さんかくたまご様コメントありがとうございました
解りよい例えですね
【嘘情報を流し、無知蒙昧な愛誤を焚き付けている大物愛誤の意図が私には理解できません。
それが不気味です。
反社会活動を目的としているのか、利権なのか?】
社会にご自分の存在をアピールするには 動物あいごは都合の良いツールであろうかと感じています
悪徳募金にも「善意」で疑うことをされない賛同者が多数いるのが動物愛護の社会傾向です
頓珍漢な動物愛護でご高名な政治家もおられますが 政治家の多くが「ノーキル」支持をされるのも保身かなと感じることがあります
フェイスブックで意外なご意見を頂きました
以下に複写いたします
松田さんのご意見にこれまでは基本的に賛成してきましたが、この件ではまったく同意できません。国家間の関係と、人間とペットの関係は、まったく異なります。安保法制に賛成、反対を問わず、それを同一してはならないと思います。それは、松田さんが結論として言われている通り「人と動物には違いがある」からです。同時に、日本の動物、自然の良き環境を守るために、日本が戦争に参加してはなりません。
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松田 早苗 2015-9-29コメント返信
○○様コメントありがとうございました
日頃尊敬していましたお方からこのような筋違いの批判をされるとは少なからずがっかりしています
動物と人間を同一視しないと言うことが基本であることはかねてから言い続けております
況してや国家間のことと動物のことが同じだなどと言っているつもりはございません
活動のやり方が理想ばかりに浸ることを批判しているのであって 人間社会の国家間のことと動物のことを混同していないことははっきりと書いています
人間社会のことと動物のことは区別することはあたりまえのことして では質問ですが 我が国が侵略された場合にはどのように対処するべきでしょうか?
穏やかにわたしちが正論だと思える交渉になるとお考えですか?
そうであれば今までにもっと良心的な国家間交渉ができていたのではないでしょうか?
戦争で父を亡くしていますし 母の苦労もつぶさに見てまいりました
戦争になればよいなどと思ったことは皆無ですが そうなったときにはどうするのか?
反戦平和と言うからにはそうならないための具体策と共に そうなったときの備えをどうするのか? それに触れていないことが理想に溺れている動物あいごと似ていると言っているのです
敵意を植えつける教育が徹底されている国民が成人して いくらかの人々は国家の所業に批判されたとしても 戦いとなれば植え込まれた憎しみは残忍性を表すであろうと推測できます
「私は反戦平和を主張してきましたから撃たないでください」
と言う事が通じますか?
殺されても主義主張は曲げないとの覚悟があって「反戦」「軍備反対」と言われるなら生き方ですから何も言えません
そのような考え方ですと備えも必要ではないでしょうから「もしも」の想定も必要ないでしょう
深く考えないままに「よさそうな」という感触で「反戦」「軍備反対」と言う事をムード的に煽ることを恐れます
そのことと ムード的に「ノーキル」「殺処分ゼロ」と唱えていれば動物あいごが達成できて 人為的に殺処分される動物がいなくなると思えることはあるいは幸せなことかもしれませんが 動物は哀れです
そして 動物愛護の思想啓発に貢献しているような錯覚を持つことは似ていると言っているのです
【同時に、日本の動物、自然の良き環境を守るために、日本が戦争に参加してはなりません。】
誰もおそらく特別な戦争大好き人間以外は戦争に参加したいとは思っていないと確信しています
「日本の動物、自然の良き環境を守るために」何をなすべきかの具体策と 空想ではない実現可能な対処の方法を教えてください
そこが抜け落ちたままで「安保法制」反対と言われることには参道できません
無論 「安保法制」の成立過程のすべてが良かったとは言いませんが そうならざるを得ないほどに理論的な批判がなかったと感じています
生意気なことを申し上げてすみませんが ここは譲れない基本ですのでごめんください
コメントを投稿できませんでした もう一度実行
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