「動物愛護団体」考察
Facebookからの転載
川村 幸治
11時間前 ·
ある動物愛護団体のニュースペーパーで何度も書かれていたのは、「動物愛護団体の敵は動物愛護団体である」という言葉でした。
あまり、動物愛護団体間の融和は感じない。
3.11以降雨後の竹の子のように動物愛護団体が誕生している。
普通、横の連絡を取り、環境省などと交渉するために連合団体を作ろうという動きがあっても良さそうに思うが、私は聞いたことがない。
聞こえてくるのは自身の団体の優位性だけである。
原因は人間不信かなーと考えています。
動物は好きでも人間は苦手。
ですので、その動物愛護団体も分裂して小さくなる傾向のように感じる。
団体は人が集まって作るもの。
人を信頼しなければ、人の塊は出来ない。
少数の人間で出来ることはしれている。
動物愛護の世界は、そこに難があると私は感じています。
(S,Ma注-川村 幸治先生は著名なお方ですので 実名とさせていただきます)
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川村 幸治先生
いつも 誠実に動物福祉に向き合っていただいていますことに 感謝の気持ちで一杯でございます
ここにコメントさせて頂くことは ご迷惑となりかねないのですが テーマが「動物愛護団体」ですのでコメントさせて頂きます
1970年から動物福祉の向上を願って活動をしているから たくさんのことも見てまいりました
私の知る限りでは「ノーキル」「殺処分ゼロ」は 厳密には世界で達成されたことはないでしょう
世界的に実力が認められている RSPCA(英国王立動物虐待防止協会)が 「安楽死処置」(安楽殺処置)の否定はされていませんし 他の強力な組織に於かれても 「安楽死処置」(安楽殺処置)は認められています
日本においては ドイツをはじめとする西欧での状況を意図的に誤認情報として「ティアハイム」を理想像として 目途とされ 事実を曲げてでも 「ノーキル」が達成されているかのように捏造された情報の提供をされていますが 誤認であることを指摘されても 謝罪も訂正もされることはなく 誤認情報の支持者からは 誤認情報を指摘する側の悪意であるかのような扱いで逆に誹謗中傷さえされているのが実情です 地域や人は違っても、法律は全国統一です。法律が私達の生活の枠組みを決めるのです。だから、2018年の動物愛護法改正については、大同小異で一致団結する必要がありますね!
5フリーダム(5項目の自由)を基本とする「動物福祉」を目途とされるのであれば 極端な頭数の多頭数飼育は到底無理なことです
しかし メディアも動物愛好家の多くも これらの活動を礼賛されています
先日 私が現地調査をしてまいりました 某シェルターについても 当該団体が書かれていることと記事に対しての「いいね」の数に恥じると言って過言ではないのが実情でした
多くの行政機関は民意とばかりに 民間団体に「払い下げ」と称して無責任譲渡を進めています
譲渡を受ける側も能力以上に引き受けているように感じます
「00日が命の期限です」は良く書かれています
引き取られて「いいね」が沢山ついていますが 到着した先の処遇は「ネグレクト」の容認です
行政機関で「殺処分」されていれば 考えようでは 苦痛からは救われたことでしょうが 行きついた先で「ネグレクト」を黙認されることには誰も口を挟まないのですね
事実が知られていないこともあるからでしょうが 「よさそう」であれば「いいね」となり 「いいね」の数だけ シェルターの負担は増えているのが現実だと思います
何よりも収容されている動物たちは 人の思惑の都合で 「幸」とは言えなくても「生きているからいいじゃない」として 日々の粗末な扱いも「辛抱」させられています
挙句に老衰で死亡すれば 「自然死」として「殺さなかった」となります
これらの実情から 動物に対する心からの思い遣りとは感じられない 団体や個人の活動の維持の都合で 動物が犠牲にされていると私は感じ 残念というよりも情けないと感じます
団体間の相互理解は大切ですが 考えの違いが「敵」とみなされると罵詈雑言 エスカレートすれば アダルトエロサイトまでも利用して悪意ある貶める行為が平然とされるのです
多くの団体の集合体である組織はありますが とても「常識的」とは言い難い活動がされていると感じています
法律家も政治家も理性よりも「社会の中での仕事」としての域から出られないのも致し方ないのかもしれませんが 「法改正」に携わられるのであれば 動物愛好家の言い分と共に 動物を好まれない国民の意見にも耳を傾けていただきたいものです
現状での 団体間の相互理解に至るには 日暮れて道は険しく遠い というのが 私の実感です
申し訳なく思いますが 目指すものが何かということを 再確認できなければ 「井の中の蛙」
世界の動物福祉の「大海」を知ることが必要かと思うのです
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S.Y様コメント
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まつだコメント
【大同小異で一致団結する必要】
何処の何方のどのようなご提案に基つくものかで 「大同小異」では済まなくなりそうです
「殺処分ゼロ」「ノーキル」を前提とされるなら 無理です
適切な「安楽死処置」(安楽殺処置)を行政機関に義務つけることが必要です
本来は 開業動物病院で 主治医として最も信頼された飼主様との相互理解に基つく「安楽死処置」(安楽殺処置)が大切ですが 昨今の社会状況では望みは持てそうにないようですから やむを得ず行政機関の責務としていただきたいのです
しかし 真剣に 行政機関としての義務に向かい合えば 引き取りもし 適正譲渡にも徹することで「殺処分」頭数は増えます
そして 「ノーキル」提唱者からは「浮浪動物=所有者不明動物=拾得物扱い」とされ 普通に浮浪動物の収容機関で「殺処分」された場合 「みだりに「殺処分」した」として告訴告発にまでも至る状況となります
このような理屈に従えば 収容保管施設の収容能力を超えてでも保管しなさいということになり ネグレクトも容認されることになるのでしよう
人にも動物にも利になりにくい 法律の解釈をこじつけるなら 動物飼育税を相当多額に設定することも検討されなければ ならなくなるでしょう
現状の日本国の一般予算からの動物収容費用の算出は困難でしよう
【手の届く最高峰が理想 それを超えるものは空想-S,Ma】
動物愛好家の心を休めるために 「法律第105号」を事実上の 「動物福祉」に基つかない 改悪とされる傾向には 時代の流れかもしれませんが 怖いものを感じます
もう少し踏み込むなら
「飼主責任としての終生飼育 =飼育共生動物の死を見届けること→譲渡された場合にも追跡調査情報提供により死を報告していただくこと」が含まれなければ 不適正飼育管理の多頭数飼育シェルターが増えるだけで動物は 「動物あいご」の名のもとに 利用され犠牲にされてしまうことを危惧しています
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