」「殺処分ゼロ」で 好印象を作ることで 深い考察は迂回したい

新たに批判の対象にはならないための ご用心なのでしょうが その行為は間違いを鵜呑みにする人々をふやしてきました

行政機関までもそれらの大衆世論に迎合されてしまった結果に 広島 熊本 神奈川等の動物福祉思想の定着に反して 慣れ合うことで現状回避をされる実情があります 

極一部の知識のある 動物福祉を根底から考えようとされる少数の方々がおられますが 「ノーキル」「殺処分ゼロ」志向にたいして 真剣な批判をされているとは感じられません

ティアハイム礼賛もその表れでしょうが 誤認と知りつつか 知らないでやってしまったのか 何れでもこれだけ 事実ではないという批判を受ければ 謝罪訂正はされなければならないでしょう

獣医師の先生方の多くも 誹謗回避のためもあるでしょうが 長年診療されたクライアントに対してさえも「安楽死処置」(安楽殺処置)は全面拒否が増えています

【中島 直彦 まだまだ、安楽死について日本の獣医教育は遅れていますね。でも、獣医師として避けて通れない仕事だと思っています。】

ご立派だと思いますし このようなお方がおられますことは救いです

40年以上前になりますが 外国の飼主様が 帰国に際して 連れては帰れないことが判明してので 当時開業間もない獣医師に「安楽死処置」(安楽殺処置)を依頼されたそうです

その獣医師はとんでもないことをいう飼主だと憤慨されていたことを今も思いだします 

私は その外国人の飼主様のお気持ちはよくわかるし 立派ですから 協力して差し上げてくださいとお願いしましたが 拒否されて あなたたちは「安楽死処置」(安楽殺処置)に頼りすぎると批判を受けました

その犬は 当時運営していました 所属団体のシェルターで受け入れ 安心されて帰国されました

飼主に抱かれて 永眠させることの意義を その獣医師は理解されることに至らなかったのです

その後 阪神・淡路大震災を経験された多くの獣医師の先生方は 私たちが 動物病院の扉を開けたこともない 飼主の家族の残飯で生かされ 獣医療には無関心の飼主が多いことに初めて目覚めて頂いたことでした

然し 最近は 震災の苦労も経験されない 若い獣医師により 再び 「安楽死処置」(安楽殺処置)は「悪」とされています

極端と思われるでしょうが 私は不妊手術をさせられて 屋内飼育ではない状況で遺棄と同様の結果となる「release」としての 生涯を強要される扱いをとてもつらく感じています

『不妊手術はしてやるのではなくさせていただくことである』

この考えは私の基本です

故に人社会の秩序維持のために 不妊手術をさせて頂いたからには 終生飼育として「幸」を保障しなければならないと考えてまいりました

私は 個体の「幸」に対する責任を問うことをしないで 関わる人々の心の安らぎと批判回避のために 不妊手術をして野に放し 終生飼育管理を見送ることで「殺さなかった」とされる行為と「安楽死処置」(安楽殺処置)は罪の意識としては同等であると感じています 

終生飼育管理の基本はどのようなケースであっても 関わった動物の死を見届けて 適切に遺体に対処することであると信念をもって信じています

譲渡先からも 10年以上の空白があっても 今も永眠のお知らせをいただけることに 飼主様に対して心から感謝いたします

【適性譲渡とは「安心」「安全」が基本であり 社会に送り出す動物が「不安」「忍耐の強要」「偏共生」とならない配慮が必要である】

譲渡に際しても 飼育中断をされる場合は 理由は理不尽なことでも叱らないから 必ず「まつだ」の手元に返還してくださいということをお願いしていました

動物のためにも社会のためにも遺棄を防ぐことを最も重視していたからです

理不尽な理由で動物との共生を止めようとする人に説教は殆ど役には立ちません

不快感から 体裁を繕うために遺棄されること や 仕方なしのネグレクトは 容易に予測できることです

動物との共生をしていた時期には 遺書に私の死か 判断能力がなくなった場合には 必ず ホームドクターに「安楽死処置」(安楽殺処置)をお願いしてくださいと書き記していました

ホームドクターにもご了解を頂いていました

我が家で「幸」だった動物たちが 「幸」の奪い合いの中に入ることはない 

未だ「幸」に恵まれない動物があふれている社会であることを考慮して 「幸」の席があるなら他に譲りたいという考え方でした

我が家に共生していた動物たちのほとんどは 新たな環境に慣れることは難しいことも理由でした

「安楽死処置」(安楽殺処置)についての批判は安易にされますから 動物の苦難はなくならないでしょう

共生の基本は死を見届けることです

皆様も良さそうなことと 本当に必要な良いことの違いを悟っていただきたいと念じます

 

S.K
いつも勇気づけられて居ます。

仰ってる事・なさってる事を書いて下さり有難いです。

猫の状態もご飯状況もお構い無しのTNR。

譲渡後いつまで関われば良いのか…。そう思ってたら次の猫・子猫の相談ありため息出ます。

でも1匹1匹を幸せにしてあげたいです。

ダラダラ文ですみませんでした

 

Js.maコメント
皆様に励ましていただいて 言いにくいことを言わせていただけます 社会的地位もつながりもないから言えることが多いとは感じますが 日本も世界も 動物は概ね 人間の利益供与のために利用されていると強くかんじます

無論一部の方々は動物の幸せについて真剣にお考えですが すべての動物が対象では 実現には至らないでしょうね

出会った人間に利用されること それが動物に生まれた宿命であり ごく少数ながら それらの動物を見て実情を知り苦しむ人々がおられることは これも救いなのでしょう

ことしもよろしくお願いいたします

2023年1月 1日 (日)

2023年年賀

賀正
おめでとうございます

心からの祝辞を述べにくい 世界情勢ですが 無事に元旦を迎えられたことに 感謝いたします

世界のすべての人々に 平安な日々が訪れますことを祈ります

              2023年元旦    松田早苗

                       

      

 

 

2022年12月24日 (土)

2022-12-21 年の終わりに思うことと感謝

2022-12-21近況
いよいよ2022年の終わりですね

多くのことがあった2022年ですが ウクライナの惨状は「平和」と「戦争」が簡単に入れ替わることを現実にしています

反戦活動家?たちの「戦争反対」が呪文のように聞こえますが 現実をみて 尚 「夢想」に浸れる平和ボケが日本を危うくするのだとも感じます

政治家の気品も責任感も失せた 
単なる高額所得者となるための「議員」が多数となり 日本国の世界での地位向上に努める 国民のために働く「政治家」は何人おられるのか? と 不安を感じます
現状は日本崩壊の懸念を感じさせます

優秀な人材はおられるはずですが 議員として政治に関わることはされないのですね

メディアでお目にかかる多くの女性に 
優秀なお方が増えていますね


政党に属さなければ議員としての地位が確保しにくいが 所属して能力を認めていただける政党もないのかもしれないと感じ それらの優秀な方々に政治は敬遠されているのかなと感じ とても残念に思います

比較にはなりませんが 私的にも多事多難 退屈している間の無い日々でした
2021年の転居からは多忙を極めました
病弱な妹の世話に 転居の片付けも儘ならず 2022年も終わりとなりました
妹の世話をすることは 亡き母との約束もありますから できる限りのことはしてやりたいと思ってのことです

私ができなかった 母の老後の世話を妹が一手に引き受けてくれたことで 当時夫の家庭内介護とボランティア活動の責任者としての立場があり 私は母の介護には金銭的な支援しかできなかったのですが 妹が全面的に引き受けてくれたことで助けられていました
母が案じていたこと 「この子(妹)は独り身で 私(母)がいなくなればこの先どうするのか心配で」といった際に「私にもできることはするから 心配しないで」と申しました
できるだけ私の身近に住まわせるべく呼び寄せたものの 昨年に生死をさまようほどの大病に翻弄させられました 
何とか生きてはいますが活動的な子でしたから コロナ禍でもあり 外出も制限があり 高齢者には過酷な日々ですから 現状は哀れです

昨年の転居の片付けも終わらず 来年に持ち越しです
高齢者となった自分自身 一年の身体能力の低下には嘆かわしく思いますが 現状はまだ1万歩は歩けますし 目覚めと共にベッドで習い覚えたヨガと 朝夕に屋外でヨガを入れた体操をして 心身の衰えを補ってはいますが 体力には昨年との違いをひしひしと感じ 転居が今年であればできなかったと感じています
故に FBもブログも途切れ途切れ 何時まで続けられるのか?
皆様に励ましていただくことで継続できることを感謝しております

小さな庭の鉢植えの花々を楽しむことができることにも感謝しています

ウクライナの悲劇は 
明日の日本に起こることかもしれません

何事にも無関心にはならないようにと努めたいと思っていますが 明日のわが身はどうなるのか?

成るように成る
成るようにしか 成らない 

いただきました励ましに感謝いたします
皆様 佳き新年をお迎えください

2022年12月 5日 (月)

2022-12-4一年のおわりに思う

2022-12-4一年のおわりですね

一年のおわりが 日本の終わりに繋がっゆくようで不安を感じます

国会の様子を見ていると 堕落した議員の数々 見っとも無い人々の生き方をまざまざと見せつけられます
議員は選挙で選ばれるものの 当選後の所業まで予測は困難ですから 「よさそう」で入れた一票を敢え無く裏切る詐欺師のような「政治家」たちには 次回の選挙まで待つしかない

とはいうものの 次回もまた同様なことが起こるだろうということは感じます

日本はどうなるのかと心配はしますが この先の日本についても 若い人々の関心の薄さにも不安を感じますが 私がやきもきしたところで何も変わらないでしょう

幸いと言えるのでしょうか 私個人の余生は知れたものですから
成るように成る
成るようにしか 成らない
と思ってはいますが 大人の無気力 無関心はこれからを生きる子供さんたちには気の毒と感じます

動物あいごについても これだけ多くのフェイク情報が「知識人」「知名人」とされる人々により拡散されていることを怒る人が少なすぎますね

動物を愛しても 人間は愛せない人々も多いのかもしれません

「愛する」ということの意味が「好きか嫌いか」と言う程度に用いられて 「愛しているつもり」の人々も多いように感じますが それを巧みに利用している動物関連業界の利益にさえなれば 誰も今更火中の栗を拾うことはされないのでしょうね

それらのフェイク情報により洗脳された人々は たとえ動物が犠牲にされていても フェイク情報の発信者を擁護しても 批判をする側には「変な人」扱いでごまかすことをしていると感じます

変な人と評価をされても間違ったことは「間違っている」と言えなくなることは情けない
フェイク情報発信者を批判して変な人とされるのであれば 
死ぬまで変な人でいいとは思います

フェイク情報発信者に迎合するくらいなら 
さっさと無口になることでしょうかね


若い皆様 ご自分と これからを生きる子供たちと 愛する動物のために フェイク情報を発信しながら 政治家気取りや 学者気取り 知識人気取り 動物愛護活動家気取りの人々を許さない社会つくりを心がけてください

人は屡々間違を犯しますが 自分の間違いを反省し正せない人には 社会をよくすることはできません と 断言いたします

2022年11月13日 (日)

2022-11-13 宗教を考える 過去録再掲

2022-11-13 宗教を考える 過去録再掲
現状毎日のように宗教団体関連の問題が取り上げられている
宗教は人間を幸せにするために存在するのではなく 人の弱みに付け込んで利益にしようとする輩にも利用されている
よさそうなことと よいことは 違う

多くの国民は「洗脳」の怖さを「オーム真理教」で学習したはずだが 
他の人がしていることを批判できるが 自分のすることはなかなか自己批判することは難しいのだと感じる
猫ブームに踊る人々にも同じようなことを感じる
「よさそう」と「よいこと」は同じではないことに気が付かなければ「よくないこと」がわからなくなるだろうと感じる
猫ブームにもそれを感じる
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2017年11月13日  · 

2017-11-12 仏教と自死に関する国際シンポジウム(関西大会)まつだコメント

https://www.facebook.com/events/1758582174184285/1791230850919417/?notif_t=admin_plan_mall_activity&notif_id=1510284323394113

ヨガのレッスンを終えて 時間がないのでヨガマットを背負い 昼食も摂らずに会場へ滑り込んだ

何とか初めから聴講はできた

昨日今日は疲労困憊で 横になっていた

罰当たりだったのか?

しかし 感動するには至らなかった

休憩ごとに聴講者の数が減っていったのも あるいは時間に拘束されたお方もおられたであろうが 私と同じ思いをされたのかもしれないと感じた

私はそれでも 最後まで座にいて質疑まで確かめた

私も質問を入れたので あるいはと思う気持ちはないとは言えないのであったが お答えにはなれないであろうとも感じた

質問

インドにおけるカースト制度で 貧困にあえぐ人々がいる

牛に救急車が用意されるが カースト下位の人間には医療さえも与えられないのはなぜか?

宗教に分派ができるのはなぜか?

答えられないことは当然だとも感じる

仏教の教えの元であられる「釈迦」の教えをひたすら信じて実践されるなら 分派などされることはないというのが 浅はかな 無学な 正直な私の考え方

キリストの教えについても マホメットの教えについても同じ

それゆえに 後世の人々が都合よく解釈された宗教には信頼感が乏しく 信じられる人々はお幸せであればそれで大層結構であり 救われておられることもお幸せなことであるので何も異論もない

私は 現在の既存の宗教に救われたいとも思わないし 信頼の全てを寄せることもできない 

宗教家からは多分「不幸な人」と評されると思うが それでも心底信じることができないのに信じた振りもできないから致し方ない

心から尊敬できる宗教家に出会わなかったからかもしれない

宗教にも「金=経済力」がまつわることも仕方がないとは思うが好意的には感じられない

今日の「そこまで言って委員会」でも宗教法人税が取り上げられていた

信教の自由は当然だが 無宗教で生きる自由もまた当然

宗教の拡大のために税制優遇されるなら 無宗教で生きる人にも何らかの税制優遇措置があってよいのではないかと感じる

宗教団体の資産となる広大な敷地の確保も関係ないし 相互互助の恩恵もない

宗教は常に自らが信じる宗教が最高位でなければ意味がない

だから 信じないものを哀れと言う感覚で蔑むことになるように思う

無宗教であれば 他の宗教を貶めることも必要ない

私は一人教祖で一人信者と言っている

人智を超える力を現存の宗教で補おうとされるには無理があると感じるが 全てを科学で説明しきれないところに宗教が生まれたと思う

地球がある宇宙のほかにも宇宙があると言われると それを科学で究明できるのに地球の余命35億年?には間に合うのだろうか?

人生が130年となるようなことを聞くと 「幸」がもっと々遠くなるようにも感じる

長生きが「幸」と刷り込まれたのは自殺者が増えた要因の一つでもあるように感じてしまう

短命でも「幸」な人生もあり 長命でも「不幸せ」な人生もある

自殺者が家族共に非難にさらされることは 生きていることの「意義」を深く感じていないからかもしれない

人にも動物に対しても単に生きていれば立派とは言えないと思う

【律蔵のなかでは、他人を殺すことは罪という文脈はあるが、自分で自分を殺すことについての言及はない。あるいは、身投げは悪だという項目もあるが、これは単に飛び降りるなといっているだけ。飛び降りると下の人が危険だから、飛び降りの禁止なだけ。】

此の一言はとても共感する

凄惨なご遺体に向かわれる方々のことも思い至っていただきたい

ご自分が「死」によって苦しみから救われたということになっても 生きている人々を苦しめてはならないであろうが そこまで考えられないから 「自死」となられるのか?

【仏教で人を殺してはいけないという法律があるが、それは重要物語がある。この世は一切皆苦、苦しいんだという教えによって、みずから死んだり、人を殺したり、人に殺してもらったりする事件がおきた。】

「人に殺してもらったりする事件」

と言う表現は殺された人の人格を傷つけるように感じる

時には嘱託殺人もあろうが 普通には 被害者であり 頼んで殺されることは珍しいことだと思うが 宗教家故にこのような表現となるのか? 説明不足なのか?

私には違和感が残る

【結論、一番古い仏教経典、最初期の経典に、自殺が罪悪、犯罪、いけないことであるという記述はない。その後の時代の変化のなかで、自殺が悪いという記述はあるものの、最初期の経典にそのような記述はない。】

そのことは教えが時代によって変えられて行ったことの証明であり 時代の価値観の変化で宗教の解釈が変わることは普遍的ではないからだとも感じてしまう

ど素人の勝手な解釈と嘲笑されるであろうが そのようなことが積み重なって 「営利的な宗教」かできるのかもしれないと思ってしまう

【自殺にまつわる世間の画一的なイメージは残念に思っている。自殺で亡くなった人は弱い人、罪だ、おかしい人だという声が残念。それは生きている我々が勝手に決めつけている。世俗で欲望にまみれて生きている我々の方が、仏教的な人としては劣っているのかもしれない。】

【亡くなった人の顔をこっちが判断、ジャッジしてはいけない。生きている人も様々な気持ちで生活しているように、死んだ人も様々な気持ちで死んでいった。】

自殺を称賛することもないが 貶めることもない このことばには賛同する

【インドは元々カースト制のもと差別されていた。仏教は生まれで人を差別しない。】

之には大きな違和感を持つ

差別されている カースト制下位の人々が 聖なる「牛」以下であって 救えないで 貧困 レイプ等に苛まれていても放置されているとしか見えない 

仏陀の国としての誇りは何処かと問いたい

「宗教」の救いとは何か?

基調講演にも パネリスト各位にも これぞ宗教家仏教は素晴らしいという感じは持てなかった

多分に不遜であるからなのだと自覚はしている

 

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