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2014年1月

2014年1月31日 (金)

2014-1-30 今の気持ち

涙 涙 涙

だれのために流す?

涙 涙 涙

あなたのために流すの

涙 涙 涙

止めなくていい

すべて洗い流せばいい

涙 涙 涙

胸の奥にしまわないで

すべて洗い流せばいい

「あなた」の涙が清いことは私が知っている

他の誰かもきっと知っている

涙 涙 涙

止めなくていい

すべて洗い流せばいい

2014年1月29日 (水)

今の気持ち

あの時は あの時

今日は 今日

今の前はみんな過去

でも 過去があるから今がある

昨日は今日のためにある

今日は明日のためにある

明日のことも その次の日のことも誰も知らない

明日のことは知らなくてもいい 

あると思って 明日からのために今日努力するのだ

だれのためでもない

自分と 大切な人や動物のために努力するのだ

今日辛くても 明日になれば 今日は過去になるさ

忘れることもいいし 覚えておくこともいい

それで誰かが傷つかなければ

忘れることもいいし 覚えておくこともいい

今日辛くても 明日になれば 今日は過去になるさ

2014-1-28優しすぎるお方Ⅱ

2014-1-27に書き込みました このお方のブログの写真 見ていると私でさえもつらいですね

行政機関であればもうとっくに苦痛からは解放されているでしょうに 

ずる剥けの臀部が痛々しく 
他の犬猫たちもこのお方の 優しいお心の故に 
何もわからずに生かされていることは 私には哀れに感じます

この人が これらの動物たちの 幼少期からの はじめからの飼主様であれば それも当然なのかもしれませんが 他人が飼育されていた動物にそこまで介在することには 元の飼主様のご意向もうかがうこともあっていいかと思いますがね

私が 万一にも万事休すの状況で 開業の動物病院で致死処分を断られて行政機関に頼ったのに 知らないところでこのように引き取られ 苦痛を長引かしているのだと知れば とても悲しく感じるでしょうね 

助けていただいているとは感じられないと 
苦痛から解放してやりたいと思うでしょう


行政機関もそのことは「本の飼主様」に伝えることはないでしょうが 私の中ではもやもやが晴れませんね

むろんそうされて喜ばれる飼主様もおられるでしょうが 意志の確認と言うことでは疑義が生じます


所有権は引き取りに際して 行政機関に移されていますから 行政機関の所有する動物ではあります

引き取る際にはそのような説明はされていないと思いますので その点でこれらの傷病動物の再譲渡に歯止めがあってもよいと思います

「助けたい命」は皆同様に大切にしたいのですが 

民間に収容されている例や 

遺棄されている傷病動物があふれているのが現状です


行政機関に収容されている動物が現状社会で残された唯一の動物たちであるのに それでも行政機関が致死処分をされるというのであれば 私であっても抗議もしますし 万難を排しても引き取られるように尽力するでしょう

もう少し現実を見て 【自己愛型動物愛護-S,Ma】におぼれることなく 活動をされますことを願います

戦争を知らない世代が 本当のやさしさの意味を取り違えることはよくあることのように感じます

本当は その日の食事にも事欠いて亡くなられる方々のことを思うと 動物にこれほどの費用をかけることに 大きな矛盾を感じます

しかし 対人福祉は曲がりなりにも法律があります


動物には 「あいご」という得体のしれないものしかない 
と私は感じて 「動物福祉」の向上を目途にしました


基本的には 人と動物とは違う ということを 大切にしたいのです

違うがゆえに 動物が得ている権利もあります


「安楽死処置」
(安楽殺処置)

これもその一つです


私は 動物であるから当然と思うのではなく 尊厳をなくして生きることは つらいと感じる我が身のことを重ねています

人にも 欲すれば 「安楽死処置」(安楽殺処置)を認めていただきたい

若い世代の 大切な費用を 最小限に使わせていただくことは生きることには仕方がありませんが 
莫大な費用を使うとなれば 私にはつらいことです

高齢者介護でいただいています 高額な国家支援にも感謝の気持ちで一杯でございますが つらさも感じます


是非にも生きたいというお方には どうか十二分にして差し上げていただきたいです


異論は多いことは承知ですが 一個人の意見として受け止めていただければ幸です

                               文責 松田早苗

2014年1月28日 (火)

2014-1-26 なぜだ!!

なぜだ!!

なぜだ!!

なぜこんな世の中になってしまった?

世の中変です

変になっていることにきづかないで

平気で誰かを傷つけている

「私は正義の使者」と言いつつ

自分以外の誰かを傷つけている

名指しで傷つけて気持ちがいいですか?

そうであればお医者さまに相談なさいよ

あなた自身の心が傷ついているのかもしれないから

世の中変です

平気で誰かを傷つけている そんな人を褒める人もいる

世の中変です

2014-1-27 優しすぎるお方

先ほどまで「あるお方」のブログ 拝見していました

優しすぎるのでしょうね このお方

ご自分では引き取れないからと書いておられる(手元は満員?) 


引き取り申し出の人は無しのつぶてだとか---
多くの行政機関引き取りのケースと同じ手口で
「あと 00日の命です」と 

行政機関だって いろいろですが 近年はいい加減な扱いをしている個人や団体よりも しっかりとした扱いのところが増えていますよ

このお方が引き取りをしようとされているところは 「動物福祉」にも関心が深く 担当者はしっかりとされていましたよ


「7歳で人を警戒する犬」を 遠方に 空輸しますと書いておられる

遠方での飼主様のフォローはどうされるのでしようね

そして どこの地域にも有り余る数の犬がいるでしょうね

忙しすぎるのも考え物ですね
宮島の鹿にも思いを寄せておられて 現地に行かれているご様子
ここまで何もかも哀れに思うと お辛いでしょうね

このお方も 他の団体や個人と同じような 

ごたぶんにもれず収支報告はおおざっぱですね


不正をされるタイプのようではないのでしょうが 人様のお金を使わせていただくには それなりに「忙しい」という言い訳はしてほしくない


行政機関からの引き取りに歯止めがきかないご様子
巷では溢れるほどの 動物たちが飼主を求めていますのにね
なぜ行政機関だけが気になるのでしょうね
殺処分されるからでしょうが 

生死も不明な状況に無関心でいられる心境が私にはどうしてもわからない 


それは私には「やさしさ」とは感じられない

【自己愛型動物愛護-S,Ma】ご自分の心さえ安らげばいいのでしょうね

私なら 引き取りの余裕があれば 個人か団体から引き取りますね

今は 高齢者でもありますし 動物に対する飼主としての責任を背負わなくてもよくなって 本当に心が安らいでいます

災害時にも高齢者では我が身が人様のお世話になるかもしれませんからね

予測できる避難困難者となるでしょうから 動物までもお世話をおかけすることは控えたいのです

無論 若くて元気であれば 災害を想定しても「飼主」となることは問題ないと思いますが 多頭数飼育はいけませんね


年齢に関係なく 非常時に備えてセーブできる 心の余裕がなければ 

不測の事態に対応できないでしょうね


私は 今は 人様のかわいがられている動物たちに時折触れさせていただくことに満足していますね

【過ぎたるは及ばざるがごとし】 名言ですね

多頭数飼育やめましょうね


2014年1月26日 (日)

2014-1-26 大好きな大切な人へ

ぶっちん
ぱっちん

ぶっつり

ぽっきり

みんな切れた みんな折れてしまった

大切なものもみんな切れて 折れてしまった

みんな切れて折れてしまうとすっきりとした

でも 大切なものでも もう一度作ればいい

だれにも 知られなくても 心が伝わる人はきっといる
今日嘆きの淵に沈みこんでいる「あなた」へ

私は感謝とともにお礼を述べたい

昨日まで あんなに努力してくださった「あなた」へ

私は感謝とともにお礼を述べたい

明日からはほんの少しでいいから微笑んでほしい
無理かもしれないが ほんの少しでいいから微笑んでほしい

だれにも 知られなくても 心が伝わる人はきっといる

2013761

2014年1月25日 (土)

2014-1-24-法改悪と「一部の政治家」

現場を知らない「一部の政治家」様たちは「ノーキル議員団」まで組んで 「ノーキル」を叫ばれましたことは 私は有権者として許さない

ははは たった一人許さなくても何にも感じられませんよね
 優しい「ノーキル」信者さんがたくさんでしたね

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弁護士さんがリツイートされていますね

今一生

@conisshow

子どもや無学な人、動植物や環境などは、誰かに苦しめられていても、それを公に訴える手段がない。誰にも気づかれないまま、延々と虐げられる。それに気づいた人から、声なき声を拾い、より多くの人に届けてほしい。気づけば、救われる苦しみはあるのだから。

誰にも気づかれないまま、延々と虐げられる。

そのような動物がたくさんいる社会を作っている原因は何でしょうかね?
だれでも簡単に動物飼育ができるからではないですか?
「適正譲渡」を進めると譲渡頭数少ないですからね

【子供や「無学」な人】 この表現でいいのでしょうかね?

学のおありの方々は行政機関での引き取り拒否を薦めておられるますね



その結果誰にも気づかれないまま、延々と虐げられる。】状況があるように感じますね

2014年1月24日 (金)

2014-1-23 譲渡犬「メリー」永眠

今朝 2005/8/4に成犬譲渡をした「メリー」の飼主様からお電話を頂きました

早朝に安らかに永眠しましたとのこと

よくぞお知らせくださったと心から感謝いたします
 
管理センターの電話番号の控えはなかったが 松田の電話番号は大切にしてくださっていたとのこと
 
有難いことです

中の大と言う体格で 少しお転婆さんでしたが 高齢者ホームの慰問にも活躍していたかわいい犬でした

市動管Cに長く止めるのはよくないからと言うことで モデル犬としての役目を解いて 郊外の大きなお家にお迎えしていただきました

CCクロ』がまだ組織として固まってはいないころの 多頭数飼育管理をしていた頃でした

当時は今と違い収容犬の多くが MIXで中~大の犬もたくさんいました

来る日も々 忙しかった 
 
今のように設備が整っていなかったころで 掃除にも手間がかかり収容場所の確保にも苦心惨憺の日々でした 

数々の想い出を振り返り感無量の思いです

不適正飼育の結果もてあまされて収容された犬たちが多く 彼らのしつけからやり直したものでした
 
蚤 ダニ 寄生虫 フィラリアもほとんどの犬が陽性でした 
 
犬種がわからないほどの毛塊も 珍しいことではなかった
 
バリカンが使えなくて 鋏で少しずつ刈り込んで 2時間も要することも多々ありました

だからこそ 「適正譲渡」の基本つくりに精魂を傾けたのです

現在の神戸市本庁の担当者も当時のことはほとんどご存じではないでしょうし 上層部も一変されていますから「生みの苦しみ」は憶測程度に過ぎないのでしょう
 
だから 不適正譲渡に妥協してしまわれるのではないかと思うのです

引退した私がこのように申し上げるのは差し出がましいのかもしれませんが 現役であれば本庁との摩擦は避けなければならない
 
そして 何よりも現場の現役の方々が 不適正譲渡でも それでよいと思われていれれば 私はこのような書き込みをすることもありません

しかし 現場の若い方々は熱心に【一匹でも多く適性譲渡で救いたい-S,Ma】と思っておられることがよく伝わるのです
 
【自己愛型動物愛護-S,Ma
 
ご自分の偏ったお考えで 強引な引き出しに精を出されるお方に申し上げたい
 
今もっとも大切な「動物福祉」への基盤つくりに
 
「適正譲渡」は欠かせないのです
 
社会の中で本当に動物を共生動物として 認めて大切に思ってくださる国民を増やすためには 「適正譲渡」しかないことを悟ってください
 
この人を支援される方々にも お願いいたします
 
目先にとらわれることなく 将来「動物福祉」を誇りに思える国家にするために 正しい知識を得て 尽力してください
 
その時こそ 致死処分される動物たちの頭数は減数することでしよう
 

 
私たちが 法改正に望んだことは単に「殺処分ゼロ」「ノーキル」ではなかった
 

 
無知 無謀な虐待による「殺し」をなくしたかった

だから 罰則の強化も訴えた

にも拘わらず 一部の現場を知らない「法律家」や「メディア関係者」「動物あいご関係者」により 

動物の最後の救いとなるべき「安楽死処置」(安楽殺処置)の手段さえもその余地を残さないで それを奪う方向に向けられてしまったのです
 
次第に方向はずれて行き あらゆる致死処分を否定され 獣医師の判断さえも入る余地を奪っている方向に向けられてしまったのです
 
動物のための救いは「安楽死処置」(安楽殺処置)に頼らなければならないのが 現状です

ご自分がつらいから避けて通るのではなく 本当に動物の救いのためには少なくとも「今」は必要だと認識していただきたい
 
過繁殖規制 適正飼育管理の徹底が実現するとき 重病による「安楽死処置」(安楽殺処置)以外には必要がなくなるでしょう

その時が来ることを 賢明な次世代の方々にゆだねたいのです
 
よろしくお願いいたします

2014年1月23日 (木)

2014-1-22 「神戸市動管C依存症」 検索結果

この日は予定変更で在宅することになり 「松田は神戸市動管Cに精神的に依存している」について検索してみた

ブログ主は やはり予想通りに思い込みの激しい人物像が浮き彫りとなっていた

事実確認を怠り 自己本位の解釈で「悪意」を顕にする印象を持つ

このように書かれたことは この人を知ることに役立ったと感じる
 


行政機関や他の団体 個人に対しての攻撃は激しくされているが ご自分の思い込みで「悪」と決めつけたら名指しで攻撃しないではおれないタイプのお方のようだ

私は原則として引用する実例には個人名は挙げない
 
私の考えでは個人名で引用しなくても 広く一般にこのような事実があるが それに対しての考え方には多種多様にあることを知っていただくことに重点を置いているからであり よほどのことがなければ個人を名指しする必要を認めない

無論よほどのことがあれば 過去にも個人名を明らかにして反省を求めてきた

しかし それらの人々には全くと言っていい程度に

反省も謝罪の「心」もなかった


その程度の社会性と 身勝手な人々が横行している「動物あいご」の活動が

「動物福祉」へと進展するのは難しいとつくづく感じる


神戸市動物管理センターでは「松田はほとんど来ていないといっているが やはり来ていた」と
 
だから 「神戸市動物管理センターに精神的に依存している」と断定するとは粗忽で悪意の大好きなお人だ

私は昨年の10/22 動物慰霊祭に参加したが 以後は 1/17に阪神・淡路大震災の犠牲者にささげられた恒例の「忠ちゃんの花束」を届けに行ったのであり 当日偶々松田の姿を見たから神戸市動物管理センターは松田を庇って「来ていない」といったが 「やっぱり来ていたのだ」とこじつけたかったらしい

さほどに気になるなら 当人が目前にいるのだから端的に確かめればよかったのだ
 

 
元関係者であったが今は一般市民であり たとえ善意のお花を届けに来たのであっても 必ず所長の許可を得て献花をしている
 
それが礼儀だと思うからであり 所長にお会いできるまでかなりの時間を待たせていただいていた

たぶん その人がブログに書いているように 次なる不適正譲渡(S,Ma-これはあくまでも松田の感じ方であり行政職員の言葉としては一切聞いていないので念のために)の引取の交渉を受けておられたのであろう

目前の状況から判断して 想像だけで断定することは大きな過ちを招くことに

つながる


飼主等の調査に際しての判断においても 事実の確認はもっとも大切な注意を

すべきことであり 場合によっては人権の侵害となることもありうる

 

 
だれでも好き嫌いはあるが「想像で物事を評価して悦に入る」のは社会的に成長されていない証かと感じる

【意見は違って当たり前 他人の意見の尊重も忘れずに-S,Ma
 
この人には 意見の違いは即敵であり 攻撃の対象なのだろう

ペット店から動物を買うなと言うことは私も同感ではあるが 

私は矛盾に悩むこともある


ペット店に生態展示規制がない今の状況では 当然生態は販売目的に保管されている   売れなければ 闇の中で処理されることも想定できる

それらの動物も「動物」

行政機関や民間で扱う動物と何ら変わりはなく 宿命的にペット店で商品として仕入れられて生かされることになったのだ
 
ペット店の動物にはかまってはいられないが行政機関の動物には好き放題の難癖をつけてでも「引き取り」をしなくてはならないという考え方には賛同はできない

余剰とされる動物がいる現状では ある一定の譲渡に尽力され 法的に致死処分

ができる行政機関に保管された動物たちの引き取りよりも 闇に処理されること

を懸念して 確認不明の処理を防ぐためには 業者や一部の愛護活動家 または 

不心得な飼主の手の中にいる動物の扱い方の追及にもっとも時間を割くことが

真の「正義」ではないだろうか
?

 

行政機関で引き取られなくなった高齢や病気の動物がその後の余生をどのように過ごすのか 愛護の人々には「無関心」になれることなのか?


 
引き取りをしている団体で 手元に高齢と病気の動物が貯まって行き 譲渡先がないと嘆いている実情があることからも それらへの協力を優先されることが
ネグレクトの防止となると感じるが 

生きてさえいればよいか 知らないところへ遺棄されることは

仕方がないとの考え方なのであろうか
?

 
この人の意のままになる行政機関は褒めるが 信念を以て「動物福祉」の向上に努力される行政機関には嫌がらせに近い行為で責める手法のように感じる

京都府民となられたのであれば 京都の行政改革を一から尽力されて 

他人が心身を賭して 経費をかけて改革をして築きあげた「適正譲渡」の仕組み

をつぶさないでいただきたい

 

 
「犬と猫と人間と」がお気に入りの「映画」らしいが ならば当時どれだけ『CCクロ』関係者が努力して今日を築いたかはご存知だと思うが 「安楽死処置」(安楽殺処置)を認めていることに反発しているのであろうか?

この人は他の動物あいご団体が金儲けに走っているとこき下ろしているが 他の一般社会から見ればこの人もまた一愛護団体なのだということを自覚されていないのであろうか?

悪行ともいえる動物愛護活動には辟易することもあり この人の言うことにも一部はもっともだと思う点はあるが この人がどれだけ正直であるのかも他からはよくは見えない部分もある

自らの収支報告は大まかであり 公開されたページには動物の保管日数や頭数の

記載がないように思うが 他への批判を厳しくされるのであれば 

自らも姿勢を正すべきだ

 

 
「寄らば切るぞ」「自分のすることはすべて正義だが他のすることは怪しからん」では されていることが「よいこと」のおつもりであっても疑義はもたれることもあろう

自らの多頭数飼育が正当化されていることにも 支援があることに自信過剰となって 目先の活動におぼれているように感じるのだ

実のお母様とも 意見の相違からか対立されて転居になったと公開ブログに述べておられる
 
察するにお母様は 多頭数飼育を正そうとなさったのかな?
余計な詮索ではありますが 普通の感覚ではシェルター形式でなければ 多頭数飼育は反対されることが普通でしょう

この人は 「動物福祉」は棚上げなのだと感じるし 

動物には思いやりを示せても 

動物に親しめない人々と 人間に親しめない動物たちに対する思いやりは

ないのであろうと思う


「メンタルケア心理士」と記載されているが 「ケア」という言葉が何を意味するのか聞きたいと感じる

 
動物に優しい行政機関の判断も 

見方が変われば評価も変わることを
知っていただきたい

改変(改正とは思えない)後の法律第105号は 日本国の動物福祉の崩壊への序奏のように感じている

 2014/1/22 文責 松田早苗

2014年1月22日 (水)

2014-1-21 善意の無い人の善行は可能か?

久しぶりの友から電話を頂いた
「松田さん 市動管C依存症だと書かれているよ」と
書いた人が誰なのかは想像の範囲ではあるが分かる
当該ブログを確かめればよいが 時間的にまだ確認はしていない
さほどの関心もないからでもある

ご覧になられたそのお方から聞くところでは 行政機関関係者から ボランティア等すべて実名での誹謗か?批判か?
その程度の常識のお方ならば 書きたいだけお書きなさいと言いたい
反論をしたところで空しいだけと思うが 当該「引き取り依存症」への支援者各位には実情を知っていただくことも必要なのかもしれない

社会的に誠実に行動をされているのか? 常識の域を逸脱して活動をされているのか? 【自己愛型動物愛護-S,Ma】なのか?
 
判断もいろいろだから それもまた空しいことなのかもしれないが 引き取った動物の保管施設の見学をお願いしてみようかな----  
本当に5フリーダム(5項目の自由)に基づいた保管管理であれば このページでも賛美して差し上げたいが 視察見学の許可は出されることはないと感じる 

せめて支援をされる方々が ご自分で確かめてご納得の上で支援されるのであれば 思想の自由ですから止めることはできないでしょうが 公開されたページの文字だけを見て「いいことしている」と思い込まれることは 結果的に「善くないことをしている」につながり 社会のゆがみを容認してしまうことになると案ずるのです

たとえば
http://hdp-genkoku.net/
に公開されている事実を知らない?人々が今も当該主犯者の熱烈な支援に回っている 
それが普通の社会の出来事でもあり すべてを知ることは困難ではあるが 知りつつも事実を否定する人がいることも 悲しいことだがある
私が折に触れて【よくないことは良くない】と言っている芸能人はこの人の支援者であったからだ
現在も支援が進行形なのかはわからないが 公開しての謝罪をされたという情報には接していない

何事も国民個人々が賢くなる意外に 社会を住みよくする手段は無いように感じる

2014年1月20日 (月)

2014-1-18「いいね」の真意は ブログ原稿


「ノーキル」をうたわれているフェイスブック等での「いいね」 は時には数千人という単位です

それを批判するつもりは毛頭ありませんが 「いいね」の数だけ動物の引き取り手があれば 目標とされる「ノーキル」の達成は可能でしょう

しかし 「いいね」は誰にでもできますが 動物を引き取るとなれば大変です

満身創痍と言った動物たちもたくさん「救うため」に努力されていることは立派なことですが 「いいね」をしたことで 救えるものでもなく そのような動物が巷に数えきれない数でいることの根源を考えられたことがおありなのかと問いたくなります

遺棄放棄 虐待 ネグレクトの 大きな原因に「不適正譲渡」があります

とにかく 譲渡することで殺処分を回避できたという安易な譲渡(販売を含む)がその後の問題の発生源となっていると 長い活動の経験を通して感じています

飼主様を選ぶことと 飼主様に終生愛されて 確実に動物福祉の要件を満たされた環境を保障することは 動物とのマッチングとともに 人と動物と周辺社会

3者にとっても大切なことなのです

過繁殖が容認されたままの社会で「ノーキル」を叫ぶことのリスクは そのまま動物たちに押し付けられているのです

ある 引き取りをされている愛護団体の NPO としての公的な報告書に 引き取り頭数の減数を念じて活動をしているが 現実には数が減らないと 書かれています

今もっとも大切なことは 「適正譲渡」と 5フリーダム(5項目の自由)に適合する「適正管理」です

これらの要件を満たした基本姿勢を保っている 行政機関 業者 愛護団体は極々少数に過ぎないでしょう

あなたも私も知らないところで 密かに苦しみに耐えさせられて生涯を終えている動物たちのことを 「いいね」をされる方々も 「いいね」を受ける方々も共に

今一度真剣に考えてみてください

2014-1-19シェア+コメント


Fさん

松田様
いつも投稿楽しみに読ませて頂いています。
とても勉強になります。活動を初めて5年になりますが、松田様との出逢いで私の意識が変わりました。
私も全国の行政が掲げている゛殺処分ゼロを目指して゛この言葉に違和感を感じます。
殺すな~の声があがる為、処分の数だけを意識して間違った方向に向かってる気がしてなりません。
無差別譲渡をする事で生きて地獄を見る子達が増えます。
譲渡の窓口を広げるのでは無く、根元を立たないと悲しい命を作る結果になると感じます。

Tさん
全く同感です。見せかけの処分数削減の陰でどれだけの動物達が苦痛にあえいでいるか・・・。この流れを作り出したのが、他ならぬ動物愛護団体だと思うと、無力な自分を含めて情けなさでいっぱいです。

Tさん  シェアさせて頂きます。

Mさん  私も本当にそう思います!

Yさん

私も松田様のお考えと同感でございます。シェアさせていただきます。

Fさん  シェアさせていただきました。

阪神大震災から19年。その時代を乗り切った方々の思い、メッセージを確実に受けとめ、平穏な暮らしのなかから、自らの初心忘れることなく積み重ねていきたい・・・・

Iさん

誰もお世話が出来なくなってしまった(咬む等)の犬を

知ってか知らずかある行政機関がノーキル主義のボラさんに譲渡?し

そのボラさんは、今世間が騒いでいる多頭飼育者の所へその犬を委ねました。

(直接見聞きしてはいませんが、そうだろう、と私は思っています)

救うために移動したはずの動物が苦しみを背負い地獄から地獄へ。

決して珍しいことではないと思っています。

ノーキルについてもちろんそうなれば理想ですが

そこを目指す以前の問題が山積みすぎて口を揃えてノーキルとは言えない、と

思っています。

 

2014年1月17日 (金)

19年目の忠ちゃんの花束

19年目の忠ちゃんの花束

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19年目の忠ちゃんの花束

 

今年もこの日を迎え 恒例となっています「忠ちゃんの花束」が東京から届きました

19年間欠かさず届いています


 
彼は阪神・淡路大震災当時未成年でやってきました

活動の終わり頃に成人となった忠ちゃんも 今は立派な花の中年ですが 私の思い出の中では

今もあの頃の若き日の忠ちゃんなのです 


本当は「忠ちゃん」とお呼びするのは失礼なのですが勘弁していただきましょう


 
当時の中心的役割を果たしたボランティアやスタッフも多くの方々が高齢者となりました

震災の実体験がない人々が多くなり 悲惨だったあの時を知る人が少なくなって行きます


 
資金も物資も人材も 何もなかった状況から 被災動物救護活動を何とかしようとして 

立ち上がれたのは 幸運であったと今も感じています

 

「兵庫県南部地震動物救援本部」として組織固めができたのは 

日常の個人と個人の信頼関係であったと思います

そして今 現在の『CCクロ』活動が 「官民協働」としての活動が維持できるのは 相互に話し合い 

譲り合うことをしているからであり  可能な範囲を心得ていることであると思っています


昨今 神戸市動物管理センターの保管動物の引き出しに躍起になっている人々については 

とても低俗に感じます

(S,Ma-この表現は松田早苗個人の見解ですから ご意見は当のブログに寄せてください)


例えるなら

原野を開拓した=

殺処分目的に建設された施設に 譲渡対象動物の保管場所を作る工夫をして 

努力してきた

開拓者の苦労を知らないで 漸く実った作物=「適正譲渡」を

因縁をつけて持ち去る=不適正譲渡の強要が あたかも意義あることのようにこじつけて 

市民の権利のような錯覚のもとに引取をする
こと

近年の農家を襲う収穫期の作物の持ち去りにも似ていると感じるのです

科学的にも指摘をされていますように 近い将来に大災害が発生する危険性は よく論じられています

災害時対策としても 危険とされる動物の一般譲渡は行政機関としてはして

はならないと感じています


国家と 議員各位 法律家の皆様 動物愛護の団体の方々に問いたいので



動物を好まない人たちについては 「動物愛護のためにはすべて

我慢しなさいと」 言い切られるおつもりなのでしょうか?


咬傷事故が起こる危険性を知りつつ 乞われるままに譲渡を許している 

その点では動物が好きか嫌いかのレベルではない  動物福祉と 市民に対しての日常の安全と 

動物による不快感を与えてはならないというお考えに 神戸市の本庁サイドではかけていると感じます

その不適正譲渡を無策に裁断され 現場に指示をされているであろうと拝察していますが このことに大いなる疑問を感じています

行政機関としての 無差別譲渡で 一部の市民の不当な申し出について 安易な解決をされていませんかと問いたいのです

私は『CCクロ』の責任者を務めていた時期 子供連れで来られていた 見学者の幼い子供さんに 

展示していた犬が飛びつき目の下に軽度ながら歯が当たり裂傷を負わせたことがありました

その時の 市民の方の怒りは今も忘れられません


行政機関だから 安全を徹底されなければならない 私も官民協働の一方の責任者として ひたすらお詫

びをいたしました

当時 ボランティア側からも 「保護者の管理責任」という 意見が出ましたが 私は安全対策に抜かりが

あったと感じて お詫びの心を伝え 即座に医療機関へ電話をして 急患の受け入れをお願いし 同行し

診療中には他の子供さんのお守りをさせていただき 当日の診療費と駐車費用を自己負担させていただ

きました

治療に当たられた医師は 当然ながら 眼の下という 微妙な個所でもあり 予後についても 聞いていて

も「厳しい」と感じるほどの説明をされていました

その際に 保護者の方は 「受け取りません 受け取ると万一予後が悪くなったときに 訴訟も考えているので」と言われました

私は 「この費用負担は 私の個人としての気持ちであり 万一訴訟をされた場合にも 一切関係なく お

見舞いとしてお受け取りください」と申し上げて受け取っていただきました

行政機関であるという 感覚から 厳しく迫られたのだと感じました


その後 経過をお電話でお伺いして 誠意を尽くすことに努力をしました

幸いにも順調に治癒に向かい事なきを得ましたが 

あの子供さんに「犬は怖い」という感覚を与えてしまったであろう

申し訳なさに反省の気持ちと共に以後の保管管理には一層の厳しさを 神戸市動物管理センターにも

要請いたしました

あの時の適正保管管理に 私自身が 周囲に折れて 妥協をしたことへの後悔の気持ちは忘れられない

ものとなりました

今後 神戸市動物管理センターから 


ある種の危険性を予知しながらも譲渡された動物による 不幸な事故が発生したとき 

引取をした団体か個人の責任だと言い切るおつもりなのでしょうか?

人による危害等もあって 動物は常にある種の危険性は必ずあるとも言えますが 『CCクロ』においては 

普通には譲渡対象とされた動物は 適正審査を受けさせていますから よほどのことがない限りは安全と

いえると思っています

そのための適正譲渡なのですから


その対象外に 不敵正譲渡をされることがあるのであれば 「無念」と叫びたい 

ボランティア組織としての体裁が整わなかった時期に 保管室の鍵だけを預かっていた頃には365日働い

た日々もあった 

休日に一人で掃除をして 子犬の世話をしていたこともありました

やり始めたからにはやり遂げたいと思う気持ちで辛いと思ったことはなかったし 掃除もされず 

給餌 給水もされなかった 劣悪処遇の過去を知っているだけに それができることの方が喜びでもありま

した

 


阪神・淡路大震災 被災動物救護活動にご支援くださった全ての方々に 今も心から感謝しております

あの過酷だった日々を思い返して 世界の人々に助けられましたことは忘れられない感謝の気持ちでいっぱいです


 
その御恩を忘れないために「兵庫県動物愛護管理推進協議会」と神戸市動物管理センター譲渡事業支援ボランティアグループ「()日本動物福祉協会 CCクロ」の任意のメンバーが 「東日本大震災」発災依頼ほぼ毎月街頭に立ち昨年からは「福島県動物救護本部」支援募金を続けさせていただいています


 
もはや過去のこととして人々の関心は薄れているように感じますが 災害はいつ襲うかもしれません

災害時に備えて 社会の安心安全と 動物の適正な管理は深くかかわっています

今こそ 動物が社会の中で嫌われたり恐れられたりする対象としない

ためにも 【適性譲渡】について 動物愛好家が社会責任として心得

なければならないことと訴えます

 
適性譲渡とは「安心」「安全」が基本であり 社会に送り出す動物が「不安」「忍耐の強要」

「偏共生」とならない配慮が必要であります


「兵庫県動物愛護管理推進協議会」関係各位と『CCクロ』の若い方々にご理解を得て 

「福島県動物救護本部」支援募金活動が続けられますことに感謝の気持ちで一杯でございます 

 
同時に 全国的にも類を見ないと思いますが 官民協働でこの活動が続けられましたことに誇りを

持っています


親しいお方を偲ばれる方々にはお辛いこの日でありましょう       


人にも動物にも平安な日々が訪れますように また 「東日本大震災」の被災者の方々にも 

お見舞いと共に 国を挙げて復興促進がなされますように祈ります


 
犠牲となられました全ての御霊のご冥福をお祈りいたします  


 
2014/1/17 松田早苗 (元兵庫県南部地震動物救援本部 副本部長)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2014年1月14日 (火)

2014-1-14 一流にはなれなくても


偶然に観たTV対談でそのまま見惚れていました

俳優・岡田准一さんと バイオリンニストの五嶋龍さん

お二方ともに現在の地位を築かれるにはたゆまないご努力があったのですね

単にハンサムな俳優と言うだけではない 方やストラデバリの選ばれた奏者と言うだけではない

武道にも長けておられて日々の精進に感心していました

一流になるには一流の努力がいるということなのでしょうね

動物に関わってお出会いさせていただけた 故 相馬雪香先生はすべてに超一流でしたが 威張るような態度を示されたところを拝見したことはありませんでした

もっとも 私ごときは本の少しの御目文字でしたが それでも いつも「あなたのしていることは間違っていないから 自信を持ちなさい」と言ってくださった

 

社会的に叩かれ続けていた時にも先生のお力添えがあったから 当時の団体としてのシェルター維持も 個人としての一時保管シェルターにおいても「適性譲渡+適正管理+安楽死処置」を実行できたと 今も感謝しています

出会う方から受ける影響は大きく 故 R・ゲインさん 故 グラシアニさんと 故 ボムホォード先生 故 長英男先生から頂いた「動物福祉」の基本理念は私の大切な経験であり 財産です

後世に伝える努力はしたつもりではありますが 世の中は「刹那的動物あいご」でまっしぐら 真剣になればなるほどにくたびれ果てますね

国家としての「動物福祉の基本理念」は 今や安価で安易な「引き取り拒否」「無差別譲渡」でごまかされそうになっています

「動物福祉の一流国」となることはあきらめたかのようですね

まだ々口だけは死ねないです

一流にはなれなくても 無駄な抵抗かも知れませんが 努力はしなければと思うのです

【私がしなければならぬことが何であるかを決める人間は世界中にただひとり この私自身だ】

オーソンウエルズ監督「市民ケーン」より

2014年1月12日 (日)

2014-1-12 誠実さ

自動車任意保険の自動引き落としが12月同額で2回引き落とされていた

年明けに電話で問合たところ「取り過ぎた分の訂正で 返還しないといけないのです」と 

それなら 利用者からの問合前に謝罪と説明をするべきでしょう

それでなくても保険料金が高いのに 自動車販売のセールスマンも弛んでいる

知りつつ ユーザーへの説明を怠っている

新車の購入時までは親切 丁寧そのものであったのに それだけに損得ずくであったのだと思うと余計に腹立たしい

思うに 「もうこの客は新車を購入する客ではない」と踏んでいるように感じると 電話口の保険屋さんの女性に告げたら 「はっきりと言う人好きです」だと

車のセールスマンはいまだに何も言わない

「セールスマンが 誠実さをなくしたらおしまいですよ」と言ったら「ほんとですね」と

「新車は買わないかもしれないが 紹介するということもあるでしょう こんな人には絶対紹介しないよ」と言いました

どのような仕事でも誠実さをなくしたらおしまいです

現役時代にも「時間厳守」「礼儀身嗜み」やかましく言っていたら「姑みたい」と言われていたとか

言っていた当人は遅刻 だらしない服装(時にはパジャマのパンツをスカートの下に履いていたこともあり) 嘘をつく の常習犯であったので 信用が持てなかったが その後「姑代理」の元から離れていった

長いお付き合いの友は待ち合わせると必ず早目に来られる

私も早目を心掛けているので 二人で会うと10-20分は 早く出会うことになる

信頼も深い良き友である

信頼は短期に築き上げられるものではない

日々の努力は大切だと感じる

宗教的には信じるものはないが 亡き父母に「残る余生を清く生きられますように見守り導いてください」と 自らへの戒めとして就寝時に祈っている

2014年1月11日 (土)

2014-1-11疲れの科学的計測

疲れの科学的計測が可能となったそうです
 

両手の人差し指を測定器具に差し込んで測定する方法と 唾液からの測定方法があるようです


「ヒトヘルペスウイルス」の唾液からの測定で 疲れの状況が割り出せるそうで 当人が意識している「疲れ具合」と 測定による判定には合致しないことがあるそうです


疲れの回復には 鳥の胸肉にもっとも多く含まれている「イミダペプチド」が効果があるそうです


鶏の胸肉はそっけないと思われますが 「塩麹」につけるとおいしくなりますね


みなさん 安くて披露回復に良い「鶏の胸肉」せっせといただきましょう


私は以前から「鶏の胸肉塩麹漬け」頂いていますよ


もっとも 現役当時ほどには疲れることも少なくなりましたけれどね


長距離運転は疲れますね

PCも 振り回されているようで 考え物だと思うこの頃です

2014年1月 8日 (水)

2014-1-7フェイスブックの匿名

フェイスブックの匿名はやはりおかしいですね

匿名を盾にして言いたい放題攻撃的な発信をする輩がいるようです

時にはご家族にもご迷惑が及ぶこともあるように聞きます

発言に責任をもって 意見としてならどのように激しくてもいいとは思いますが 意見をこえて 誹謗中傷となれば受ける側は困惑の限りでしょう

ネット倫理に訴えたとしても すでに書き込まれたことは訂正されたとしても 訂正を見ないままに誤認で終わる人もおられるでしょう

私はたとえネット上のことであっても お友達は大切にしたいと思いますが 若い方と話していた時 ネットではそんなに真剣なお付き合いはしないでいいから 「袖すりあうも多生の縁」程度に考えておけばと言われて そーなのかなーと

そうでなければ何百 何千人もの方とつながることはできないですね

こんな私は馬鹿正直ということでしょうかね??

それでも 可能な限り

【「誠実」に「真実」を語り「親切」であれ-Sma

でありたいと思います

至りませんが今後ともよろしくお願いいたします

2014-1-7 コメントへの返信

○さま コメントありがとうございました

そもそも 自分は思いつきのいわれなき攻撃をするのに 自分が受ける立場になれば「ハラスメント」と感じることが身勝手の証ですね

フェイスブックは実名が基本であれば 基本に徹して「公平」に扱う義務がありますね 
なぜこのようなあいまいなことを放置しているのでしょうか
?

利用者増員のため?


オタクの攻撃で嫌気がさされて そのためにフェイスブック閉じたお方もおられます

攻撃対象とはならない 正当な意見の交換もできない人々が 他人の意見は否定しかできない 

賛同はしなくてもよいが 単に意見が違うことを表明すればよいのに むじなの集まりに陥って得心しているように感じますね

特に「動物あいご」の人々に多く見受けられます 

残念ですが これが今日の動物福祉の向上を阻む要因にもなっていると感じています

2014-1-4賀状

2日から京都にいました  

神戸市内では GSのオート洗車はストップしていましたが 大阪府から京都間はほとんど通常の営業でした

トロトロ車で出発したので 京都に入って街道筋のGS200円の水洗をして さっぱりとしてから目的地へと向かいました

3日昼過ぎには大阪から京都に向かう1号線の車 渋滞ではなく停滞 

私たちは京都から大阪へ向かって走ったので順調でしたが 夕方には大阪から京都へはコースを替えて順調に走りました

京都で夕食をと「伊勢丹」に入ったものの何処も1-2時間待ちの行列です

地下で出来合いを買って帰宅して夕食 

3日夜神戸へ向けて171号線を走りました

有料高速が低速になっても料金は同じで う回路がなく 時間ばかりがかかるので 171号線の選択をしたのですが ほとんど渋滞もなく真夜中に帰宅  

片道約85km  昔とは違う疲れを感じました 気持ちは若いつもりでも 体はごまかせませんね

シャワーを浴びて 旅の洗濯物をハンガー干しにして 夜明け近くに就寝

賀状を頂いて返信が遅れていますがご勘弁をと願います

今年の賀状にはお二方から 来年からは廃止の宣言がありました

高齢で読み辛く 書き辛いとのこと よくわかります

長いお付き合いでしたから残念ですが時の流れということですね

今年は往年とは比較にならない程度の枚数なのですが やはり100枚は必要みたいです

60歳のときに以後季節のご挨拶は失礼させていただきます とは宣言させていただいたのですが その後にお出合いをさせていただいたお方もありまして 新たな賀状もいただきましたから 遅ればせながら返信を書いています

退職された行政獣医師の方々 阪神・淡路大震災救護活動以来季節便りを頂いています獣医師の先生方 当時のボランティアさんと それぞれに苦をともにした懐かしい思い出があります

 

動物の譲渡先のお方で 動物は他界していますのに律儀にお便りをくださる元飼主のお方 幼馴染のお方 職務のことで奮闘中のお方 数少ない信頼できる報道関係のお方と いろいろです

すべての方々に感謝の気持ちで一杯でございます

形式美のようではありますが 日本の習慣 季節のお便りもいいものではありますね

本年もどうぞよろしくお願いいたします 松田早苗

2014年1月 6日 (月)

2014-1-4 いろいろな賀状

2日から京都にいました  

神戸市内では GSのオート洗車はストップしていましたが 大阪府から京都間はほとんど通常の営業でした

トロトロ車で出発したので 京都に入って街道筋のGS200円の水洗をして さっぱりとしてから目的地へと向かいました

3日昼過ぎには大阪から京都に向かう1号線の車 渋滞ではなく停滞 

私たちは京都から大阪へ向かって走ったので順調でしたが 夕方には大阪から京都へはコースを替えて順調に走りました

京都で夕食をと「伊勢丹」に入ったものの何処も1-2時間待ちの行列です

地下で出来合いを買って帰宅して夕食 

3日夜神戸へ向けて171号線を走りました

有料高速が低速になっても料金は同じで う回路がなく 時間ばかりがかかるので 171号線の選択をしたのですが ほとんど渋滞もなく真夜中に帰宅  

片道約85km  昔とは違う疲れを感じました 
気持ちは若いつもりでも 体はごまかせませんね

シャワーを浴びて 旅の洗濯物をハンガー干しにして 夜明け近くに就寝

賀状を頂いて返信が遅れていますがご勘弁をと願います

今年の賀状にはお二方から 来年からは廃止の宣言がありました

高齢で読み辛く 書き辛いとのこと よくわかります

長いお付き合いでしたから残念ですが時の流れということですね

今年は往年とは比較にならない程度の枚数なのですが やはり100枚は必要みたいです


60
歳のときに「以後季節のご挨拶は失礼させていただきます」 とは宣言させていただいたのですが その後にお出合いをさせていただいたお方もありまして 新たな賀状もいただきましたから 遅ればせながら返信を書いています

退職された行政獣医師の方々 阪神・淡路大震災救護活動以来季節便りを頂いています獣医師の先生方 当時のボランティアさんと それぞれに苦をともにした懐かしい思い出があります

 

動物の譲渡先のお方で 動物は他界していますのに律儀にお便りをくださる元飼主のお方 幼馴染のお方 職務のことで奮闘中のお方と いろいろです


すべての方々に感謝の気持ちで一杯でございます


形式美のようではありますが 日本の習慣 季節のお便りもいいものではありますね


本年もどうぞよろしくお願いいたします 松田早苗

2013-12-31年納め

後5分 今年も無事終わらせていただきました

感謝の気持ちで一杯でございます

ただね ただね

言ってはいけないのでしょうが 年納めに言っておきます

兵庫県のアニマルポリス 美人の「げいのうじん」がかかわっていたことにこだわっている 
小さな自分がいます 

が正直な気持ちです

いいことをされたのでしょうが  かつてはよくないこともしていたのに謝罪はされたのかがひかかっています

【よくないことは良くない】

私の心の中では「善い人」には昇格できないのです

ご当人には そんなことは痛くも痒くもないでしょうが それを許している社会にもがっかりしています

こんな人間ですが 来年もよろしくお願いいたします

2014年1月 5日 (日)

賀状 2014

我正       2014 午年

2003年の年賀に大阪のペット店を糾弾していた頃に「我正」と書いたことがありました 
:相馬雪香先生に差し上げたところ 励ましのお言葉を添えてご丁寧なご返書を賜り 偉大なお方は名も無い者へも誠実に応えてくださるのだと感激いたしました 
今もシールして大切に手元に保存しています 

今 再び「我正」不適正譲渡 管理と申し上げたいです

2013/5/19 母を見送ったので 一般的には年賀はしないのですが 母は102歳という申し分のない天寿を全うさせて頂きましたから 寧ろおめでたいと思っています

常から型破りな生き方をしていますので この年も
ご寛容に宜しくお願いいたします 松田早苗

年末から新規の記事の更新ができなくて たまっているものを 掲載します
ご高覧いただければと存じます

2014年1月 1日 (水)

年が明けました

いつも皆様にはご声援いただき感謝の気持ちで一杯でございます

年末に頂いた山崎恵子さんの会報誌「互」にはとてもいいことが書いてありました
米国では 動物の終末医療に関心が高まっているようです
むろん「安楽死処置」(安楽殺処置)についての関心と理解も進んでいるようです

日本に生きる動物たちにも 正当な扱いがされることを願いつつ この年も言いにくいことは 私に与えられた役割と心得て言わせていただきます

言い過ぎた時にはご指摘ください
宜しくお願いいたします

すべての命あるものに平穏な日々が訪れますことを夢見つつ 祈りを捧げます

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