2016-5-10忘れられない犬たち
今日5/10は 浮浪犬としてやってきた子犬でしたが 我が家で生涯の最期を看取った「ユキ」と阪神・淡路大震災被災動物として救護のシェパード犬「ジョン」の命日です
2002年以前 当時神戸市動物管理センターで毎週水曜日に子犬だけの譲渡会が催されていましたが 抽選で無差別譲渡であり 改革を交渉しその後2002/6/1から成犬譲渡が可能になり『CCクロ』活動へと推移してゆきました
神戸市動物管理センターで毎週水曜日に子犬だけの譲渡会で貰い手がない子犬たちはすべて殺処分対象にされていたので 私たちが関与するようになってからは 私が自宅へ引き取り 次週の水曜日に連れて行き再度譲渡会に出していました
そのような次第で 当時は我が家では子犬が絶え間なくいる状況でした
連れて帰った子犬たちは大人の犬たちがとてもよく世話をしてくれていました
その中でも「ユキ」は 母のように子犬に自分の手を差し伸べて遊ばしていましたからいつも子犬が「ユキ」の手をかじるといった具合で ほほえましい光景でした
当時の椅子もテーブルも新入りの子犬たちにかじられて やせ細り 折れる前にと塩ビのパイプをはかせていました
昨年の転居でさすがに廃棄しましたが 私たちの苦難の時代を見守ってくれた思い出の深い椅子とテーブルでした
家具もあちこちかじられて惨憺たるものでしたが 子犬を連れて帰れる状態の家庭環境は私だけだったので 一手引き受けをしていました
あの子犬たちの感触は疲れも 損得も忘れさせてくれるものでしたが 具体的な損害についての被害には所属団体の本部の幹部は知らなかったでしょうね
知ってほしいとも思いませんでしたが そのようなことを知らないままで 個人の家庭生活を犠牲にしながらでも神戸市との関係を築いていったことなど 思いやることをされることもなく 知る由もなかったでしょう
ジョンは被災動物として連れてこられたものの大型犬のいる場所がなく 従来の神戸市動物管理センターの保管室に収容されていました
世話が十分にできず気掛かりでしたし 大型犬の譲渡先には特に気を使いましたから最後まで心配の種でもありました
果樹園の番犬にという申し出を断った際には参加しているボランティアの一部の人々から「傲慢」だとも言われましたが 「ジョン」が体験したであろう苦労がさらに苦痛の生涯につながることは避けてやりたいと念じていました
最後になってご紹介いただいたお方のおかげさまで 関東方面の素晴らしいご家族に出会えたことは「ジョン」のためばかりでなく私たちの心も救われました
申し分のない環境でご家族様のあふれる愛に見守れて過ごさせていただきましたが 最期は悪性腫瘍で生涯を閉じました
この上のない 医療も受けさせていただき 愛情もいただいて安らかになれたことは感謝の気持ちで一杯でございます
私の新居でも 今も写真の「ジョン」は幸せな思い出をよみがえらせてくれています
愛する「ジョン」と「ユキ」の冥福を祈ってやります
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