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2017年8月 5日 (土)

2017-8-4 行政批判と改革

https://stopsokujitsusyobu.wixsite.com/dogcat
只今 「ペット法塾」が指導されて 「兵庫県動物愛護センターの犬猫即日殺処分を中止させる県民の会」という活動をされている方々がいますが 「殺処分ゼロ」の結果のしわよせがどこに行くのか?

この方たちは将来像を絵に描いただけでご満足なのでしょうか?

行政機関が「殺処分」しなくなって 動物が幸せになれる保障がありますか?

各地で起こっている ネグレクト保管 民間への押し付け 動物のQOLについてお考えになっていますか?

確かに 行政機関はときに批判を必要とします

しかし この「兵庫県動物愛護センターの犬猫即日殺処分を中止させる県民の会」が進めている行動には先行きの設計図がない 

単に 兵庫県動物愛護センターの犬猫即日殺処分を中止させることだけが 目的のように感じます

それは あいごの人々の心を救うためであり 動物全体の社会的状況について考慮していないからでしょう
          
それは Facebookで岡田実千代さんに対して質問したまつだの問に 的確な回答はさけて

拝見しましたが、質問の内容が意味が分からないものばかりでした。

本当に質問してるのか疑問に思います。...】


と答えています

答える能力がないのでしょう
または ひどくずるい立ち回りをしているか
正面から答えると不都合が生じるからかと感じます

挙句に人をからかうような 皮肉のつもりでしょうか 以下のようにコメントしています


2017-7-21 岡田実千代さんとkoichi onabeさんへのまつだコメント
岡田実千代 松田 早苗 さま

貧困児童の問題を重視されてましたがそれついては何も話さないのですね。】

人柄がよくあらわされたコメントだと感じます

ご自分の回答は避けたいから はぐらかそうと試みたと感じますね

まともに回答をすれば不都合なことが起こるとそれなりに判ったか 
どなかが助言されたか?
        
まつだコメント返信で下記のように記しました

「貧困児童の問題は 動物問題とは別に 声高に自慢できるほどの金額ではないので 公開するつもりはなかったのですが このようなコメントがありますので 付け加えさせていただきます
細やかながら サポートするための毎月自動振替で寄付を始めています
動物のための寄付も続けさせていただいてはいますが何処へと言うことは 愛護の人々からはマツダは「悪人」とされていますから 先様に障りがあるといけないので伏せておきます」

        
2017-7-18
岡田さんTL
法改正につながります。

動物を本当に守れる法律にして
いただきましょう。

動物を本当に守れる法律にして
いただきましょう。】

あなたが考えている 「動物を本当に守れる」とは具体的にどのような条件を満たすことですか?

刹那的感覚的な要求にとどまり 行政機関が「殺処分」をしなくなって喜ぶ人は 引取り業者や 民間の不適正多頭数飼育等の現実を見ていない人々だと思います

暴くことは威勢よく 「正義」らしく感じるものです

時にはそうなることも必要ですが 将来像を描かないで 単なる暴く行為は 基本からの改革には災いとなることもあります
        

以下に
2014年8月4日のフェイスブック記事を再掲します

松田 早苗
· 2014年8月4日 1:17 ·
checkmarkcaution-solid

201-8-3 地に落ちた神戸市の動物行政を嘆く
未だかつて 40数年間の活動で 松田はあからさまに 外部に公開して行政批判は避けてきたつもりです
それゆえに 松田に対して批判的な活動家からも松田は行政寄りであると評されてきました
...
現役当時は 内部では厳しく行政批判をし 激しく議論をしても 外部に漏らさないように 知りえた内部事情を公開したことはほとんどありませんでした

国際シンポジュウムのパネラーを務めた時に 劣悪だった保管状況の実例報告をして これだけ劣悪であっても改善できるという証として初めて公開しました

劣悪状況が存続していることをメディアや外部団体に流しても その時だけの腹癒せ的な行為となり 情報公開したその時点で官民協働は危くなると見越したからです

それまではメディアに訴えることもなく 可能な限り穏便に動物の保管状況の好転を図りたいと考えてのことでしたが それは神戸市とされても努力をされた結果 事態の好転に至り その経過報告的に発表をしたことではあり 現状が悪ければ決してこのような場で劣悪状況の公開はしなかったと注釈も入れました

それでも当時の本庁参事はひどくご立腹でした

官民協働とはどちらもが 譲歩して協力的であること 相互理解を求める努力をし 揚げ足取りに陥らないことを大切にしなければならないと思ったからです

必要な改善事項を的確に物理的かつ システムとして改善していただきたいと願ったからであり 当時の役職の方々は 反感は感じておられたとは思いますが相互協力の範囲に改善に動いてくださいました

近頃の神戸市の動物行政は「あきらめの行政」「動物のことはどうでもいい」と言った感があります

昔は保管動物の虐待保管状況に怒りを感じて「神戸市には獣医師はおられないのか」と言ったこともありましたが それでも内部での批判に止めていました

長い官民協働の道のりを考慮すると 目先で争うことの負の結果を想定したからです

しかし
現在 松田は現役ではない立場でものが言えますし 松田しかこのような批判はできないと思うから あえて 物申します

言うべきことを言うのは「今でしょう!!」

神戸市上層部の方々にお願いします

予想されます大災害に備える意味においても 動物行政改革に取り組んでください

このままでは 発災すれば ハードもソフトも 人材も 何もかも兵庫県に依存しなければ 万事休すです

断腸の思いでこの訴えをしています

数少ないとはいえ 立派な行政獣医師もおられますが ほとんどの神戸市の行政獣医師は「動物福祉」に無関心です

一市民の傲慢なたわごとと思われても致し方ありませんが 
神戸市長様に伝わるなら きっと放置はされないと信じています

どうか信じさせてください 切にお願いいたします

ご無礼の段 ごめんくださいませ   文責 松田早苗 2014-8-3

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コメント

>暴くことは威勢よく 「正義」らしく感じるものです
>将来像を描かないで
>官民協働

行政が、殺したくて殺している訳ではない事は、松田様が一番ご存じのはずです。
法の収容義務によるINに対して、譲渡によるOUTの数を比較した場合、圧倒的にINが多い為、物理的収容能力に限界がある以上、即日殺処分が行われても不合理性や不当性が存在しない事は、子供でも分かる事あり、何も暴いてはいません

彼らの主張が「正義」であるためには、無限の収容能力の存在や、迅速かつ適切ならびに多数の譲渡が行われると言う、前提が不可欠ですが、そんなことは不可能。
だからこそ自治体は、引き取りを拒否し、また無限の収容能力を求め、「官民(哀誤)談合」によるフェイク情報を垂れ流し、国民に共生を強要するのです。

上述ならびに、さんかくたまご様ご指摘の事実、すなわち「現実像」が見えない連中に、「将来像」が描けるはずなどありませんし、「自分だけはイイ人」の言う事が「正義」ではない事は、言うまでもありません。

福岡猫被害救済委員会 三瀬様 コメントありがとうございました
この程度の誘いに すごいことをしているとばかりに 賛同者がいることも現実です
シェアも多くされている様子ですから 判断力ではなく なんとなく「良さそう」が賛同の根拠化と感じます
近年の若者は 自説を持たないことが問題だと言われていることもあります
とりあえず 多数に流される
多数によりかかることで安堵感を得ているかのようです
行政の仕事に対しては 無関心ではいけませんが なんでもまずは批判ではやる気は起こされなくなるでしょう
行政機関も業者も国民も 人にも動物にも 基本は「陽性強化」です
褒めるところを探すことは難しくても 頓珍漢の批判や 批判が誹謗に落ちたのでは 努力する人はいないと思います

>近年の若者は 自説を持たないことが問題だと言われていることもあります

私の感想は多少違います。先日、某大学ねこサークルに属する院生と、話をする機会を得ましたが、そのレベルは既に、福岡の動愛教授や准教授を超えていました(笑)
若者に問題があると言う言説は、いつの時代も年長者の支持を得やすいと思いますし、私もそういう面は否定しませんが、才能があり伸びしろがある若者には期待しています。

>なんでもまずは批判ではやる気は起こされなくなるでしょう

これには誤解があるようです。そもそも、行政や獣医師ならびに研究者には、期待や応援をしており、調べたり提案したりと御協力申し上げたところ、それに対しては、ウソ・捏造・隠蔽という態度が返ってきました。
しかも、さんかくたまご様の記事の通り、死者が厚労省によって確認された現在でも、「陽性」に期待して批判を控えるべきでしょうか?

2017-8-6 福岡猫被害救済委員会 三瀬様 まつだコメント返信
【ウソ・捏造・隠蔽という態度が返ってきました。】
【しかも、さんかくたまご様の記事の通り、死者が厚労省によって確認された現在でも、「陽性」に期待して批判を控えるべきでしょうか?】
      
どのようなことであっても いずれの場合にも「ほど良く」と言うことがあると存じます
無論批判すべきことは大いにしなければならないと思いますが 反感だけがお釣りでは批判の意味が薄れると思います
       
批判を受ける側の知識のレベルや ご性格にもよることも多いかと思います
問答無用で 抵抗勢力に徹するお方もあり 経験的に判断しなければ (時には「諦めながら」)ならないと感じます
        
私は 経験的に以下のように思っています
好きな言葉は「諦めるけど諦めない」 状況が整わなければ今日はあきらめる
しかし 明日か 数日後か 数年後 あきらめずにトライすると言うことです
        
ただし若き日に思ったことでもあります

さっさと諦めることも 必要だと思う現実があります
明日が分らない高齢者となった今は 今日を清く生きることに努力することかなと感じます
        
生き方は 如何にもし難く 人それぞれに生きてきた人生が映されるものであろうかと思います
時に不遜であったり 時には自虐であったり 博愛であったり
基本的には貶されるよりも お世辞と知りつつも 「陽性」に期待して 褒められる方に救いがあるように思います
褒めるものが見つけられない時(ないと断定したくないので)には 自分の能力の限界かと思いますので諦めます


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