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2014年3月

2014年3月26日 (水)

2014-3-11inよみうり赤城山麓に野犬繁殖

2014-3-25赤城山麓に野犬繁殖

 

2014-3-11inよみうり赤城山麓に野犬繁殖

 

http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1393947649669_02/news/20140308-OYT8T00219.htm

 県と高崎市動物愛護センターによると、12年度に保護した猟犬は少なくとも20匹。ペットの可能性もあるが、狩猟期間中や終了後に収容される事例が多く、ほとんどが猟犬とみられるという。

 猟犬は猟師とはぐれても、主人の臭いがついた物や犬舎を残しておけば戻ってくる。だが、県内で銃を使って猟をする人の約4割が埼玉や東京、千葉など県外者のため、すぐに保護に戻れない。

 県は12年度からすべての狩猟者に対し、猟犬が行方不明になったら保健所に連絡することや、首に鑑札を付けることを呼び掛けるビラを配り、管理の徹底を求めている。

 土屋さんは「次のシーズンまで飼育する手間や費用を惜しんで、山に犬を放置して帰る県外の猟師もいると聞く。狩猟時に猟犬の登録を義務づけるなど、対策の強化が必要だ」と訴えている。

 

以下S,Ma意見

マイクロチップの装着義務を徹底させることで 飼主を特定できる可能性は格段に高くなる

 
少なくとも 猟犬は悪意の遺棄でなくても 不明になる確率は 一般の家庭動物とはけた違いに高くなることが容易に想定できること

 
マイクロチップを徹底させなければ 繰り返される違法状況を看過することになる
 

猟師にも犬に対する価値観はいろいろと感じる

 
信頼する「相棒」と「単なる便利道具の一つ」としての「使い捨てのもの」にしか思っていないこともあると聞いたことがある

事実 20年くらいも以前のことではあるが シーズンオフから次のシーズン迄役に立たない「ただ飯くらい」と値踏みする輩がいて 係留しているだけで 満足に給餌 給水もせず 見かねた人々が世話をしていたが 通報を受けて猟師とは名ばかりのところへ話に行ったことがあったが 全く聞き入れることはなかったし いつでも会えるということはなかった

行政機関からも足を運ばれても当人に会えることがなく 警察はほとんど関心を示されなかった

近隣の人に それ以上は危険だから 近付かない方が良いと 助言されてやむを得ず交渉を中断したことがあった

「終生飼育義務」は「ノーキル」「殺処分ゼロ」のためだけに用いられるものではなく
 
動物との共生に対する飼主としての責務として「QOL」の向上を目途としてとらえなければ法律第105号の修飾語に終わることになりかねない

とにかくも行政機関に保管された動物たちは法的な責務のもとで殺処分も含めてではあるが管理はされている

行政機関に保管された動物たちをターゲットに「ノーキル」「殺処分ゼロ」を叫ぶのであればこれらの社会的に見放された動物たちの救護活動に力を注ぐことの方がよほど価値があると感じる
 

 

「すべての命の尊厳」と叫ぶのであれば 安易に対処できる行政機関吊るしよりも しなければならないことはたくさんあるはずだと感じる 

2014年3月24日 (月)

2014-3-23プードルのトリミング

W-8では どうにも動かない この記事もW-7 でようやくUPできました
役に立たない W-8 
飾りばかり多くても人も動物も器械も 見かけ倒し??
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2014-3-17
 TV番組からの情報ですが プードルのトリミング世界コンテストで特殊な技法で染め上げたりカットしたり どこが良くてこのようなものに熱中されるのか どうにも理解に苦しみます

色素等には害のないものが使用されるのでしょうが 犬の本来の美しさからは無縁であり 余計なものをくっつけられて犬には迷惑ではないかと感じますが 彼の米英国で盛んとのこと 「動物福祉」の視点からの一言はないのか?

やがては日本にも移入されるのかなー?

人間の好みとは言え ここまでしたくなる心境はわからない----

2014317_

2014年3月22日 (土)

2014-3-19 一言のお礼の言葉

2014-3-22 19日以来 又もやココログ ログイン 障害で記事がUPできませんでした

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縁があって 犬のフードをお届けさせてていただいていますお方に いつもご丁寧なお礼のメールをいただいています 

美しい絵と 言葉で綴られたメールを拝読することの気持ちの良さは 期せずして待っているようなところもあります

特に昨今は 「お礼」の一言を聞くことは少なくなりました
そのような時代なのかと感じつつも 矢張り「一言のお礼の言葉」は大切にしたいと思うのです

私はお招きに預かった時も 何かをいただいた時にも まずは携帯メールで感謝の言葉を送ります
こちらがお招きした場合にも「来てくださってありがとうございました」と伝えることに努めています

少しの気遣いで相互に心地よくなるのであれば 私にはとてもありがたいことに感じます

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○○○○○様

ご丁寧にありがとうございました

S,Maの文書について 少しばかり気恥ずかしいながら お褒めのお言葉をいただいたのです】

私の文書は  気は遣っているつもりでも ありのままストレートなので お人によっては そこまで踏み込まなくても と 思われることもおありでしょう

しかし 言いたいことをいうためにすべての役職 所属から離れましたので 全くの個人としての「責任」で
ものが言えることは気が楽になりました

私しか言えないことがあるのだと 思うことにしています

私もこれでも 団体に居た頃はそれなりに気を使っていましたからね   

社会の中で 責任ある職に就いておられる方々は 警戒される必要もあると感じますから 私のように自由な発言がおできになれないことは分かるような気がします

近年 「あほ  バカ  死ね」とか「殺処分されたらよいのに」と平気で 他人に向かって言える 理解不能な人が増えていますので 社会常識も 私が心得たものとは違ってきました

あなたはいつも 几帳面に「お礼の言葉」を届けてくださいますので 恐縮しながらも こちらもまた 喜んでいただけたことの安堵の気持ちをありがたく感じさせていただいています

ほとんどの人々は差し上げたものがお気に召したのか お気にいらなかったのか 案ずるほどに梨の礫です
老若男女を問わず 情けなく感じることが多くなりました

恩を感じていただくことはありませんが 遠来のお方をもてなしても ご無事に到着されたのか? 召し上がっていただいたものがお気に召さなかったのか?
差し上げた品物に不具合でも あったのではないかと 気に病むことも多くなりました

例え 親族間や 親しい友であっても 祝いや 贈り物をいただいた時 親切にしていただいた時には 
一言
「ありがとうございました」と言える人になりなさいねと 身近な人に言っています

そのような日々の中で いつも かえってあなたに感謝しています
私にもできることがあることを 自覚できますこと 励ましていただいています
ありがとうございました

 

あなたも お体をお大切になさってくださいね
ではまた 何時かお会いしますね S,Ma

2013-10-27 ココログつぶやき S,Maからの問いかけ

物を頂いた時 ご馳走になった時 親切にされた時 その日の内か翌日にはお礼の言葉を伝えますか? 何も必要ないと思いますか?

  1. 自分がどっか外国に売り飛ばされるのではないかと、心配する。

     

  2. 直接頂いたのならその場で言います。宅配とかで頂いたのならなるべく早くお礼は言います。手紙、メール、電話、その方との関係で手段は選びます。

  3. 私はその日が深夜になる場合であれば翌日には電話かメールでお礼を伝えますね 目上のお方なら郵便ですが 若い方々の間では無のつぶてが普通なのかと感じましてね 

  4. まずは挨拶から始めたら?「いただきます」「ごちそうさま」「こんにちは」「さようなら」。

  5. つか、親切にされたりご馳走になった時って、その日のうちとかいうより その時すぐにお礼を言うのが当たり前なのでは?

  6. 「何か企んでる?」と伝えます。

(S,Ma注-回答者は若い方がほとんどだと思います)
正直 驚きの回答もありました 
 
この回答に表れているのが 今日の日本なのでしょうか?
私は 少し寂しく感じます

このような問いかけをすることが 恩着せがましく感じられるのでしょうか?

皆様はいかがでしょうか?

2014年3月16日 (日)

2014-3-15in細川敦史氏ご意見への返信

 

2014/03/15 0:25

細川 敦史さんが、あなたがシェアしたリンクにコメントしました。

細川 敦史さんの投稿: 「すみません。私宛の部分が隠れていたので、見落としていました。 何か過分な評価をいただいているようで、人違いではないか、額面通り受け取ってよいものか戸惑っておりますが、それはともかく。 twitterでのご質問は、匿名の方からのものとお見受けしましたので、お返事は一度限りにさせていただきましたが、いまはお相手がどのような方かわかりましたので、できる限り自分の考えを説明させていただきたいと思います。 もっとも、私は、文字で対話(一部でも異なった意見をお持ちの方との議論や、相互理解を深めるのための対話であっても)をすることは得意ではないですし、することは適切ではないとも考えています(メールで込み入った話をすると、たいていこじれてしまいます)。 そういう前置きで、あまり多くのやりとりは望むところではないのですが、内容に入らせていただきます。」

松田早苗意見

【文字で対話(一部でも異なった意見をお持ちの方との議論や、相互理解を深めるのための対話であっても)をすることは得意ではないですし、することは適切ではないとも考えています(メールで込み入った話をすると、たいていこじれてしまいます)。】

 

私もこの点では 同じ考えですが 御目にかかって対話する機会もないと存じますので 敢えて文書でお尋ねさせていただきました
あしからず ごめんください

 

2014/03/15 1:03

細川 敦史さんが、あなたがシェアしたリンクにコメントしました。

細川 敦史さんの投稿: 「松田様のご質問に対する私の回答は、おそらくおわかりかと思いますが、前段にのみ対応しています。 それで、私の言い回しの意図を複数想像されておりますが、基本的に、私が何かを申し上げるときは、基本的に、法令に基づく規制を意識しています。 なので、言いたかったことは、普及啓発が行き届かない層の方々が簡単には犬猫を飼い始められないようにすること、飼育中のハードルを高めるなど、飼いにくくする方向での法制度はどうかと考えている、という意味になります。お返事の際に、具体的な制度を意識していたわけではありませんが、例えば、ご指摘の多頭飼育規制もそうだと思いますし、(簡単にはいかないでしょうが)ペット税もあると思います。 また、現状の法令を前提に運用を改善するというものでは、登録や予防接種義務の徹底を図ることも、飼い主へのプレッシャーを強める効果があるかと思います。 いずれにせよ、行政から譲渡された犬猫に限定して考えてはいなかったので、ご指摘の項目については思い至っておらず、私の意図するところではありません。もっとも、項目を拝読しましたが、それが実現できればよりよい制度になるのではと思います。」

 

 

松田早苗意見

 

【基本的に、法令に基づく規制を意識しています。】

僭越ながら であればこそ ツイートという万人に読まれる意見陳述としては 曖昧(意味を多様に解釈できる)な表現は 誤解を招きかねないと感じます
細川様の【法令に基づく規制】ということであればなおさらです

 


【いずれにせよ、行政から譲渡された犬猫に限定して考えてはいなかったので、ご指摘の項目については思い至っておらず、私の意図するところではありません。】


私も行政機関からの譲渡に限定したとは考えておりませんので そのような印象をもたれたことは 説明不足かもしれません

 

2014/03/15 1:14

細川 敦史さんが、あなたがシェアしたリンクにコメントしました。

細川 敦史さんの投稿:

「補足ですが、私の中では、飼い主規制と「適正譲渡」はあまり関連していません。それはともかく、適正譲渡をすべきではないですか?、と言われれば、それはそうでしょうね、ということと思います。ただ、「適正」と評価・判断するかは、その犬や猫をみている現場の仕事になるのではと思います」

 

松田早苗意見

私の中では、飼い主規制と「適正譲渡」はあまり関連していません。

その点は 細川様とは異なる見方をしています

 

「適正」と評価・判断するかは、その犬や猫をみている現場の仕事になるのではと思います」

その現場を仕切る人々の意識が「ノーキル」「殺処分ゼロ」に固まっていることが多く 基本的な動物福祉の知識取得もされないままで「単にかわいい かわいそう」だけで携わっている場合もあり 繁殖規制がない現状に即していないと感じます


社会に愛される共生動物の定着こそが 虐待の防止に大きく作用すると期待しています
そのためには「適正譲渡」は大切な選択肢であると感じますし それが 「飼主規制」と連動していると思います

社会に対しての倫理観 責任感を持つ人々が「適正な飼主」となられることが 動物との共生の利点を理解していただけることにつながると信じるからです
 

動物に対して好ましいとは感じておられない方々にも 一歩譲ってもよいと感じていただけることを願っているからです

 

自らの欲する行為「動物飼育」をさせていただくことは 一般的に社会に 大きな迷惑を感じられないように 共存できることをここまで気遣い努力している姿勢を見ていただきたいと思うからです 


 
言うまでもないことではありますが 社会は多様な意見を譲りあってよりよくするものであると思います
 
しかし 近年の「動物愛好家」の主張は 「動物が嫌いな人」に対する配慮に無頓着になっているように感じます 
 
ガンジーの言葉の引用も 手前勝手に解釈され引用されているかのような印象を持ちます

 

2014/03/15 1:43

細川 敦史さんが、あなたがシェアしたリンクにコメントしました。

細川 敦史さんの投稿: 「最後に、引取り制限で引き取られなくなった・・・のご質問について。 前提として、今回の引取り義務の改正は、現場に一定の裁量が与えられた、という点にあると考えています。拒める事由があっても、拒むことが「できる」というだけですから、事情があれば拒まずに引き取っても違反にならないのではと思います。よく言われるたとえ話ですが、引取りを拒んで家に帰したら虐待されるかもしれない、と現場担当者が本当に感じたならば、むしろ引き取るのが適切なのでしょう(この話は、私はいろんな機会でしています)。今回の改正で、自治体に譲渡の努力義務が明記されましたので、引取ることにネガティブなイメージはないはずですし。 また、引取り義務の使い方として、持ち込んできた飼い主に対していきなりつきつけるのではなく、行政に拒む権利があることをにおわせながら、まずは適正飼養や譲渡先探しの指導助言をしてほしい、と思っています。 なので、ご質問に対する端的な答えとしては、「終生飼養されないことが不安視されるような飼い主に戻してしまうような引取りの運用は、現場の方にはしてほしくないですね。非常に難しい判断が伴うとは思いますが、頑張ってほしいです」ということになろうかと思います。 長文におつきあいくださり、ありがとうございました。ご質問の意図に沿わない説明もあろうかと思いますが、それは文字でのやりとりの限界かと思いますので、ご容赦ください。」

 

松田早苗意見

今回の引取り義務の改正は、現場に一定の裁量が与えられた、という点にあると考えています。拒める事由があっても、拒むことが「できる」というだけですから、事情があれば拒まずに引き取っても違反にならないのではと思います。

 

確かに違反とはならないかもしれませんが 多くの行政機関では「安易な引取」とみなされることを警戒しておられると感じます

それは 引取した動物が「殺処分」される可能性が高くなることと深く関連しています

「適正」に飼育管理されていない飼主により 手放されることは 「適正譲渡」の対象とし難くなる公算が高いからだと推察します


 
「咬傷事故履歴のある犬」であっても矯正が可能なこともあるでしょうが 危険性では譲渡対象にしない選択が正しいのだと感じていますが 

細川様はこの点どのようなお考えでしょうか
?

特に 阪神・淡路大震災被災動物救護活動に携わって深く感じました
 
飼主にさえも触れない犬を持ち込まれて ボランティアさんにも多くの被害が出ました

当時は絶対に「殺処分」はしないことで団体合意の上で組織編成をいたしましたので 私の持論も棚上げにして活動を終えました

無論それらの咬傷事故履歴のあった犬たちも 専門家等のご協力をいただいて譲渡されてゆきましたが 私としては不本意なことではありました
 
しかし 社会的な約束事項を守ることを重んじたのです


 
それを揶揄して 松田がいるから「殺処分」していると 触れ回った愚かな人々がいました 
 
その余波で今に至るも 阪神・淡路大震災被災動物救護活で4-5千匹の犬猫を殺処分したと ネット拡散した人々「藤村晃子氏等」がいました

 

救護活動の全頭数が1556匹であったのに「4-5千匹の犬猫」と書く根拠 即ち情報源を求めましたが それにも 答えてはいません
 http://S-ma.cocolog-nifty.com/
 問いただしましたが 無の礫です

少し脱線しましたが 本論と無縁ではありませんのでごめんください

飼育中断をされた動物を市民から引取をされるとき 行政機関での 受け取るか拒否されるかの判断をどこまで信頼できるのか?

現状は格差がありすぎるような印象を持ちますが あいご活動家からの誹謗中傷をさけようとすれば 妥協をされることがお楽になられるのだと感じます

団体においても オープンシェルターが少なくなっていると感じますし 何れの保管場所も受け入れが難しいほどに満杯であるようです
 
当然ながら 5フリーダム(5項目の自由)を満たされることは難しいでしょう

多くのネット上で 多頭数飼育や餌付けが「いいね」として礼賛されています
 
そのような時代なのでしょうが 動物にはある種の苦難が押し付けられているとも感じます

動物福祉についても 社会の安全と動物に対する嫌悪感の軽減においても 「適正譲渡」は重要であり 長い目で見て「動物の素晴らしさ」に触れていただくための「鍵」であると思っています

細川様におかれましては ご多用のところ ご意見を述べていただきましたことに感謝いたします

フェイスブックでは文字の修飾ができませんので 勝手ながら 
http://S-ma.cocolog-nifty.com/
で松田意見として表明させていただきます 

長文となりましたこと お詫びいたします

緑太文字が 松田早苗意見です

2014/03/16
  文責 松田早苗

2014年3月13日 (木)

2014-3-13in協議会主催 募金報告

兵庫県 担当係様から 「福島県動物救護本部」支援募金について 
以下のご報告をいただきました
ご協力くださいました皆様 お疲れ様でした 
ありがとうございました 松田早苗

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第9回兵庫県動物愛護管理推進協議会における募金活動について(報告)

標記の募金活動について、下記のとおり実施いたしましたので報告いたします。

皆様におかれましては、大変寒い中、長時間にわたりご協力いただきありがとうございました。

1 活動日時及び場所

日時:平成26 年3月9日(日)12:00~15:00

場所:神戸市中央区加納町5丁目三宮センター街入口付近

2 活動参加者 別紙1のとおり

3 街頭募金額 44,408 円

4 送金について

(1)送金額(別紙2)

101,414 円(旗谷動物病院募金35,000 円
及び加古川動物病院募金22,006円を含む)

(2)送金先 東邦銀行県庁支店、普通1418368、 口座名福島県動物救護本部義援金口

5 配布資料 募金者に対して別紙3の趣意書兼 報告書を約120 枚配布

2014391

2014年3月11日 (火)

2014-3-11 「東日本大震災」

とうとう3年という年月が過ぎ 被災地はいまだ人も動物も 多くの問題を処理しきれていません

「原発」という特異な事情にもよりますが 政治家の発想と 被災者の想いがかみ合っていないようにも感じられます


 
私有地に建てられた仮住宅から移転を迫られておられる方々 他方で 不必要とも評されている防波堤の建設 

億単位の経費予算をかけられているのであれば 素人考えでは 仮設住宅の土地を国家が買い取られてはいかがと思います

できない事情がおありなのか?

 

動物については問題はやはり「猫」ですね

いまだに100を超える頭数がいることは 被災地特有の問題と言うよりも 日本社会全体の問題だと感じます

 

いつも思うことは「動物好き」と思っている人々による 動物の災難が最も多いのだと

良かれと思いつつかもしれませんが 「あいご」の名のもとに行っている行為の多くが結果的には 動物の「QOL」には無関心にならざるを得ない

QOL」にこだわれば 「ノーキル」ではいられなくなる

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弁護士さんのツイートです

 

殺処分ゼロへ愛護諭す : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/gunma/feature/maebashi1393947649669_02/news/20140306-OYT8T00034.htm?from=tw  こちらのセンター職員がいろいろ努力していること、いい加減な飼い主はどこにでもそれなりにいることがよくわかる。

 

 

松田の返信です

【いい加減な飼い主はどこにでもそれなりにいることがよくわかる。】

 

それに対応する方策はどのようにお考えですか?

行政機関引き取り制限で引き取られなくなった動物たちはどこが「終生飼育」を見届けられるのでしょうか?

 

 

弁護士さんのツイートです

 

@hemishu 適正飼養の普及啓発は引き続きやるとして、それが届かない層はどうしてもいるでしょうから、今後は、飼いにくくすることを含めた、飼い主規制の法制度が求められるのでは、と考えています。

 

1. 松田の返信です

 

yuki @hemishu 現在 

@a_hosokawa 今後は、飼いにくくすることを含めた、飼い主規制の法制度

 

 と言うことは適正譲渡に徹するという意味でしようか?

 

 

1. yuki @hemishu 現在 

@a_hosokawa 再びお尋ねします  行政機関引き取り制限で引き取られなくなった動物たちはどこが「終生飼育」を見届けられるのでしょうか?

 

 

ここまででその後のご意見はいただいていません

 

 

私のような自由な立場では発言できることも お立場で発言しにくいであろうことは承知していますが 支持者も多く 指導的お立場であられるとの社会的評価を受けておられる方であればこそ ご意見を伺いたいのです

 

【飼いにくくすることを含めた、】

 

と言う表現が意味する真意をお尋ねしたいと思うのです

 

◎多頭数飼育の法的な制限なのか? 

(地方条例では規制されているところもありますが)

 

◎譲渡以前啓発の方法を 改めるという意味か?

譲渡前啓発が実施されていない地方自治体や 市民活動レベルの団体 個人に対してもそれを法的に義務化するのか? 

 

◎譲渡後の追跡調査を義務つけるということなのか?

譲渡前啓発はされていても 事後の追跡調査をされていないところは多いと思いますが

実態は調査していませんので定かではありません

 

◎5フリーダム(5項目の自由)を基本とする 収容 保護管理体制を義務として取り入れるということなのか?

もしも そのようにお考えであれば大賛成です

動物福祉の基本としては 譲渡時期の週齢規制よりも はるかに価値があることです

 

現状のような行政機関からの無差別な「問題行動」を持つ動物であっても引き出している それらの動物たちを再譲渡されることが 災害時にもたらすと想定される困難をどのように評価されるのかもお尋ねしたいのです

 

私のような無名な一個人が発言することの社会的影響はほとんどありませんが カリスマ的な人気を博しておられるお方であればこそ そのご発言には注目したいのです

 

ご返信を待たせていただきますので ご多用とは存じますが宜しくお願いいたします

 

文頭に戻り

犠牲となられました 全ての「命」に対して 鎮魂の祈りをささげます

今もなお 被災地で戦っておられます 被災者の方々と 支援をしてくださる皆様のご無事を祈り 一日も早いご回復をお祈りさせていただきます 

 

役職として努められます方々に対しても心から感謝いたします

及ばずながらではございますが 支援募金が続けられますように努力させていただきます 

 

 2014/03/11  文責 松田早苗 

2014年3月 7日 (金)

2014-3-6 「餌付け」コメント 三瀬様への返信

三瀬様

コメントありがとうございました

【餌やりの殆どは高齢者が関与し、そして年寄りの楽しみを奪うな、】


餌付けに生きがいを求めることは他に「生きがい」を見いだせないことでもあるのだと考えられます
社会や動物への迷惑も考える余裕がないか 考えたくない 知識がないために考えることもない
自らの「生きがい」のためであればすべてを正当化できるのだと感じます

私も餌付けの人々に 話しかけいろいろと説明してみましたがその頑迷さと自己本位の姿勢には歯が立ちませんでした

餌付けを支持する人々には声高な人が多く 数では餌付けはよくないと思いつつも声にされない人の方が多いように感じますが 当然の帰結として静かな人の言い分は中々社会に広まりません


餌付けに執着する人は一種の依存症的傾向にあると感じますから 止めるように話すことも無意味であると思うのです
「楽しみ」を町の清掃や 困っている人への助力に関心を振り替えたりできるような専門的な接触が必要だと感じます
「禁煙」や「断酒」外来があるように 「餌付け」にも専門外来 相談窓口があればいいのかなと思います 
悩みつつ「餌付け」がやめられないと嘆く人もおられますが 単に話を聞いて「止めるよう」に勧めてあげても一時しのぎに終わることが多かったですね

餌付けをやめると飢えて死ぬ
という罪悪感にも苛まれるようです

餌付けの人々が知らないところで「虐待」「病気」「事故」に苦しむことは見届けられないのに 「空腹」のみが気にかかるらしいのです

つまりは【自己愛型動物愛護
-S,Ma】の典型であり 動物の「幸」にはさほどに関心はないと感じられます 

「虐待」「病気」「事故」による死は 都合よく「自然死」として置き換えられる発想ができる人々です 


「地域ねこ」が提唱された当初には「屋内飼育」が究極の目的として発足し 一時しのぎとしての「地域ねこ」であった筈が 近頃は 法律家や一部の行政担当者と あいごの団体等の人たちの支持も得て 「地域ねこ」の発案者さえも進路変更されたかのごとく 「地域ねこ」が目標とされつつあるように感じています

この傾向は「ノーキル」とも深くつながっていますから 当分は変わらないように思います

とにかく自らが関与して「殺さない」ことが一番で 知らないところて苦しむことも殺されて死ぬことも我関せずと思える人々なのでしょう 

ましてや他人に対する迷惑など 感じることはない人々であろうと思います


じれったいことですが 今できることは あきらめることなく 社会に訴えて 関心を持っていただくことが改善の糸口なのかと思います

適正譲渡 適正保管管理により 社会のだれにも愛される動物を定着させたいと念じています

ご意見をお寄せくださいますように よろしくお願いいたします   松田早苗

2014年3月 3日 (月)

2014-3-2 先入観を与える教育


KさんのFBに以下の意見を書き込みさせていただきました

ご迷惑かとも思いますが 今の気持ちです

卒業式で歌う歌に始まった 教育についての意見交換です
Kさんは「日の丸」「君が代」について教えられなかったことについて 知った上での判断を尊ぶとの意味を示されたので 私も賛同したものです

Kさん 先入観を与える教育は それこそ「洗脳」教育

 

選択の能力がないうちに押し込んでしまう 戦前の参戦教育の裏返しで 一見平和教育の様相を見せながら その実 反政府主義を叩き込む 教師の価値観が優先された教育であり 成人してもなかなか抜け切れないと思います

 

現状の動物関連の専門学校教育にも少し似たところを感じています

 

「殺処分」を考えさせない

 

動物の幸せについてのみ教えていては 「ノーキル」「殺処分ゼロ」にだけ思考が傾き 心地よいかもしれないが 教えにくいことには蓋をしているように感じます

 

数は少ないですが 過去に動物関連の専門学校で それらに触れる時間をいただいたことがありましたが 学生からは関心を示した生徒もいましたが 学校側が回避されたと感じました

 

不幸なままに見捨てられる動物のことを考えることも悪とされているような印象を受けました

 

何故「殺処分」される動物がいるのか?

「殺処分」される動物がいる現状をどうすれば改善できるのか? 

「殺処分」にはどのような方法があるのか?

 

今後 卒業すればいやでも「殺処分」を考えさせられることになります

時には もうけ主義のペット店にも就職しなければならなくなります

「繁殖」にも携わらざるを得なくなります

 

「ノーキル」「殺処分ゼロ」の根本的な対策は「繁殖制限」しかありません

 

しかし 現実的には「繁殖制限」は無理だと感じています

 

45日譲渡規制も 4-5日のごまかしは簡単にできること

言わば文字の上での自己満足に近いと感じます

 

週齢規制以上に 保管管理において「5フリーダム(5項目の自由)」の徹底に努めるほうが動物には有利であろうと感じますが これからは若い皆さんが 選択をされることでもあります

 

社会に出て その時に適切な倫理観を持ちつつも 職業として対応できる基礎知識と判断力を身に着けていただきたいのですが 獣医師教育にも同じことが感じられます

 

戦争を嫌悪しても 侵略された場合には「話し合い」ができるとは限りません

それに備えるには現実的な対処も必要でしょう

その備えに必要な教育は多様な思考ができる人材を育てることにあると思うのです

 

 

【手の届く最高峰が理想 それを超えるものは空想 理想の実現には 知識と力と忍耐と理性と幸運が必要であります-Sma

 

長くなってごめんください 松田早苗

 

2014年3月 2日 (日)

2014-3-1ドキュメンタリー 写真集の読み方

今日は午後から宝塚メディア図書館でドキュメンタリー「写真集の読み方」について 畑祥雄先生の講座を受けてまいりました


 
作者の手法によって個性として 伝え方が変わり 残酷なまでのリアルを追うタイプと 間接的ともいえる表現により深みのある真実を伝えることもできる

過酷だったころの炭鉱労働者の 実情を写真集により 社会に訴えたことで 炭鉱のあり方が問われることにはなったが 被写体となった個人が被られた「被害」は大きく 転居を余儀なくされ その後の人生にまでも影響し 写真資料集の持ち出しが禁じられたとの経緯を聞きますと 真実の伝え方の難しさを改めて感じ入ります

家族ぐるみの貧困ゆえに 子供は学校にも行けず識字力の無さをアピールすることにより 当該企業の糾弾とされたが そのことが 被写体となられた方が成人された後にも 個人の名誉にかかわるとなれば 考えさせられてしまいます
 
「正義のための犠牲者」とでも言い表すのか?

広島と長崎の原爆被害のドキュメンタリーの制作に際しても 二人の作者の相違点が浮き彫りとなったようです
 
事実を苛酷なまでにアップで迫る「土門拳」
 
アップを被写体となられた方から断られて生活空間「家」をとらえて間接的に表現をされた「東松照明」

既存の写真集に秘められた作者の想いは 単に見るだけだと「風景写真」で済まされる作品が 実は深い奥行きがあったと知りました
 
「東松照明」の「さくら」に寄せる戦中の想いが 単なる風景ととらえられない「懺悔」も含まれていることを 読み取ることは 凡人には難しいと感じます 

矢張り 知ることは面白いですね
 
知らなくても 生活に支障はなくても 知ったことが新たな感慨を呼ぶのであれば 学ぶことは面白いと感じます

文章に添える「写真」なのか 「写真」に添える文章なのか
 
撮る側にも意地がなければ 訴えるものが少なくなるのだ

一枚の「写真」
 
作者の想いを読み取るには作者を知るところから始めなくてはならないように思いますが 単に楽しめる「写真」もまたよきかなとも思います


2014年3月 1日 (土)

2014-2-28 「良心」「良識」

あっという間に3月ですね
1月→いく
2月→にげる
3月→さる
と言いますね
大したこともしていないのに 日々が何となく過ぎていくようなこの頃ですが あれもしたいし
これもしたいと 思うことだけはたくさんありすぎます

今夜 クローズアップ現代で ネットでの人権侵害を取り上げていました
デビさんが告訴されていると
がせねたの人違い 確認不足情報を転載されたらしいですね
知名度からアクセス数がけた違いに多くて 責任は無名の人とは比較にならないということのようですが 無名だから 負けときますということも理不尽です

全く無縁なことであるにも関わらず いじめの加害者の親と指摘されて 特定の個人攻撃の対象にされたお方が「死ね」とか「役職を降りろ」とかの暴言で 苦悩されておられる状況を見ますと 他人事とは思えない おつらさを容易にとは言えなくとも 拝察します

「いじめ」を糾弾するつもりの人々によって新たな「いじめ」に自らが積極的に加担していることに気が付かないことはないでしょうが もしも それらの行為が「正義」のつもりなら ブラックユーモア―にもなりません 
匿名だからできることなのか?
その人々の心の内は 暗黒なのでしょうか?

安易な転載には 私自身がうんざりしている一人ですが 

お気楽すぎる転載マニアは 間違いを指摘されても 「訂正」「謝罪」ともにできない人がほとんどだと感じます

先日のhttp://S-ma.cocolog-nifty.com/で取り上げました週刊誌の転載も然りです
 http://S-ma.cocolog-nifty.com/ に 松田の携帯番号も掲載しましたが 一件の問合もありません
実名を要求したからでしょうが 匿名でしか言えない卑怯な輩はなくなりませんね

知人が 心配してくださってお電話をいただきましたが 本当は 「死ね」「殺処分」してやるなどと低俗な言葉が飛んでくることをある意味では待っていたのです
せっかくの機会ですから きちんと録音して 当局に届ける用意をしていましたが 対する人々もさる者のようです

他に対しては平気で「死ね」と言える 心理状態がとてもお気の毒に感じますが 動物に対してのみ思いやれるのか 人に対しては思い遣ることができないほどに辛い経験をされたのか?

 

だから労わって許しますよ ということにはならない


社会人として 社会の基本的な礼儀や ルールは守らなければ 「信頼」も「やすらぎ」も無い社会となってしまうでしょう

真実であっても 取扱いとか表現の仕方で 受ける印象は白黒が逆転することもあります
活字や言葉で生計を立てている人々にお願いしたい
真実の伝え方にも 悪意を以て してはならない
淡々と真実のみを伝えてほしい


社会の中で起こる事象は 考え方や見方が変わると 全く違うものにも変化してしまうこともあります
価値観の差異を埋めるものは 「良識」であり「良心」と思うのです

辞書によると
「良識」
社会人としての健全な判断力

 

「良心」
何が善であり悪であるかを知らせ、善を命じ悪を退ける個人の道徳意識

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