« 2013-2-10映画「ひまわり」鑑賞の感想 | トップページ | 2013-2-2土曜日 朝日新聞-耕論ペットという存在 についての私見-② »

2013年2月12日 (火)

2013-2-2土曜日 朝日新聞-耕論ペットという存在 についての私見-①

 

朝日新聞が大々的に取り上げられたテーマ「ペットという存在」を拝読して どのような思考をもとに構成されたのか問いたくなりました

 

「熊本市動物愛護推進協議会」会長 松田光太郎獣医師

 

老犬の世話がしきれなくなり 蛆虫をわかせた飼主が

【―――「麻酔薬で「安楽死させてあげて」と頼む人がいるんですよ。そんなとき、私は叱り飛ばすんですよ。目の前でウジを一匹ずつ取りながら「見てごらん、あなたのせいですよ」と。お願いだから二度とペットは飼わないでくれ、と言いたくなります。―――】

 

これだけ拝読すると良いことを述べておられるように聞こえますが 私は違う角度から感じることがあります

 

この飼主の背景が全く見えない状況で 獣医師という立場だけでの 一方的な主張が気になります

 

●この飼主は本当に余裕があるのに刹那的か 短絡に「安楽死処置」(安楽殺処置)を求めたのか?

●蛆虫をわかした経過において 飼主の単なる無責任行為であったのか?

●動物との共生の始まりがどのような経緯で この飼主のもとに飼育され始めたのか?

●経済的な要因はなかったのか?

●飼主自身の健康 年齢 生活状況の変化に同情すべき点はなかったのか?

等々

 

「見てごらん、あなたのせいですよ」と言われて 「はい さようでございます」という返事のもとに連れ帰ったのちに飼育管理が完全に改められる継続指導がなされたのか?

 

短いインタビュー記事のまとめでは制限があることは承知ですが だからこそ 丁寧な説明ができる ある程度なるほどと 理解できる状況説明ができないような記事の掲載は慎んでいただきたいと感じます

 

私の経験では 動物も気の毒だが やむに已まれず「安楽死処置」(安楽殺処置)に救いを求められる人々もたくさんおられました

 

世話が面倒とかいうものではなく 精神的に気力をなくされた方には外観的にはその判断は困難です

まして 初めて「安楽死処置」(安楽殺処置)を求めて訪れて 叱り飛ばされた人の心は大きく傷つかれたのではないかと感じます

 

誠意がなくて短絡に「安楽死処置」(安楽殺処置)を求めた人であれば その後の動物のQOLはどうなるのか?

 

そこまで配慮できる獣医師であっていただきたい

最後の頼りが動物にも飼主にも「獣医師」であることを忘れないでください

再度 私の経験ですが 神戸市動物管理センターに放棄で連れてこられた複数の例では 数年(10年以上も含む)かかりつけであったホームDr,に「安楽死処置」(安楽殺処置)を断られて致し方なく連れてきたと言われたことがありました

私は 同伴してご案内しますから開業獣医師のお世話になられますかと問いますと 「最後のことですからぜひお願いします」と言われてご理解ある獣医師に事情を説明してご協力いただいたことがありました

安らかに死を迎えられたことに安堵され 獣医師に対して「心から感謝いたします」と言われていました

 

●「熊本市動物愛護センター」の安易な引取拒否について どの範囲が「安易」とされるのか 

●引取拒否をされた動物のQOL観察指導はどの程度に徹底されているのか? 

●譲渡に際しての事前 事後訪問はどの程度にされているのか?

数字があれば公開していただきたいです

 

以前に拝見した映像では 不適切多頭数飼育さえも容認され 引取をしないで飼主に返されていました

その後もあのままで 生きているから値打ちがあると言えたのでしょうか?

 

現状 飼主様の動物を迎え入れた譲渡元を調査された結果が「特定非営利活動法人 動物愛護社会化推進協会」会報誌に報告されています

もっとも多いのはやはりペット店です

行政機関や愛護団体からの引取はごくわずかです

 

そのような背景からも 日本における動物との共生という理念において 「助ける」よりも「欲する」が優位であると感じられます

刹那的でなければ そのことは決しよくないことではありません

今や動物も長寿の時代ですから 「欲する」ことは大切な選択肢だと思います

 

安易に「助ける」つもりでも 四国の「崖淵犬」のように飼育困難となるようでは動物も人も不幸ですから 日常生活に即した動物を選ぶことに徹するべきであり 譲渡する側もその点に重点を置くことが大切と感じます

 

熊本市ではペットショップでの販売に際して 飼主指導についてのご協力が進んでおられると書かれていますが そのことは敬意をもって賞賛したいと存じます

しかし ほとんどのペットショップでは 「売る」ことに重要性があると認められ 狂犬病予防法に反する助言迄している有様です

 

松田獣医師は最後に 【小さくても「いのち」ですから、覚悟をもってもらいたいと思います】と結び

飼主様の覚悟を求められておられますが 私は 

獣医師にも動物を苦しめることなく安らかにできる 唯一の専門家であることを

覚悟し 自負していただきたく存じます

 

[繁殖規制の無い現状では 安楽死処置は動物福祉からは切り離せないものです-,Ma]


【人が辛さに耐える分動物の苦痛は救われるが 人が辛さから逃れたければ動物に苦痛を耐えさせることなります どちらもあなたが選択されることです-S,Ma】

[私の考えに過ぎないが 「人工発生」と「人工淘汰」の原則を守る必要があると主張する-,Ma]

 

獣医師は「人工発生」=交配に関られています

「人工淘汰」=「安楽死処置」(安楽殺処置)にも責任ある対処をしていただければありがたいと存じます

 

言葉が過ぎるとご立腹とは存じますが 

[意見は違って当たり前 他人の意見の尊重も忘れずに-,Ma]

と言うことで失礼の段 ご寛容にお願いいたします

 

2013-2-12 文責 松田早苗

« 2013-2-10映画「ひまわり」鑑賞の感想 | トップページ | 2013-2-2土曜日 朝日新聞-耕論ペットという存在 についての私見-② »

動物福祉」カテゴリの記事

コメント

>この飼主の背景が全く見えない状況で 獣医師という立場だけでの 一方的な主張が気になります


全く同感です。
背景を無視して、一面だけで善悪を判断するのは危険です。
目の前の事象に情緒的に反応するのではなく、「なぜ」「どうして」「なぜ」「どうして」と
ひとつずつ、詰めていくべきでしょう。


>●この飼主は本当に余裕があるのに刹那的か 短絡に「安楽死処置」(安楽殺処置)を求めたのか?

>●蛆虫をわかした経過において 飼主の単なる無責任行為であったのか?

>●動物との共生の始まりがどのような経緯で この飼主のもとに飼育され始めたのか?

>●経済的な要因はなかったのか?

>●飼主自身の健康 年齢 生活状況の変化に同情すべき点はなかったのか?


全く同感です。

蛆がわいたという点からして、飼い主は掃除好きでない気はしますが、
その一点だけで不良飼い主と判断するのはいかがなものでしょうか。

その犬を観察する暇もないほど、老人介護に明け暮れているのかも
知れませんし。老老介護で仕事を持つ高齢者がひとりで二人の老人を
介護している例もあります。
獣医師が思うような最悪の飼い主ならば、遺棄したでしょうし。


>私の経験では 動物も気の毒だが やむに已まれず「安楽死処置」(安楽殺処置)に救いを求められる人々もたくさんおられました


ごもっともです。

遺棄された動物を見過ごすことができない性分を有している者は、
経済的にカツカツの状態にありながらも、次々に保護する。保護したあとに、
正しく飼える里親が見つからない。その繰り返しですぐに収容できるだけの
許容頭数を超える。
一匹に掛けられる費用は、保護頭数が増えるにつれて、削減していかなければ
いけない。となると、徐々に動物の生活の質を下げなくてはいけなくなる。
多頭の場合、動物同士の相性の問題から、動物はストレスを抱えるようになる。
それが、動物に苦痛を与えていることを自覚できる有志は、安楽死処置という
決断にたどり着く。これはボランティアのケース。


一匹飼いの飼い主のケース。
どうしても飼えなくなった場合、
大切に大切に飼ってきた人ほど、動物の生活のクオリティを下げてしまうような
ことはしたくない。新しい飼い主が見つかるとしても、今まで自分たちが大切に飼ってきたように、
大切にしてもらえなかったら、動物に苦痛を強いることになる。

と、考えると安楽死処置を選択します。
いずれも「動物の生活の質」にこだわるものであり、
生命維持さえすれば良いという残酷なものではありません。


>安らかに死を迎えられたことに安堵され 獣医師に対して
「心から感謝いたします」と言われていました

このように、動物に苦痛生活を強いることを回避できたことでホッとするという
感性を持つ人が増えれば、日本の動物福祉も向上するでしょうが、
現状は、「虐待飼育も容認する生命維持」に価値を見いだしている者が
存在し、前進を阻んでいます。


>松田獣医師は最後に 【小さくても「いのち」ですから、覚悟をもってもらいたいと思います】と結び飼主様の覚悟を求められておられますが

この獣医師は、本質を理解していないように思います。表層的でしょうね。


>獣医師にも動物を苦しめることなく安らかにできる 唯一の専門家であること
覚悟し 自負していただきたく存じます

全く同感です。


>朝日新聞が大々的に取り上げられたテーマ「ペットという存在」を拝読して 
どのような思考をもとに構成されたのか問いたくなりました


読者のほうが少しは賢くて、近年、新聞離れ、テレビ離れが
加速していることだけが救いに感じます。


最後に、松田様の情報収集力には脱帽です。
私の場合、狭い範囲ではありますが、できる限りのことはします。



星野さん コメントありがとうございました

【情報収集力】と言うほどのものではありませんが ご自分では発言しにくい方から頼られることもあり 「情報」がやってくることも多いのです

朝日新聞の購読はしていませんので 掲載直後にはこの記事のことは知りませんでした
映画を鑑賞した際にコピーを渡されて 目にしたものの 遅ればせながら一言言わずにはおれなかったのです 
その②ではアイリスオーヤマ社長殿に苦言を用意しています

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/333032/49358613

この記事へのトラックバック一覧です: 2013-2-2土曜日 朝日新聞-耕論ペットという存在 についての私見-①:

« 2013-2-10映画「ひまわり」鑑賞の感想 | トップページ | 2013-2-2土曜日 朝日新聞-耕論ペットという存在 についての私見-② »

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            
無料ブログはココログ

最近のトラックバック