事実ときれいごとの差を考える 対話の機会
今日は午後から行政書士会の方にお話をさせていただく機会をいただいて なぜ「安楽死処置」(安楽殺処置)を否定してはならないかということなどを事例を追って説明させていただきました
2時間のお話と1時間の質疑は時の間に過ぎました
皆さんとても熱心に聞いてくださり質疑にも真剣さがありました
私は常に伝えたいことの一つとして「交渉は明日のない交渉をしてはならない 続きのない「今日でおしまい」という交渉は単なる言い合いにすぎないと申しています
次回に会う機会がなくなれば 本来求められている動物の苦境を救うということから外れて 見捨てることになるからです
交渉相手のプライドを損ねないように その場は折れてでも 将来的な損得勘定をすべしとも伝えています
損得とは 無論金銭のことではなく 現実的な動物のQOLが改善されることへの方策のことです
「殺処分ゼロ」「ノーキル」の陰で 苦境にあえぐ動物たちがいることに目を向けていただきたいと申し上げました
目を背けてはならないことに 敢えて目をそらし「美しそうに」ごまかすことで「動物福祉」を「動物あいご」に止めようとする近年の風潮に 新たな関心を持たれて これでよいのかと言う問い直しをしていただきたいと話しましたら とても関心を持ってくださいました
普段は殺処分はしてはならないと思っていたので 目からうろこだと言ってくださり この機会をいただいたことに感謝いたしました
次回18日にさらに視点を変えてお話を進めさせていただく予定です
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3月8日・18日と、松田先生のご講義を拝聴させて頂きました、兵庫県行政書士会の大下幸子と申します。
二日間に渡り、貴重なお話をありがとうございました。
頂戴した東京新聞のコラムも、拝読させて頂きました。
本当に長い間、動物福祉の問題に体当たりで向き合っていらっしゃったのですね。
この度の機会を得て、松田先生にお目にかかれて、たいへんに光栄でした。
仕事の面で勉強させて頂いたのみならず、確固とした信念を貫かれた先生の生き方をお伺いして、非常に強く、心を揺さぶられました。
私の生家では、長くポメラニアンを飼って参りました。
一昨年、そのポメラニアンが高齢で亡くなり、落ち込んでしまった母親のために、姉が、犬の里親募集サイトから、一頭のポメラニアンを連れてきました。
その子は雌で、繁殖用に飼育されていたものだったので、名前もなく、年齢も分かりません。
ずっとケージの中に閉じ込められていたためか、両手足の指が、ケージの針金を掴む形で開いてしまっていました。
長年のストレスのせいか、毛並みも薄かったです。
痛々しいほど人間に気を遣っており、恐縮して縮こまったままで、何かをねだって吠えたり、主張したりすることは一切ありませんでした。
いつも部屋の隅っこで、「私はここにいていいんですか?本当にいいんですか?」と、確認するように、すがるような目で見上げてくる子でした。
母は、この子のいじらしさがたまらなくなり、本当に可愛がって育てています。
今では、薄かった毛並みも濃くなり、わがままを言って吠えたり、おやつをねだったりもする、普通の犬になりました。
一つ年上の姉は、御夫君共々、熱狂的な犬好きでして、現在パグを一頭とポメラニアン二頭を飼っています。
二人は個人レベルで、不遇な犬を助けることに情熱を傾けており、犬達はいずれも、ペットショップで売れ残ったり、先天的な病気や乱杙歯で商品価値が低かったりして、遠からず殺処分されたであろう子達でした。
私は今まで、そういった姉夫婦に、「医療費もばかにならないのに、よくそこまでできるなあ」と、感心半分、あきれ半分の思いを抱いて参りました。
私自身も動物は好きで、現在は猫を飼っています。
姉夫婦ほどではないにしても、可愛い盛りの子犬や子猫ばかりが、狭いケージに詰め込まれたペットショップを見ると、「こうやってむやみに繁殖させて、売れ残ったら処分しているんだなあ」と、憤りを感じてきました。
しかしながら私は、問題意識を持って何か行動するのではなく、「いたたまれなくなるので極力ペットショップには行かない」という方法で、考えることを回避してきました。
この度松田先生のご講義を拝聴して、今まで自分も不適切だと思ってきた、営利目的の動物の過剰繁殖を変えていくために、何か少しでもお手伝いができれば、と考えるようになりました。
ぜひ一度、CCクロの活動を、見学させて頂けませんでしょうか?
CCクロのホームページも拝見し、4月18日のボランティアオリエンテーションを、受講させて頂きたいと思っております。
なお、私は、兵庫の女性行政書士有志で組織している、「さくら会」という団体に所属しておりまして、そちらでは年に3回程、様々な内容の研修を行っています。
松田先生のご講義にたいへん強く感銘を受けましたので、ぜひもっとたくさんの仲間達にも、先生のお話を聞いてもらいたいと思い、今、諸先輩方に提案させて頂いております。
まだ全くの企画段階なので、確実なことが言えなくてたいへん失礼なのですが、松田先生、もしお差し障りがなければ、ご依頼申し上げましたら、ご講義をお願いできますでしょうか?
ではまた、ブログを拝見させて頂きます。
長々と失礼いたしました。
投稿: 大下幸子 | 2013年3月27日 (水) 12時45分
はじめまして。大下様。
>確固とした信念を貫かれた先生の生き方
同感です!!
無知層は「ノーキル」の矛盾を見抜くことができず、健康体の安楽死を理解できません。
そのため、松田様が悪役にされてきました(とはいえ隠れ支持者もかなり多かったはず)
「ノーキル」は耳障りだけは良いため、無知層を感激させますが、
虐待飼育をも容認するという恐ろしい考え方です。
ノーキルを掲げるなら、少なくとも早急に繁殖を厳しく罰する法律が必要なのです。
繁殖を野放しにしたまま、全てに良い里親を見つけるなど雲を掴むような話で、
現実味がありません。仮に繁殖を厳しく罰する法ができたとして、浸透するまでに
相当な年月を要します。現に、罰則・懲役のある法でさえも軽んじられているでは
ありませんか。
動物人口過剰な現状でのノーキルは、悪い人を無理矢理、良い人に見立てて里親とすることになり、動物に苦痛を強います。ノーキルと表現すると耳障りが良いですが、
『虐待飼育をも容認する延命』 としか思えません。
動物はどんなに苦しくても、自力で脱走することも自活もできません。
悪い人へ飼わせるくらいなら、健康体でも安楽死すべきです。
悪い人を無理矢理、良い人に見立てて里親探しに精を出すボランティアは、
動物が譲渡先で苦しんでいようが一向にお構いなしで、動物福祉に反します。
>営利目的の動物の過剰繁殖を変えていくために
営利目的であろうがなかろうが、繁殖は動物人口を増やします。
産ませた飼い主は命を持て余し、一日も早く、家から追い出す目的で里親探しをします。
悪い人をも無理矢理、良い人に見立てて、譲渡して、せいせいしてます。
そして、良い人へあげたから幸せに暮らしているはず と思い込むことで自己免責します。
一方、譲り受けるほうは、誰しもが初めは、一生大切に大切に飼います と言いますが、
最後まで飼えない人が後をたちません。現に、保健所へ持ち込まれる命は
初めは、誰かに大切にされた命なのです。
http://www2.tky.3web.ne.jp/~meme/breed-is-bad.htm
投稿: 星野 | 2013年3月28日 (木) 01時25分