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2012年12月 6日 (木)

2012-12-6 「正しい」ことの判断は難しいのか?

 160匹犬虐待 40匹猫ネグレクトと聞くたびに「殺処分ゼロ」「ノーキル」がむなしく感じるのは私だけだろうか?
劣悪多頭数飼育でも生かしていることをほめなければ「ノーキル」は思想として破綻していると感じるが 改正法では獣医師にもみだりに殺処分してはならないと注釈を入れる念の入れようにあきれるばかり
 
動物の不幸には関心がないのかと問いたい

そもそも 殺処分に対して厳しくあってほしいと願ったのは 虐待や犯罪的殺戮の防止が目的であったが 現状では「安楽死処置」(安楽殺処置)さえも否定して すべての殺処分を禁止しようとしている
 
「尊い命」は生産されるものではないが 動物関係者間では「繁殖」という名の下での生産がされている
 
無秩序な人工繁殖を野放しにして 人工淘汰に責任を持たないのはネグレクトの容認に等しい
 
「正しい」ことの判断基準がずれているのか 多数決による「正しい」の判定なのか?

[真実は唯一ですが正義は人の数だけあります-S,Ma
 
と謳ったら 「立場主義」であり やくざもやくざの正義を主張するからご都合主義的だと批判をされた
 
当然ながら 私とても やくざの主張する正義を正義だと認めるつもりはないが 社会には多様な感じ方があるのだと再認識させられる
 
故意に「立場主義」だと悪意に解することが「正義」なのか?
犯罪者の弁護をすることで犯罪者の刑を軽くすることが「正義」なのか?と問い返したら それは間違っている 犯罪者は適切な刑罰を受けることが当然とのご見解であり そのような弁護をする弁護士は嫌いだとのことであった

理不尽な書面に違和感を感じたというと そういうことをいうのは後ろ暗いからだとも言われた
 
社会的に上位にある人は高圧的な態度をとることは当たり前なのか?
身についた習慣なのか?
意見を意見として言わさないことも「正義」なのか?
ちなみに他の複数の人々にその書面について問うた反応は 私と同様に違和感有とのことであった
 
「正しい」ことの判断は難しいのか?

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コメント

立ち位置、スタート視点が違うと物事の解釈がまったく変わってくるのでしょうか。この問題に真摯に向き合えば、たとえ初心者の頃には受け入れられなかっただろう考えも理解できるようになるはずですのに・・・。

S,Maさんのお気持ちを思えば、動物関連の活動とは?と問いかけてきた某議員に、とどのつまりに「散歩せんでも裏山に夕方放せばそれですむで!」等、独自の考えを、したり顔でおおいに語られたときの私の虚無感のその比ではありませんね。

しかしながら、地味とは言いつつ「殺処分ゼロ」の言葉を繋ぎに、社会的著名人の同意とともに精力的な活動を展開される方が多いのも事実です。この始動同一活動パターンが繰り返され、行き着くところはどこか、想像すればため息が出ます。

ちなみに、あのダックスの多頭飼い繁殖家が「犬は家族だから譲渡しない」と語っているとか。160頭も同時に飼ってまともに飼育できるはずもなく「家族」とは?何故こういう言葉が堂々と吐けるのか?思い違いを生む社会の責任を問われる一件です。

chara_k さん
コメントありがとうございました

【某議員に、とどのつまりに「散歩せんでも裏山に夕方放せばそれですむで!」】
こんな議員は落選させないといけませんね
こと動物福祉だけではなく社会的に「正しい」という概念が理解できていない人だと感じますね

【行き着くところはどこか、想像すればため息が出ます。】
本当に虚無感に苛まれるとはこのことですね


160匹犬虐待 飼主は家族と言う 家族をいじめるのはDV どのように言い訳しても許せる範囲にはない 刑罰に飼育禁止と取り上げが必要だが 取り上げたもののその後も 行政機関でも民間でも多頭数飼育でネグレクトが関の山と言うところが情けない 「ノーキル」の波及が招いた悲劇と言えるだろうと思うのです

先日、友人が、「保健所へ電話して処分を止めた」 と。
友人は、苦痛死だけは避けたいとの理由から、そうしたのでした。

苦痛死を避けたはいいが、すぐに保健所へその犬をレスキューにいかないと、
「苦痛生の始まり」となるではないか!それでも処分を止めることに意義があるのか!」
と抗議しました。

処分を止めたなら、すぐに処分場へ迎えに行き、確実な人に新しい飼い主になってもらうこと。
それができないなら、安易に処分を止めるというスタンドプレイをして欲しくないものです。

「ノーキル」 という耳障りの良い言葉に踊らされて、延命に傾注し、「生き地獄」を動物に
押しつけて、助けた気分に浸る偽装愛護者の多いこと、多いこと。

「不妊手術を広めればノーキルは実現できる」と、もっともらしいことを言うかたへ反論したい。

「確かに理論上はそうだが、そう簡単に不妊手術を広められるなら、あなたがやれ。

不妊手術の普及は一筋縄ではいかない。

お金はこっちで負担してあげるから、不妊手術をしてください、という説得にも応じない

クレイジー飼い主が腐るほどいるという現状を知らないで、

“不妊手術を広めればノーキルは実現できる”と言うと笑われますよ」 と。

偽装愛護者が多い中、S,Ma様は、年間12000匹もの動物を引き取り、
助けてきた方だからこそ、絵に描いた餅ではなく現状に即した解決策を
提言されるのです。

 


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