2014-1-22 「神戸市動管C依存症」 検索結果
この日は予定変更で在宅することになり 「松田は神戸市動管Cに精神的に依存している」について検索してみた
ブログ主は やはり予想通りに思い込みの激しい人物像が浮き彫りとなっていた
事実確認を怠り 自己本位の解釈で「悪意」を顕にする印象を持つ
このように書かれたことは この人を知ることに役立ったと感じる
行政機関や他の団体 個人に対しての攻撃は激しくされているが ご自分の思い込みで「悪」と決めつけたら名指しで攻撃しないではおれないタイプのお方のようだ
私は原則として引用する実例には個人名は挙げない
私の考えでは個人名で引用しなくても 広く一般にこのような事実があるが それに対しての考え方には多種多様にあることを知っていただくことに重点を置いているからであり よほどのことがなければ個人を名指しする必要を認めない
無論よほどのことがあれば 過去にも個人名を明らかにして反省を求めてきた
しかし それらの人々には全くと言っていい程度に
反省も謝罪の「心」もなかった
その程度の社会性と 身勝手な人々が横行している「動物あいご」の活動が
「動物福祉」へと進展するのは難しいとつくづく感じる
神戸市動物管理センターでは「松田はほとんど来ていないといっているが やはり来ていた」と
だから 「神戸市動物管理センターに精神的に依存している」と断定するとは粗忽で悪意の大好きなお人だ
私は昨年の10/22 動物慰霊祭に参加したが 以後は 1/17に阪神・淡路大震災の犠牲者にささげられた恒例の「忠ちゃんの花束」を届けに行ったのであり 当日偶々松田の姿を見たから神戸市動物管理センターは松田を庇って「来ていない」といったが 「やっぱり来ていたのだ」とこじつけたかったらしい
さほどに気になるなら 当人が目前にいるのだから端的に確かめればよかったのだ
元関係者であったが今は一般市民であり たとえ善意のお花を届けに来たのであっても 必ず所長の許可を得て献花をしている
それが礼儀だと思うからであり 所長にお会いできるまでかなりの時間を待たせていただいていた
たぶん その人がブログに書いているように 次なる不適正譲渡(S,Ma注-これはあくまでも松田の感じ方であり行政職員の言葉としては一切聞いていないので念のために)の引取の交渉を受けておられたのであろう
目前の状況から判断して 想像だけで断定することは大きな過ちを招くことに
つながる
飼主等の調査に際しての判断においても 事実の確認はもっとも大切な注意を
すべきことであり 場合によっては人権の侵害となることもありうる
だれでも好き嫌いはあるが「想像で物事を評価して悦に入る」のは社会的に成長されていない証かと感じる
【意見は違って当たり前 他人の意見の尊重も忘れずに-S,Ma】
この人には 意見の違いは即敵であり 攻撃の対象なのだろう
ペット店から動物を買うなと言うことは私も同感ではあるが
私は矛盾に悩むこともある
ペット店に生態展示規制がない今の状況では 当然生態は販売目的に保管されている 売れなければ 闇の中で処理されることも想定できる
それらの動物も「動物」
行政機関や民間で扱う動物と何ら変わりはなく 宿命的にペット店で商品として仕入れられて生かされることになったのだ
ペット店の動物にはかまってはいられないが行政機関の動物には好き放題の難癖をつけてでも「引き取り」をしなくてはならないという考え方には賛同はできない
余剰とされる動物がいる現状では ある一定の譲渡に尽力され 法的に致死処分
ができる行政機関に保管された動物たちの引き取りよりも 闇に処理されること
を懸念して 確認不明の処理を防ぐためには 業者や一部の愛護活動家 または
不心得な飼主の手の中にいる動物の扱い方の追及にもっとも時間を割くことが
真の「正義」ではないだろうか?
行政機関で引き取られなくなった高齢や病気の動物がその後の余生をどのように過ごすのか 愛護の人々には「無関心」になれることなのか?
引き取りをしている団体で 手元に高齢と病気の動物が貯まって行き 譲渡先がないと嘆いている実情があることからも それらへの協力を優先されることが
ネグレクトの防止となると感じるが
生きてさえいればよいか 知らないところへ遺棄されることは
仕方がないとの考え方なのであろうか?
この人の意のままになる行政機関は褒めるが 信念を以て「動物福祉」の向上に努力される行政機関には嫌がらせに近い行為で責める手法のように感じる
京都府民となられたのであれば 京都の行政改革を一から尽力されて
他人が心身を賭して 経費をかけて改革をして築きあげた「適正譲渡」の仕組み
をつぶさないでいただきたい
「犬と猫と人間と」がお気に入りの「映画」らしいが ならば当時どれだけ『CCクロ』関係者が努力して今日を築いたかはご存知だと思うが 「安楽死処置」(安楽殺処置)を認めていることに反発しているのであろうか?
この人は他の動物あいご団体が金儲けに走っているとこき下ろしているが 他の一般社会から見ればこの人もまた一愛護団体なのだということを自覚されていないのであろうか?
悪行ともいえる動物愛護活動には辟易することもあり この人の言うことにも一部はもっともだと思う点はあるが この人がどれだけ正直であるのかも他からはよくは見えない部分もある
自らの収支報告は大まかであり 公開されたページには動物の保管日数や頭数の
記載がないように思うが 他への批判を厳しくされるのであれば
自らも姿勢を正すべきだ
「寄らば切るぞ」「自分のすることはすべて正義だが他のすることは怪しからん」では されていることが「よいこと」のおつもりであっても疑義はもたれることもあろう
自らの多頭数飼育が正当化されていることにも 支援があることに自信過剰となって 目先の活動におぼれているように感じるのだ
実のお母様とも 意見の相違からか対立されて転居になったと公開ブログに述べておられる
察するにお母様は 多頭数飼育を正そうとなさったのかな?
余計な詮索ではありますが 普通の感覚ではシェルター形式でなければ 多頭数飼育は反対されることが普通でしょう
この人は 「動物福祉」は棚上げなのだと感じるし
動物には思いやりを示せても
動物に親しめない人々と 人間に親しめない動物たちに対する思いやりは
ないのであろうと思う
「メンタルケア心理士」と記載されているが 「ケア」という言葉が何を意味するのか聞きたいと感じる
動物に優しい行政機関の判断も
見方が変われば評価も変わることを知っていただきたい
改変(改正とは思えない)後の法律第105号は 日本国の動物福祉の崩壊への序奏のように感じている
2014/1/22 文責 松田早苗
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