2017-8-6原爆投下と日本人
日本人は本当によく言えば穏やか そうならざるを得なかった敗戦国の民でもあったからでしょうか?
なさけなく感じることもありますが 他国のこととは言え 過去をほじくり返して 過大な被害意識を「誇り」とするかのような行為が虚しいと思うこともあります
そこまでしないと気が済まない 国民的な被害意識はなぜと言う感じもします
戦時に 平時の犯罪とされる行為を全くしなかった国も 参戦した国の現地の人々もいないでしょう
戦争は敵国民を殺すことが仕事なのですから その場にいればそうするしか選択の余地はなかったでしょう
そうでなければ 自分が殺されていた
好いか 悪いかは 戦争に無関係な第三者が論じることであり 当事者には選択の余地はなく 殺すか殺されるかのどちらかしかないでしょう
他国の戦争被害者意識と比較をすれば 日本人の原爆被害の意識は穏やかと言うべきなのか 「平和」という状況がもたらす過去への決別なのか?
自分の国のことながら不可解に思うことがあります
もっと怒れというつもりもなく 慰安婦問題のように 国家間で約束したことにさえもなし崩しにして新たに賠償を求めるということにも 何処かこれで良いのかと感じます
今も終戦に導いた「原爆投下」という考えは米国民の多くの人々が支持されているのでしょう
慰安婦問題で 誇大主張を重ねてでも 国民に意識を植え付ける国民性は悲しいのか あっぱれなのか?
15:07~ 15:50 NHK 大阪 “原爆の絵”は語る~ヒロシマ 爆撃直後の3日間~
当時の青少年の方々が絵に描いて記録された 被爆直後の様子が赤裸々に残されています
悲惨 凄惨 表現の言葉はどれも適用できないほどの惨たらしさです
見ることは辛いのですが 見なければ自分が体験しなかった過去に蓋をするようで 申し訳なく感じます
動物の参事でさえも辛く悲しいことですが 同胞であり 親しくしていた人々の悲惨な現実を見なければならなかったことは筆舌に尽くせないであろうと感じます
同じ1Chで「東京裁判」のドラマも続けられています
しかし 今この時を原爆投下による悲惨なな記録に思いを馳せる日本人がどれだけいるのか?
過去を忘れることもすべてが悪いことではないでしょうが 知りつつ思い出から外すのか?
知らないから思いも馳せられないのか?
多くのことを考えさせられます
何事にも 現実を知って 現実を好転させるための努力をするのか?
誰かがするから我関せずなのか?
関心のないところで 何かが起こっていても不足は言えないでしょう
人社会のことも
動物との共生の問題も
順位はあるでしょうが fake情報もあることを知り どうすればそれらを識別できるのか?
自らの生き方に問いかけることは必要だと思うのです
信じることに対して警戒心を持つのか?
無関心と われ関せずに浸るのか?
何も考えないで暮らすことを「生き方」にしているのかと感じる国民が多くなっているように感じるこの頃です
犠牲となられたすべての命に黙祷を奉げます
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