2013-5-23 母永眠
5/19 11;48 母が永眠した
危篤電話を受けてチビクロを預ける間がなく 以前にもお世話になった近所の方にご無理をお願いした
バスや電車の時間を図るよりも車の方が好都合なので車にしたが 認知症状が表れ始めた親族を迂回して迎えに行き病院へ直行したが 駆けつけてその日は持ち直した
みなで又かなー(危機と聞いて駆けつけては持ち直しが幾度もあった)と話していたが 今回は様子が違うからスタンバイしていた方がいいよと家族に言って心つもりはできていた
やはり 翌日になって昼前に静かにその時が訪れた
娘3人が揃って臨終を見届けることができたので幸であった
何か言いたそうな様子はしたものの 言葉にはならなかったが 娘3人が揃っていることはたぶんわかっていたように感じた
単に寝てしまったという顔つきで幸そうな安らかな顔をしていた
悲しみよりも安堵を覚えた
全ての苦痛から解放されて 愛する者たちに看取られて満足していたと思えたような安らかさであった
この母の最期の時としては真夜中ではなかったことも本人も気兼ねなく別れが言えたのではないだろうかと思う
病院の都合で直ちに遺体の移送を要請されて 業者に迎えに来ていただき仮安置のホールへ移った
当方の便宜の都合で更に遺体を移送して通夜と告別のための儀式場へ移し 十分な別れの時間を持った
仮安置のホールで納棺していただいたが 娘3人が揃って笑顔で手伝ったので 係りの方が驚いておられたが不快というわけではなく和気藹々と言う感じであった
業者さんも「このような(笑顔の)納棺は始めです」と言っておられた
103歳という十分な年齢と 人々のお世話をいただき 親族に看取られたことは何の不足もないので
娘3人が揃って笑顔で見送ろうねと話あったからである
声をかけると目が開くかのような安らいだきれいな顔をしていたので なおのこと涙にくれることはなかった
棺には 故人の願いの通りに 若くして先立った愛した人(夫=娘3人の父)の写真と共に 故人の名と戦死したと推定される年月日と場所 を記した「位牌」のようなしるしを添えた
国がよこした板切れというにふさわしい「位牌」のようなしるしが麗々しく遺骨の体裁を整えた箱に収められて未亡人の母のもとに届いたときにも涙は出なかったことをよく覚えている
この時も家族みんな笑顔であった
もしかしたら戦死の公報は誤報かもしれないという思いもあったからのように感じた
葬儀の段取りをする業者さんとの話し合いも 故人の遺志に従い 簡便にすぎるほどに淡々としていた
無宗教で見送りは家族のみ 祭壇は不要 盛り籠の花を一対と 献花用の赤とクリーム色のカーネーションを15本用意していただいた
娘3人は揃って最後まで笑顔を貫いたが 孫と曾孫たちはさすがに涙でほほを濡らしていた
娘3人が揃い 孫と曾孫に見送られて静かに荼毘に付されて肉体は白い骨に変わっていた
温かい遺骨を手にしたがここでも悲しみよりも安堵が満足感を満たしてくれた
友引の後でありこの日は火葬を待つ人々がひっきりなしに待合所に詰めておられた
嘆き悲しまれている様子はほとんど見なかったように思う
高齢者の死が多かったのではなかろうかと思う 参列者もまた高齢者が目立った
母は幸せに旅だったが わが身の最期は如何なることになるやら
ドッコイさんにも何も知らせてはいない
ドッコイさんを一人残さないためにも 母と同様に見送ることができれば幸だと思ってはいるが 運は天にお任せするしかない
【成るようになる 成るようにしかならない–S,Ma】
夜になって帰宅すると チビクロリンが寝こけていた
この犬もまた推定17年の高齢犬
確りと看取ってやりたいと念じている
【終わり良ければすべてよし】
人も動物も全ての生き物にこの言葉が適用されることを祈る
葬儀の話で不快に思われたお方がおられたらお許し願いたい
私には不浄のことではなくむしろ喜ばしいこととして書き記したかったことをご理解いただければ幸いに思うのです
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