2010-9-13in HIROさんコメント4 ありがとうございました
面識の全くないお方と こうして相互に意見交換ができることはネット以外には考えられないですね
素早く安価にできることも情報交換としてありがたいことです
この年(71歳です)にしてPCに向かうことは 毎日が試行錯誤ですが 何にでも興味津津ですので 知ることの楽しみで退屈はしないですね (とは申しましても所謂ゴシップ的なものや人様の個人的なことには一切関心はありません ボランティアに来てくださる方からも自ら話されないことはお聞きしないのが私の基本ですその日 一日だけでも動物福祉に役立つために「誠実」にお働きくだされば過去も未来も不問としていました)
【 仰るとおり、S,Maさんの仰る「真実」の意味を誤ってとらえておりました。南京大虐殺の例などからその違いを理解することができました。】
お解りいただけてよかったです
【ここでの「譲渡」とは、愛護センターなどの公的機関による犬猫の譲渡だけでなく、動物販売業者の消費者への動物の販売のことも指しているのかなと感じました。私の解釈は適切でしょうか。】
はい 有償無償を問わず動物を他の人へ委譲することを意味します
【動物福祉は、動物の「幸」を従来より人に近い形で追求することなのかなと推測します。 そこで、このS,Maさんのコメントを人にも置き換えて考えてみました。】
ここは私の考えと多くの動物愛好家のお考えが大きく?違う点であろうかと感じますが 私は動物の一種ではある「ヒト」と文明 文化を創った「人間」はその他の動物とは区別した方がよいと考えています
「人」の都合で法律や規制を制定し 価値観の多様性を認める「人」が現実的に観て他の動物を支配しているのが現状であり そのことの傲慢さを問われることがアニマルライツanimalrights「動物の権利」思想につながると思います
人にも置き換えて 私はここはしてはならないと言う考え方です
多くの[自己愛型動物愛護-S,Ma]を活動の基にされる動物あいご家の場合このような言い方がされ ストリートチルドレンと遺棄浮浪動物の問題と同列にされますが それは人に対しての福祉の不備をごまかすものであり 本来は動物に対する福祉も大切ではありますが動物福祉を大切にしたいS,Maではありますが 人間として同族の子供を守ることの方がより大切だと思います
ではなぜ動物の福祉の活動であり対人福祉の活動ではないかとなりますが 対人福祉に対しては不足とはいえ法的にも生活保護 医療補助等のある程度は保証があります
動物はひたすら巡り合った「人」=飼主(保管管理者)に全てを託すことにしか生活の保障がありません
人のためにはそれなりに働く「人」がおられるように 動物のためにも働く人がいてもよいでしょうと言うことです
【身寄りのいない子供たちの施設で、】
このような触れかたは ご覧になられる関係者に非常に失礼だと感じます
私にはあなたが感じられた素直なお考えで ほんの少しの悪意もない発言であることを十分に解ると感じられますから ここは避けないで受けて私の意見を言わせて頂きますが 比較対象としてはしてはならないことも申し添えておきます
その発想を肯定すれば「繁殖」についてはどのような解釈をされるのか問いたいですね
それこそ恐ろしさを感じます 触れてはならない部分にも立ち入ることになるのかもしれません
すでに人はあらゆる生命操作をしています
自然とは何かを問うことにもつながる 哲学か医学か科学か経済学か美学か 問えば問
うほどに答えは遠くになります
ヒトとしての母性の喪失が動物以下になりつつあるのではないかと危惧する昨今の事件は単に動物としてではなく 「人」としての自尊心 尊厳を問う重大な問題としてとらえなければならないように感じます
言い換えれば「人」であるから その行為が問われていると思うのです
特に共生動物は人のために都合良い動物に仕立てて 人の社会生活をより豊かにするとされています
しつけも 訓練もそのための手段であり 犬と猫に限っては自然発生したとは言い難い 人工繁殖をさせているところで人工発生の状況だとS,Maは感じています
故に「創造主」としての責任を持たなければならない
「創造主」と言うことが傲慢であれば 人工繁殖は決してしてはならないことになるように思います
犬や猫の種類を選択する 消費者である飼主の需要に応じて繁殖する 野生種までもペット化する 対人福祉と言う部分で使役をする 商業動物として展示 芸能部門で使役する
例をあげれば怖くなるほどです
それをどのように抑制して「人」と同格の位置付けをするのでしょうか?
自然発生=自然淘汰人工発生=人工淘汰
この原則がどのように評価されるのか重大な問題だと思います
そもそも その発想こそがけしからんとされ 人も動物も平等に生命があり 生きる権利があるというのが「動物の権利」思想であるように思います
私は常に「権利」は「義務」と並行にあり 『義務』の遂行に支障がある人や動物のためには できる人が代行して『義務』を果たし 「権利」を持たせるものではないかと思っています
親が子のためにするように
犬猫の糞拾いもしかりでしょう
犬猫は処理できないから飼主が「義務」として行い 動物を好まない方もおられる社会に 動物との共生をさせていただく「権利」を頂く
人は他の人の福祉に対して 人として可能な限りの助力に努めることが大切だと思います
直接行動する労力で助力できなければ経済(募金等)で それもできなければ心だけでも何もしない無関心よりも良いと思うのです
(やっていますと言うことは言訳のようで恥ずかしいのですが この際には言い訳も大切かも知れませんので敢えて申しますが ご寛容に願います
微力ではありますができる範囲にユニセフ 赤十字 災害時等 対人福祉への募金協力をさせていただいています)
人にも置き換えてとなれば あなたの例から置き換えますと子供の施設を詰め込みで喧嘩をさせないためには拘束をすることも ネグレクトは辛抱させることも容認するとしかねない
【もちろん、処分などということは考えられません。 (ただ、これは、もう「空想」になってしまっている気もいたします。)】
若いお方ですからいろいろな角度から思考されることは好いのですが 表現では慎重であって頂きたいと提言いたします
自分自身で問い詰めた結果は S,Maは「人」と「動物」は現状では同一視しない方が 動物にも人にも より救いがあると感じています
そのうえで共生するためには最善を尽くす
それが私が動物福祉の向上を願う活動に半生をかけた答えのように思います
【 はい。2つ目のコメント投稿でUPさせていただきます。】
ありがとうございました
早速確認させていただきます
厳しいことが多くお気を悪くされたかもしれませんが ごめんくださいね
誠実に応えてくださるあなたに敬意を表します ありがとうございます
[「誠実」に「真実」を語り「親切」であれ-S,Ma] S,Ma
« 2010-9-11in HIRさんコメントⅢありがとうございました | トップページ | 「犬と猫と人間と」ニュース Vol.18 2010.9.19 »
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コメント
« 2010-9-11in HIRさんコメントⅢありがとうございました | トップページ | 「犬と猫と人間と」ニュース Vol.18 2010.9.19 »
お返事ありがとうございました。大変遅くなってしまいましたが、再度コメントさせて頂きますね。
実は、お返事はすぐ拝見していたのですが、前回の発言内容を反省し、資料を集めたり、考えを整理したりしておりました。
>>【身寄りのいない子供たちの施設で、】このような触れかたは ご覧になられる関係者に非常に失礼だと感じます
このご指摘を受け、とてもショックを受けました。関係者の方がご覧になっていたらと考え、また、もし自分や知り合いに対してネットでこんな風に(「仮定」とはいえ)言われていたら・・・と考え、ただ自責の念にかられるばかりでした。
少しして脱力感から立ち直り、「動物福祉についてもっと知識を集めよう」と考えました。正しい知識を得て、もうこんな風に適当な知識で発言し人を傷つけてしまうようなことがないようにしたいと。
まず、S,Maさんにご紹介頂いた書籍(犬の飼い主検定 公式テキスト)を購入して読みました。
また、(私は地方に住んでおるのですが)都会の大きな図書館に行く予定がありまして、動物福祉に関する論文もいくつかコピーして参りました。(こちらについてはまだ読んでおりませんが。)ここでS,Maさんに指摘して頂かなければ、動物福祉に関する資料を集めようと考えなかったかもしれません。本当に感謝します。
>>人にも置き換えて 私はここはしてはならないと言う考え方です
先日、『日本の動物法』(青木人志)を読み、人と動物の違いを学びました。著者のコメントによると、私のように法学が専門ではない読者にも分かりやすいように書かれてあるようです。それを読んだときに、人と動物の間には、法律の規定による、とても高い壁があるということがわかりました。動物は、人の「財産」。
>>ここは私の考えと多くの動物愛好家のお考えが大きく?違う点であろうかと感じますが 私は動物の一種ではある「ヒト」と文明 文化を創った「人間」はその他の動物とは区別した方がよいと考えています 「人」の都合で法律や規制を制定し 価値観の多様性を認める「人」が現実的に観て他の動物を支配しているのが現状であり そのことの傲慢さを問われることがアニマルライツanimalrights「動物の権利」思想につながると思います
法は、多くの意見をまとめるという形で作られたもの。そして、人の意見によって変わっていく流動的なもので、犬・猫の問題においても、「法がどうなっているか」だけでなく、S,Maさんのように、「今なにをする必要があるのか」を常に考えなければいけないのですね。
>>自分自身で問い詰めた結果は S,Maは「人」と「動物」は現状では同一視しない方が 動物にも人にも より救いがあると感じています そのうえで共生するためには最善を尽くす それが私が動物福祉の向上を願う活動に半生をかけた答えのように思います
私は、執筆中の論文のためだけでなく、日々の愛犬との生活のなかで、犬と人間の関係のあり方について考えることもあります。犬・猫と真剣に向き合ってこられた方のお考えをもっと知りたいと思っておるのですが、S,Maさんが著された書籍、論文、また、取材をお受けになった記事などがありましたら、教えて頂けないでしょうか?
投稿: HIRO | 2010年9月21日 (火) 15時47分