« 2016-12-7 動物福祉の歴史の一部 | トップページ | 2016-12-23 情報についての疑問 »

2016年12月 8日 (木)

2016-12-6 対人「安楽死処置」(安楽殺処置)を考える

2016-12-5オランダ、アルコール依存症(41)患者の注射による安楽死

 

MT

12月1日 5:50 ·

https://static.xx.fbcdn.net/rsrc.php/v3/yB/r/-pz5JhcNQ9P.png

Niederlande erlauben Alkoholiker (41) Tod durch Giftspritze
オランダ、アルコール依存症(41)患者の注射による安楽死を認めました。

In den Niederlanden ist ein 41-jähriger alkoholkranker Vater zweier Kinder auf seinen Wunsch hin durch Sterbehilfe gestorben.
Die Fallzahl sei binnen zehn Jahren um das Dreifache auf 5000 gestiegen....
オランダでは、2人の子供の父親で41歳のアルコール依存症の患者は、彼の希望により安楽死によって死亡しました。
安楽死の症例は、10年経ずに3倍の5,000例に増加しました。

 ヨーロッパでは、オランダ、ベルギー、スイスで安楽死が合法です。かなり積極的な安楽死も認められています。「不治の傷病で」「著しい苦痛が有り」「それを除去することができない」という原則を満たしていない症例でも認められています。

MT 不謹慎な書き方をして申し訳ありません。かつて「オランダでは犬猫の殺処分がゼロである」という誤情報が拡散されました。実際は禁止犬種だけでも年間500頭以上を強制殺処分していました(オランダは人口1,000万人台)。人の積極的安楽死が合法で、年間5,000例もの安楽死があるのに、犬猫を絶対殺さないということはありえません。日本人はゲルマン民族の生命観を誤解し過ぎています。

いいね! · 返信 · 5 · 12月1日 6:00 · 編集済み

 

MT 様いつも情報の提供を頂きありがとうございます

苦痛に耐えることの生き方を自ら選ばれる方はそれはそれでご立派だと思いますが ご自分や他の人が耐えられることを「君が耐えなければ立派な生き方とは言えないね」と苦痛を耐えて生きることを強要しているのが日本の現状のように思います

生命の「所有権」とは表現としては不適切でしょうが あくまでも個人の価値観で 他の誰にも左右されるものではないと思うのです

延命治療は不要と言えば退院してくださいという医師がおられることにも情けないと感じます

延命治療以外に苦痛を軽減させることを配慮できないとは医療の大原則に反すると思います

 
私は医療の原則は「苦痛の軽減」であると思っています

 
肉体的であっても 精神的であっても 自ら死を選択されるほどに追い詰められている苦痛であれば 静かに死を迎えさせてあげていただきたいと感じます

自死は最もつらいことではないでしょうか?

それを助けてあげられるのであれば「死はいけない」ということ以上に「死」の苦しみから救ってあげられると思う思想があってよいと思うのです

説教をすれば我に返って立ち直られるお方もおられることでしょうが 改めてもっと凄惨な死の手段を選択させることにつながることもあり得ます

 
「安楽死処置」(安楽殺処置)によって救われる「生命体」は必ずあります
 
私は究極自分にその選択肢を選ばせていただけるなら どんなにか幸せだと思うのです

2016-12-6MT ご紹介ありがとうございます。松田様のおっしゃることに同意します。しかし松田様のご意見は、日本では少数派なのではないですか。私は、日本ほど「命」を奪うことに対して忌避感が強い国民は珍しいと思います。ヨーロッパの3カ国と、アメリカの一部の州では人の安楽死が合法です。QOLと安楽死を比べて、よりベターな方を躊躇なく選ぶという感じです。その点を日本人は大いに誤解しています。

いいね! · 返信 · 23時間前

 

2016-12-6
MT 
様 コメントありがとうございました
日本では少数派なのではないですか

はい その通りです
 
言いたくても言えないお方もおられるようにも感じます
 
私のような社会的地位もなく発言が自由で 他からの攻撃にも耐えられる覚悟を持つことはたやすくはないでしょうから 万人向きではないでしょう
 
「どんなことがあっても生きていなさい」という教えが日本的な価値観だと思います

 
にも拘わらず 自殺者の多さでは問題とされていますし 老老介護で夫婦や家族間殺害が起こっていることも もっと真剣に取り組んでいただきたいと感じます

強盗が欲望に駆られて殺人をすることと 愛するあまりか 疲れ果てての同情からの殺意かは全く違います

 
後者を犯人として裁かくことが いくら情状酌量で減刑されたとしても裁かれる状況に追い込んだ国家としての福祉の基本が間違っていると思います

 
健全である時期に意思表示をしたものに限ってでも「安楽死処置」(安楽殺処置)を認めていただくことが このような凄惨且つ残酷な決意をさせることから救えると思います

 
少子高齢社会の日本は 尊厳死について 真剣に考慮し配慮しなければならない国情に至っていると感じます
    

 
死は安らかであってほしいと願います

 

« 2016-12-7 動物福祉の歴史の一部 | トップページ | 2016-12-23 情報についての疑問 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

人の安楽死が合法な国地域では、ヨーロッパでは、ベルギー(年齢制限を撤廃しました)、スイス、ルクセンブルク(もそうでした)、そしてニュースにあるとおりオランダがあります。
アメリカでもいくつかの州(オレゴン州など)では合法であったと記憶しています。
カナダもそうでした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%A5%BD%E6%AD%BB
ドイツでは4割の世論が人の安楽死に対して容認~賛成していますが、最高裁判所が「人の安楽死は憲法に違反する」との判断を示して以降は、立法化の動きは止まってます。
しかし人の安楽死が議論の俎上にあがることは、海外では珍しいことではありません。

> 「どんなことがあっても生きていなさい」という教えが日本的な価値観だと思います

日本的な価値観といえばそうでしょうが、「重い責任を負いたくない」のではないかと思います。
処置を行う医師の法的責任もそうですが、行ったあとの医師や遺族自責かんを回避したいのではないかという気がします。
つまり厳しいこと、難しいこと、真剣に考えなけれなならないこと、を回避したいのではないでしょうか。
ある面、無責任だと思います。

2016-12-8まつだコメント返信
さんかくたまご様コメントありがとうございました
【「重い責任を負いたくない」のではないかと思います。】
そうですね
過去に「安楽死処置」(安楽殺処置)を望まれたお方の要望に応えた形となったDr,が法的に糾弾されたことがあったと記憶しています
動物の「安楽死処置」(安楽殺処置)についても 獣医師の合言葉のように「命を救う職業だから「殺処分」はできない」と答えられていますね
それが 本当に優しい人として尊敬できるのか?
私はご自分本位であり 飼主と動物の苦しみを救うことなく回避されているとかんじますから 尊敬に値しないと思っています
他方で 動物の引き取りでもそうですが 入れ知恵等もあって 一旦飼主ご自身が意思表示をして引取をしてもらった相手に 「連れ去られた」として絡むこともあります
その場合にもよほどの証拠を確保しておかないと 法的には「窃盗」にされかねません
権利に関わることはややこしいことが多く 当事者になることは避けたいと思われるのも致し方がないのかもしれません
だからこそ 法的に根拠を示して 「安楽死処置」(安楽殺処置)を望む人を救済するという観点で立法をしていただきたいですね

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 2016-12-6 対人「安楽死処置」(安楽殺処置)を考える:

« 2016-12-7 動物福祉の歴史の一部 | トップページ | 2016-12-23 情報についての疑問 »

2024年11月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
無料ブログはココログ

最近のトラックバック