2016-5-19熊本地震とペットに関するNHK報道と民放YTVの特異な飼主についてⅡ
Yamasaki Hiro
様コメント返信·
松田さん、
コメントありがとうございます。
だから日本人は、日本愛護は、日本人獣医師は、何をしなければならないとお考えでしょうか?何をして来るべきだったとおっしゃりたいですか?
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Yamasaki Hiro 様ご意見ありがとうございました
フェイスブックでは文字就職ができませんし 文章が長くなりましたので
http://S-ma.cocolog-nifty.com/
に 書かせていただきました
以下のように あなたのご意見に対して 松田意見として緑色太文字で返信させていただきました
ご参考までにご高覧いただければと存じます
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松田意見
私が見たところでは 国家(政治家 官僚)も地方行政機関も 日獣も 愛護団体の多くも 法律家さえも現実逃避をされてきたと思います
その理由は少しずつ違うと思いますが 目先の「生命尊重」という逃げ言葉に重みをもたせて 国民を低俗な判断に誘導し あたかも優しい政治 優しい行政 優しい動物あいご活動であるかのような印象で「生命尊重」を悪用されたと思っています
幸福にではなく 死を否定すれば国民の「動物を愛する心」に満足感を与えられると読まれたのではないでしょうか
そうすることが 国家や地方行政機関の経費を軽減できる 動物愛護に熱心すぎる市民の一部のリーダーは殺処分を否定することでその活動支持者を増やしてきました
故人となられたお方ではありますから特に名をあげませんがN.Fさんは場面によって考え方の表明を変えておられたことは知る人ぞ知る
「安楽死処置」(安楽殺処置)を認めつつも 大衆に向かっては殺処分を否定していた
団体運営での金の問題で裁判沙汰になったことも知られています
その方の熱心な支持者が政治家にも法律家にもおられます
私が何度か取り上げた棒愛護団体も 「安楽死処置」(安楽殺処置)を他の団体にゆだねながら その頼みの堕胎を誹謗中傷することで 自らの社会的地位を不動のものとされたことは ある意味あっぱれなのかもしれません
社会は強そうに見えるところに加勢します
社会での多数意見に対抗した意見を述べることは大きなリスクを伴うことはしばしばあります
無論述べ方が下手ということもあるのでしょうが 耳障りの良い「やさしさ」に浸りたい気持ちはわからなくもありません
著名な人々は多数意見が正論か否かよりも「多数」であることを支持することが自らの保身には大きな利点があることを知っているのだと感じます
「ノーキル」議員団も 芸能人が好まれる「殺処分ゼロ」活動もその典型だと感じています
根本的な「動物福祉」よりも 社会の中での動物たちは単に目先の「かわいい」か「かわいそう」で判断されて 何が真に「かわいそう」であるのかには触れたくないし 知りたくないのでしょう
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飼い主の高責任論には私はずっと疑問を抱いてきました。
なぜなら、一言で言えばかなりの現実離れ故に、です。
手術しない、ほとんど後手の餌やりさんたちを糾弾する反餌やり派の人たちは、過剰な数になったり、質の低い餌やりをコテンパンに批判、しまいにはドイツのハンターによる徘徊猫射殺当然論まで引き合いに出し、飼い主の高責任論、室内飼い責任を強く主張します。
それって、日本で一般病院などと同じくサービスを提供する形の医療を提供して来なかった、生み出さなかった獣医師側の人間関係問題ですよね?
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松田意見
余剰動物の問題を正面から向き合うと殺処分に触れないわけにはゆかなくなるから 数の問題は棚上げして 「共生」の仕方で「地域ねこ」を登場させたのだと思います
この点についても 「地域ねこ」の提唱者の黒沢獣医師に問いかけたことがありました
「地域に適切とされる餌付けねこの頭数制限は必要ですか?」と
彼のお答えは
「猫の頭数ではなく世話をする人数が大切である」という意味の答え方をされました
極端には 猫が50匹いても世話をする人が50人いればよいということになるでしょう
猫好きの人だけが住む社会ではないことが考慮されていないし 個々の猫の完成にも配慮がないお答えだと思いました
その時から 私は黒沢獣医師を意外にもうわべでことを収めようとされる 動物福祉に関心があまりないタイプの行政獣医師だと感じるようになりました
【反餌やり派の人たち】の過激な言動があることはよくないと思っていますが それに劣らず
【質の低い餌やり】の人々から受ける「抗議行動」も目に余るものがあり どちらが過激かということでは五分五分のように感じています
野生鳥獣に対しても餌付けをしている人は 対人攻撃が「暴言」だけではなく「暴力」行為に移ることもあるという訴えをしばしば聞いています
【ドイツのハンターによる徘徊猫射殺当然論】については ドイツ「ティアハイム」の誤情報が意図的に流される事への反論として取り上げられていることも見逃してはならないでしょう
【飼い主の高責任論、室内飼い責任を強く主張します。】
私はこれは当然であり 飼主責任が自覚できない飼主が多すぎるから「猫」が簡単に「地域ねこ」という名のもとに遺棄されることになると思います
【獣医師側の人間関係問題】
確かに開業獣医師の方々は社会問題としての動物の陰の部分に関心を持たれることは少なく 低料金で不妊手術をされる獣医師や 「安楽死処置」(安楽殺処置)に理解を示される獣医師に対して冷淡な見方をされていたと感じています
不幸な動物たちのことなど知りたくもないし 関与したくもないということは 獣医師教育の過程で「動物福祉」の基礎知識を教育課程に組まれることがなく ごく最近までは教えられなかったことと 教える人が少なすぎたのだと思います
開業獣医師よりも 行政獣医師の方がより動物福祉に熱心な方が多かったように感じていました
人工繁殖と人工淘汰は 動物の福祉と「安楽死処置」(安楽殺処置)にかかわり 並行して学ぶことであり
人工繁殖ばかりに偏られた教育の結果が出ているのではないでしょうか?
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なぜ日本には、イギリスや米国のようなスペイクリニックが出来なかったとお考えですか?福祉協会ならご存知でしょう。
もちろん、愛護、NPO、市民側にも非がありますが。
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松田意見
40~50年前には 大学を卒業されて 開業されるにあたり小動物(犬猫)を診療対象とされることが蔑視される時代であったとも聞いています
畜産獣医師こそが真の獣医師であり 「犬猫」ごときと一笑に付されるような考え方が主流であったようですから 当然「犬猫」ごときの問題には関心は払われなかったのではないでしょうか
犬猫が獣医師に診療を受けることなど 飼主の意識にはほんのわずかな人にしかなかったようです
ましてや 不妊手術とは無関心というよりもそうすることが「あきれた」行為であると感じられていました
私が不妊手術の啓発に回っていたころよく聞いた言葉です
「へえー 犬猫もくくりますんか?」でした
「くくる」というのは 対人不妊手術が奨励されていたころの 男性の「輸精管結紮」のことですが 結紮が切れて不妊に失敗するということもあったようです
人間の食事の残り物が犬猫の餌であり フードなるものは一般には普及していなかったのも事実です
田舎では どんぶりや鍋に 人の食事の残りものであるタケノコや玉ねぎが入っていても当たり前のこととして不審に思う飼主はいなかったでしょう
そのような時代があって 阪神・淡路大震災を経験し 震災被災動物救護活動が社会的に注目され この年を「動物福祉元年」ともいわれるようになり 今日の同時同行避難についても当然であるという考えに発展してきています
阪神・淡路大震災当時に同時同行避難などといえば 対人被害が甚大なときに動物のことなど持ち出すことは「怪しからん」と思われる程度の社会的位置づけであったのです
「動物のことなんかする暇があったら被災者のことをせんか」とよく言われたものでした
社会的地位が低い動物の診療をされる獣医師に対しても尊敬されるには至らず 獣医師が尊敬される職業になったのはわりに最近のことでもあるでしょう
愛護の活動団体は質よりも数 多頭数飼育が評価される時代であり その裏には「殺処分ゼロ」「ノーキル」の提唱が大きく作用していると感じます
「ノーキル」「殺処分ゼロ」を提唱すれば 当然「安楽死処置」(安楽殺処置)の方法を議論することも少なく 無関心の闇に葬られています
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私は地域猫というコンセプトと制度の、あまりにも著しい現場との乖離に疑問を持ってきました。
それと、行政の腰抜け場当たり手術助成金と、獣医師会の小っちゃいスケールの価格破壊防止のための行政への圧力に、ヘキヘキして来ました。
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松田意見
【行政の腰抜け場当たり手術助成金と】
行政機関とされてはこうするしか致し方なしということも言えるでしょう
熊本方式が礼賛され ネグレクトであっても生かしていること 殺処分しないことが褒められて 動物愛護団体も競って表彰したりしていましたからね
神戸市などは「殺処分ゼロ」を目指せと言って街頭デモ行進までされていましたから 骨抜きの管理職は楽な道を選択されることも致し方なしかもしれません
動物福祉について 「安楽死処置」(安楽殺処置)が必要であるとお考えの信念のおありになる行政獣医師には苦難の時代です
現在の中間管理職の方々が定年退職される頃には ほとんどの行政獣医師は「殺処分」はしないことで 強い民間あいご団体の僕となられるのではないでしょうか?
そのようなことを危惧しています
【腰抜け場当たり】の仕事をしていれば褒められることになっていますから 熊本方式の作った影は動物には哀れというほかはないでしょう
不妊手術助成金についても 遺棄を容認する「地域ねこ」制度があれば必要悪ともいえるでしょう
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今年も横浜市獣医師会が必死で助成金を市外に持って行かれぬよう市に圧力をかけていますね。ご存知ですか?
平成26年度、6200余りを手術しても、平成27年度も同じくらいの手術しても、平成27年度の飼い主不明猫の引き取りが増えたのには、それなりの理由があります。
多頭飼育、処分ゼロ独り歩き、安楽死をしない、出来ない獣医師たち、早期不妊去勢を真剣に突き詰めず、相変わらずべらぼうに高い手術費用、そこに行政の、いや市民の税金を投入させ、愛護さんも大絶賛。
黙って数減らしを推進しましょう。安楽死出来ない日本人と日本人獣医師たちは。
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松田意見
【安楽死出来ない日本人と日本人獣医師たちは。】
第二次世界戦争で「反戦」といえば非国民でした
今の時代 わたしは殺処分愛好家のごとき評価です
それでも信念は曲げられませんので
【繁殖規制の無い現状では 安楽死処置は動物福祉からは切り離せないものです-S,Ma】
人工繁殖した人間の責任は 人工淘汰でしか補えないと思っています
問題とされるでしょうが 人についても同じことが言えるようになるのではないかと案じます
自然に生きて自然に死ねることが尊いとさることは無理なのでしょう
すべての科学の発達はもろ刃の剣だと感じます
ならば科学の衰退を願うのかと聞かれたら 「のー」としか言えないでしょうが その考えの延長線上に核兵器は存在していると感じています
ご質問に的確に応えきれていないかもしれませんが私の能力はこんなところです
悪しからず ご寛容に
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20106-5-20 誤変換訂正
下記のように 変換ミスがありましたので訂正しお詫び申し上げます
私が何度か取り上げた棒愛護団体も 「安楽死処置」(安楽殺処置)を他の団体にゆだねながら その頼みの堕胎を誹謗
訂正
棒愛護団体→某愛護団体
堕胎→団体
猫好きの人だけが住む社会ではないことが考慮されていないし 個々の猫の完成にも配慮がないお答えだと思いました
完成→感性
自然に生きて自然に死ねることが尊いとさることは無理なのでしょう
尊いとさることは→尊いとされることは
投稿: | 2016年5月20日 (金) 23時42分
訂正
ヘキヘキ→誤
辟易→正
https://kotobank.jp/word/%E8%BE%9F%E6%98%93-624606#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89
デジタル大辞泉の解説
へき‐えき【×辟易】
[名](スル)《道をあけて場所をかえる意から》
1 ひどく迷惑して、うんざりすること。嫌気がさすこと。閉口すること。「彼のわがままには―する」「毎日同じ料理ばかりで―する」
2 相手の勢いに圧倒されてしりごみすること。たじろぐこと。
「敵一万余騎、其の勢ひに―して」〈太平記・一四〉
日本語は正しく使いましょう。
日本語を正しく用いることができない人たちに「外国文献で検索せよ」と言っても、所詮無理な話。
かの太田匡彦氏も「二の舞を踏む」と、笑ってしまう誤用をしていますし。
投稿: さんかくたまご | 2016年5月21日 (土) 08時10分
フリーローミング猫の駆除をしているところは、なにもドイツに限ったことではありません。
アメリカでは自治体が業務としてアニマル・コントロールが野良猫の捕獲~殺処分を行っています。
人の占有下になければ、飼い主としての権利が主張できない、また法律の対象ではないというのがゲルマンとアングロサクソンの法律の考え方です。
日本のように、無管理状態で例えば猫を放置させ、それを共存と美化するのは国際的には特異です。
非占有、非所有猫の殺害傷害まで罰せられるのは、日本ぐらいでしょう。
なお「ドイツでは飼い猫飼い犬の誤射が問題になっている」とSNSで騒いでいる人がいますが、ハンターが猟犬牧羊犬以外であれば、所有者があると認識していても、刑事民事とも責任は問われません(2015年改正のノルトラインヴェストファーレン州法改正以外では)。
きちんと犬猫を占有管理していなかった飼い主に落ち度があるという判例です。
ティアハイムでは、収容後数日で犬を拳銃で射殺処分するところが、実名をインターネットで挙げられています。
獣医師が保定が難しい犬を、警察官が射殺で殺処分に協力しているケースもあります。
ドイツ語で検索すれば、いくらでもこのような情報がヒットします。
投稿: さんかくたまご | 2016年5月21日 (土) 08時29分
さんかくたまご様 コメントありがとうございました
まつだフェイスブックに寄せられるあまりにも 2chなコメント?とも言えない嫌がらせの文言の羅列に 悦に入っておられるご様子のお方
これでも 動物あいごには精通されているおつもりのご様子で 気の毒に感じますが 今は静観するしかありません
何かを返せば お楽しみでお待ちになるご様子ですから とても真面にはお付き合いできません
が できるだけまじめに返信しています
このお方の周囲の方々に見ていただくことも無駄ではないかもしれないという かすかな願望です
なるほどと思える建設的なコメントは未だかつてないのですね
きっとそれが書けるくらいなら 意見として表してくださると思うので 具体的な反論 提言はないということなのでしょうね
投稿: | 2016年5月27日 (金) 02時41分