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2017年11月

2017年11月22日 (水)

2017-11-22 非営利一般社団法人 日本動物虐待防止協会と 野田総務大臣 について

2017-11-22 非営利一般社団法人 日本動物虐待防止協会と 野田総務大臣 について

 

2017-11-22 まつだコメント

https://www.facebook.com/pg/Nippon-SPCA-147171542011404/about/?ref=page_internal

会社概要

 

非営利一般社団法人 日本動物虐待防止協会

会員構成

久しぶりにネット情報検索していました


 
非営利一般社団法人 日本動物虐待防止協会

2017/11/22 現在 
 http://www.nipponspca.com/about.html
 
会員構成
 
未だに 野田聖子氏の名が出ています
 
国の主要大臣が 民間団体の支援構成員であって良いのか?

 
野田聖子氏は 責任をもって この団体の過去現在の所業に賛同されているのか お尋ねしたい
 
このことについて 何らかの弁明をしていただきたい
 
非営利一般社団法人 日本動物虐待防止協会 はかつて 阪神・淡路大震災動物救援活動
「兵庫県南部地震動物救援本部」についてのとんでもない誤認 フェイク情報を掲載し 訂正も謝罪もしていない団体です

               

しかも
 http://nipponspca.com

 

会社概要

では 書いていることに責任を持たないと記しています
これは 藤村晃子氏の個人ブログ「あき日和」にも記していました
            
この一文の記載が 如何に無責任な行為であるのか 当人には自覚がないのでしょう
             
そのような団体に国の大臣が関わることは「個人の自由意志」で済まされることは言えないでしょう
自民党とされても 大臣が 民間団体の信用保証ともなりかねない 大臣名義使用についてご検討いただきたい

現役大臣が 一民間の団体に関わられることの是非にいて 国民の皆様にも関心を寄せて頂きたいと思います
文責 松田早苗

2017年11月13日 (月)

2017-11-12 仏教と自死に関する国際シンポジウム(関西大会)まつだコメント

2017-11-12 仏教と自死に関する国際シンポジウム(関西大会)まつだコメント
 https://www.facebook.com/events/1758582174184285/1791230850919417/?notif_t=admin_plan_mall_activity&notif_id=1510284323394113


 
ヨガのレッスンを終えて 時間がないのでヨガマットを背負い 昼食も摂らずに会場へ滑り込んだ
 
何とか初めから聴講はできた
 
昨日今日は疲労困憊で 横になっていた
 
罰当たりだったのか?
            

 
しかし 感動するには至らなかった
 
休憩ごとに聴講者の数が減っていったのも あるいは時間に拘束されたお方もおられたであろうが 私と同じ思いをされたのかもしれないと感じた
 
私はそれでも 最後まで座にいて質疑まで確かめた
 
私も質問を入れたので あるいはと思う気持ちはないとは言えないのであったが お答えにはなれないであろうとも感じた
 
 
 
質問
 
インドにおけるカースト制度で 貧困にあえぐ人々がいる
 
牛に救急車が用意されるが カースト下位の人間には医療さえも与えられないのはなぜか?
宗教に分派ができるのはなぜか
?
           

 
答えられないことは当然だとも感じる
 
仏教の教えの元であられる「釈迦」の教えをひたすら信じて実践されるなら 分派などされることはないというのが 浅はかな 無学な 正直な私の考え方
 
キリストの教えについても マホメットの教えについても同じ
 
それゆえに 後世の人々が都合よく解釈された宗教には信頼感が乏しく 信じられる人々はお幸せであればそれで大層結構であり 救われておられることもお幸せなことであるので何も異論もない
 
私は 現在の既存の宗教に救われたいとも思わないし 信頼の全てを寄せることもできない 
 
宗教家からは多分「不幸な人」と評されると思うが それでも心底信じることができないのに信じた振りもできないから致し方ない
 
 
 
心から尊敬できる宗教家に出会わなかったからかもしれない
 
宗教にも「金=経済力」がまつわることも仕方がないとは思うが好意的には感じられない
 
今日の「そこまで言って委員会」でも宗教法人税が取り上げられていた
 
信教の自由は当然だが 無宗教で生きる自由もまた当然
 
宗教の拡大のために税制優遇されるなら 無宗教で生きる人にも何らかの税制優遇措置があってよいのではないかと感じる
 
宗教団体の資産となる広大な敷地の確保も関係ないし 相互互助の恩恵もない
 
宗教は常に自らが信じる宗教が最高位でなければ意味がない
 
だから 信じないものを哀れと言う感覚で蔑むことになるように思う
 
無宗教であれば 他の宗教を貶めることも必要ない
 
私は一人教祖で一人信者と言っている
 
人智を超える力を現存の宗教で補おうとされるには無理があると感じるが 全てを科学で説明しきれないところに宗教が生まれたと思う
 
地球がある宇宙のほかにも宇宙があると言われると それを科学で究明できるのに地球の余命35億年?には間に合うのだろうか?
人生が130年となるようなことを聞くと 「幸」がもっと々遠くなるようにも感じる

 
長生きが「幸」と刷り込まれたのは自殺者が増えた要因の一つでもあるように感じてしまう
 
短命でも「幸」な人生もあり 長命でも「不幸せ」な人生もある
 
自殺者が家族共に非難にさらされることは 生きていることの「意義」を深く感じていないからかもしれない
 
人にも動物に対しても単に生きていれば立派とは言えないと思う
 
 
 
律蔵のなかでは、他人を殺すことは罪という文脈はあるが、自分で自分を殺すことについての言及はない。あるいは、身投げは悪だという項目もあるが、これは単に飛び降りるなといっているだけ。飛び降りると下の人が危険だから、飛び降りの禁止なだけ。
 
此の一言はとても共感する
 
凄惨なご遺体に向かわれる方々のことも思い至っていただきたい
 
ご自分が「死」によって苦しみから救われたということになっても 生きている人々を苦しめてはならないであろうが そこまで考えられないから 「自死」となられるのか?
              

 
仏教で人を殺してはいけないという法律があるが、それは重要物語がある。この世は一切皆苦、苦しいんだという教えによって、みずから死んだり、人を殺したり、人に殺してもらったりする事件がおきた。
 
人に殺してもらったりする事件
 
と言う表現は殺された人の人格を傷つけるように感じる
 
時には嘱託殺人もあろうが 普通には 被害者であり 頼んで殺されることは珍しいことだと思うが 宗教家故にこのような表現となるのか? 説明不足なのか?
私には違和感が残る

 
 
 
結論、一番古い仏教経典、最初期の経典に、自殺が罪悪、犯罪、いけないことであるという記述はない。その後の時代の変化のなかで、自殺が悪いという記述はあるものの、最初期の経典にそのような記述はない。

そのことは教えが時代によって変えられて行ったことの証明であり 時代の価値観の変化で宗教の解釈が変わることは普遍的ではないからだとも感じてしまう
 
ど素人の勝手な解釈と嘲笑されるであろうが そのようなことが積み重なって 「営利的な宗教」かできるのかもしれないと思ってしまう
 
 
 
自殺にまつわる世間の画一的なイメージは残念に思っている。自殺で亡くなった人は弱い人、罪だ、おかしい人だという声が残念。それは生きている我々が勝手に決めつけている。世俗で欲望にまみれて生きている我々の方が、仏教的な人としては劣っているのかもしれない。
 
 
 
亡くなった人の顔をこっちが判断、ジャッジしてはいけない。生きている人も様々な気持ちで生活しているように、死んだ人も様々な気持ちで死んでいった。
 
自殺を称賛することもないが 貶めることもない このことばには賛同する
 
 
 
インドは元々カースト制のもと差別されていた。仏教は生まれで人を差別しない。
 
之には大きな違和感を持つ
 
差別されている カースト制下位の人々が 聖なる「牛」以下であって 救えないで 貧困 レイプ等に苛まれていても放置されているとしか見えない 
 
仏陀の国としての誇りは何処かと問いたい
 
宗教」の救いとは何か?
               

 
基調講演にも パネリスト各位にも これぞ宗教家仏教は素晴らしいという感じは持てなかった
 
多分に不遜であるからなのだと自覚はしている

2017年11月 8日 (水)

2017-11-8 強制退去になった神戸市東灘区の女性の部屋にいた猫

2017-11-8 さんけい
 http://www.sankei.com/west/news/171108/wst1711080011-n1.html

猫53匹放置の女性に1000万円請求へ 神戸市、市営住宅修繕で異例の全額求める

 強制退去になった神戸市東灘区の女性の部屋にいた猫=平成29年4月 
 
強制退去になった神戸市東灘区の女性の部屋にいた猫=平成29年4月

神戸市東灘区の市営住宅で、神戸地裁から異臭による迷惑行為で強制退去処分を受けた40代女性が猫53匹を放置していた問題で、神戸市が女性に対し部屋の修繕費の全額となる約1千万円を請求する方針であることが7日分かった。8日にも女性に宛てて請求文書を発送する。迷惑行為による住宅の明け渡しで費用を全額請求するのは珍しい。

 市は当初、一部費用の請求を検討していたが、女性が再三にわたる市の改善指導に応じなかったなどの悪質性から、異例の全額請求に踏み切ることを決めた。

 女性が住んでいたのは、同区魚崎南町の市営住宅3階の一室。市は畳や床板の交換などの修繕費約670万円や、消臭・消毒にかかる約260万円などを請求する。すでに3DK(約60平方メートル)の部屋から大型トラック1台分の猫の糞尿を撤去したが、消臭作業にも1~2年かかる見通しだ。

 関係者によると、女性は平成18年に入居し、子供3人と暮らしていた。入居から数年後に拾ってきた猫数匹を飼い始めたが、大量に繁殖した猫の飼育ができなくなり、22年ごろに別の場所に移ったとみられる。女性は毎日、早朝にこの部屋を訪れ、猫に餌と水を与えていたという。

 市は昨年10月、部屋の明け渡しを求めて神戸地裁に提訴。今年1月に市の主張を認めた判決が確定し、4月に強制執行に踏み切っていた。
2017.11.8 05:21更新猫53匹放置の女性に1000万円請求へ 神戸市、市営住宅修繕で異例の全額求める

 強制執行後の女性の部屋=平成29年4月、神戸市東灘区前の写真へ 次の写真へ 記事に戻る

 強制執行後の女性の部屋=平成29年4月、神戸市東灘区

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2017-11-8 まつだコメント
 
http://www.sankei.com/west/news/171108/wst1711080011-n1.html

猫53匹放置の女性に1000万円請求へ 神戸市、市営住宅修繕で異例の全額求める

 
 
当然の措置であります
 
しかし です
 
入居者資格から推量すると 低所得であるから 公営集合住宅に入られたのではないかと推測できます
 
その人に対しての この高額な損害賠償が成立するのか?
支払えなければどうされるのか?

単なる他への見せしめに終わるのか?
                

他方からの見方です
 
【女性は平成18年に入居し、----
 
【入居から数年後に拾ってきた猫数匹を飼い始めたが、大量に繁殖した猫の飼育ができなくなり、22年ごろに別の場所に移ったとみられる。】
               

 
現在は平成292017
 
平成22年からは 7年経過しています
                

 
その間に担当当局は何をされたのか?
余りにも「間延び」しすぎていないのか
?
「ネコと一緒に暮らしている」と主張したが、電気や水道のメーターはほとんど動いていなかった。
 
これを確認された時期は何時だったのか?
何故 その時点で即刻対処されなかったのか
?
            
動物の多頭数飼育については 珍しい事例ではなく 集合住宅担当者であれば一定の認識はあると推測できます
               

 
担当者に対しても同様に 公共の財産管理が不備であったとの見方もできます
 
神戸市民であれば 集合住宅管理者に対して損害賠償請求をされても良いのではないかとさえ思います
             

 
入居者の行為は悪質であるが 当該集合住宅の管理担当者の指導要領にも問題があったのではないか?
               
報道も 社会問題として取り上げて頂くのであれば 

 
何時
 
誰が
 
どのような対処をされて 今日に至ったのか?
         
結果報告に終わることなく 経過をさらに詳しく報道していただきたいと感じます

 
公営集合住宅での動物飼育については 共生を認可されたとしても 頭数制限を厳しくして 啓発団体等との連携のもとに 継続的に飼育指導を徹底されることが必要であると感じます
 
違反者に対して ある種の動物あいご活動家の「擁護」があって対処を困難にすることもあると感じたこともありました
 
動物の福祉のためにも 公共の福祉=日常生活のストレスの軽減 からも動物の飼育管理には 飼主とされても 集合住宅管理者とされても 再考されることが必要であると感じます

2017年11月 3日 (金)

2017-11-3 文化の日に考える

2017-11-3 文化の日に考える

最近の日本人はどうなってしまったのか?

モラル崩壊とみられる所業が次々と報じられる
 
尤もやってほしくない職種である政治家 大企業 警察関係者 報道も含めてと言うところが恐ろしいと感じる 
 
雇用における「ブラック企業」 中小ではなく 業界を代表されるような大企業さえも名を連ねていることは 日本全体がモラル崩壊に進んでいるようで恐ろしく 情けない
 
動物に関する活動にもモラル崩壊は見られる
 
 
 
人間の「幸」とは何か?
先ずは安心安全ではないかと感じる

 
それに加えて 「豊かさ」を求めることになるのだと思う
 
「豊かさ」とは何をもって豊かであると感じるのか?
人それぞれの感じ方は違うと思うが 最も基本とされることはやはり「安心安全」ではないかと思う

 
人や製品を信じることができる「安心」
 
日々生活することにおいて「安全」であることを意識できること
 
どれを見ても不安な状況であることは すべての国民が考えなければならないのではないだろうか?
「文化の日」

 
継承したい優れた文化を維持するためには「モラル崩壊」は絶対に避けたいと感じる

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