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2014年8月19日 (火)

2014-8-18 戦没者慰霊祭に思う

 

8/15ピース大阪での戦没者慰霊祭に参加して 新聞社からコメントを求められました

 

以下 松田早苗の意見です

 

「戦争反対」と叫ぶことは 耳触りも良く容易です

 

武器製造等で利のある企業や個人を除いて一般的には 賛成の人はほとんどおられないでしょう

 

しかし こちらに戦う意志がなくても 近年島を盗りに来る国もあるように 仕掛けられた戦争にどう立ち向かうのかを考えた時 「戦争にならないように外交をすること 話し合うこと」がはたして効力を期待できるのか?

 

話し合う間もなく着々と侵略戦争を仕掛けられたとき 「再軍備反対ですから 軍事力増強反対」と言って通用するのか?

 

ひ弱な軍事力を見越して責められたとき あっさりと降参して 捕虜となり 「私は再軍備反対しましたから助けてください」と攻め込んだ相手に嘆願して助かるのか?

 

おそらくは 殺すか 殺されるかの二者択一となるでしょうから 「殺されても 殺すよりはまし」といって無抵抗に殺される覚悟があるのか?

 

と意見を述べました

 

動物についても同様なことが言えますと 付け加えました

 

「殺処分反対」と言っていたら 社会からすべて「殺処分ゼロ」が達成できるのか?

 

観ないで済む闇の「殺処分」は看過するのか?

 

何事も現実を見ながら 予想される将来を勘案しなければ 言葉遊びとなるでしょうとも申しました

 

メディアの果たす役割の大きさにも気が付いていただきたいとも申しました

 

取材にあたっておられた若い男性の記者は深くうなずいて聞いてくださいました

 

備えがあっての身がまえと 備えがなくて「相手の善意」に頼る受け身では 将来は全くと言っていいほど違うでしょう

 

国家も「戸籍」については厳しい規則を設けていますが いざ戦没となれば こともなげに 生死の確認も死亡した年月日 場所 理由も不明なままに「推定」で「死亡」と断定する勝手さがあります

木札一枚に 「○○の霊」と書かれた当人は浮かぶ瀬などないでしょうね

 

他人様か本人かの区別もつかない「お骨」を頂くよりはましですが 吾父も木札一枚でした

 

その木札を母の希望で 納棺してやりましたので 灰となり 母の遺骨と共に海に沈みました

 

何も残さないことも また佳きかな

 

人が作る「永遠」は限りある永遠だと思うのです

今を生きることが 一所懸命であれば 死後のことは予測しないことにしています

 

戦争も 動物の殺処分も(同列にしては不快なお方もおありかと思いますが) 無いに越したことはありませんが 起こることに対峙できない国民では 為政者や権力者のされるがままと言うことだと思うのです

 

国民が賢くなければ 誰かに操作されるのでしょうね

 

どうか若い皆さんも 真剣にお考えくださいますように お願いいたします 

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コメント

戦争反対、原発反対、そして殺処分反対も、言うのはたやすいです。
しかし一歩踏み込んで考えれば、大変難しい問題です。
総論賛成でわかったようになれる人は幸せかもしれません。

さんかくたまご 様
コメントありがとうございました

オーム返しに「反対」と言うことで 何かの運動に参加しているつもりのようですね
お気楽運動の弊害には気が付いてないでしょうね

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