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2010年7月21日 (水)

2010年07月19日(月)  「鳥の広場」を拝読して

http://blog.canpan.info/torinohiroba/archive/356#comments

神奈川県動物愛護協会[20100719()]  チッチ at 14:34

山田氏(ご本人と推定して?) チッチさんの双方の文書を拝読し感じましたことです


以下 文責S,Ma

誰であっても何のために唱えられる「ノーキル」なのか?

概ね動物の生命尊重のためにと大義名分ではなっているようですね 

「神奈川県動物愛護協会」と団体名にしておられますからには「動物愛護活動団体」として動物の収容 譲渡 市民啓発? に関する活動をされておられると拝察します

余談になりますが

「犬と猫と人間と」に映し出された画面には「JSPCA」の古い?文字が読み取れます

JSPCA=()日本動物愛護協会の英語略名ですね

 

「啓発」とは他に先んじて取得した知識を広めるための行為であり こうあってほしいと願う考え方への誘導であると思います

公的に法人格を以って活動をされるには それなりに自らが 学問をし 先進的識者からの知識を会得し それらを以って社会に貢献できるという活動をすることが組織的啓発活動であると思います

自己流に単に「良いと思う」ことと 国際的にも提唱されている動物福祉の理念とは違いますね

ときに活動の初歩の方でも 動物福祉の考え方に沿うと言う観点から とてもよい考え方のお方もおられる半面 数十年もの期間継続される活動が基本的に動物福祉に沿わない活動の形態のこともあります

後者の例が多い日本での「あいご団体」は他を啓発すると言いつつ 自らが啓発を必要とされる受け身となっているとみなされる場合が多く 問題の深刻さを感じています

辞書では以下のように記載しています

けいはつ 啓発 教えて知識を開かせること

education; 《フォーマル》  enlightenment  啓発する educate;

「神奈川県動物愛護協会」が「ノーキル」を活動の基盤にされるには 他の多くの団体等と同じく 自己のご都合によるものでしょう

チッチ さんが以下に記したコメントで指摘されているように

 神奈川県動物愛護協会の運営責任者が変わり、「時限収容シェルター」から「ノーキル」に運営方針が転換され、寄付金集めやボランティア要員の数が好転したというのはおっしゃるとおり事実でしょう。
 しかし、過密収容と収容状態のレベル低下は避けられなかった。
 これも事実です。

生かすことに固執してネグレクトは容認されることを啓発団体としての手本として社会に示されているのでしょうか?

「ノーキル」を提唱しつつ 社会の余剰動物対応をされると言うことは あらゆる意味での実力(:経済 人材 知識)を超えて「自己あいご」を優先された 動物に対してのネグレクト保管を容認された結果ではないでしょうか?

熊本市にも同じことが言えると感じます

「犬と猫と人間と」の映像で見る限りでは積極的に知識を会得されての動物福祉に沿った活動行為がされているとは見受けられません

「しろえもん」のトレーニングでも 咬癖のある犬たちの終生保管がネグレクトを容認することでしか生かしてやれない実情を見ても 近年の世界的な動物福祉の思想に沿っていないことは証明されています

多くの人々は「ノーキル」に反対はできないでしょう

殺して気分の良い人は治療が必要ですから 通常には殺さないことを望むでしょう

RSPCA(英国王立動物虐待防止協会)の現状からも容易に推察できますように 人が生きて動物をペットとするからには 殺処分回避は動物に対する福祉の否定なくしてはあり得ないと断言できると思います

かなりの厳しさを繁殖制限に適用させている 動物福祉の先進国でさえも「ノーキル」が完全適用されているところはないでしよう

団体グループの単位では実現できているものも 建前であって社会全体で「殺処分ゼロ」は無理なのです

「ノーキル」を謳って募金を有利に運ぶ目的であり 団体運営の都合によるものでしょう

それが全面的に否定されるものではありませんし 譲渡に専従されて良いのです

施設が整い 人材が確保され ネグレクトは認めない 不適切な譲渡は一切されていなければ 社会に必要な仕事 活動であると認めます

当該「ノーキル」提唱者の方々ができない殺処分=「安楽死処置」(安楽殺処置)を 他の誰かが (行政機関であったり 意識の高い団体であったりと)非難をされても動物に関わる者の責務として殺処分を「安楽死処置」(安楽殺処置)にこだわり実施していると思います

どのように法を厳しくしても 社会を構成している人間は多様です

死刑があっても殺人は無くならないように 人間の周囲に動物がいる限り法に背き虐待 遺棄は無くならないでしょう

その現実に目を向けるなら 「殺処分ゼロ」「ノーキル」は動物への思いやりがない人間の「心を救うため」にのみ意義があることになると理解されるでしょう

【人が辛さに耐える分動物の苦痛は救われるが 人が辛さから逃れたければ動物に苦痛を耐えさせることなります どちらもあなたが選択をされることです-S,Ma

表向き熊本市賛同の方も 他方で疑問視をされていることは話し合えばよくあることです

これはメディアも含めて 熊本市に対する礼賛は その真の改革を阻害する要因となりかねないことであり 議会にこれで十分との誤解を与え 改善の機運をそらし 当に褒め殺しです

「ノーキル」を謳うことは 動物福祉の水準低下をきたし 安易に動物収容施設の開設が可能になるようにと推進されているか  行政機関での状況改革のための費用削減が最大の目論みではないかと懸念します

熊本も神奈川県動物愛護協会も かくも粗末な状況で多頭数飼育が実現し 殺処分頭数の減数に貢献している という事実だけが表に出て その裏で保管される犬たちの苦痛には思いやれない 経費削減と従事する人の安らぎだけが称賛のもととなる もどかしさを覚えます

熊本市にも 神奈川県動物愛護協会の方々にもきつい言葉であることは承知ですが どちらも社会的地位から相応ではない行いに対しての 「批判」であり「誹謗」のつもりはありません

願わくは一念発起をされて全面的に改革をしてくださることを期待します

両者ともに関係各位の全てが現状に甘んじておられることはないと思うのです

メディアや議員各位や 特定の国民の礼賛が改革を阻害し 発言 提言の機会を逸しているのだと感じているのは私だけではないと思っています

再三注釈していますが 現状の全てがよくないとは申しません

第一に保管状況の改善を 保管される犬の身にわが身を置き替えてお考えいただきたいのです

2010/07/21 S,Ma

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