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2012年2月26日 (日)

ミニチュアダックス10匹無残、女が飼育放棄か  (読売新聞 - 02月25日 15:03)についてのコメント

ターボー閣下さんの日記 から

ミニチュアダックス10匹無残、女が飼育放棄か 
 
(読売新聞 - 0225 15:03)についてのコメント

 

「『動物好きの人』は嫌いなんです」という動物福祉活動家                              

2012022520:08

以下はこのコメントについてS,Maのコメント

 

ターボーさん いつもながらの細やかなお心遣いに痛み入ります

 

私の経験では 動物を不幸にしている人の99%と言ってよい程度に「自称動物愛好家 動物大好き!!」でしたね 

 

特に動物に関する何らかの活動をしている人 

箸にも棒にもかからない 

[自己愛型動物愛護-S,Ma]に自己陶酔をしていますね 

 

「殺処分ゼロ」も「ノーキル」も今日の日本の繁殖制限なしの実情から割り出して その結果が「幸」に結びつくことはないでしようね 

それでも殺すなと言うことは 苦しむ姿を見ていられる気丈な人なのでしよう 

 

以前に某弁護士氏と論争したことがありました 

その方曰く「何故自由に暮らせるのに(捨てることが)いけないの?」でした 

 

「地域ねこ」も公認の捨て猫であると私は思っています 

どこに捨ててはいけない 「地域ねこ」なら捨ててもよい?

法律にわざわざ遺棄が罰則付きで禁止されたこととの矛盾を法律家としてどのように感じられるのか?

ならば罰則付きの遺棄の禁止法を撤廃する活動をされるべきではないかと言いたいのです 

 

華やかな社会生活をされる人々の多くに「ノーキル」支持者が多いことも現実を見ぬふりをしてしのげるからかもしれない 

「ノーキル」と唱えなければ人気稼業が維持できない 

そうすれば実情に無関心な多くの人に「優しい人」と評価される と 皮肉な感じ方をしています 

 

餌付けの人々が瀕死の状況になった動物の末路に困って持ちかけられた相談は数えきれません 

蛆を湧かせて治療もしない 死骸の始末ができない 

そのたびにしりぬぐいに出向きました 

せめて死体を公的機関の獣屍炉で昇華させてやりたいと思うからです 

ooさんよく触れますね わたしは気持ちが悪くて」だって 

思いやる気持ちがあれば汚いくらいは平気の筈 

こんな人を慰めるために餌付けされて生かしてやったと自己満足されて 動物も災難です 

 

咬傷事故が予測できる犬の譲渡を止めても一度は試してやりたいと「慈悲深い」あいご家に試された飼主一家は期待に背かず大けがをされました 

それでも一度では「相性が良くなかったからかもしれない」と二度目も被害者を作りました 

そして3度目の被害者が出て初めて「やはり無理でしたが私には「安楽死処置」(安楽殺処置)はできないのでお願いします」でした 

むろん私は引き受けて即日獣医師に「安楽死処置」(安楽殺処置)をして頂きました 

こんな記録書き出すときりがないのです

「ノーキル」は動物のためではありません 

殺したくないのは皆同じでしょうが 虐待飼育を黙認しなければ「安楽死処置」(安楽殺処置)は必要なのです  

 

S,Ma-

法的には咬傷事故があった場合は管轄の保健所に届け出て狂犬病予防法に基付く獣医師の監察期間を経なければ殺処分はできません

この例では事故から日数が経っていたことと 被害者が寛容であられたようで届けは出さないで済まされたようです

引取った際にはその確認をしております

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