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2019年1月

2019年1月31日 (木)

2019-1-31みんなで“いのち”について考えようプロジェクト まつだコメント

2019-1-31みんなで“いのち”について考えようプロジェクト

まつだコメント
久し振りに彼方此方ちと情報の探索をしていました
少なからずがっかりしています
楽しいことを誇らしく広報できればどんなにか書き手も読み手も楽しめるでしょう
Facebook
の本来の目的なのでしょうが 私に与えられた時間配分を考えてできることは 楽しいことの報告よりもしなければならないこととしての言い難い発言が多くなります 
現役の方々には言えないか 言うつもりがないか そんなマイナーな発信ばかりでは 動物とのたのしみかたには役には立たないとお考えなのか?
羨ましいような 恨めしいような------ ははははは と誤魔化すことにしておきます
             
みんなで“いのち”について考えようプロジェクト
拝見していますとこれでは日暮れて道は険しく目的地にたどり着けるのかと不安が募ります
行政機関で保護された動物たちのことが繰り返し掲載されています
何故そのような情報が繰り返し掲載されなければならないのか?
みんなで考えよう!!
               
<和歌山)「猫殺処分ゼロ」へ本腰 県や和歌山市、獣医師>
どのような根拠から 「殺処分ゼロ」と宣言できる条件が整うのか?
本腰を入れてくださるにはその「殺処分ゼロ」と宣言される日の状況手段もご検討くださっておられるのでしょうがぜひご教示頂きたいですね
TOKYOZEROキャンペーン」にも小池知事にも問合ましたが 答えはなかった
答えられないのが答えでしょうか?
                    
行政機関施設での「殺処分」に限定するのであれば明日にも実現可能です
                    
浮浪動物の死は「殺処分」ではないのか?
私の感覚では見捨てたとしか言えない浮浪動物の死は自然死とは言えないというのが松田流解釈です
手を汚さなければそれで佳いとの解釈に感じられるが 動物に生まれた宿命として見捨てることが 人を救うことになることも確かなのでしょう
                   
テヘランで犬の散歩が禁止に 「不潔」、「西欧主義」と
当にその地に生まれ 生きなければならない場が 人の思想で「幸不幸」が支配されるという典型でしょう
他から見ればそんなおかしなことと思うことも当事者となれば当たり前であることが「考え方」の違いが埋まらない 理解をし難いところでしょう
                  
言い難いことを触れないで済まされる生き方 羨ましくもあり お気の毒とも感じられるところもあり
当面の持ち時間内では 楽しみの報告よりも 言い難いことの発信が多くなるでしょうがごめんください

みんなで“いのち”について考えようプロジェクト
皆様にも真剣に且つ冷静に理性的に考えて頂きたいと願います

2019-1-24カワウソブーム

 

2019-1-24カワウソブーム

 

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190123-00000024-mai-soci&fbclid=IwAR04Rd-XgO8s7CRi3rMV8zNFXDNquIpWd_xne5bt6xlzR-fsisuG2XdNOjM

 

SNSにも動画 背景に「カワウソブーム」 警視庁2容疑者逮捕

 

1/23() 11:24配信

 

毎日新聞
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2019-1-24 まつだコメント
「法律第105号」を飾りのようにしてしまっているのは動物あいご活動家たちと感じています 何かと言えば単に「罰則を厳しく」
死刑があるが 殺人罪がなくならないのは 罰則の強化では根本対策となっていないからでしょう
社会の規範に従えない人々はどうしてもいなくなることはないでしょう
「猫の遺棄」と「地域ねこ」の差はどこにあるのか?
理性で考えれば 「地域ねこ」は遺棄された猫たちの美化にすぎないでしょう
理性を失った動物あいごの関係者が 遺棄する人々や悪徳業者を助けていると感じています
それは「動物大好きさん」が「カワウソ」飼育したい と考えるから売ればもうかるに繋がるでしょう
密輸する輩は最悪ですが 密輸を陰で唆せているのは「動物大好きさん」が「カワウソ」飼育したい と言うところに帰結します
本当に「嫌っと」言われても カワウソを大好き 欲しいという人が「我欲」を抑止できなければ 販売行為は無くならないでしょうし「カワウソ」の不幸も無くならないでしょう
「殺処分嫌」と言って「地域ねこ」礼賛すれば猫の不幸がなくならないことにも根底でつながっていると感じます
現役当時の経験で 愛情たっぷりと思われている人々が 動物の不幸に大きく災いをもたらすことがあると感じたことは度々ありました
動物との付き合い方には愛情と共に理性ある冷静な判断も大切です
冷淡と冷静の違いが判らなければ
暖簾に腕押し  馬耳東風  蛙の面に小便 etc-------

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2019-1-31 カワウソ密輸事件 まつだコメントⅡ

1/29
 この件についてNHKで取り上げていました
前半を見ることができなかったのですが 後半で 対人犯罪に比較して 対動物犯罪は刑罰が軽いことも指摘されていました
しかし 刑罰以前に 野生種のペット化を制限できなかったのは何故か?
此処には触れられていなかった                
放送後半に限れば 密輸と言う結果に対するありきたりの論評で終わったことは 根源を質す姿勢に欠けていると感じました
密輸に関わる人々の背後に 取り込み詐欺等の反社会集団が根付いていると報じていました
直接密輸に関わる人々も女子大生等 一時の金欲しさや 人とのつながりが希薄な人々が軽率な行動に走っているようです
                   
アライグマを筆頭に人に買われた (飼われた) ことでの動物の不幸と 地域社会への多大な損失は動物関係者であれば十分に予測可能であったことでしょう
屁理屈的な「個人の自由」や経済優先が招いた 人と動物の悲劇と言えると感じます
今からでも 在来種も含めて 野生種の人工繁殖と販売の禁止を実行しなければ 動物にも人社会にも利益になることよりも 損失の方が多いと思います
既存の飼育動物の全てにマイクロチップによる個体登録を義務付けて 飼育管理(獣医師による死亡原因と行政機関への届け出の義務化)と 野生種について学用飼育以外の新たな飼育と販売の規制をしなければ事件は後を絶つことは無いと感じます
              
オランウータン密輸入事件で付随して明らかになったことですが 当時小動物の密輸は日常茶飯事の如く気楽に行われていたようでした
 
その多くは輸送途中で死亡し 空港のゴミ箱に捨てたと自供していました
 
                      
「珍しい かわいい動物が欲しい」
動物だいすき人間の欲望の犠牲となる動物たち
総てではなくても 売れさえすればなんでも売る動物業者が平然と営業していることも現実です
当時に オランウータン密輸入事件の犯人とも深い繋がりを持ち サーバルキャットの密輸入をした業者はその後もペット業者として 業界でもかなりの地位についていたことがあり 大手を振って営業していました
 
真面目とされる業者さんたちからも批判の声が届いていましたが 業者団体とされては何らの措置もなかったようでした
事件発覚から 終結までに 動物関係者からの注目すべきコメントもごく一部にとどまり 日本獣医師会等からはなかったと記憶しています
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以下ご参考までにご高覧ください
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ペット店オランウータン密輸入事件の高裁結審について思うこと

 

「種の保存法」等違反容疑公判傍聴の記録

 

03/5/16

 

 松田早苗

 

03/5/16 10:00am 開廷 大阪高裁において表記の結審があり 被告 xxxx ••••両被告人に対して被告側の申し立ての全てが却下され 一審判決支持の判決が下りました

 

xxxx被告 懲役28ヶ月 罰金250万円  •••• 懲役110ヶ月 罰金100万円

 

一審以来ほとんど欠かさず公判の傍聴をしてまいりましたが その間に被告は情状酌量を求めるべく一時期はペット店の代表を降りたように装っていましたが 次第に世間に挑戦するような行動をとるようになりました店舗の他都府県進出や乗用車全てを広告塗装に仕立てて街頭宣伝車で騒音とも言える走行をしたり 法廷でも 公判中に被告席の被告自身と 傍聴席の家族の携帯電話が相次いでなるなどの失態も見られ ペット店での代表役職への復帰と 高裁判決日03/5/16には法廷に入りきれない人数を集めて事実上他の傍聴者を締め出す作戦をするなどと 重大な犯罪を犯したと言う悔恨の姿は伺えなかったのです

 

世間も国際的に非難されるようなこの事件の重要性に反比例して無関心であったことは 被告と同じとは言わずとも悪事に甘い何事も事なかれで済ます国民性の一端を覗かせていたことは非常に残念に思います

 

何事に於ても 集団個人がした反社会的行為に関心をよせることは損だともいえる感覚が今日のこの国の悪事や犯罪を蔓延させ助長させる端緒となっているのではないでしょうか

 

悪事を悪いと指摘することを嫌う土壌があるように感じられます 
 
いわゆる「ほっとけばいいのよ」

 

しかし この件についてはあの柔らかなオランウータンたちの手を握った感触を忘れられず 私自身が関心を棄てることなどできなかったのです

 

国民の中でも関心は失われていないぞということを被告たちにも 関係者にももっと確実な姿で見せられなかったものの せめて一握りでも絶やすまいと思い傍聴を続けました 

 

最後の結審には私と友人の二人だけということになりましたが 犠牲となったオランウータンたちには人としての謝罪の言葉を届けたいそのような思いでおりました

 

法律は存在するだけでは紙に書かれた文字に過ぎません 
 
活用されてこそ社会悪の行為の抑制になるのです

 

活用されるべく国民が関心を寄せなければ忘れられ 結果的に死する法律となってしまいます

 

「動物の愛護及び管理に関する法律」の見直しについても国民の関心が今後を左右することになります

 

このような動物に関る職業には厳しい規範が必要であり 届出制から許可制にする必要があります

 

人も動物も生物全てが健全な社会とすることは努力なくしてはありえないのです

 

国民一人々が努力すれば少なくとも転落は止められるでしょうが 駄目であれば国全体も駄目になるでしょう

 

今日本はその転落の兆候を見せようとしているように思うのです

 

子どもや動物たちに幸せを願う気持ちは他力本願では成就しないのではありませんか?

 

(S,Ma-刑期を終えて社会復帰していますので 固有名詞の部分は伏字としました)



2019年1月27日 (日)

2019-1-27高知新聞 土佐清水市で新たな捨て猫

2019-1-27高知新聞 土佐清水市で新たな捨て猫

https://www.kochinews.co.jp/article/249107

土佐清水市で新たな捨て猫 一斉不妊・去勢活動直後 「犯罪の自覚を」

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2019-1-27
まつだコメント

 
【関係者憤り 警察捜査
 
 野良猫の繁殖を防ぐため不妊・去勢の手術をし、捕獲場所へ戻す高知県土佐清水市内で行われた「TNR」と呼ばれる活動を高知新聞が紹介した20日、同市叶崎で捨て猫2匹が見つかった。TNRを実施した関係者は「(新聞で)活動を知った上で捨てたのではないか」と憤り、モラルの低さに落胆している。】
 
TNR
活動自体を批判するつもりはありませんが 起こるべくして起きたということでしょう
 
此処に捨てたら助けますよと言うメッセージと受け止められることは特に不思議ではありません
 
「殺処分」させたくないが譲渡先も見つからない
 
自分勝手とはいえ切羽詰まった事情があれば 【「TNR」と呼ばれる活動を高知新聞が紹介した----
 
記事を見た人には「渡りに船」だっと推測できます
 
遺棄したこの人を擁護するつもりはないが 「ふつうの人」にはそのための「地域ねこ」活動だと解釈されることであり ありがたい活動に映るでしょうね
 
何度も発言していますが TNR活動は一見良さそうで 猫のためにも社会のためにも絶賛できる対策ではないことは分かっているはずです
 
少なくとも 心から猫の幸せを願い 社会的な責任も感じている人であればTNR活動が最善策ではないことは経験的にも気付かれるでしょう
 
総ての浮浪猫の末路を確認することは不可能です
 
どのように死を迎えたのか? 
 
知らないから次もまた遺棄の変形としてTNR活動で助けたつもりになれるのではないですか? 
 
 
 
「殺処分ゼロ」「ノーキル」行政機関は引き取らない 獣医師は「安楽死処置」(安楽殺処置)拒否
 
シェルターは不適正多頭数飼育 譲渡先の確保は困難 誰にでも飼育の機会は容易く得られる
 
これで 全てのケースに於いて「殺処分」回避で遺棄したことが【モラルの低さ】と言い切れますか?
 
TNR
活動の負の部分に気付くことなく「最善策」だと思われているなら 【自己愛型動物愛護-S,Ma】に溺れているとしか感じられません 

 
TNR活動」そこに 「殺処分」(「安楽死処置」(安楽殺処置))回避のはけ口を見出すことで「動物あいご」という名目に置き換えて 関係者の心の負担を軽減させるためにはやむを得ない方法であることと承知であれば 猫の犠牲の上で人心を救う術だということになるのでしょう
 
【関係者憤り】この方々は経験が浅いか? 
【自己愛型動物愛護-S,Ma】に埋没されているのか? としか感じられません

 
 
 
「終生飼育」の定義は 
 
『飼主が飼育動物の死を確認し 行政機関に届け出ること』
 
『譲渡先からも 死の報告を「譲渡元」に報告する義務を課すこと』
 
個人飼主にも シェルター運営者にも 行政機関にも義務付けることです

2019年1月17日 (木)

2019-1-17 阪神・淡路大震災の日

2019-1-17 阪神・淡路大震災の日
 
生きている限り忘れられないこの日ですが 生きていても忘れる日が来るのかも知れないのが高齢者です 
 
今日も知人からメールを頂きましたが 「生きている限りこの日は忘れられませんが 認知症にならない保証もないことです」と返信しました
 
あの日に共に働いた友もボランティアさん 獣医師の先生方の中にも同じく高齢者の方々がおられます
 
どうされておられるのか?
大過ない日々でありますようにと祈ります

 
 
 
活躍された昭和の著名人が次々に他界されています
 
明日は吾身と思い 身辺整理に精を出すつもりが 周囲は高齢者が多く 横から障害物が飛んできます
 
それでも私は大過なく生かされていますからできることはしなければなりません
 
 
 
先日も新年早々に大腿骨骨折で入院手術された知人
 
大腿骨骨折の患者さんが多くて手術の順番待ちをされたり 手術をされても何で入院させられているのかが理解できない認知症患者さんも多いと聞きます
 
長寿を喜べない時代のようにも思いますが 若くして犠牲となられた災害被害者の方々のことを思えば辛く複雑な思いがあります
 
 
 
阪神・淡路大震災以後大災害が続発しています
 
これからの災害は更に大規模災害となる予測がされますが 政治家はそれにどれだけの真剣さで国民を守らなければならないとお考えなのか?
高齢者が増えて 救護活動や復興活動ができる若い国民が少なくなる中で 国の方針は見えてこないことは 不安が募ります

 
動物についても 不適正多頭数飼育の現場で備えはできているのか?
              

 
あの日に思う存分働けたことは 生涯忘れることは無いでしょう
 
ある意味とても有難く思っています
 
 
 
総ての災害の犠牲者の方々と動物たちのご冥福をお祈りいたします
 
被災者の方々が心安らぐ日をお迎えになられますよう心からお祈りさせて頂きます
 
 


2019年1月12日 (土)

2019-1-11加州保護動物のみ販売可 に思うこと

2019-1-11加州保護動物のみ販売可

https://newsphere.jp/national/20190107-2/2/

ペットショップは「保護動物のみ」販売可 カリフォルニア州で新法施行


2019-1-11

まつだコメント

このような法律が立法可能だと言うところは驚きです

加州議員諸氏の力でしょうが わが国では強い業界団体の建て前と本音にはギャップを感じます

          

しかし 販売業者は加州以外に販路を変更できるであれば「パピーミル」は簡単にはなくならないようにも感じます

根本を断つなら販売の禁止よりも「生産」=「繁殖」の規制が大切かとも感じます

愛護団体に持ち込まれ 保護される動物たちの出処が不明であれば問題は残されるでしょう

「パピーミル」からの動物であるのか否かの判断ができないままに 遺棄されていたから 放棄されたから 民間団体に保護されたのでは 物足りなさが残りますが 第一歩としては評価されますね

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2019-1-12
 

 Megumi Takeda 
この法律はザル法です。形式的にでも保護団体を経由させればパピーミル由来の犬猫ウサギを販売できます。ペットショップがブリーダーの免許を得れば、自社生産品であれば、犬猫ウサギをペットショップと言う店舗形態で販売できます。現に、同様の内容の条例が先行して施行されたロサンゼルス市では、規制対象である犬猫ウサギは、条例施行後も変わらず販売されています。罰則が罰金500ドルと言うのも抑止効果がありませんし。

そもそもアメリカではインターネットによる犬の販売が極めて盛んで、パピーミルがインターネットで直売すればいいだけです。この法律を絶賛しているのは日本のメディアぐらいでしょう。この法律は、動物保護団体の、ペット業界に「テラ銭よこせ」と言うことです。要するにパピーミル生産の犬でも、保護団体を経由させれば(保護団体が有料で保護する)、ペットショップで売ることができます。保護犬であれば、商品保障も奇形でも病気でも売り物になりますから。そういう意味ではパピーミルやペットショップにもメリットがあります。辛口の松田様らしくない
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まつだコメント返信
 Megumi Takeda
様コメントありがとうございました
 
マツダの勉強不足です
 
ご指摘の通りです
 
この法律がないよりもましなのか?
形式的にでもあったら良いのか
?
意識に訴えるツールとしての立法であれば ないよりもましなのか
?
議員や あいご関係者のパフォーマンスに終わるのか
?
【ロサンゼルス市では、規制対象である犬猫ウサギは、条例施行後も変わらず販売されています。】

 
動物あいごとは何か?
今も答えは得られない 捉えどころのない 自己満足の働きなのか
?
全てとは言わないが 関わる人々の生活の糧となってしまっている「動物あいご」と感じることが多くなっています 

 
表面的にうまく社会や メディアを操るのか?・ 操られるのか?
間違ったと気が付いても是正は難しいのであろうことも容易に想像できる

 
それは支持者が賢くなければ是正は 団体存続に関わり 不可能と言ってよいであろうし 賢い支持者が多ければ「ピースワンコ」や「TOKYOZEROキャンペーン」等が社会正義のように持て囃されることもないとは感じます
 
 
 
動物の福祉の向上を願い 50年近い年月を費やし それなりに抵抗勢力を試みた者としては複雑な心境です
 
人が共生動物として動物を支配することは 人も社会も動物も共に「幸」が感じられることが基本であるとの信念を持っています
 
人は無論あらゆる人 全ての人々であり 動物愛好家の自己満足におわらない 動物に馴染めない人々にも一歩譲っていただける状況がなければならないということも私の信念の一つです
 
動物に対してしても 責任があることは言うに及ばずですが 現状では「幸不幸」よりも「生死」が問題視されていることは人の精神的安定か 動物に関わる関係者すべての経済的理由が大きく作用し それらの都合であり 動物の生命尊重と置き換えられたことに帰する 発想ではないかと私は断じています
 
 
 
故に立法と言う現実に対して 裏を読まないか 読みたくないか 気付くこともなく 「一目ぼれてきな良さ」が  「いいね」に現れるのではないでしょうか?
               

 
この法律が法として生きるのか? 生かされないのか?
根底まで辿れないか ないよりも良いということに賛同されるのか
?
人々を 惑わせているように感じますが 惑わされていると感じない 単純に立派な立法であると感じている人々の方が多数でもあるのでしょう

 
 
 
ネグレクトを容認して動物を苦しめても殺さないから動物あいごと言える人々が多数を占めている世界
 
動物愛好家とされる人々の意識改革にしか活路は開かれないでしょうね
 
 
 
適切な情報のご提供とコメントをいただきましたことに深く感謝いたします

2019年1月 1日 (火)

2019年ご挨拶

我正       

2003年の年賀に大阪のペット店で手長サルが鳥かごに長期間閉じこめられていたことで糾弾していた頃に賀状に「我正」と書いたことがありました 

:相馬雪香先生に差し上げたところ 励ましのお言葉を添えてご丁寧なご返書を賜り 偉大なお方は名も無い者へも誠実に応えてくださるのだと感激いたしました 
今もシールして大切に手元に保存しています 

 
今 再び「我正」不適正譲渡 管理と申し上げたいです

現役当時から正装して元旦を迎えることもできず 常に動物とともにいましたが そのことを情けないと思ったことはありませんが このような多頭数飼育をしなければ救いきれない社会の状況は情けなく思いました
      

 
不適正多頭数飼育が私の現役当時よりも増えているように思いますことは情けないことです
       

 
「幸せな動物に接する人の幸せ 不幸な動物に接する人の不幸 単に動物のためではないことを知っていただきたいですね-S,Ma」

 

更に高齢者問題はますます深刻になりつつあるでしょう
 
ここでも「我正」
 
自らも高齢者として生きることが 現状は感謝と共に生かしていただいていますが この先はどうなるのか?
          
全ての高齢者国民が自虐とならないことを願います
 
日夜 心身ともに過酷な状況を耐えておられる介護に携わられる方々に心から感謝いたします
 
高度医療が高額医療費となり 全ての国民に対して「平等」を期待することは難しいでしょうが 対人「安楽死処置」(安楽殺処置)をもって 高齢者自身が自己の選択肢を増やすことは国としての貧困対策が取れないのであれば 国家として救済策としてそれを肯定することが国民に対する義務だと感じます

健全な思考ができる時期に 各自に選択の自由を与えて 高齢者が生き方を自己決定できることが救いとなるのではないかと感じます

命の尊厳とは何かを真剣に考察する時期に来ていると感じます

 

皆様とすべての命あるものの平安をお祈りいたします
日頃のご無沙汰をお詫びしつつ 本年も宜しくお願いいたします
 201911日 松田早苗

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