2017-9-14 どっこいさんの誕生日
今日はどっこいさんの88回目の誕生日です
2006/9 普通に暮らしていたある日 歯科受診のために私の車で 歯科医院迄送って行く途中でした
会話の最中で 突然どこに向かっているのか見当がつかなくなった様子に驚きました
咄嗟に「ついに始まった」という気持ちでした
とりあえず 歯科医院で治療を終えて そのまま内科へ向いました
平素から病院嫌いなので理由を考えた結果 軽く咳をしていたので 「高齢者は喘息になると怖いから 先生に診て頂こう」と話しました
素直についてきてくれてほっとしたものの 先生には予め夫の気質を話さなければならないと思い 急いでメモを書いてお渡ししました
「認知症」と言う言葉は決して使わないでください
治療薬も「喘息の薬」として説明してください
とお願いしました
先生も了解してくださったのですが やはり「認知症」としての服薬治療が始まりました
その後も(現在でも)「認知症」と言う言葉は使わないことに徹底しました
日頃から「認知症」については忌み嫌っていましたから あなたがその病ですとは言えず 言えばそんなことはないと 服薬にも抵抗すると思ったのです
服薬していても症状は進行して行きました
2011/1 めまいが強いということで 主治医にご紹介頂いて 地域の総合病院で脳のMRI検査を受けました
結果は「認知症」以外には特筆すべき変化はないとのこと「アルツハイマー型認知症」が確定しました
2月には 夜間不安になるらしく 2時間毎くらいに私を起こしに来ました
3月には異常な空腹感に耐えられず 従来の2-3倍もの量を食べてしまっていました
私も24時間観ていることもできず 留守中には 半解凍の冷凍食品も食べてしまっていました
その結果当然のことながら「肥満」となり ついに呼吸困難に至り 夜間救急車のお世話になりました
救急病院では1泊させて頂いたものの 入院はできないので転医するように言われ 地域の総合病院に入院させていただいたのですが 個室で24時間付き添わなければ受け入れられないと言われて2日目には退院させられました
一般病室では監視の体制がないのでそれもやむを得ないこととは思いつつも 医療の薄情さにも情けない思いをしました
4月には突然 茫然自失という状況となり 自分自身も妻のことも分らないという感じで突っ立っていました
犬の動物病院へ行くにもついてくるというので連れて出たものの 途中で尿意を訴え あわてて近くのスーパーに立ち寄りましたが 車を降りて数歩歩くうちに失禁していました
覚悟してはいたものの ここまで来た と言う思いで やはり辛く 夫には恥をかかせないようにとだけ気を配りをしました
服薬の量を増やしたものの 一人で自宅介護をするには限界に来ていました
この時期に介護保険の利用申請をして ケアマネの紹介を受けました
デイサービスの際にも「高齢者の運動の専門家のところで 筋肉が衰えないようにトレーニングしよう」と説明し 施設の車での送迎も断り 私の車で送迎していました
デイケアサービス施設の方にも「認知症」と言う言葉は使わないでくださいとお願いしていました
ショートステイで ボランティアの仕事で一日留守となるときにも安心して出かけられるようにし 私の息抜きをしたりしていましたが 私の頭髪は抗がん剤の副作用並みに脱毛し 経験したこともない激しい下痢や腹痛を繰り返し 自分が病院に飛び込むことがあり Dr,に夫の入院を薦められました
夫が自宅で転倒すると私の力では起こしてやれずご近所のお方のお世話になったりしましたが 「仏の顔も3度」と申します これ以上お頼みすることはできないと決意して 精神科入院となりました
その後 グループホームに入所した頃は車いすでしたが 2015/8転居により 現在のグループホームへ入所し 今では自発歩行もすり足が少なくなり 屋外散歩に出させて頂いています
多くの方々のご協力 ご尽力のお陰であり 感謝の気持ちで一杯でございます
一日措きに面会に行きますが
「久しぶりだね 東京から来てくれたのかい」
「東京へ帰りたいね 何時頃かな」と聞きます
「東京は地震が来るかもしれないから 高齢者は危ないので此方にいたほうが安心だから我慢してね」と答えます
「わかった」と言ってくれますが 5秒後には同じことの繰り返しです
今年は結婚50周年でもありますので 昨年迄は誕生日には3時にケーキだけ届けていましたが 今日の誕生日は 88才米寿の祝いでもあり パックの「赤飯」ですが 同じフロア―の皆様にも召し上がっていただき 「おやつ」には和菓子を届けさせていただき皆様と共においしく頂くことができました
満面の笑みで 満足の様子でした
人生の伴侶として 私のやりたいこと「動物福祉」の向上を願う活動の一番の理解者であり 協力者でありました
財布は私が握っていたのですが 不足を聞いたことは一度もなく その点でも有難いことでした
阪神・淡路大震災の際にも家事一切と 当時の所属団体の支部事務所が半壊状況で使えなくなっていましたので 我が家がその役割を担うことになり 電話等の応対も夫にすべて任せていましたが 誠実に努めてくれました
私が被災動物救護活動に専念できたのも夫の協力があってのことでした
普通の生活に戻った頃「カレーとコロッケは当分見たくない」と言ってました
「男子厨房に入らず」の人でしたから 自炊は相当に辛かったようですが それも不足は言いませんでしたし 私も活動が終って初めて「カレーとコロッケ」で 凌いでいたことを知りました
有難いことに 夫は 登山 音楽 書画が趣味でしたし それぞれにプロに近い実力がありました
飲む打つ買うは絶対やらない(知る限りですが)人なのです
その苦労がないだけでも 幸でした
現在 一人の生活に浸れるのも 社会保障と皆様のお陰に寄りますので 唯々感謝の気持ちで一杯でございます
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