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2018年12月20日 (木)

2018-12-19 行政機関「殺処分」に関わる人々  マツダコメント

2018-12-19 まつだコメント
https://www.facebook.com/100015799744298/posts/423239924879329/
【皆様は この写真を覚えておいででしょうか???
DAYSJAPAN
2008年6月号(写真2)に
載った 動物愛護センター職員さんたちです。】

良く記憶しています
当時 あまりにも傲慢なパネルの文言に対してきついコメントを書き 当方の書き込みに対して反論されました若い閲覧者のお方と意見交換もいたしました
そのお方は当方の主張を それなりにご理解いただいたようでした

【何時も言ってた。俺は犬が大好きなんだ‼
なんで俺が人が無責任に棄てた犬を殺さなければ行けないんだ‼って、、、叔父は定年前に辞めました。
ゼロなってほしいです】
ご当人の方々が名乗れなかったとはいえ パネルに書かれていた文言は今も賛同とは言えません
社会の風潮が「ノーキル」「殺処分ゼロ」に偏向して行き 多くの行政機関が潮時とばかりに 責任回避ともいえる「ノーキル」「殺処分ゼロ」に同調されました
熊本 広島 神奈川が典型的な不適正多頭数飼育を維持していますが他の自治体でも動物福祉を誇れる行政機関はあるのでしょうか?
       
行政機関に頼られた「殺処分」依頼主の中で 一部と言えども行政機関しか頼れない社会の状況があることを棚上げされていたから抗議文を書いたのです
切羽詰まった動物の飼主の方々への思いやりが欠けていて 行政職員とされてはご自分本位が過ぎると感じたからです
          
開業獣医師の方々が飼主のすがるような依頼であっても自己愛か世間態か 「安楽死処置」(安楽殺処置)を拒否される風潮は当時からありましたので 切羽詰まって行政機関に縋った人々をも蔑視した文言は 私には職員諸氏の文言の中に自己中心的な社会風潮に合わせた思い遣りの欠如と感じられましたから異議を唱えました
              
生きられる状況を与えられず 幸せに生かしてやれない故とはいえ 「殺処分」に関わらなければならない苦悩は経験無くして語れないでしょう
それは行政職員であろうとも民間の関係者であろうとも 苦悩としては同等であろうかと思います
経験しないではなんとでも言えます
行政機関では自らの手の内で命が尽きることを見届けられることは 極端な幼少動物か 病弱か 頭数的には少ないでしょう
動物の年齢に関わらず 抱いている手の中で動かなる動物を抱きしめている人の心の中を想定するには同等の経験無くしては無理でしょうから 好き放題に蔑視の酷評が発せられるのでしょう
            
ガス「殺処分」がなくならない理由の一つに 関わられる行政職員の方々への配慮があったことも否めません
手の内で死を確認することの重荷は人それぞれに異なるでしょう 
私なら 多頭数の集合ガス「殺処分」の致死行程で恐怖にさらされる動物たちをを見ることの苦痛に耐えよりは 手の内で安らかに見送ることがせめてもの断罪かと感じておりましたから 「安楽死処置」(安楽殺処置)に携わることができたのです
            
動物写真家の児玉氏の一連の啓発パネルに 行政機関のガス殺処分機のガス噴射スイッチの写真に      
「あなたはこのボタンが押せますか?」              
という文言があり憤りを感じて何度か抗議文を書いたことがありました
「押させているのは誰ですか?」であるべきであって 押す人は非常な人の印象を植え付けることの弊害に抗議をしたのですが 写真展示の会場にいた人からは「見解の相違です」と答えられてがっかりとしたことを記憶していました
            
【ゼロなってほしいです】
 
繁殖規制無くして無理ですね
 
本気で繁殖規制はできないとも感じます
 
余剰動物がいることを無視されることと 不適正多頭数飼育がなくならないことはなるべくしてなっているのですから
 
口先の「殺処分ゼロ」「ノーキル」が唱えられている間は 幸せとは無縁に人間の利益のために生かされる動物たちはいなくなることはないでしょう
             
先日 橋田壽賀子氏のインタビュー番組で再度対人「安楽死処置」(安楽殺処置)に触れられていました
 
「今日明日にも死して思い残すことは無い」との意味で語っておられました
 
私はこのお方のお考えに賛同いたします
 
人社会にも「安楽死処置」(安楽殺処置)がやさしさの一部と捉えられることを願っています
 
無論強制ではなく 確かな自発意志に基付くものであることは当然ですが 社会迷惑となる自死が頻発する状況は政治的にも考慮されることが必要でしょう

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