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2015年9月28日 (月)

2015-9-27反戦平和活動と動物愛護活動は似ていると思います


 
あるお方に古い手持ちの資料集の一部を差し上げました

自分自身には貴重な資料集であっても 他人様がご覧になられたらゴミ同然とお感じになられたことと存じます ご立腹であろうかと案じていました

 
戦争を知らない世代だから戦争反対と言えるのと同様に 長い間遺棄虐待が余剰動物の処理対策であった時代のことは忘れるのではなくまったく知る由が無い人々が今の時代に殺処分反対と唱えているのだと感じています 

 
「戦争反対」とさけぶと気持ちいいですが 侵略されたときにどうするのか?
それを明快に説明した「反戦平和」提唱者はいなかった

 
平和外交だのと言っても 侵略の隙あらばと狙っている相手がいる限り 無条件降伏して奴隷化されることも覚悟で軍備不要と言うのであれば はっきりとそういわなくてはならないでしょう
 
平和外交がすべての対立国に通用すると言う夢は現実には通用しないと悟らなければ戦う前に殺される覚悟をしなければならないでしょう

現実は過酷なことが多いのですが 理想に溺れると夢からは覚められないでしょう
 
【手の届く最高峰が理想 それを超えるものは空想-,Ma】

行政機関で収容動物の共食いがあったこと 窓も換気も空調もないコンクリートの立方体に 床は水浸しが普通であったこと そのような空間に閉じ込めていた時代のこと 少しはよくなろうとして譲渡が始まったものの無差別譲渡で遺棄虐待があつたことも知らない行政獣医師が増えたことで譲渡さえしていれば動物あいごと勘違いがおこるのだとも感じます

今の時代は 動物に苦痛を忍耐させてわが心の平安を維持し あたかも優しさの表し方と思う人々が大半なのでしょう
 
議員諸氏もその傾向が多くなっているように感じます
 
票になる「ノーキル」「殺処分ゼロ」を唱えなければ支持者を失うことを恐れているのか 知識もなく動物を取り上げていれば「いい人」になれると読まれているのか?

反戦平和活動と動物愛護活動は似ていると思います
 
どちらも現実よりも空想的理想論が基をなしていると感じるからです

死は必ずしも残酷なことではなく 生こそが残酷なことであると言える状況は今もたくさんありますが 今の時代では理解したくない人で「ノーキル」が礼賛されるのでしょう
 
学生を育てる立場の方が「ノーキル」礼賛ですから時代がそうさせているとも感じますがモラルハザードであると感じることも正直な気持ちです

動物は哀れだと感じますがその時代に生きる人間に従うことしか選択の余地は与えられないのが動物の宿命ですから仕方がありませんね

それだけに動物に係る人々の「良心」あえて 「理性」よりも「良心」を表向きにされることで動物は苦痛を長引かされることが多くなるように感じます 

私は十分なことはできなくても 苦痛からは救ってやれたと自負していますので 過去の活動についての悔いはありません

激烈な批判にさらされてきましたが 批判した人々は私たちがしたことを批判できるだけの実行力も努力することもなく 口先での批判に酔いしれて優越感に浸って 自力で動物を幸せに生かす努力は殆んどしていなかったと感じています

「安楽死処置」(安楽殺処置)を否定している限り 生体で収容すれば単なる劣悪多頭数飼育になることくらいは知っていたと思います
 
できないことがわかっていたから 生体を収容することには手を出さず 屁理屈でごまかしていた狡猾な人々であると思います
 
 

これから生きる方々が 人と動物には違いがあること 無残に死することはさせたくないが 「理性」ある「良心」を大切にして 動物の苦痛の回避を尊重していただければありがたいと思います

次代を築く学生さんをはじめ 社会の人々にそのことが伝わりますようにと願います


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コメント

家に鍵をかけていなくても、周りの人がすべて善良で、泥棒も強盗もゼロでそのような被害にある可能性がないのが理想です。
しかし泥棒も強盗も存在します。
家に鍵をかけて、それでも不審者が家に入ってくれば、防戦するのは正当防衛で合法的な行為です。
警備会社契約して、駆けつけた警備員が家に侵入した不審者を確保するのも合法です。
それを国に例えれば、「自衛権」です。
集団的自衛権は、たとえば自治会が街区のパトロールを警備会社に頼むとか(西宮市鷲林寺南町など)、自治会が防犯カメラを設置するなどです。
自衛権は個別でも集団でも、相手に攻め入る(他家に泥棒や強盗にはいりる)のとは根本的に違います。
国のことになれば、大きすぎてわかりづらくなるだけです。
自衛は善悪ではなく、必然です。

それと、相変わらず海外の嘘情報が巷間溢れています。
断言しますが、犬や猫などの余剰愛玩動物の殺処分がゼロの国は存在しません。
方法が異なるだけです。
あからさまな海外動物愛護先進国(このワードも、日本語的にはかなり奇妙ですが)に関する嘘情報に踊らされている人が多いことを危惧します。
そのような方が一定の勢力になり、行政機関等に圧力をかけているのが、日本の現状です。
嘘情報を流し、無知蒙昧な愛誤を焚き付けている大物愛誤の意図が私には理解できません。
それが不気味です。
反社会活動を目的としているのか、利権なのか?

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