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2015年3月

2015年3月31日 (火)

2015-3-30某救護活動団体の実態

読者様からのメールです

無論メールには実名が記載されています

当該団体と同じその土地にお住いの方からの訴えですから 「恨み」を買う恐れが強いと判断して 私の裁量で名を伏せました

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0000(正式団体名の頭だけで 末尾000は端折ってあります)1000匹以上の猫や犬、まじ凄い数 ネグレクトで保護している団体です。

猫はblogにアップしていますが、誰にも見せないそうです。

先日、0000の保護犬を見に行った00(地域名)のボラさんが可哀想で辛かった…酷い状態で生かされているだけだと言っていました。

0000に限らず、全国で殺処分ゼロの為に行き場の無い生きているだけの悲しい命で溢れていますね。

本当に動物に取って過酷な時代になったものですね。

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当該団体は活動を活発にしていますから 訴えのような蔭の実態を知らなければ 行動力がある活動ぶりに熱心な支持者が多く 報告されている団体トップのブログを見る限り「よくやっている」と思わせる書き方です

管轄行政の批判を激しくされていますが 注進のような不適正多頭数飼育の実態があれば 当該行政機関がしっかりとされたいと感じます

しかし 行政機関に対して 激しく批判をされるから 行政機関が何も言えないというよりも 何も言いたくないのが実情なのかもしれません

こう言えば返す言葉は倍になる

そのような印象を受けるブログ記事です

愛護団体の支持をされる動物愛好家の皆様 可能な限り現地で目視したうえで支持者となられますようにお願いいたします

私の経験でも 内部告発はされるが巧妙に逃げて 団体は殆んど無傷で存続しているという例は少なくなかったです

そのうちに 告発者も諦めて口を閉ざされる

告発までして戦うことも普通には躊躇されます

人材育成の部門を有する団体であっれば その程度の教育しか受けさせてもらえないが その程度がどのレベルなのかは 学ぶ側には普通には解らないでしょう

今回の訴えも 私自身が現場確認をしていないので 実名は出せませんが 訴えている方はいい加減なことは言っておられないものだと感じています

民間活動がなければ困ることはよく承知はしていますが 募金で運営される団体や個人について 上辺に絶賛されていることと 実態には大きな誤差がある場合があることを知っていただきたいと思うのです

不敵正多頭数飼育が動物を救っていることだと誤解しているとしか感じられませんが 支持者にも責任の一端があることを自覚していただければ そのような活動は淘汰されてゆくのではないでしょうか?

一度信じたら猪突猛進 当該団体の批判をすれば猛烈な反論が来ることは容易に考えられます

そのようなコメントであふれていました

動物を救う事とはどのようなことなのか?

動物を生かしてやる と言う事がどのようなことなのか?


飼育動物を幸せにできるのは 人間だけです

飼育動物を不幸にするのも人間だけです

民間活動を支援されるという崇高な行為が 不適切多頭数飼育を許すことは本末転倒です

民間活動を支援されるという崇高な行為を適正に生かしていただきますように切にお願いいたします

 

2015年3月30日 (月)

2015-3-30朝日新聞3-24記事から

201532412015324220153243


20153244


20153245

 
「引き取り屋」という闇
 
新聞では「聞きなれない商売」と表現されているが かなり古くからある商売で 時には善意のボランティアを装ったりしていたが ビラを撒いて個人からも盛んに引き取っていたことがあった

そのうちの一人で 三宮そごう前あたりでしばしば見かけた
 
路上での引取と 譲渡?をしていたその道では著名な高齢者がいたことがあったが 見なくなって久しい 住む世界が変わったのかもしれない この世を出られて↑にお住まいになったのかも?

その他は 糾弾されて表立ってしなくなったのか 本格的な愛護団体としての引取と化したのか?
現場を離れて以来 最近の情報は少なくなっているので定かではない

法律第105号が2013/9改正(改悪)されたが 多くの愛護関係者と共に 文化(?)人や 法律関係者 芸能人と 政治家までもが 時代の波と勘違いをされたのか 遅れじとばかりに強行と言うに匹敵する働きかけで 行政機関引き取りに制限がかけられた

それ以前になすべき繁殖制限には触れないで 親からの分離譲渡時期の8週齢にはこだわったものの 出産回数とか 年齢制限には触れられなかった

余剰動物がいないとされるような法改正(改悪)は 知る人ぞ知る こうなることは当然の帰結と言いたいくらい 予想に違わない結果であり 需要と供給の関係から見ても 余剰動物たちの行く末が問われないままに きれいごととしての「ノーキル」「殺処分ゼロ」であれば 必要悪としての商売として台頭してくることは目に見えていた

管轄行政機関もだらしないと言いたいが 法的に対処がし難ければ傍観されることになるのであろうと感じる

滋賀県のショッピングモール内での動物園の営業許可についても 法的に営業の条件を満たしていれば許可は出さざるを得ないと思うと言われるのだ 
 
それが多くの担当者の見解であり 現実には災害が起こって買い物客が猛獣に襲われることでもなければ 客もまた楽しいことで済まされてしまうのが現実でもあろうと感じる

知識に基付く危険防止よりも 感情に基付くきれいごとがまかり通ってしまっている

同一紙面で 細川弁護士が担当されている 浮浪猫の餌付け問題 Q&A についても 矛盾が感じられる

「むしろ猫は、所有者の有無にかかわらず動物愛護法上、虐待や遺棄から守られるべき存在です。猫を大切に思う気持ちからの飼やりは、法律の趣旨に合致する行為と言えます。---.」と書かれている
 
猫の迷惑な行為を防ぐためTNRにより猫の数を増やさない活動と書かれているが 現状では減ったという話よりも増えたという話を聞くことが多い

遺棄と元の場に戻す とはどう違うのか?
主観の問題となっているから客観性が乏しく 元の場に戻したと言えば 全ての遺棄行為は正当化されてしまう危険性をどのように考えられるのか?

京都市条例が 「餌やりをやめさせたい住民と,餌をやっている住民との間で対立を引き起こす懸念もあります。----」と書かれているが 京都市条例に関わらず この問題はどこでも起こっていることでもある

「いずれにせよ、猫が好きではない人、野良猫にこまっている人への配慮が求められています。」と締めくくられているが「---猫を大切に思う気持ちからの飼やりは、法律の趣旨に合致する行為と言えます。---
 
ともおっしゃられることに本音がうかがえる

猫を大切に思う気持ちが強ければ 虐待 病気 事故から守ってやれない浮浪の身をなくすことにこそ力を注ぐべきではないかと感じる
 
文責 松田早苗

2015年3月24日 (火)

2015-3-23名無し様コメント返信


 
名無し様コメントありがとうございました

重複した自分の記事の削除をしたつもりで 大切なコメント迄消えてしまいました
 
ごめんください
 
メールから転写再掲させて頂きました
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2015-3-23 コメント
「拾わない、引き取らないこと」。

それは記事にあるような、不適正飼育者さんに必要なことでしょう。
でも、ノーキルを進めれば、記事にあるような不適正飼育者を増やすのです。
行き場がなくなった犬猫たちは、残念ながら、安楽死がベターです。
それが現実です。

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改めてコメントありがとうございました

【でも、ノーキルを進めれば、記事にあるような不適正飼育者を増やすのです。
 
行き場がなくなった犬猫たちは、残念ながら、安楽死がベターです。】

その通りだと思います
 
「ノーキル」を叫ぶ人々にすべての行き場のない動物を引き取ってくださいと言いたいところですが この程度の動物福祉の知識しかない 上辺をつくろって人気取りに懸命になる人々にはお渡しできませんね

 
そうするくらいなら 「安楽死処置」(安楽殺処置)の方が 将来の不幸な動物の頭数を確実に少なくできますからね

2015-3-23Fさまコメント返信 FBから

o よく似た話が最近、ありました。
私は「怒るな」無理です。
こんな現状の人はどの方もよく似ていますね~
先日、相談を受けた人も高齢者で一人暮らし、猫17
究極に自己中な人が多いですね~
こんな人の手にかかった犬や猫はお気の毒としか言いようが無いです。
この前、余りにも身勝手なので私、怒ったんですよ。
そしたら…妊娠した1匹の猫を殺す!!
ご自分の可愛い猫なので生かすも殺すもお好きにどうぞ!
とお答えしました。
怒ってはきりがないですが、本当に情けないと思います。

10時間前 · いいね!

o 松田 早苗 皆さんご覧下りありがとうございます

2分前 · いいね!

松田 早苗 S様 シェアありがとうございました
ご声援頂き感謝です

 

2015-3-23Fさまコメント返信

Fさま コメントありがとうございます

私は「怒るな」無理です。

 
ナゴシエータ―(交渉人)としては修行不足ですよ

 
過去の記事にも書きましたが 明日の無い交渉は交渉ではなく単なるけんかか言い争いにすぎません

私も若いころにはやはり怒っていましたね
 
理不尽なことには怒りは湧いてきますからね

 
しかし その言い争いの後はそこには立ち入れなくなり その結果は救えるかもしれない動物を見捨てることになるのだと知りました

 
高齢者となるに従い怒って解決できることは殆んどないこと 怒れるのはよほど気心が知れた こちらの愛情が相手に伝わる怒り方ができるときに限るのか 二度と会うつもりがないと決意したときだと悟りました

不適切飼育で 周囲から苦情も受けている相手では身構えていますから 怒った所で聞く耳は持たないでしょう

ご自分の可愛い猫なので生かすも殺すもお好きにどうぞ!

 
究極それもまた佳い対処であると思います
 
誰しもが動物あいごのためにはどのような理不尽も聞いてくれると思っている「あほ」なお人なら 何を言っても行為は改まらないことも多々ありますからね

全ての動物を救うことは不可能ですから 動物あいごごっこに酔いしれている芸能人をはじめとする政治家や著名人 行政機関も引取拒否で見捨てている今日 日本にこのような風潮と法律ができたことを「怒りたい」ですね
 
此処でこそ「怒り」を顕にすべきところだと思いますね
 
良識ある人々は多いに「怒り」ましょう

2015年3月22日 (日)

2015-3-22さんかくたまご様返信

さんかくたまご様コメントありがとうございました

【直後に死ぬ個体も一定数あると思います(死体が見つからないだけで)。】

30
年くらいも昔になりますか? 香枦園浜の改修工事をした際に テトラポット等の陰からトラックで搬出するほどの猫の死体が出たことがありました

当時 某団体が野外巡回不妊手術を盛んにしていましたが 責任者の弁に「不妊手術で死に至るのはリスクの内である」と言い切った輩がいました

術後管理もできないことを承知で実施していましたから 死に至ってよいという前提であったと感じましたが 当該団体は「安楽死処置」(安楽殺処置)批判を盛んにしていました

当時私が所属していた団体は「安楽死処置」(安楽殺処置)を是認して活動をしていましたから 執拗に誹謗していました

TNR
は人社会の環境維持のために「させていただく」ことであって犬猫のためにしてやっているのではないことを 飼主はもっときちんと自覚しなければなりませんね

動物自らが不妊手術を望むことは絶対にありえませんから 人間の都合で「させていただく」のであり その代償として終生適正な飼育管理をする義務があります

しかし 記事にも書いていますように現実は不適正飼育管理者の元にも多頭数飼育の状況は多数あり その対処には大きなエネルギーを割いています

不敵正管理であっても放置して繁殖が進むことを防止するためには 猫の犠牲も覚悟の上で不妊手術の実施をせざるを得ないのが実情です

せめて術後は安全な場での保管をしていただけるように義務付けてほしいとさえ思います

「ノーキル」議員団諸氏は「ノーキル」を叫ぶ前に「適正管理と適正譲渡」を叫んでいただきたい

獣医師によっては術前検査と必要な治療をしてからでなければ引き受けられないと言われる尤もな主張をされるお方がおられますが 元々多くの場合に経済力がないために不適正飼育管理に至っているのですから理想の通りにはまいりません

放置すれば過繁殖状況となって事態はますます悪化し 経費もかさみます

致し方ない選択で無防備な手術を獣医師にお願いすることになります
場合によっては訴訟にもなりかねないのですが 繁殖を止めるには止むを得ないとして引き受けてくださる獣医師には頭が下がります

非難する先を間違えないでいただきたいし 非難をされるなら自らも不適正飼育者に支援の手を差し伸べていただきたいですね

【そういう動物愛護に反するという面からも、私はTNRに反対です。】

   私も同様に感じています
     R=release(
放す)は死体の見届けが困難となっていますから 終生飼育管理の
   義務違反となる確率は非常に高く 「ノーキル」礼賛の法律家の見解を聞
   いてみようと思っています


2015年3月19日 (木)

2015-3-18国会中継

NHKの会長喚問これほど執拗に詰問する時間ははたして国政の改革に真に役立っているのか疑問に感じます

2015-3-13 国会中継にもがっかりする状況がありました

民主党大西議員の国会での街頭キス当事者への質問は虐めとさえ感じられ これを問い詰めて国政の向上にどれだけの利点が生まれるのか 国政に係る役職にある人としての品位を欠いた行為は恥ずべきことではありますが 心身ともに疲弊している様子は見てとれます

態々国会の場に喚問して問い詰める必要があるとは感じられず このようなことに大切な時間を割くことにためらいもなく やつれきった当事者を得々と問い詰めるさまは見ていて不快に感じられました

この人が禁煙の病院で喫煙した事実を明らかにしても国の一大事とまでは感じられず 国会の場でそのような虐待行為とも感じられる質問に時間を割いてどのような国家的利益があるというのか この日は特別な傍聴者がおられたことも配慮すれば 適切な喚問ではなかったと考えられと思います

この程度の判断しかできない議員にも大いに問題があると感じられて 目くそ鼻くその類に感じられます

 
民主党としての質問内容を検討されてもっと大切に時間を使っていただきたい


これらの質疑より以上に大切な問題は山積しているはずです

そのうちの一つとしての高齢者問題を棚上げにして このようなやり取りを聞くのは 情けないと感じます

 

TV報道においても 芸能情報に費やす時間が多すぎると感じます

政治家や官僚の不正や怠慢は直接国民の利害に関わることですが 芸能人が結婚しても離婚しても 国民には害はないし 大多数の国民がそれらの情報を欲しているとは感じられないのです
 
 

外交 政治 経済 科学等の専門知識を必要とする取材力の低下が 芸能情報で時間稼ぎをしてごまかされているように感じるのです

世界情勢や 地方自治の問題 大阪都構想等に関する情報をもっと質と時間をかけて国民に知らす努力をされたいものです

2015年3月18日 (水)

2015-3-17余生の送り方

PC不調でエラーが続いています

PCも人間も疲れているのかなー

 

親族の退院が迫っていますが 本人の希望は自宅へ帰りたい

しかし 単身生活は無理 
 
私が同居してやることも長期にはできないし 価値観が違うことはストレスの元となることは目に見えていますから 精神的にも無理だと思うのです

死んでもいいから一人暮らしにして ほっといてと言われても「そうだね」とも言えず
 
気持ちは解るが親族一同の意見は病院から介護付きホームへ移行させたいと考えてはいますが 当人は絶対に一度は帰宅して その後なら介護付きホームも致し方ないとの気持ち

若い親族が賢明に終の住処を探してくれてはいますが 当人はありがたいことだがとの前置きで 従いたくないと
 
間で どちらの気持ちもわかるので困ります

私も 可能な限り一人で暮らしたい
 
孤独死をしてもかまわないからと言いたいが 親族は「そうはいかない」と言います

団塊の世代が 高齢者となられて 一斉にホーム探しをされると 要望に応えられないことも懸念されます
 
多数の高齢者を如何に処遇するのか 対策が追いつかない ホーム探し難民が増えると予想されるとも言われています

関係職員の処遇が良くないこともあり 高齢者介護に関する 職員の絶対数が不足しています
 
自宅介護を進めようとしている政府の考えは現実的には 健康な若い人を犠牲にする危険性をはらんでいます

3
年前の夫の介護が そのまま続いたら 無理心中も考える羽目に至ったかもしれません

老々介護ばかりでなく 若い人の人生も犠牲にすることになりかねない 自宅介護は負の要素が多すぎます

国としての高齢者対策の一助に 真剣に対人「安楽死処置」(安楽殺処置)を可能にして頂きたいと心から欲します

膨大な経費をかけて 不幸を長引かせることはしてほしくない
 
自分の意志で決断できる終焉を望みます

2015年3月14日 (土)

2015-3-13「東日本大震災」黙禱

3/11 あの日のことを思い返していますが心が沈む時間ばかりが過ぎてゆきます

被害地のことを実際に見ていないことを想像か報道されている情報で判断するしかないのですが まだまだ厳しいことばかりのように感じます

人間のことも動物のことも意見が違うことをどうすることもできない 

何処かで折れ合うことが必要であると解っていても 折れる側になることはなかなか受け入れられないであろうことも想像はできますが 当事者にならなければわからないと言われればその通りでもあるのでしょう

動物に限っては 汚染地区内での殺処分を認めることから歩を進めなければ事態の悪化を招くばかりに感じられるのです

「殺処分ゼロ」議員団の議員諸氏はこれらの解決策を示されたうえで 「ノーキル」「殺処分ゼロ」に言及されなければ 非現実的な言葉で国民を夢想の世界に誘導されているように感じます

先の ペット法塾京都シンポジュウムでの質問にパネラーのお一人が 「浮浪の状況で幸せはない」と答えられたが対策を示されたわけでもない
 
だからと言ってすべての動物たちを譲渡で解決できるわけもなく 人の心の中での「ノーキル」を実行するために動物を犠牲にしていると感じられてならないのです

放置して 飢えと病気を知りつつも 無残に死なせることが人為的殺処分ではないと言える心境は私には理解ができないのです

日数をかけて 苦痛に耐えさせて 手を下さないから自然死だとは言えないでしょう
 
そこまで冷酷に 殺処分拒否の人の感情を優先させることが無情に思えるのです

今は唯々黙禱をすることしかできないわが身がもどかしく思いますが 動物たちに詫びる思いで冥福を祈ります

被災者の方々のお心が休まる日が一日も早く実現しますことを祈ります
 
犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします

書きかけては書き直し 疲れていて誤変換があってはならないと思いつつ文の完結ができないでいました
3/11
のことに触れるには気が重く ご覧くださる方々にも気を遣います

決して忘れて書かなかったのではないことを申し添えさせていただきます
3/11
は一人で静かに黙禱をさせていただきました

2015年3月12日 (木)

2015-3-11さんかくたまご様返信

さんかくたまご様 コメントありがとうございました

 

>\x{2460}動物愛護先進国と言われる欧米ではノーキルが当たり前で、実現している国も多いから。
>\x{2461}
「殺す」ということに対する忌避感。
>\x{2462}
浮遊動物や、自称「犬ボラ猫ボラ」等の多頭飼育の悲惨な現状を知らない。

ご指摘の通りだと存じます

思うに 著名人や議員諸氏は 当面さえつくろえばいいのであって 将来展望はないと思います
 
それぞれの現在の社会における立ち位置をいかに有利に継続させるかを考えるとき 多くの動物あいごに溺れる人々が心酔している心地よい「ノーキル」と言う言葉遊びに迎合することが 私利につながると読んでおられるのだと思います

 

https://www.facebook.com/jun.masaki.948

にドイツ事情が掲載されています

少し気になることもございます

 
さんかくたまご様はどのようにお感じになられるでしょうか?

そして あるブログのコメントについて 松田の意見を述べさせていただき さんかくたまご様の記事へ誘導させて頂きました
 
ご参考までにご高覧下さいますようよろしくお願いいたします

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狩りの対象にするなんて。。。!そこらの虐待してるアポとやってること変わらんやないですか!(~_~;)

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K 様 【そこらの虐待してるアポとやってること変わらんやないですか!(~_~;)】それは少し違うと思います

狩りの対象と言うよりも 大陸の国境は隣国と陸続きですから 島国である日本と比較して 
 
狂犬病予防の感覚はもっと厳しいものであるでしょう 
 
感染経路は何時でも何処でもつながっています 

狂犬病予防の観点からも浮浪犬猫(飼主があってもリードから離れていてフリーであれば同じ)は警官により銃殺されることが合法となっているとドイツ人からも聞いていますし「さんかくたまご」さまのホームページ
http://eggmeg.blog.fc2.com/


で詳しく述べておられますからご参考までにご高覧下さいますようよろしくお願いいたします 


 
「そこらの虐待してるアポとやってること」は決定的に基本が違います 


 
遊びでしている虐待ではなく 感染防止が大きな意義であり 飼主責任の追及のあり方でもあると思います

物事の見方には色々とありますが何故そうされているのかと言う疑問から真実を知ることは大切であると存じます

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o K    K 松田様 なるほど、確かに陸続きでは感染症に対しては日本よりも更に神経を使うことなのかも知れませんね。ただ、飼い主責任を問われる事項なのは分かりましたが、オーストラリアでヨーロッパ人が狩りを楽しむために持ち込んだキツネが固有種の減少に拍車をかけているから、とキツネを駆除していると知った時の感覚に似たものを感じてしまうのです。。。結局のところ、どちらも人間の知識不足というか、人間のエゴなのでしょうか。。。

 

14時間前 · いいね! · 1

 

2015-3-12K様返信

 

結局のところ、どちらも人間の知識不足というか、人間のエゴなのでしょうか

 
殺処分「する」も「しない」も人間のエゴと言えばその通りでしょうね

 
しかし 過繁殖状況の改善 希少種保護のコントロールをすること 遺棄放棄に対する対処の仕方に殺処分が選択肢となるのか否かは単にエゴで片付けられないと思います

 
野生生物にも人間の管理が必然的に作用している近年では 地域では住民の 全体では国民や世界の人すべてが知識を取り入れるべく努力をして 価値観の共有が大切なのでしょうね

 

意識レベルが大きな問題であるでしょうね

 
生活に必要であれば 将来展望もないままに開発が優先されることも そこに住む人によって左右されますから 帰するところは「知識の普及」教育問題が大きな部分を占めていると思います

 

 

 

2015年3月10日 (火)

2015-3-8不用部分で作る野菜スープの素

ブロッコリーの軸部分捨てていませんか?

スライスするとスープの実になりますし ミキサーでペースト状にすればポタージュの元になります
 
そのほか 椎茸の軸 大根や蕪の葉 オクラの頭としっぽ ホーレンソウのシッポ ピーマンの種の部分 捨てるところがないくらい活用できます
 
人参 茸 玉ねぎ トマト ニンニクも同時にミキサーでペースト状に混ぜます
 
ペースト状になった者を火にかけて じっくりと煮込みます
 
固形シチューの素や カレールーを入れて薄味で保存します
 
目的によって 調味利用を追加して うすいスープか 濃いポタージュか カレーのベースにしたり 味噌汁風にも返信させます
5mm
位の板状にして冷凍しておき 使う時に 板チョコを割るように 適当に折って使うと日持ちします 
 
私は便秘知らずです 立派な固形ですんなりです
 
ゴミが減りますし 私のお気に入りです

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外国語でご投稿してくださる方へ

当ブログでは日本語だけで 書き込みしています
原稿の内容は微妙なことも多く 日本語も選んで使っています
日本語だけで維持していますのであしからずごめんください
スパムにも用心が必要ですが 私の力量では判断が付きませんので すべての外国語のご投稿は原則削除させていただきます 
返信いたしませんのでごめんください

2015年3月 4日 (水)

2015-3-3永遠の「タロー」

 
 
「タロー」 
 
君は想い出の中で 
 
永遠に輝く私の宝石
 
愛らしく
 
優しく
 
優雅であった 
 
「タロー」

力強く 山をかけ

かろやかに 水を切る

私が歩くと
 
いつも私についてくる
 
心のどこかに 住み着いている
 
「タロー」


 
君のことが大好きだ
 
君のことは決して忘れない
 
君との運命の出会いは 
 
天からの恵であったのだ
 
私の愛する 永遠の「タロー」
 
君は 何時でも 私をなぐさめてくれる
 
私が地球を放れるとき 君も私と共に行くのだ
 
誰も知らない 永遠の彼方へ


 
ひな祭りは 私たちの初めての家族となった犬 「タロー」の命日です
45
年も前の昔のこと 1970年戌年の秋のお彼岸でした

耳の長さとふさふさとした毛がスパニエルの血を想像させる生後4~5ケ月ほどの仔犬で おどおどとした様子とあどけなさが思わず抱きしめてやりたくなるような可愛さでした


 
「タロー」は突然我が家にやってきました
14
年の年月を共にして 「タロー」は永遠の彼方へと去ってゆきました
 
私たち夫婦の人生の岐路となった 忘れられない犬です


 
結婚して3年目の頃で、分譲の集合住宅を購入する予定で、すでに一部入金をしていました。

 

そんな時に「タロー」と巡りあったのです。

そのような事情でこの仔犬を迎えることを少々ためらい、方々に声を掛けてはみましたが結局何処へも行き場の無いままに我家の一員になりました。

 

犬と暮らすにはやはり土が欲しいと言うことで分譲の集合住宅を急遽契約を破棄して、神戸市垂水区内の新興住宅地に一戸建を求めることにしたのです

新築の予定はしたものの丁度時期が住宅建設ブームの頃で、契約通りにことが運ばなくて家の完成は凡そ半年も遅れてしまいました。

 

その頃私達は共働きでした。

朝は出勤前に散歩に連れて行き、よく陽の当る南側のベランダで自由に遊べるようにしておき「お留守番よ」と言って出掛けたものです。

 

始めの頃は声を出すことも無く、無反応というくらいにおとなしく、ひっそりとしていました。

夜もベランダのハウスで寝かすのですが、居るのかしらと確かめたくなるくらいでした。

 

1週間ほどたった頃から漸く甘えることができるようになり、夜、ベランダと部屋の仕切り戸を遠慮がちにノックをするようになったのです。

部屋に入れてやると頭を下げて這うようにして擦り寄ってきました。

本当にいじらしくて、思わず抱きしめました。

 

それからはもう、ずっと私達と共に何をするのも一緒だったのです。

 

しかし、同居をするようになってからもおよそ7年間も哀れな習慣は消えませんでした。

 

彼は当時の私達の住まいからはそう遠くない山手の辺りで飼われていたようです。

小学生位の子供の居るお宅だったようです。

 

毎日その家の前を通られる方が見る度に、そこの子供たちが叩く蹴るのいじめをしていたそうです。

その方は見兼ねて黙って仔犬を連れ出されたようでした。

そしてその方の娘さんのお友達のところへ引き取られたのですが、家人の反対があって我家へ来ることになったようです。

 

この事情は暫くの後に知らされましたので、「タロー」を引き取った当時は飼い主が放棄された仔犬であると聞かされていました。

 

自惚れる分けではありませんがこの子は我家へ来て本当に良かったと思いました。

私達には子供は無く文字通り家族が「一人」増えたと言うに等しい価値観でした。

 

「タロー」の方も嬉しかったのだと思います。

本当に利口な犬で私達の期待によく応えてくれました。

 

私の帰宅時間が分かるのかベランダから身を乗り出すようにして、私が角を曲がって来るのを見届けてさっと階段を駆け降り、入口で待っていてくれました。

 

夫が帰宅して二人と一匹で食事をすませ、暗くなってから近くの広場でよく遊びました。

夫が履いているサンダルを投げて「取っておいで」と言いますと跳んでいっていそいそとくわえてくるのです。 

かくれんぼもよくしました。

「タロー」が真剣になって探す様が可愛くて何度も繰り返したものです。

見つけたときの大げさな感激振りは今も忘れられない思い出の一つとなっています。


 
数々の思い出を作ってくれた「タロー」
 
思いもかけなかった動物福祉の活動に誘われることになった犬「タロー」
 
宿命的に私に与えられた犬であったように 思うのです
 
ありがとう 「タロー」
 
動物のことにこれほど没頭させられるとは夢にも思はなかった私が 45年間も動物福祉の向上を目指して働くことになるとは まさに宿命的だったのでしょう
 
懐古と共に「タロー」よ安かれと祈ります

(
説明部分は回顧録の一部から引用)

2015年3月 2日 (月)

2015-3-1動物のためのチャリティーコンサート


 
兵庫県三田市の郷の音ホールで 午後 動物のためのチャリティーコンサートが開催されました
 
いつも動物のためにご尽力を頂いています 中塚雅敏様が主宰されます「神戸室内オペラ」の方々による ソロと混声 ピアノ バイオリン 生演奏の醍醐味を味わってまいりました

中塚雅敏様は混声合唱は素人でも感動を与えられる唯一の手段であり 広く一般からの参加者を募りますとお話になっておられました

ご希望の方は 中塚雅敏様FB
 https://www.facebook.com/masatoshi.nakatsuka.5?fref=tl_fr_box&pnref=lhc.friends

中塚圭子先生と共にご夫妻で 不幸な動物たちのためにご尽力を頂きますことに心から感謝いたします

帰路 ドッコイさんに音楽会のお話をしてやりましたら 「生演奏 聞きたいな」と ふと往時を思い出したかのようでした
 
近頃は 時々ながら もう忘れたと思っていた フルートのことを話すことがあります

眠らせておくよりも活用していただければと思って 他人様に差し上げてしまったので 今更どうにもなりませんが 少しばかり ドッコイさんには申し訳なく感じます
 
触るだけでも残しておいてやればよかったのかなーと 

汚すことが激しいからか 洗濯回数が多いのでしようね 
 
着ているものがみすぼらしくなって 今日は少し春のための Tシャツと 襟付きのシャツを新調して届けてやりました
 
「この色いいね 明日早速着てみるよ」と言って喜んでくれました

おしゃれをして生演奏に同伴で触れることができればいいのですが かなわぬ夢
 
皆様もお元気な内に 思い出をたくさんおつくりくださいませ

2015年3月 1日 (日)

2015-2-28写真講座受講

http://www.iminet.ac.jp/photo/course/short-term/reading_photos/

「旅」 講師:北義昭先生

夕刻16時から17時半 宝塚メディア図書館で写真「旅」をテーマに受講してまいりました

 
写真とは不思議なものですね

 
プロとアマの差がよほど際立つことは素人目には感じられない

 
生意気ですみません
 
素人だから言えるのですよ

 
作品として残っているそこにある写真としてみての感想です

 
その写真がどのようなテクニックでとられたのか 意図されていることは何か? を気にしないで「見た」と言う時の感想です

 
技巧も駆使しないで素晴らしいと思わせる写真を撮ってしまうこともあるでしょうし 技巧を凝らしてどこがいいのかな と思わせることもあるでしよう

 

受講感想文の提出があります
 
私の考えていることを申し上げました
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職業として成り立つ写真とは不思議なものです誰にでも撮れそうな どこにでもありそうな場

 
シャッターチャンスのとり方なのか?
幸運なのか?

美しいものであれば解るが 現実を残すことに意を持たせるのかプロとアマの差がどこにあるのか?
観る人に預けるのか? ???
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ずいぶんと無礼な感想かもしれませんが 正直な感想です


 
シャッターチャンスは運の良しあしにも関わると言う事は 人生にも当てはめられると思うのです

 
努力しても報われるとは限らないし 努力なくしてうまくゆくこともあります

 
「運」

1
秒の差でシャッターチャンスを逃すこともあるでしょう

 
人生でもそこに「運」が来ていても捕まえそこない見逃すか 気が付かないか と言う事があります

 
人生の「シャッターチャンス」と言いたいのです

先生は努力は必要だと  全てが運ではない と
 

その通りですが 人生も終盤になれば 
95%位が「運」だと気が付くでしようと申し上げました

無論 努力は自分のためにすることで しないで悔いることの無いようにするものであって 報われないこともあることは承知していないと 他力本願に他を恨むことにもなるでしよう
 

息子のお年の先生
(48才とのこと)に 
「先生も人間が古くなられたお分かりになるでしよう」と申し上げました

 
何も知らないで変な学生と思われたかな----

若者に交じって学ぶこともまたよきかな と思って 勉強をしているつもりだけなのかもしれません

此処の図書館には 私が寄贈させて頂いた「大地震の被災動物を救うために」が展示されています

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