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2013年5月

2013年5月31日 (金)

言葉のもたらす因果関係 適切な損得勘定

橋下市長 大きな間違いは言っていないが言い方(表現ストレートすぎる)とタイミングが上手くない  〇〇正直と言う方が適切かもと感じる

 

それに比して一般的に政治家は自己の持論よりも社会情勢に左右されて言いたいことも言えないような 正義感故ではなく 狡さを感じる

 

橋下市長を批判できるほどの持論展開もなく ただ単に橋下市長を吊るすことで自己保全をされているような感が見える 

水道事業はなぜご破算されたのか?

橋下市長に反対するだけのためなのか 高邁な他の理由があったのか聞いてみたい 

橋下市長も今一度スタートラインを振り返り 政治家となり改革をしたかったはずの構想を実現させるには 刹那的に言葉を発することなく 言葉のもたらす因果関係を計算して 言葉を選び 目途とした主張を成し遂げるための努力をしてほしい 

小さな改革をする 小市民であっても 忍耐も譲歩も情報公開にも気を使いつつ 適切な損得勘定は常に心がけている

況してや大きな改革を成し遂げるためには忍耐と共に 良い狡さも身に着けてほしい

維新の会の全員についてはよくわからないし 好まない人物もおられるが 橋下市長には期待をしている 

現状ではこの人を糾弾し批判をしなければわが身が責められそうな状況にあるが いいところを認めてあげることも必要だと感じるので 敢えて通り一辺の揚げ足取りはしたくない

過誤訂正をされて 謝罪もされているところは認めてあげたい 

理想の達成のためには賢く本音を言い 誠実に行動をしていただきたいと思う

従来にないタイプの若く行動力がある この人の成長を願い 日本に必要だと評価をされる政治家に自らを育成されることを望みたい

 

2013年5月23日 (木)

2013-5-23 母永眠

 

5/19 11;48 母が永眠した

 

危篤電話を受けてチビクロを預ける間がなく 以前にもお世話になった近所の方にご無理をお願いした

 

バスや電車の時間を図るよりも車の方が好都合なので車にしたが 認知症状が表れ始めた親族を迂回して迎えに行き病院へ直行したが 駆けつけてその日は持ち直した

みなで又かなー(危機と聞いて駆けつけては持ち直しが幾度もあった)と話していたが 今回は様子が違うからスタンバイしていた方がいいよと家族に言って心つもりはできていた

やはり 翌日になって昼前に静かにその時が訪れた

娘3人が揃って臨終を見届けることができたので幸であった
 
何か言いたそうな様子はしたものの 言葉にはならなかったが 娘3人が揃っていることはたぶんわかっていたように感じた

単に寝てしまったという顔つきで幸そうな安らかな顔をしていた
 
悲しみよりも安堵を覚えた

全ての苦痛から解放されて 愛する者たちに看取られて満足していたと思えたような安らかさであった

この母の最期の時としては真夜中ではなかったことも本人も気兼ねなく別れが言えたのではないだろうかと思う

病院の都合で直ちに遺体の移送を要請されて 業者に迎えに来ていただき仮安置のホールへ移った

当方の便宜の都合で更に遺体を移送して通夜と告別のための儀式場へ移し 十分な別れの時間を持った

仮安置のホールで納棺していただいたが 娘3人が揃って笑顔で手伝ったので 係りの方が驚いておられたが不快というわけではなく和気藹々と言う感じであった
 
業者さんも「このような(笑顔の)納棺は始めです」と言っておられた

103歳という十分な年齢と 人々のお世話をいただき 親族に看取られたことは何の不足もないので

娘3人が揃って笑顔で見送ろうねと話あったからである

声をかけると目が開くかのような安らいだきれいな顔をしていたので なおのこと涙にくれることはなかった

 

棺には 故人の願いの通りに 若くして先立った愛した人(=娘3人の父)の写真と共に 故人の名と戦死したと推定される年月日と場所 を記した「位牌」のようなしるしを添えた

国がよこした板切れというにふさわしい「位牌」のようなしるしが麗々しく遺骨の体裁を整えた箱に収められて未亡人の母のもとに届いたときにも涙は出なかったことをよく覚えている

 
この時も家族みんな笑顔であった
 
もしかしたら戦死の公報は誤報かもしれないという思いもあったからのように感じた


 
葬儀の段取りをする業者さんとの話し合いも 故人の遺志に従い 簡便にすぎるほどに淡々としていた

無宗教で見送りは家族のみ 祭壇は不要 盛り籠の花を一対と 献花用の赤とクリーム色のカーネーションを15本用意していただいた

 
娘3人は揃って最後まで笑顔を貫いたが 孫と曾孫たちはさすがに涙でほほを濡らしていた

娘3人が揃い 孫と曾孫に見送られて静かに荼毘に付されて肉体は白い骨に変わっていた

温かい遺骨を手にしたがここでも悲しみよりも安堵が満足感を満たしてくれた

友引の後でありこの日は火葬を待つ人々がひっきりなしに待合所に詰めておられた

嘆き悲しまれている様子はほとんど見なかったように思う

高齢者の死が多かったのではなかろうかと思う 参列者もまた高齢者が目立った

 

母は幸せに旅だったが わが身の最期は如何なることになるやら
 
ドッコイさんにも何も知らせてはいない
 
ドッコイさんを一人残さないためにも 母と同様に見送ることができれば幸だと思ってはいるが 運は天にお任せするしかない


 
【成るようになる 成るようにしかならない–S,Ma

 

夜になって帰宅すると チビクロリンが寝こけていた

この犬もまた推定17年の高齢犬
 
確りと看取ってやりたいと念じている

 

【終わり良ければすべてよし】
 
人も動物も全ての生き物にこの言葉が適用されることを祈る

 

葬儀の話で不快に思われたお方がおられたらお許し願いたい

私には不浄のことではなくむしろ喜ばしいこととして書き記したかったことをご理解いただければ幸いに思うのです

 

 

2013年5月15日 (水)

2013-5-14in韓国科学技術院カメをロボットのように操って

http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=52&from=diary&id=2426713

ロイター - 20130513 17:30

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ロイター

 
 

写真写真

 

[大田(韓国) 12日 ロイター] ミドリガメと言えば、一般的にはペットとして飼育されることが多いが、韓国科学技術院(KAIST)ではスパイ活動や災害時の救助活動に利用できないかと実験を進めている。

 

同院のLee Phill-seungさんをはじめとするグループは、半円形の目隠しをモーターに取り付け、それをカメの甲羅に乗せて遠隔操作実験を行った。無線で目隠しを回転させると、カメはそれとは逆の方向へと歩き始めた。

 

Leeさんによると、カメを含むほとんどの生物には障害物を避ける習性があり、目隠しを障害物だと思ったためにそれとは逆の方向へ進んだのだという。

 

プロジェクトのそもそもの目的は、カメをロボットのように操って偵察や調査活動などの軍事利用の可能性を探ることだった。しかし現在では、深海での調査など人間の立ち入れない場所での情報収集や、災害時の救助活動など、研究の目的が変更されたという。

このニュースをつぶやく(85件)

以下私の意見

 

韓国での食料としての犬の殺処分方法でも木に吊るして殺処分するなど虐待行為が問題となったが、カメであっても必然性が乏しく人工ロボットでの目的達成は可能なはず。人道的と言う言葉からすれば対人対動物いずれにも「人道」は適用されるべきである。人に対する苦痛に敏感であれば動物すべてについても苦痛の軽減と回避に努力するのは当然だと思う。  

2013年5月 9日 (木)

2013-5-9真実を書くことの意義と抵抗

このところ書き込みに迷いがあって進まない

 

真実を書こうとすれば誰かが傷つくことにもなるし 褒め言葉で固めるには抵抗がある

無論ほめることはたくさんあるが 私としての個性で書くことはきれいなことに終始することはできないし 真実を伝えることで新たな目線をもっていただければと願ってはいる

ペットイベントでの「ハムスター」の無償配布で阻止しようとする活動が動いているとか
 
今日友からそのようなことを聞かされた

先のペットフェアにおける報告書でも「ジャンガリアン」の無償配布があったことを当のFBにも書いたが そのことと別なことなのか同一のことなのかはわからない


 
ごまめの歯ぎしりのような抵抗が巨大な資本で動かされる商業的動物関連事業者には蚊が刺したほどの効果もあるまいとは思いつつ 無駄もone steppeとおもって無視されることも承知で書いてはきた

本来なら しかるべき団体がペットイベントに常に関心を示して 査察報告をされるべきと思うが人員不足もあるのかきちんとした団体からの報告書は見ていない

従来から私自身所属団体に関係なく個人としての報告書を書き 主だった宛先に提出をしてきたが はたしてまともに読まれているのか否かも不明である

災害時の協働などで目をつぶらなければならないところもあるのはわかるが 業者に気遣いして何もかも沈黙してよいとは思えない

朝日新聞のアイリス大山氏についての異論を述べた際にも ある方面から「寄付がもらえなくなるからお手柔らかに」と言われたこともあった

団体所属では言えないことが多すぎるので 全ての所属を断ち切りフリーの立場で発言したいと思い今日に至った

 

多様な意見があってよいと思うので恐れずに苦言も呈したいとは思うが 多くの人々にはもっと温かいことや 美しいことを書いた方が受け入れられやすいのであろうとは感じている


FB
の本来の目的もきれいなお付き合いなのであろうとは思う
 
しかし 実名を名乗ることで信頼が増すのかもしれないが すでにFBも真実ばかりではないことは何人かの人々を観察していてわかった
 
美しくだますことはたやすいことだ

どこまでもかたくなに【「誠実」に「真実」を語り「親切」であれ-S,Ma】を維持したいと思っている

 

 

2013年5月 5日 (日)

2013-5-5on FB「L I F E と写真ジャーナリズム」

1. 5/4 畑 祥雄先生の「L I F E と写真ジャーナリズム」 講座を受けてきました
専門家ではない 素人なりに 色々なことを考えさせられます 

先生はネット「2CH」にも存在意義がある答えておられました
くだらない情報の中から わずかでも真実の内部告発があればよいとのお考えを示されました

その時々の 政治家の宿命的とも感じる行動 判断 一人の人が考えることの多数への影響 良くも悪くも宿命的なものを感じます

中立のジャーナリズムはありえないと感じました

書き手の信念が大衆を動かすのであれば それをいかに判断し可否を決するのか 個人の考え方にも大いなる責任を感じなければならないのでしょうが 全ての人がその能力を授かっているとは限らないところが怖さを感じます

 

情報の発信者の良心 誠実さは 商業的営利企業の一端にあるジャーナリズムにどれだけ抗しきれるのか?

 

情報を受ける側の個人が知識を増やして 判断する能力を養わなければ 善悪の判断にも支障をきたすと感じます

 

「L    」誌も時の権力に加担していたということは 読者のどれだけの人々が理解をしていたのか?

 

「勝者の歴史」と言う表現がありますが 史実を正確に残すことは無理なのではないかとも感じます

 

学ぶことは考えることも多くなるが 不安も増えます 次回が楽しみです

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