2017-6-30 チビクロリンの思い出
2013年の今日 チビクロリンが「お先に失礼」と言って私の手元を去りました
寂しさもありましたが 安堵感の方が多くて 「チビクロリン」も この家が 長い々間 恐怖の毎日であったであろう浮浪の状況で 苦難を背負わされながらも やうやくたどり着けた「安らぎの家」であったと自負しています
永眠は永遠の安らぎを天からいたたけたという気持ちで 感謝の思いに満たされていました
私は家族動物との別れで「ペットロス」を経験したことは一度もないのです
看取りをさせてくれたこと 時には「安楽死処置」(安楽殺処置)であった場合にも 安らかな死を確認できたことは 飼主として何よりも安堵感に満たされることでしたから すべての苦痛からの解放であり 愛されて看取られたことは 動物にとっても満足なことであったであろうと思えたからです
助けてやりたくても人間不信になった浮浪動物たちの末路は哀れで 誰にも看取られることもなく 孤独と苦痛の中で死を迎えたであろうと思うと 何時も済まないという気持ちでしたから 最期を安心して迎えられることは動物にも飼主にもありがたいことなのだと思うので「ペットロス」にはなりようがなかったということです
その上に こちらの都合ではなく 絶え間なく動物は私の手元にやってきましたから 「ペットロス」に浸る「余裕」? もなかったということも言えそうです
月日の流れが速く感じるのは老いの証しとも聞きますが 本当に早く感じます
数々の思い出と共に 月日は過ぎ去ります
正確に言えば365日が命日と言って過言ではない 現役当時の状況を振り返れば 手元に動物がいないことも この先を思えばありがたいことですので 今この時の安らかな日々が天からの恵みであると感じます
全ての動物の冥福を祈ります
「チビクロリン」本当に 賢くて いじらしくて かわいかった
アジサイが咲くと 「チビクロリン」を思い出します
私の40年以上に及ぶ動物との関わりのアンカーとしての役割を立派に果たしてくれました
ありがとう 💓
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