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2013年12月

2013年12月30日 (月)

2013-12-27今日のご相談から

2013-12-30

不適正多頭数飼育者が咬傷事故履歴のある犬を引き取り再譲渡しようとされることについてのご相談です

施設から施設への引き取りで 引き取り後の当の保管施設も劣悪状況とわかっているのに引き取らせようとさせる側も 引き取りたいとする側も理解に苦しみますね

世間体よりも 動物福祉の基本に立ち返って考えていただきたい

不適正な施設に移動をさせてどのような動物のQOLの保証と社会的責任が果たせますかと問いたいですね

足元を見透かされないで しっかりと拒否することができれば 強引な引き取りの申し出者も引き下がると思いますがね

私は現役時代も今も 公然と

【繁殖規制の無い現状では 安楽死処置は動物福祉からは切り離せないものです-S,Ma

と訴え続けて 実践してまいりましたが 匿名(すぐにばれる程度の)の卑怯な輩意外に正攻法で抗議をされたことはないですね

譲渡拒否をすることは迷いがあると付け入られます

「ノーキル」が最上と考えている人々には 人が咬まれることは「運」が悪いとくらいにしか感じていないでしよう

「命の尊厳」と言えば聞こえは良いが それで万一にも重大な負傷や死亡に至る咬傷事故が起こった時「犬」を責めますか?

飼主がはっきりとしていれば訴訟も可能ですが 災害時や逸走等で飼主が不明であれば 行政機関の浮浪犬対応の管理責任が問われますね

人に対する「命の尊厳」は見過ごすのでしょうか?

動物の殺処分反対とはそういうことも含まれますね

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

エンスト続きのブログ

2013-12-30

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テスト投稿です

2013年12月26日 (木)

2013-12-25今日のご相談から

悩みのお電話を頂きました

救護活動はされないが 啓発活動に努力されておられる方です

救護活動についての相談を受けた時 自らは救護活動はおできになれないとのことで 答え方に悩んでおられるとのことでした

ご自身は「安楽死処置」(安楽殺処置)は動物のためにも必要であると認めておられるが 相談者に対して答えられるとき 「万策尽きたら 動物を苦しめることなく「安楽死処置」(安楽殺処置)が適切な対処です」と答えられたとき 対する方が「よくもそのような薄情なことが言えるね」と言われて悩まれるご様子でした

私の経験からも感じていますが 相談者は概ね身勝手な傾向にあります

むろんすべての方ではなく 本当に万策尽きて頼ってこられる方もたくさんおられます


その場合には 以外と思われるかもしれませんが 「安楽死処置」(安楽殺処置)の選択肢があることを話して差し上げると救われたと思われるようです

そのように決断をされたお方には必ず申し添える言葉があります
「動物は決して恨みませんよ あなたのご判断は間違っていませんから ご自分を責めないでくださいね もしも 動物が恨むことがあれば この世界から虐待はなくなっているでしょう 
虐待者は恨みで生きてはいられないはずですからね  
そして 職務とはいえ殺処分にかかわる行政機関の職員とか ひどい扱いをしている業者や 愛護活動家も生きてはいけないはずです 
たくさんの「安楽死処置」(安楽殺処置)とはいえ殺処分に携わってきた私自身にも言えますが 私も今日まで無事に過ごさせていただいています 
そして動物は呪い殺すほどに恨むということができないと思うのです 恨むとか呪うという汚い言葉は人間だけに適用されると思います 動物に祟られたのではなく いささかでもあるご自分の「良心」にさいなまれているのだと感じます 
もしも 苦しいことがおありでしたら夜中でも好いですからお電話してくださいね 
あなたに心身ともに本当に余裕がおできになられた時には あなたの身近で最も「幸」に恵まれない動物を救ってやってください その力がないときには絶対に動物とかかわらないでくださいね」と
そして 「安楽死処置」(安楽殺処置)の際にはできうる限り同行して 飼主責任として動物の最期を看取ることの大切さをお話させていただいています
苦しむことなく安らかになった動物を目前にされて安堵されることがほとんどでした

自らは心身も懐も痛めることなく 「ノーキル」を条件に 誰かに助けてもらうことは当然とお考えの方に対する私の答えは以下の通りです

「人にも動物にも宿命があります あなたに出会った動物があなたの価値観で生かされることも宿命でしょうし 私はその生かされる動物を見続けて暮らすわけではありませんから苦しみに耐えていたとしても知らないで済みます  私に出会った動物が私の考えで 幸にしてやれなければ苦しみの中断としての「安楽死処置」(安楽殺処置)という対処で終わることも宿命なのでしょう どちらが良い悪いではありませんが 私は動物に限っては目の前で苦痛に耐えさせることはつらいからであり 現状より以上の譲渡先を確保するにはあまりにも多くの動物が待機させられているからです 「安楽死処置」(安楽殺処置)に頼れない方々のためにも譲渡先を譲りたいとも思っているからです」と

そして 付け加えたことがあります

啓発活動に携わられる方には どのようなことであっても 安易なコピー転載はしないことと助言させていただきました 

かつて藤村晃子さん等複数のあいごの人々は 当時「鳥取市で子猫が生きながらに焼き殺されている」と書き込みの転載をし 真実であるかのように流れましたが そのような事実はなく  まるきりのでたらめであったにもかかわらず 謝罪もされることなく削除されたことがありました

ご自分の目で見て 耳で聞いて 手に触れて 心に感じたこと 真実を伝えることの大切さをあえてお話させていただきました

2013年12月24日 (火)

2013-12-24 相談から感じること


いろいろな方からのご相談を受けますが やはり「多頭数飼育」対応はどこでも困っておられますね

行政機関の方々も あいごの活動をされる方々も 基礎的な「動物福祉」の知識を勉強されないままに 不適切多頭数飼育がいわゆる「殺さないため」「生かしてやっている」との考え方がもたらす 社会と動物に対する不利益が解っていないのだと思います

予てから 私は「生かしてやっている」のか「生きていてほしい」のかは違うといっています

前者にはQOLは問わなくても 「息さえしていればよい」の考え方だと感じます

後者は飼主が希望することですが良い環境で「生きていてほしい」となることが多いと思います

飼主の富裕にはあまり関係なく  「息さえしていればよい」とは考えられないと思うのです

愛護の活動をされる方々の多くは不適切多頭数飼育であっても とにかく生かしておきたい

咬傷事故を起こすような犬を不適切多頭数飼育に押し付けることが 本当に動物の身になってよいことだと感じられるのか?

災害時に 管理から放れた危険な動物が街中で徘徊することを想定した時 動物が好きであっても「怖い」と感じるのが普通です

行政機関は今後の動物との共生社会をどのように築きたいのか 動物を好まない人々ががまんすることを求めておられるのか問いたいですね

熊本方式は明らかに「動物を好まない人々ががまんすることを求めておられる」と感じるのです

「殺処分ゼロ」「ノーキル」を唱えて組織的に訴えようとされる議員団の方々も 法律家諸氏も本当にそこまで言い切るお覚悟がおありなのでしょうか?

「動物を好まない人々が 「殺処分ゼロ」のためには いかなる動物も生かしておくので 心身共に被害をがまんすること」

単に「殺処分ゼロ」「ノーキル」と唱えた時には響きが良いので 動物による被害のことは棚上げされていると感じます

動物を好むと好まない とに関わらず 「幸」に暮すことは理想にされになければならないですね
そのためには 動物を好むと好まない とに関わらず 相互に譲り合い 我慢をすることも必要ではないですか?

生きることはどこかで何かを「辛抱」することは欠かせないことですね


対する相手に「辛抱」していただくには みずからも「辛抱」することで補いあはなければ 社会の秩序は損なわれますね

2013-12-20 FB-コメント返信Ⅱ

今の神戸市に足りないのは しっかりとした動物福祉の知識に基づく信念を持たれる人材が不足していることです 


CCクロ』立ち上げの一員であり 隠居高齢者の私にしか言えないことであり 神戸市からの反感を買うことを承知で提言しますが 阪神・淡路大震災以来20年近い年月 神戸市は殺処分目的に建設された神戸市動物管理センターを建て替える試みを頓挫させて来られました

民間団体から 展示犬舎の寄贈とともに『CCクロ』維持のための複数の専従職員の人件費を負担してもらいつつ 官民協働のモデル事業としての社会的評価を得るということに対する体面を保ってきました

阪神・淡路大震災復興のためには対人対策が最優先であったことは言うまでもありませんが 動物福祉に基づくセンターの建設は単に動物のために必要な施設ではありません

阪神・淡路大震災以前のかつての兵庫県の動物保管施設は「ひどい」の一言に尽きるようなゴミ捨て場と称するに等しい場でした
当時の動物保管施設の劣悪な状況を知っていただくために 県下の全保健所を松田が視察調査をして 改善の提言書を知事あてに送らせていただきました

当時の貝原知事は動物のためのみならず 「動物福祉」が教育的にも大切であることを心得てくださり愛護センターの建設に向けて多大なご尽力をしてくださいました
そのご意向を受け継がれた現 井戸知事もまた 「動物福祉」には深いご理解を示してくださっておられます

兵庫県動物愛護センターが実現したことは まず 働く職員の方々の意識改革に大きな変化をもたらしました

殺処分のみが仕事であった自虐的な意識から 動物を適正に扱うことの大切さを実感されたように感じました
事実 粗末な保健所職員時代にはまともに働く意欲もわかなかったと本音を吐かれた行政獣医師もおられましたが 現場の職員の方々の多くが 目覚ましく意識改革に努力されました

水浸しだったかつての保管所では傍観するしかなかった仕事を 愛護センターでは 行政獣医師自らが雑巾を持って水をふき取る作業までされることもあり 敬意とともに感謝の思いを抱きました

そこで 比較した時 神戸市の立ち遅れは上層部の意識にあったように思いますが おそらくはまともに市長まで事情は報告されていなかったとも感じます
「市長への手紙」というもっともらしい市民からの提言方法がありますが そのほとんどは担当部署止まりが従来の神戸市の実態でした

担当部署の課長さえも 神戸市動物管理センターの動物の処遇について 水とフードの与え方の実情を知らないと平然と言うお方もおられたほどでした

交渉の席でその言葉を聞いた時愕然としたことを覚えています

その後 市民参加の慰霊祭の制度が発足して 参加される市民にご挨拶の言葉を述べられることになり初めて担当局長が神戸市動物管理センターを訪れられました
その機会に 私は開会までの寸時を割いてぜひ現場を視察してくださいと申し出ました
職員はいつものことで市の幹部が現場視察をされることは想定外のこととして 慰霊祭準備に忙しくもあり 当日の清掃はされていない状況でした

局長と同行されておられた
3-4名の方々をご案内したのは 民間人の松田一人でした
神戸市の施設を市の職員が誰一人同行できず 民間人が一人で案内したのです

その日の動物の保管所の状況は最悪でした

下痢便が床一面に広がったところに 高齢大型犬が横たわっていました
水も屎尿に塗れた汚水であり 清潔な飲用水の設備がなく 劣悪そのものでした
さすがに驚かれたご様子で その日の内に改善命令が出たと後に聞きました
その後は担当課長以下本庁職員の方々はご着任早々に神戸市動物管理センターを視察訪問されるようになられたようです

紆余曲折があり 順次に改革が進み現在の保管室を整備してくださったのですが 検査室の転用等で夜間保管室の場所の確保をしてきました
夜間無人保管になることを考慮して危険回避のために 一室一頭を基本にしていただきましたので 当然収容頭数は少数しか保管できません 
清潔と安全を最も重要視して維持管理をしてまいりました
現在の神戸市動物管理センターは どこにも負けない清潔保持と 適正保管について官民協働で努力を重ね そのことを誇りにできます

過去の国際シンポジュウムにおいて 松田がパネラーとして招かれた際に 市動管Cの劣悪保管状況から改善された現状を映像で公開しましたが その際にも特にコメントしたことは
「現状が好転し よい結果が得られたから 過去の劣悪状況を公開できるのです 

やり方次第でここまで変えられるという証です いまだ劣悪状況であれば 

よほどのことがない限りは資料を外部には出さない 出すことは一回限りの賭けであり 

改善しないままに神戸市との断絶になることを避けなければならない」と申し添えました


続きは次回に送ります

神戸市の方々には ご不快はなはだしいかと存じますが この時こそ適正保管と譲渡を改めて決意していただきたい思いからでありますので お許しください

「適性譲渡」とは「安心」「安全」が基本であり 社会に送り出す動物が「不安」「忍耐の強要」「偏共生」とならない配慮が必要であリ 大切なことは動物のQOLと 災害時に備えることを含めての社会的責任を強く意識することだと申し上げたいのです
  

2013-12-20 FB-コメントに応えて

譲渡についての考え方はいろいろあるでしょうが ようやく築いた適正譲渡の方針が 「かわいそう」の一言で壊されてゆくことは忍びないのです

私が思うには 行政機関からの引き出しという手法は 市民の「権利」という名目で動物と社会に対する適正飼育義務を棚上げしたままにごねているとしか感じられません 

私の感覚では 無理に引き取られることは駄々をこねているに等しい感じです

行政機関の弱みですが 市民の苦情は上層部では疎ましいことでしょうから できるだけ 「穏便」という名のもとに妥協しようとされる傾向があります

現場が努力されたことも組織の中ではなかなか反映されにくいことが多いでしょう

現在の兵庫県動物愛護センターと神戸市動物管理センターの現場の職員の方々は 動物福祉についての自己啓発を重ねてこられた数少ない中の尊敬すべき方々です

故人となられた奈良の行政獣医師にもとても尊敬していたお方がおられましたが その方とともに兵庫県 神戸市の行政獣医師の方々は常にシンポジュウムも私費で参加されるほどに熱心でした 

それだけに適正譲渡についての民間人の私たちの意見を受け入れられる理由を心得ておられたのです

民間施設で 不適正飼育をされたまま終生収容に「囚われている」動物たちが数えきれないほどいます

殺処分ができないからそうなってしまうのでしょうが 動物福祉としての考え方には沿わないことです

それらの施設の保管動物を救うことに尽力されるとどんなにか喜ばれることでしょうし 動物にも救いとなります

社会に送り出すということでは難点もありますが 動物本位で考えるとき 囚われからの解放は意義があるでしょう

しかし 行政機関では 動物の幸せと同時に 社会の安全性にも責任がより強く求められます

特に近い将来大規模な災害が予測されています


社会は動物愛好家ばかりが勝手気ままなことをしてよいはずはありません


動物のためにも動物嫌悪感を増やすことはしてはならないのです


ひそかな仕返しは「人」に対してはし難いから 「動物」に向けられます


虐待する人間が悪いことは言うまでもありませんが それを誘発している

自己愛型の動物愛好家という人々には更なる責任があるといえます

行政機関引き取りに「奇声」をあげている人々は 神戸市動物管理センターにおいて 施設やシステムの改革については自らの努力はほとんどないといえる状況でしょう

今だから 行政機関の所有者不明動物の公示サイトも見られますが その道程を作った者の努力は知らないでしょう

それができたことの良し悪しに悩まされるのも皮肉なことです 

サイトに出ている動物に対して ねつ造した飼主を装うことで引き取りをしようとされることは 自らのブログでも公開されていますが 恥じらいがないのですね
対する「もの」が動物でなければ 明らかな「窃盗」「詐欺」に値する行為です
遺失物のブランド物を「私のものです」と名乗った場合は刑事事件となるでしょう


動物だから「助けるため」には違法行為も当然という考えでしょうか?

兵庫県と神戸市は保管管理においてもしっかりと「動物福祉」の基本を守る努力をされています
熊本式の不適正多頭数飼育に溺れないのも 適正管理と譲渡についての基礎知識がしっかりとされているからです

意見を述べることは大切ですが 今日意見が受け入れられる態勢が整ったことの過程にも関心を寄せてください
過去に努力した人々がいたことを忘れないでいただきたい

2013年12月23日 (月)

12/20以後 ブログ更新が不可となっています

何時も ご覧下りありがとうございます

本日回復したようです
順次更新いたします

2013年12月19日 (木)

2013-12-17 日々思うこと

大した用ではなくてもなんとなく忙しいのです

トースターの位置替えで置く台を作ってみたり 廃材で思いつき大工ですから材料どりに時間がかかってしまいますが 捨てるものから役立つものができたときはそれなりにうれしいと思って自己満足も最たるものです

救護活動に時間を奪われて 茶 華 木彫の順に趣味から切り捨ててゆきましたが 趣味に時間を割けるだけのゆとりも大切にしたかったが 情報は一度しか来ないことが多く 聞き逃して助けてやれないことを案じて 当時は携帯電話のイヤホンを外せない状況でした

一日に複数回の出動も珍しくはなかったし 食事の途中で飛び出すことも多々ありました

CCクロ』の初期には毎日大工仕事をしていましたが 好きなことなので電動工具を持ち込んでやりました

当時の神戸市は非協力的で 工作資材をはじめ 動物に必要な小物からその他の資材の一切 フードも最低価格のものから上質なものに変えて ブリーチに至るまで団体で購入するか 時には私個人が購入し提供していました

動物の送り迎えにも私の個人の車でなければ公用車の出動は断られて 動物病院へ連れて行くことも すべては松田個人の車で送迎していました

殺処分目的に作られた建物の中で 救命目的の動物の保管に必要なスペースを確保すことの困難さは 今の方々には到底想像もできないと思います

だから 譲渡頭数が少ないとか 殺処分数が多いとか勝手なことを言っていますが 私たちが手掛けるまではだれ一人として 本気で行政機関の動物を正当に救う手立てを試みた人はいなかった
 
行政側もかたくなに一般市民の立ち入りは本より 保管施設内は見学拒否の姿勢を通していました

当時は「交換会」と言っていたように 飼主から譲渡希望者に出会いの場を提供する形で毎週水曜日の午後 子犬の展示をしていましたが 敷物も 風よけも 水もないケージかサークルに入れて放り出されているという状況でした

それらの子犬の世話をすることから始めて 徐々に信頼を築きあげてゆきました
その過程においては 行政職員よりもたくさん働いたといっても過言ではなかったと思います

職員さんたちからも疎まれながらもご理解を得られるように努力しましたから その後には現場の職員さんには心からの感謝を込めてお礼を言いたくなるほどに よくご協力いただきましたが 神戸市の幹部は苦々しく思われていたようです

そのような努力の積み重ねで 『CCクロ』は発展してゆきましたが その過程をご存じではない方々には 施設も 譲渡基準にしても もともと神戸市が設定された現状だと思われているのでしょう

神戸市が長年続けてきた安易な無差別抽選による不適正譲渡を 適正譲渡に変えてゆくことにも 行政との長い交渉の末に実現したことなのですが 昨今の神戸市動物管理センター 批判はその適正譲渡を壊そうとされているかのように私には感じられて残念としか言いようがありません

その時代にかかわる人の感性で物事はよくも悪くも変えられてゆくことも致し方ないといえば その通りです

少しずつ このような過去録をご覧になっていただくことも必要かとは思いますが いい結果に結びつくのか 反感しか得られないのか 単に自画自賛と思われるのか ご判断はそれぞれにゆだねます

2013年12月13日 (金)

何事も まずは学ぶこと

2013-12-13 

12月に入ってから ホームに風邪が蔓延してしばらくは面会制限をされていましたが ようやく解除されて本日久しぶりに訪れました

「久しぶりだね 何か用があったのかい?」と いつものことですが

「用がなければ来てはいけないの?」と私

「いや いいよ」 これもいつものこと

フロアーにいらした入居者の方々にも久しぶりのご挨拶をしたのですが 高齢者ばかりの集団生活のお世話をしてくださる職員の方々には本当に感謝の気持ちで一杯でございます

 

お花を届けられないので 庭の花や季節のポインセチアなどスマホの写真をお見せして喜んでいただきました

 

明日は我が身といつも思いますが 認知症の初期症状では自覚は無いようですし 他覚症状が出てからではなおのこと自分の身に起こっていることには気が付かないでしょう


 
一人住まいでは余計に変化には気が付かないことでしょうから周囲の方々にも日ごろからお願いしておかないといけませんね

 

長生きの恐怖は味わいたくないのですが 避けて通れそうにもありませんね


 
「明日」という未来を案じることのない動物がうらやましいとも感じることがあります

飼主にすべてをゆだねる生き方しかできない 巡り合った飼主次第でありますから やはり 飼主としての責任の重さはお一人々がしっかりと心得ていただきたいですね

安易に「かわいそう」といっては 多頭数飼育や無理な引き取りはしないで頂きたいですね
 
行政機関から引き出すことが 自慢のような活動をする方々 ご自分の心の満足のために社会において動物嫌いの人々を作らないこと また 助けたつもりで動物を苦しめないでくださいね

【適性譲渡とは「安心」「安全」が基本であり 社会に送り出す動物が「不安」「忍耐の強要」「偏共生」とならない配慮が必要である-S,Ma
 
感情的に「かわいそう」を判断基準にしないで 適正譲渡の大切さを知識を得ることで知っていただきたいのです

認知症についても誤解のない 適切な知識で対応していただきたい

何事も まずは学ぶこと  知識がなければ「正しい」ことの判断もできません

2013年12月11日 (水)

2013-12-11 書類整理


 
手を付けようとして億劫だった書類整理

やり始めたものの目を通さずには捨てられず時間ばかりが経過します

捨てるものもそのままには捨てられないものが多く シュレッダーにかけていますが 家庭用ですからこれにも時間がかかります

 

引き取りが多かったころの所有権放棄 「安楽死処置」(安楽殺処置)承認の誓約書ともなるととてもそのままには捨てられません

眼を通していると当時のことが思い出されます

引き取りの理由に「介護」「高齢者」「経済破綻」「咬む」「自家繁殖過多」「苦情」と今も変わらない飼育中断理由が書き込まれています

 

当時の活動を誹謗中傷した文書も出てきましたが その人々は当時も今も直接には引き取りはしないで 私たちが引き取りをした結果「安楽死処置」(安楽殺処置)をさせていた活動の罵倒に終始しています

 

ペーパー活動は楽なものです

 

1日に複数匹 多ければ100匹という日もあった当時を思い出して 彼らが引き取りはしなかったことは「殺処分」無しでは引き取らないことしかできないと感じていたからだと思うのです

 

社会は善意の人と 卑怯な輩と混在するのは常の事

国民の多くは表面の「きれいなこと」「優しそうなこと」に感動します

 

「かわいそう」という意味は かかわる動物に対してなのか かかわる人の気持ちか それぞれであり 立ち位置が違うと判断も違ってきますが 多くは動物のためよりも 人の気持ちが優先されていると感じます

 

【人が辛さに耐える分動物の苦痛は救われるが 人が辛さから逃れたければ動物に苦痛を耐えさせることなります どちらもあなたが選択されることです-S,Ma

恐ろしいと感じたことの一つに 書類が「臭い」
 
猫のし尿のにおいがしみ込んでいるものがあるのです

清潔は一番に心掛けていましたから忙しいことを理由に掃除を手抜きしたことはありませんでしたが 布にしみ込む臭いは毎日の生活では慣れてしまうのでしょう

車の中では 排泄直後に始末することができないので その臭い移りが一番の原因かと思いますが 猫との日常的な共生をしなくなって17年は経過しています
 
近年猫の臭いには慣れがなくなって感じるのでしょう

猫不適切多頭数飼育者に近づいただけで悪臭が鼻をついていたことを 何度も経験していましたが 毎日続くことの状況は 当人には慣れで気が付かなくなるものなのでしょう

【よくないことは良くない】慣れてはならないのですね

善意を「殺処分」して 動物を救うということはおこがましい

2013-12-11


 
どう考えても フェイスブックでの匿名は適切ではないと感じます

実名が不正投稿の抑制にもつながると思いますし 建前からも実名のみ採用にしていただきたいです

 

ブログにしてもどこの誰かも明かすことなく やたらに「募金」を求めることも違和感があります

 

社会が「なんとなく それらしい」ことを容認しているのでしょうか?

 

猪瀬知事の5000万円も庶民からは想像もつかない手順で手に入れておられる

それが当たり前のような感覚になっている知事には「普通の社会人感覚」がなくなっているように思います

そのことはリーダーとしての持たれるべき感覚が消え失せているとしか感じられない

 

動物を救うことにおいても 「募金」という名の善意を欺いて 私腹を肥やしているとすれば動物は私腹を肥やすための道具に過ぎないのかと感じます

 

経歴として「詐欺」が複数回犯歴として残る人が 今や動物界での「英雄」であるがごときもてはやされ方です

庶民を操る技法には長けているのでしょうが 経歴を知らないのかもしれないがこのような人に操られる人々が絶えないことは情けない限りです

 

「動物」「募金」「詐欺」をキーワードで あらかじめ検索をされてから 募金に協力されることも必要なのではないかと思います

 

善意を「殺処分」して 動物を救うということはおこがましい

2013年12月 9日 (月)

2013-12-7 「ある精肉店のはなし」

朝から大阪 十三の「第七芸術劇場」で 映画「ある精肉店のはなし」を鑑賞してきました

七芸
http://eiga.com/theater/27/270108/5027/
...
所在地
大阪府大阪市淀川区十三本町1-7-27 サンポードシティ

行き方
阪急十三駅より徒歩約5分

電話番号
06-6302-2073(音声案内)

関西での封切は今日からという 90席は満席で立ち見の方も大勢おられました

牛を自家育成して 自家屠畜作業から精肉店経営まで 一貫して仕事とされてこられた あるご家族の生活がドキュメントで記録されていました

時代の流れで個人的な屠畜作業の廃業に至るまでを 監督は冷静な目で追っておられました

屠畜作業の場面はリアルに撮影されていますので さすがにずしりときます 私には不快感はなかったのですが 眉間にハンマーで一撃し 倒れた直後に首を切り落とし即解体が始まるのですから 正視し難い方もおられるとは思います

全体を通してご家族の結束と家族愛は見事でした 

仕事に対するチームワーク 地域との連携 被差別問題と 監督は若い女性ですが内容はしっかりとされていました

動物に関心を持ち 肉を頂くということはと改めて考えさせられるものでした

纐纈(はなふさ)あや監督はブックサインに「いのちが血となり肉となり」と書かれました
プロデューサーの本橋成一氏は「ひとつのいのちは すべてのいのちに つながっている」と書かれています

舞台挨拶には被写体である北出さんのご家族を代表して「北出昭」氏がだんじり祭りの法被姿で登場されていました
この映画を通して 被差別問題にも関心を持っていただきたいと述べておられましたが 動物と職業的なかかわりには常に「被差別問題」が付きまといます

人が人を侮蔑的に差別することは意外に根深いものがあり 私もこの活動に携わって以来 何度もそのような問題があることについて考えさせられました

治政の都合で社会的階級を作り いわれなき差別に苦しめられた方々のことは看過することはできないと感じます

時も時 機密保持法案が成立したということは 種類は違いますが 何時私たちも「犯罪者」とされていわれなき処罰を受けることになるのかもしれない恐怖感があります
適切な「機密保持」は外交的にも大切ではあると思いますが 第二次大戦時に起こったような誰もが「スパイ」とされてしまうような日常になることは恐ろしいことだと思うのです
沖縄の方言で会話をすると 判読し難いから「スパイ」として殺せと軍幹部が命じていたことも史実であり 暴走を止める人もいなかったことは恐ろしいことです

人は差別により優越感を感じて 自己満足するということを 愚かさと感ずることなく 自分は被差別対象の人々とは違うと思っているかもしれないが DNAを取り上げても チンパンジーとは98%同じであり 哺乳類が発生する以前は水生生物「魚」であり 人種の起源も 一人のブラックアフリカ女性にさかのぼるとされていると聞いています 
白人は途中の変異で色素が減った 東洋人は色素が白人よりは減り方は少なかった というに過ぎないのだと思います

差別の問題では明日は我が身として考えなければ 他人ごとでは到底解決はしないでしょう

苦しみは体験しなくてはわからない
肉体の苦痛も当人しか感じられないが 精神の苦痛はなおさらわからないことであると思います

動物であれ 植物であれ 「命」あるものを食すことは生命維持の根幹であり 自分と同族の人間以外の命を犠牲にしない生き方はできないのですね

植樹会

12月に入ってから ココログへの新規投稿が障害続きで ブログ更新ができませんでした
した
今日は何故か3度目にUP成功いたしました
過去の記録をまとめて掲載しています
ご高覧いただければと存じます
宜しくお願いいたします S,Ma



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12/1 尼崎スポーツの森で植樹会に参加してきました
2月に里親として苗木をお預かりをして10ヶ月間育ててきました
大地に植えてようやく責任全うです

晴天に恵まれて 程よい疲労感でした
植樹には大勢参加されていました
植樹を終えた後で 園内の見学があり 「はがき」の由来となった葉の裏に文字が書けるという木の葉も教わりました モチノキの葉は小さいのですが やはり葉の裏につま楊枝で傷をつけると 樹液が染み出で変色し判読できるようになりました


帰りに公園のベンチで「トランペット」を稽古されている方にお会いしました
「ムーンライト」をリクエストして メロディーを聞かせていただきましたが 近くにいらした若いご夫妻には往年の名曲もスター「ベニーグッドマン」の名も知らないといっておられて 時代は変わったのだとしばし感慨に浸りました


この苗木が大きくなるころを見届けられないとは思いますが 「尼崎21世紀森」に確かな足跡は残しました
(写真13枚)フェイスブック掲載

2013-11-23街頭募金額
62,258 円
4 送金について
(1)送金額(別紙2)
172,999 円(旗谷動物病院募金57,000 円及び加古川動物病院募金53,741
円を含む)
(2)送金先
東邦銀行県庁支店、普通1418368、
口座名福島県動物救護本部義援金口
5 配布資料
募金者に対して別紙3の趣意書兼
報告書を約170 枚配布

「福島県動物救護本部」支援募金について 11/23募金の際に立ち留まられた方で募金の実績を公表するようにと話しかけられたお方がおられました
以下は毎回の募金でご協力者様に手渡ししています「趣意書」です
実績は新添付にいたします
ご参考までにご高覧いただければと存じます
よろしくお願いいたします

成25年11月23日

趣意書

平成23年3月に発生しました東北地方太平洋沖地震で被害にあわれた被災地の皆様に心よりお見舞い申し上げます。
私たちは、兵庫県動物愛護管理推進協議会と申します。本協議会は「動物の愛護及び管理に関する法律」の規定に基づき、兵庫県、県内保健所設置市、獣医師会、動物の愛護を目的とする公益法人、その他動物の愛護等に関する有識者により組織されており、兵庫県における動物愛護管理行政の推進に関する意見交換や総合調整を行っております。
 この震災では、多くの方々が地震や津波による被害にあわれました。そればかりでなく、家族の一員としてその方々と共に暮らしていた動物達も同時に被害を受け、生活する場所を失い、飼い主とはぐれ、路頭に迷うことを余儀なくされています。なかでも、原子力発電所の事故という特殊事情を抱える福島県においては、警戒区域内に残された犬・猫の保護活動が行われており、兵庫県もこの活動に対し獣医師等動物関係の県職員を継続して派遣するなどの支援を行いました。
しかし、震災から2年半以上たった今でも、現地では警戒区域の解除等、今後の目途が立っておらず、保護された犬や猫等の動物を長期にわたり保護していかなければならないため、保護施設の維持費や消耗品費等々今後も多大な支出が懸念されます。
 そこで私たちは、福島県、社団法人福島県獣医師会、郡山市、いわき市、福島県動物愛護ボランティア会で構成されております福島県動物救護本部の活動に役立てていただけるよう街頭募金をおこなっております。なお、これまで7回にわたり募金活動を続けてまいりましたが、その内容については裏面のとおりです。
私たちの趣旨に賛同してくださる方々からお寄せいただいた募金は福島県動物救護本部に全額送金いたします。
被災された皆様の一日も早い復興をお祈りします。

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