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2016年8月16日 (火)

2016-8-15 終戦の日

2016-8-15 終戦の日

 

73年前 父は妻と子を残して戦地へ旅立ち フィリピンのジャングルで 推定餓死したであろうという  国からの報告が戦後11年目に届きました 

 

「死」の実感もなく 木箱に入った木札を見つめたことを思い出します

 

形ばかりの家族の祈りを奉げたものの 4歳で別れた父のぬくもりの記憶はなく 「父」という役割をしてくれた人がいない そのことが不自然だとも思わずに育ったのです      

 

戦後 物々交換でしか食物が手に入れられない時代に夫がいない 母の苦労は想像に余るものであったと思います

 

その母も 平成25年102歳という天寿を全うしてくれました

 

数少ない家族そろった古い写真が「父」がいたことを確認させてくれます 

 

そして 父母に愛されていたということを心に刻めたことをありがたく思うのです

        

 

平和とは?

 

「戦争反対」「再軍備反対」と言っていれば「平和」が維持できるものではなく こちらが戦う意思がなくても 対する国が戦うと決めれば戦うことになるでしょうが 戦いは嫌だから 戦わずして降伏して奴隷となる覚悟をするのか?        

 

黙っていれば 一国の領土さえも侵略し かすめ取ろうとする「国家」が存在することを 「戦争反対」「再軍備反対」と言っている人々は覚悟のうえですかと問いたい        

 

「戦争反対」「再軍備反対」と言っていれば「平和」が保たれるのであれば 世界から軍隊も軍人もいなくなってもよさそうに思います     

 

現実を知り 現実に即して物事を判断し 備えなければ 敗戦国の運命は 戦勝国次第でしょうから 敗戦国としては 第二次世界大戦とは比べものにならないと想像できる 敗戦後の過酷な生活が押し付けられるのではないかと想像します      

 

【手の届く最高峰が理想 それを超えるものは空想-SMa

【理想の実現には 知識と力と忍耐と理性と幸運が必要であります-SMa      

 

戦争という悲惨な経験をしていない現代の若者と 敗戦経験が理想を超えた「平和主義」となった戦争体験者たちの「平和主義」では 本当に日本が「平和」で安泰し続けられるのか?

真剣に考えなければならないように感じます     

 

全ての犠牲者に黙祷を奉げます

 

 

 

 

 

 

 

 

      

 

 

        

 

 

     

 

 

 

 

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コメント

日本は外国に金を巻き散らかしている場合ではない。
敵対國に対し国防に勤しむべきです。

コメントありがとうございました
同感です
しかし 外国への支援も 国防の内 ということもあるとは存じます

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