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2015年9月

2015年9月30日 (水)

さんかくたまご様コメントありがとうございました


解りよい例えですね


【嘘情報を流し、無知蒙昧な愛誤を焚き付けている大物愛誤の意図が私には理解できません。
それが不気味です。
反社会活動を目的としているのか、利権なのか?】

社会にご自分の存在をアピールするには 動物あいごは都合の良いツールであろうかと感じています
悪徳募金にも「善意」で疑うことをされない賛同者が多数いるのが動物愛護の社会傾向です
頓珍漢な動物愛護でご高名な政治家もおられますが 政治家の多くが「ノーキル」支持をされるのも保身かなと感じることがあります


フェイスブックで意外なご意見を頂きました
以下に複写いたします

松田さんのご意見にこれまでは基本的に賛成してきましたが、この件ではまったく同意できません。国家間の関係と、人間とペットの関係は、まったく異なります。安保法制に賛成、反対を問わず、それを同一してはならないと思います。それは、松田さんが結論として言われている通り「人と動物には違いがある」からです。同時に、日本の動物、自然の良き環境を守るために、日本が戦争に参加してはなりません。

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松田 早苗 2015-9-29コメント返信
○○様コメントありがとうございました
日頃尊敬していましたお方からこのような筋違いの批判をされるとは少なからずがっかりしています

動物と人間を同一視しないと言うことが基本であることはかねてから言い続けております

況してや国家間のことと動物のことが同じだなどと言っているつもりはございません

活動のやり方が理想ばかりに浸ることを批判しているのであって 人間社会の国家間のことと動物のことを混同していないことははっきりと書いています 

人間社会のことと動物のことは区別することはあたりまえのことして では質問ですが 我が国が侵略された場合にはどのように対処するべきでしょうか?
穏やかにわたしちが正論だと思える交渉になるとお考えですか?
そうであれば今までにもっと良心的な国家間交渉ができていたのではないでしょうか?

戦争で父を亡くしていますし 母の苦労もつぶさに見てまいりました
戦争になればよいなどと思ったことは皆無ですが そうなったときにはどうするのか?
反戦平和と言うからにはそうならないための具体策と共に そうなったときの備えをどうするのか? それに触れていないことが理想に溺れている動物あいごと似ていると言っているのです

敵意を植えつける教育が徹底されている国民が成人して いくらかの人々は国家の所業に批判されたとしても 戦いとなれば植え込まれた憎しみは残忍性を表すであろうと推測できます
「私は反戦平和を主張してきましたから撃たないでください」
と言う事が通じますか?
殺されても主義主張は曲げないとの覚悟があって「反戦」「軍備反対」と言われるなら生き方ですから何も言えません
そのような考え方ですと備えも必要ではないでしょうから「もしも」の想定も必要ないでしょう

深く考えないままに「よさそうな」という感触で「反戦」「軍備反対」と言う事をムード的に煽ることを恐れます

そのことと ムード的に「ノーキル」「殺処分ゼロ」と唱えていれば動物あいごが達成できて 人為的に殺処分される動物がいなくなると思えることはあるいは幸せなことかもしれませんが 動物は哀れです
そして 動物愛護の思想啓発に貢献しているような錯覚を持つことは似ていると言っているのです

【同時に、日本の動物、自然の良き環境を守るために、日本が戦争に参加してはなりません。】
誰もおそらく特別な戦争大好き人間以外は戦争に参加したいとは思っていないと確信しています
「日本の動物、自然の良き環境を守るために」何をなすべきかの具体策と 空想ではない実現可能な対処の方法を教えてください
そこが抜け落ちたままで「安保法制」反対と言われることには参道できません
無論 「安保法制」の成立過程のすべてが良かったとは言いませんが そうならざるを得ないほどに理論的な批判がなかったと感じています
生意気なことを申し上げてすみませんが ここは譲れない基本ですのでごめんください

コメントを投稿できませんでした もう一度実行

 

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2015年9月28日 (月)

2015-9-27反戦平和活動と動物愛護活動は似ていると思います


 
あるお方に古い手持ちの資料集の一部を差し上げました

自分自身には貴重な資料集であっても 他人様がご覧になられたらゴミ同然とお感じになられたことと存じます ご立腹であろうかと案じていました

 
戦争を知らない世代だから戦争反対と言えるのと同様に 長い間遺棄虐待が余剰動物の処理対策であった時代のことは忘れるのではなくまったく知る由が無い人々が今の時代に殺処分反対と唱えているのだと感じています 

 
「戦争反対」とさけぶと気持ちいいですが 侵略されたときにどうするのか?
それを明快に説明した「反戦平和」提唱者はいなかった

 
平和外交だのと言っても 侵略の隙あらばと狙っている相手がいる限り 無条件降伏して奴隷化されることも覚悟で軍備不要と言うのであれば はっきりとそういわなくてはならないでしょう
 
平和外交がすべての対立国に通用すると言う夢は現実には通用しないと悟らなければ戦う前に殺される覚悟をしなければならないでしょう

現実は過酷なことが多いのですが 理想に溺れると夢からは覚められないでしょう
 
【手の届く最高峰が理想 それを超えるものは空想-,Ma】

行政機関で収容動物の共食いがあったこと 窓も換気も空調もないコンクリートの立方体に 床は水浸しが普通であったこと そのような空間に閉じ込めていた時代のこと 少しはよくなろうとして譲渡が始まったものの無差別譲渡で遺棄虐待があつたことも知らない行政獣医師が増えたことで譲渡さえしていれば動物あいごと勘違いがおこるのだとも感じます

今の時代は 動物に苦痛を忍耐させてわが心の平安を維持し あたかも優しさの表し方と思う人々が大半なのでしょう
 
議員諸氏もその傾向が多くなっているように感じます
 
票になる「ノーキル」「殺処分ゼロ」を唱えなければ支持者を失うことを恐れているのか 知識もなく動物を取り上げていれば「いい人」になれると読まれているのか?

反戦平和活動と動物愛護活動は似ていると思います
 
どちらも現実よりも空想的理想論が基をなしていると感じるからです

死は必ずしも残酷なことではなく 生こそが残酷なことであると言える状況は今もたくさんありますが 今の時代では理解したくない人で「ノーキル」が礼賛されるのでしょう
 
学生を育てる立場の方が「ノーキル」礼賛ですから時代がそうさせているとも感じますがモラルハザードであると感じることも正直な気持ちです

動物は哀れだと感じますがその時代に生きる人間に従うことしか選択の余地は与えられないのが動物の宿命ですから仕方がありませんね

それだけに動物に係る人々の「良心」あえて 「理性」よりも「良心」を表向きにされることで動物は苦痛を長引かされることが多くなるように感じます 

私は十分なことはできなくても 苦痛からは救ってやれたと自負していますので 過去の活動についての悔いはありません

激烈な批判にさらされてきましたが 批判した人々は私たちがしたことを批判できるだけの実行力も努力することもなく 口先での批判に酔いしれて優越感に浸って 自力で動物を幸せに生かす努力は殆んどしていなかったと感じています

「安楽死処置」(安楽殺処置)を否定している限り 生体で収容すれば単なる劣悪多頭数飼育になることくらいは知っていたと思います
 
できないことがわかっていたから 生体を収容することには手を出さず 屁理屈でごまかしていた狡猾な人々であると思います
 
 

これから生きる方々が 人と動物には違いがあること 無残に死することはさせたくないが 「理性」ある「良心」を大切にして 動物の苦痛の回避を尊重していただければありがたいと思います

次代を築く学生さんをはじめ 社会の人々にそのことが伝わりますようにと願います


2015年9月20日 (日)

さんかくたまご様コメントありがとうございました


 
いつもご覧下りありがとうございます
 

【虐待やネグレクト、さらに望ましくない繁殖を防ぐには、保健所の引き取りは良い悪いの問題ではなく必然です。】
私もそのように感じます

フェイスブックへのコメント返信投稿がうまく行かないのですがここに原稿をup させていただきます

2015-9-20
松田 早苗 ご無沙汰しています
 
唯々暇なしと言う日々です

コメントありがとうございました

神戸市も一握りの行政獣医師の方が動物福祉にご関心を持たれてはいますがほとんどの方は無関心ですね
 
現所長はおそらく動物福祉の基礎知識に触れられたことはないでしょうね と 感じています
 
そうでなければ先の特定個人への無差別譲渡などできるわけがないでしょう
 
これは引退し 現在は無関係であり 批判ができる状況にあるから言えることですが 所長として 獣医師として尊敬はできない行動だと感じています
 
残念です
 
『CCクロ』活動が健在であることが救いです
 
動物が「殺してくれ」と訴えることもないでしょうが 意志を持って「延命してくれ」とも言わないでしょうね
 
どちらも携わる人間の意志で左右されますね

助けるために募金が必要であっても 貼り付ける写真が行政機関にいる姿でなくてはならない理由があるのでしょうかね?
より哀れを強調すると募金が増えますかな?

行政機関はそれをも許可しているのでしょうか?

民間からの救出よりも行政機関からの「引き出し」には昔から哀れを強調することの手段として用いられることも多々ありました
 
引き出しに成功したと言う事が 支持を得るのでしょう
 
民間シェルターからでは 当該シェルターの支持者等から反感も買うこともあるでしょうから どんなに哀れであっても民間からの引取はあまり表には出ないですね

問合をされたお方もそのことにもとても理解ができないとのご意見を頂いています

2015年9月13日 (日)

2015-9-12考え方による延命と救命と幸の図り方


 
どうしようもないこの時期に 他府県から神戸市の譲渡基準はどうなったのですかと問合がありました

うーん
ご返事に窮します

それでなくても神戸市動物管理センターの譲渡については 官民で協議をすることが基本である『CCクロ』活動以外は 行政機関がすべてを決定されますから どのような条件で どのような譲渡をされても それは所長の裁量次第でしょうとは申し上げました

神戸市動物管理センターから民間個人へ譲渡された犬について ネットに行政機関にいる状況での写真を張られて 募金の呼びかけをされているものをご覧になったようです

民間シェルターにはあふれるほどの譲渡待機動物が居るでしように 「安楽死処置」(安楽殺処置)ができる行政機関がする仕事としては理解できないのですと その方は「動物を思いやる視点が違うのではないですか?」と問いかけておられました

詳しい事情がわからないこともあって 的確には答えられませんでしたが 意見を述べられたお方のお気持ちは私には同感と感じます

命さえながらえばよいのか QOLに重きを置くのか 他の窮状に居る健康で譲渡の条件が整った動物を救うのか

携わる人間の感情に重きを置くのか?(今回の所長と譲渡受けをされた方の)心を優先するのか?

皆様はどのようにお感じになられるでしょうか?

2015年9月11日 (金)

2015-9-10引っ越し騒動記Ⅲ


先の投稿以来1か月が経過しました
皆様にはご無沙汰で申し訳ありませんでしたが ごめんくださいませ

PCTVとも無縁に暮らしてきましたがなくてもさほどには困らないのかな なんて感じたりしています
台風についてもお見舞いの携帯mailが届きましたが TVを見ていなかったのでラジオのニュースが頼りで あまりよく知らない間に通過していたというありさまでした
何事もなかったから良かったものの 視覚からの情報が得られない方々は 危険の認識の度合いにも差があるでしょうから大変だろうと想像いたしました

9月になってようやく新居でのPC配線が完了したものの PCを開く間もなく 食事も忘れていたことが多くて なんと3㎏のダイエット!! まあ間もなく元の木阿弥となるのでしょうが 体重計に現れた数字では 筋肉量 骨量が上がって 脂肪が減っていました 怪我の功名??

もう二度と引っ越しはしたくないという気持ちをいやというほど感じています
この度の引っ越しは夫の協力がなかったことに加えて 夫を移動させるために走った回数も距離も半端なものではなく これだけでも疲れました

新居の片付けも助っ人が馳せ参じてくださったものの 結局は自分が決めて一人でやらなければならないことばかりですから気長にする以外に致し方なしということです

神戸の家も 新居のことも 今回は多くの皆様に本当にお世話様になりました
心から感謝いたします

未だに荷物は積みあがったまま 平面の面積が減ったのですから立体に置くことを工夫しなければならず 釘を打つのも気兼ねをしながら自宅と借家の違いに改めて感じ入っています

PC
休眠中も携帯電話にぼつぼつながら情報が入りましたが動くことができないのでどうすることもできませんでした
 
ブログにもコメントをいたたいていますが返信に至らず これからです
 
悪しからずごめんください

長いお休みでご心配いただいた方々 お心使い本当にありがとうございました
 
まだ本格的に取り組める時間的余裕がありませんので 当分は失礼が多くなりますがお許しください

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