2022-3-3 タローの命日 に想う
2022-3-3 タローの命日
わたしたち夫婦の人生行路を変えた「タロー」との出会いは 宿命だったのかなーなんて感じることがあります
「タロー」と出会っていなければ 当時の私たちの感覚で「動物福祉」に関心を持つことは無かったと思います
「タロー」が被虐犬であったことも 知識があって「タロー」との接近を控えたのではなく 当時は私も働いていたことでもあり 無理強いしてでも「タロー」と遊ぼうとしなかったことがよかったのだと後の知識で気付きましたが 「タロー」は殆ど私たちに反応せず 朝夕の散歩に連れ出すことが唯一の接点だったという毎日が続きました
いじめられた過去を思い人に近づくことを恐れたのでしょうが わたしたちからは無理には何もしなかったことで もしかしたら この人間はひどいことをしないのではないかと感じてくれたのでしょう
初めて 遠慮がちにベランダとの境の戸をノックしてくれた日のことは忘れられません
開けてやると身をかがめて這うようにして室内に入りました
私たちが喜ぶ姿を見て安心したのか 甘えてくれました
それからは 親バカのサンプルのように かしこくて かわいくて 何をしてもすぐに覚えるおりこうさんの「タロー」に私たちが虜にされました
その後の動物との関りの発端となった「タロー」との出会いは宿命だとしか思えません
私たちが接した犬猫の殆どが健康で素直で美しいとは言えない動物が多く 改めて動物と人間と社会の在り方を考えさせられました
当時の行政機関の動物の処遇を知りつつ 知らない顔をしていられた人々の冷酷さは 私には「不思議」でしたし せめて「安楽死処置」(安楽殺処置)で苦痛から逃れさせたいと働き掛けた私たちを「殺処分」が趣味であるかのように社会に印象つけて 自分たちは何もしないでいた人々が その後にもマツダは関わる動物を全て殺しているとデマを振りまき 自分たちは「殺処分」反対である「優しい人間であるかのような」振る舞いを続けました
それは今も続いていますが 私は自らの行為を恥じることは無く その時代に生きた人間の一人としてなすべき最善の策「安楽死処置」(安楽殺処置)で苦しみを回避させてやれたと自負しています
当時のデマ的な情報に基次いて マツダを侮蔑された方々が 初対面で顔を背けることに繋がったのでしょうね
私からはお気の毒な方々だと感じます
噂だけで人を評価して 侮蔑し 後に話す機会があったにも関わらず自らの過去の愚行(侮蔑の態度)を謝罪できるほどご立派な方はおられなかった
それでも社会では通用しますから それで通るのかもしれませんが その価値観で後進を指導されるのは如何なことかとも正直な思いではあります
「安楽死処置」(安楽殺処置)でしか救えなかった動物たちが多かった時代であっても 無論新たな幸せに橋渡しをして その後飼主様との長いお付き合いがあった事例は沢山ありました
100%の「殺処分」が活動の主軸であるなら 『CCクロ』の活動でも 行政機関の犬を譲渡で救うことに手を出すことは無かったでしょう
当時の神戸市の収容動物の管理は 獣医師の資格のある人がいる職場だとは思えないくらいに収容犬猫は哀れでした
今も忘れられない母犬と仔犬の写真を処分ができないで手元に止めて眺めて詫びていますが 当時はタイルの床に水浸しのまま放り込まれていました
収容後に出産したのかタイルの床に8匹以上の嬰児が転がったまま放置されていました
母犬も力尽きていたのでしょう
仔犬をかまう余力も無さそうで 横たわったままでした
職員も哀れな仔犬たちを母犬から離してやろうとされる行為もなく「タイルの床に転がされたまま放置」されていました
私はその犬たちに心で詫びて『CCクロ』の活動の原点にしました
その後 タイルの床をリノリウム張に改善し タイル床を掘り込んで作られた飲用水が 屎尿で汚染されていたのも食器で給餌 給水をされるように改善されました
このことを国際討論会の席で実例報告をしたところ 傍聴されていた担当課長が「やられた(知られたくないことを暴露された)」とのたまわり 後に当該課長から次元の低いしっぺ返しを食らいました
私が申請していた神戸市長との面談に市長の許可が下りたと連絡があり 私は当時の所属団体の理事長と事務局にその旨をお知らせして 神戸市役所迄ご足労頂きました
当日急用で市長との面談ができなくなったとのことで 止むを得ないとは思いましたが 私に対する嫌がらせであり当初から神戸市長との面談の時間割りを組んではいなかった様子でした
そのことは退任あいさつに伺ったおりに「あれはマツダに対する嫌がらせでしたでしょう」と指摘をしましたが 当該課長はバツの悪そうな顔をしていましたが謝罪は無かったです
この程度の人が神戸市の責任ある役職に就いていてはとても 動物行政の発展は望めないと当時落胆と共に その課長を哀れに感じました
公開の場で実例報告をした 私の真意では 知られたくないことの暴露が目的ではなく これだけひどい保管動物の収容状況であっても やり方で改善に結びつくと注釈を入れた説明をしていました
現役当時 私は決して外部に 無用に情報を漏らしたことは無く 神戸市の動物虐待ともいえる劣悪保管状況の実情をメディアに訴えたり他の関係者にリークすることはその場限りの「垂れ込みに終わる」と知っていましたから 公にしたことは無かったのです
それも事例報告の際に付け加えて 何事も外部に訴えることの時期と真意を誤らないことを 後進の人々に強調したかったのです
市中から捕獲収容された浮浪犬が3日間の後に 飼主から持ち込まれた犬は 即日のことも有ったが 炭酸ガスにより「殺処分」されていました
それを3日は早すぎるから保管日数を伸ばせと言う愛護の輩もいましたが 私は3日間でまだ救われたと感じていました
知らないことは暢気で好いのかもしれないが 何事も知りつつ放置することは罪悪感を拭えないですね
『CCクロ』活動で 譲渡させて頂いた飼主様が 迎えてくださった動物の死亡の報告を神戸市ではなく私の携帯にしてくださることが間々ありました
当時を振り返り 行政機関の職員以上に働いたと自負していたこともありましたが
行政機関の 特に現場の職員の皆様のご協力なくしては
『CCクロ』の活動は成功しなかったと 感謝を込めて
申し上げておきます
『CCクロ』を去るきっかけは 仲間だと思っていた人の裏切り行為と 所属団体の事務局長のたくらみがいやらしく 退任を決意するに至りました
結果的にはいい時期に退任できたとは感じています
当時の活動で 譲渡でご縁を頂いた動物が天寿を全うさせて頂いた後も 長いお付き合いは続いているお方もおられます
今もそれらの方々とは譲渡させて頂いた日と 動物の命日にはメールで思い出を回顧して 感謝を込めて在りし日を偲んでいます
多難でもあり 喜怒哀楽を織り交ぜて 悲喜こもごもの動物との関りでしたが 悔いることは「幸せに生きる」ことを保障してやれなかった当時の社会事情とはいえ 人間社会の犠牲になった多くの動物たちのことを 今の過剰な動物あいごに重ねて 人間の身勝手な振る舞いは 動物に犠牲を強いることにしか方策はないのだと感じさせられます
時代が変われど 人種が変われど 人に左右されて生かされる動物たち 宿命でもあるのでしょう
助けるつもりの虐待やネグレクトがなくなることを祈ります
「タロー」に感謝を込めて冥福を祈ります
文責 松田早苗
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