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2021年3月22日 (月)

2021-3-22 児玉小枝さまのご返書と松田早苗から 児玉小枝さまに宛てた返書です

児玉小枝さまから Facebookへの 松田早苗のコメントに対するご返書を頂きました
以下は児玉小枝さまのご返書と松田早苗から 児玉小枝さまに宛てた返書です
ご参考までにご高覧いただければと存じます 松田早苗
児玉 小枝

松田様、はじめまして。

頂戴したコメント内容について、下記いくつかお返事させていただきます。

まず、

「児玉小枝さんの写真展で ガス殺のために押される炭酸ガス噴射ボタンのup写真があった

「あなたにこのボタンが押せますか?」という設問に 大いなる憤りを感じた

「押させているのは誰ですか?」だろう

圧せる行政機関職員は心がないとでも言いたいのか?」

とお書きいただいた部分についてですが、

該当箇所について、拙著「どうぶつたちへのレクイエム」に掲載した文章は下記になります。

『犬や猫を保健所に持ち込む人に問いたい。

「あなたは処分室の前に立ち、最期のボタンを押せますか?」』

そこに込めたのは、「飼い主自身が押すことを躊躇するであろうガス室のボタンを、職員さんに押させている、、、それは、殺処分という辛い仕事を他人に押し付ける行為なのではないか?」というメッセージです。
松田が感じたこと
マツダの指摘に対する 後付けの言い訳でしょう
文字であっても 写真であっても その後に追加説明か 訂正があったとしても 初めて見てその後を永久に知ることがない人は沢山います
だから初めて見る人に対する気遣いが大切なのです
あなたの中では その後に追加説明をされて「あなたにこのボタンが押せますか?に補足をされたお積りでしょうが それを知らない人は やはり行政の人は「殺処分」が平気なのかと感じる人は少なくないでしょう

添付写真は、拙著「老犬たちの涙」の裏表紙の帯コピーに採用した本文内容の抜粋です。そこには、

「老犬たちを殺しているのは、施設の職員さんではありません。それは、彼らの命に対する責任を放棄し、彼らを捨てた、飼い主自身だと私は思います」と記載しています。
ここも後付けの言い訳に感じます

これは、松田様が提唱されている「悪いのは、殺処分する行政職員ではない」というご主張と一致するのではないかとも思います。
あなたに当初からこの意図がおありであれば 写真展での 「ボタン」だけの写真の説明文は違っていたでしょう

またコメントに「高齢となった飼主さん達の経済 心のケアも粗末でしょう」とお書きいただいていますが、そちらについては私も同意見です。そういった問題や解決策については、拙著「老犬たちの涙」の巻末の「老犬たちの“いのち“と“こころ”を守り、救うために私たちにできる14のこと」の中で、「共生社会の実現」といった項目を設けるなどして掲載・紹介しておりますので、機会がありましたらご参照くださいませ。

それから、私の勉強不足で、松田様のこれまでのご活動内容を存じ上げませんでしたのでネット検索し、松田様のブログ等を一部拝読させていただいたところ、飼育放棄や遺棄される犬猫を『行政機関が引き取り「安楽死処置」することを是認し、推進する必要がある』といったご意見をお持ちであることがわかりました。

その点については、もしも何らかの事情で収容された行政施設において、やむなく「殺処分」せざるを得ない犬猫がいるなら、「炭酸ガスによる窒息死」ではなく「麻酔薬投与等による安楽死」をさせるべき、というご意見でしたら、私も同じ認識です。

ですが、私の活動の重要な目的の一つは、「家族に捨てられ、行政施設に収容される不幸な犬猫を減らす」ことですので、そこを目指して、今後もメッセージを発信していきたいと思っていますし、その点では、もしかしたら、松田様も同じ願いをお持ちなのではないかな?と拝察いたします。
「家族に捨てられ、行政施設に収容される不幸な犬猫を減らす」減らすことはいとも簡単です
現状で 「ノーキル」「殺処分ゼロ」を提唱されるあなた方の主張が 「法律第105号」改正?に盛り込まれて 行政機関での引き取りをさせない方向に誘導され 現実問題として行政機関では引取拒否をしています
結果的に 民間への払い下げ(かっこよく行政機関からの救出と言う)により 民間での不適正多頭数飼育が固定化しています
一部の行政機関でも 地下に閉じ込めたり 無差別譲渡として PWJのような悪質なところにも押し付けている実態があります

そもそも飼い主になる“資格“のない人が飼ってしまっていることが、問題の元凶だと思っていますので、適正飼育・終生飼養をする覚悟と責任感をお持ちの方だけが犬猫と暮らせる、、、そんな社会を実現するため、これからも啓発活動をしていきたいと思っています。
【手の届く最高峰が理想 それを超えるものは空想-s,ma
理想と現実の狭間で 最も犠牲を強いられるのは 弱者とされる子供 病弱者 高齢者 動物 でしょう

「家族に捨てられ、行政施設に収容される不幸な犬猫を減らす」
言葉遊びですね
法改正に際しても 環境省中央環境審議会動物愛護部会について HN「さんかくたまご」様が厳しい指摘をされています
乞う 閲覧 
2021-3-13inまとめ・あまりにもひどい環境省と外部委員の無知蒙昧無学~

http://eggmeg.blog.fc2.com/blog-entry-1660.html?fbclid=IwAR0w2v3GmSJSdTgeDOM5QE6NXXsItEfrTyUEC1K5TVaXWqEb5FD8uDstnVo

上辺を繕うことでごまかされている 現状の動物あいご活動と 指導的地位にいる人々や あなたたちのように 現実よりも言葉を美しくすることで現実逃避になっていることに気が付かないか 意図的に逃げている人々が多いからです
それでは あなたたちが主張される
「家族に捨てられ、行政施設に収容される不幸な犬猫を減らす」 ことは実現できないでしょう
目標の設定が空想の域にあるからです

現状では動物関連業者が動物あいごも含めて 業界全体を強く支配しています 

一足飛びには解決するような問題ではありませんが、地道にメッセージを発信し続けることで、少しずつでも、捨てられる犬猫が減っていってくれたらと願っています。

また、松田様は一貫して「TOKYO ZEROキャンペーン」に異を唱えておられるようですが、私としては「TOKYO ZEROキャンペーン」の一連の活動が、メディア等を通じて「犬猫の遺棄・飼育放棄、殺処分をなくす必要性や意義」について広く一般の方たちに知らしめた功績は大きいと感じていますので、良心の呵責どころか、写真提供という形で、微力なりともご協力できたことは良かったと思っています。

「TOKYO ZEROキャンペーン」という“啓発活動”が存在したことにより「守られた命」「救われた命」は、明確な数字としては現れませんが確実にあるのではないかと思いますし、日本人の動物愛護意識を高める一助にもなったのではないかと考えています。
この考え方がおありだから 自己満足に浸れるのでしょうが 現実としての実態は見て見ぬ振りをされているとしか感じられない
どのような方法で 不幸な犬猫が 東京から いなくなったと証明できますか?
組織作りの当初に 活動の成果の検証方法を設定しなければならないが 事実上不可能なことは見え透いているでしょう
東京都の隅々迄 動物飼育や浮浪動物等の実態が確認できないことは 良心的思考をされるなら 不可能であることは分かり切っています


私自身は一人のフォトジャーナリストとして、人間の言葉を話せないどうぶつたちの“代弁者”となり、写真や文章を通じて、彼らの声なき声を、彼らの命と心を守る方法を、一人でも多くの方に伝えていきたいと願っていますし、その想いや信念は、今後も変わることはありません。
【どうぶつたちの“代弁者”となり、】心算にはなれますが 動物の“代弁者”になれるわけがないでしょう
動物あいごに溺れる人々の代弁者にはなれるでしょう 


私が犬猫の殺処分問題について取材し始めてから約25年がたちますが、そのなかで、動物愛護に携わる、全国各地の素晴らしい活動家の皆さまとのご縁を頂戴して参りました。

活動内容やポリシー、考え方や意見や価値観や経験値、感覚など、十人十色、十団体十色、さまざま違いはありますが、互いを否定・批判したり足を引っ張り潰し合うなどという“不毛な争い”をするのではなく、互いの長所や得意分野を認め合い、苦手な部分や足りない部分は補い合いながら、「どうぶつたちの命と心を守りたい、救いたい」という純粋な想いや願いを共有しながら、同じ「目的」に向かって尽力する“同志”だと感じられる、、、そんな方たちと長く繋がらせていただけていることを、とても嬉しく、心強く思っています。

松田様も、そんな“同志“のおひとりであってほしい。。。
「ノーキル」「殺処分ゼロ」が理想のあなたたちとは 私の残り少ない人生では 距離が縮まることは無いでしょうね
私の理想とは違い過ぎるからです
私の理想とする飼主は 共生動物の死を見届けることであり 理由の如何に関わらず 飼主として共生された動物は 飼主の責任として「安楽死処置」(安楽殺処置)であっても死を見届けることです
需要と供給の不均衡はあなたもご存知でしょう

そこを伏せての「ノーキル」「殺処分ゼロ」は動物を救うためではなく 関わる人々を救うことに尽きると私は感じています

現状社会で飼育困難となった飼主は譲渡で共生動物を他者に渡すことが動物の福祉であるかのようにされていますが基本的に反対です
 

譲渡は「安楽死処置」(安楽殺処置)さえもできない飼主を救う止むを得ない措置としての「譲渡」であると考えています

すでに遺棄されたり 不適正多頭数飼育下にいる動物のための救済措置としての譲渡でなければ 絶対数で譲渡で救えるわけがないことはあなたならお分かりのはずでしょう
にも関わらず「TOKYOZEROキャンペーン」に掲げられた「ノーキル」「殺処分ゼロ」は動物あいごに溺れた人心を救うために 真に不幸な動物のための救いの道を閉ざそうとしています

そう願いながら、返信させていただきました。

もしも、拙著(どうぶつたちへのレクイエム、いのちのすくいかた、ラスト・チャンス!、老犬たちの涙など)を、まだご高覧いただいていないようでしたら(図書館に収蔵されている場合もありますので)またいずれ機会がありましたら、ぜひご一読いただけたら幸いです。

本の中に、私の、活動に対する想いや考え、ポリシーを全身全霊で詰め込んでおりますので、お読みいただけばきっと、ご理解いただけるのではないかと思います。
現状のあなたのこのご返信から推察して「理解」はむりでしょうね
老犬たちのいのちこころを守るため、わたしたちに今、できることは-----
老犬たちの「こころ」を守るためであれば 飼主の手の中で「安楽死処置」(安楽殺処置)をさせてやり 安らかに生涯を閉じてやることだと私は信じています

本当に理想とする新たな譲渡の場があるなら不適正多頭数飼育の施設か業者か行政機関で忍耐を強要されている動物たちに譲渡先を譲ることが動物を愛する者の選択肢だと信じています

長い文となりました ごめんください

よりわかりやすくするつもりで 文字の色分けをしましたのでFacebookでは無理ですから http://S-ma.cocolog-nifty.com/
に掲載させていただきます
ご参考までにご高覧いただければと存じます 松田早苗

(S,Ma
-赤色文字は児玉小枝さまの原文からの引用 青色文字は 松田早苗の主張です)

長々と失礼いたしました。以上、どうぞよろしくお願いいたします。

  • 3いいね!

    2021-3-22
  • 松田 早苗
  • 熟読させていただき後ほどご返事差し上げます 松田早苗

 

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