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2015年1月15日 (木)

2015-1-14あの日と現在

阪神・淡路大震災のあの日が近づきます

関連の取材問合も受けますが当時の記憶は当事者の私さえも薄れつつあります

当時はその日が無事に終わることが必死でしたから細やかな記録を文字にしていないことは悔やまれます 

当時書き置いた簡単な日記を見ても他人の記録を見ているような こんなこともあったのだということもあります

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才だったからやれたのだと感じますが 協働していただいた 獣医師会の諸先生方 行政機関の方々ボランティアの方々 関係者の皆様 全ての方々 周囲の人材にも恵まれました

当時からアングラ団体や阪神・淡路大震災便乗の名売りかと感じられるような動物救護活動もありました

当時の民間団体であった私の所属団体が 阪神・淡路大震災までの日常活動でやむを得ない「安楽死処置」(安楽殺処置)を是認する救護活動をしていたことで 被災動物たちにも「安楽死処置」(安楽殺処置)をしているとあらぬ攻撃を仕掛けてきて メディアも乗せられていることもありました

その名残が 度々松田のブログにも登場していますが藤村晃子さんと
Elisa Narikawaさんのでたらめ誹謗中傷情報です

素直に謝罪されると許しますが どこまでもしらを切るその誠実さの全くない行為は私には理解できない不可解な人々です

しかし 社会はこれらの人々を信頼し支援される方々もおられるのですから 社会は表面さえつくろい うまく泳ぐものが利を得るのでしょう

日本の社会はモラル崩壊の方向に向かっているように感じます

折に触れて意見を求めてくださる別のお方からはさる芸能人について 某団体のトップが「過去に失敗があったとしても 誰でも失敗はするもの」だと 謝罪がなくてもさしたることではないだろうと感じさせられるご意見を頂いたとのこと

社会人として糾弾に値する行為を無条件に許して現在を評価するのか 謝罪を促してその結果を評価するのかでは大きな違いがあります

確かに誰にでも失敗はありますが 小さな偶発的な意図しなかった失敗か 大きな意図的失敗かは その人に対する評価を変えなければならないでしよう

後者であれば当然謝罪すべきであり 寛容であることと 事なかれは全く意味が違いますし 社会の秩序形成にも影響するものでしょう

失敗をとがめるよりも 失敗についての「償い方」を問う方がより大切であり 社会的にはその影響力は大きく作用するでしょう

過去の所業を反省もなく 今を飾ってみても その方の発想の基本 「体裁さえつくろえば社会は忘れてくれるもの」とされる ずるさの本質は変わってはいないと感じられます

一見寛容そうにうかがえる「許す」と言うことにも 責任感を以て当たらなければ よくないことが正当化される危険性をはらみます

社会的にはとても重要性があり 【よくないことは良くない】と自覚されたときに 的確な謝罪や経緯を説明されることが 赦しに変わらなければ 上辺の笑顔さえ作っておけばなんでも通用する危険な考えが蔓延るでしょう

また 何かを糾弾しようとされるとき 憎さ100倍が先行することにも危いところが生じます

表現にも気を付けて 必要以上に憎しみを露わにしない方が得策だと感じます

正当な情報公開の傍らで 憎しみのあまりに感情がむき出しにされることは せっかくの的確で必要な情報が反感の材料となりかねません

もしも そのようなことがあればとても惜しいことですから 常に
【「誠実」に「真実」を語り「親切」であれ-s,ma
真実であっても 表現には気遣いも大切であり 罵倒 嘲り 投げやりは敵を多くすることにもつながりやすく 要注意です

最近では  財務省 介護報酬引き下げ求める が報じられましたが それはしてはならないことでしょう

これ以上介護に携わられる方々を冷遇することは 利用者に忍耐の強要を迫ることです
報酬は上げなければならない状況ですし 仕事の内容も厳しいものであることは国民はわかっていますから 解らないのは高級官僚の方々と議員諸氏だけではないでしょうか?
日々お世話になっています私としましては 申し訳なさを感じます

すでに日本はずるさが蔓延した ずるい者が多くを得ている そのような社会に傾いているのかもしれません

兵庫県議会が自前の昇給に合議されたことも 明らかなモラル崩壊の証と感じられます

自分の選出した議員であっても直ちに辞職してくださいと言うことが通る分けでもなく そのような結果となることの予想もつかないままに選挙と言う「権利」と「義務」の遂行は課せられます

議員に関する利益不利益の判断は 議員以外の委員会を設置して論じなければ改善は期待できないと感じられます

先に挙げました著名人の明らかな「失敗?」については 社会全体が赦しの基準を間違えないようにしなければ「悪行」は大手を振って 笑顔でごまかされることになるでしょう

市民一人々の良識が問われていることではないでしょうか?

寛大であることと 事なかれは違うという 認識を持たなければ社会悪は大手を振って存在し続けると思うのです


大災害から得られる教訓は被害の対応のみならず 生き方もまた考える機会となるでしょう
大災害が避けられない地理的条件の日本国に生きるのですから 自助 共助 公助と共に人としての倫理もより高く保たなければ日本は崩壊する危険性をはらんでいると感じます

明日の災害に備えて 皆様も知識と備蓄を怠りなく お考えくださいませ

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