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2012年7月22日 (日)

2012-7-21 「曖昧模糊」NHK原発検証レポ その他

 

福島原発の人災経過をセミドキュメントで報じていた

減圧装置の空気を送る配管が 緊急対応度がランク「C」の設定であることと   配管距離が70mと長く 地震によるヒビか接合の緩みで気体が漏れていたかもしれないとのこと

 

その検証もできていない間に大飯の再開をしてしまった

検証をしていれば再開がいつになるかわからないことと 結果次第で再開ができないことを考えた結果 強引に再開を既成の事実にしたと思われる

 

米国での原発危機管理対応を取材していたが 官民協働で想定するあらゆる危機に対応すべく 人材も物資も共に備えている

 

日本人は何事にも どこかで「徹底的」にすることに甘いように感じる

国民的に「曖昧模糊」が好みなのか? 

危機に対しても指揮 管理責任の追及が「曖昧模糊」としていると感じる

徹底しないことが「美徳」とされかねない 「暗黙の了解」が働くのか?

 

しなければならないことをきれいな形容でごまかそうとする傾向が強いのではないだろうか?

 

同じく今夜 死刑囚の実態のレポを民放で報道していた

10年間も死刑囚の世話をしてきた刑務官が死刑にしないでくれと懇願されこともあったようだ

罪人にも刑務職員にも10年は長すぎる

他方 死刑囚が宗教的よりどころをなくすと耐えられなくなるであろうと報じていたが

死刑囚により殺害された被害者は 宗教的より所どころか あらゆる権利を奪われて 直接には怒りもぶつけることはできないのが現状だ

何か どこかで 適度な「合理性」を「冷淡」に置き換えることで「曖昧模糊」を良しとされているのではないだろうか?

 

政治的な汚職や 責任追及についても「曖昧模糊」が多すぎると感じる

私欲のための 動物活動家の「募金」についてもほとんどが「曖昧模糊」とされ 「動物を救ういい人」にされていることさえもある

 

「よくないことは良くない」と言い切ることも大切だと思うが勇気もいるのが現状のように感じる

 

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