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2010年4月

2010年4月30日 (金)

くららの陶猫と…その仲間たち展 感想 S,Ma

本当に素晴らしい作品に感心しました

動物への温かさが感じられて このような啓発のし方ってとても心地よいものですね

どの作品も きっと 毎日見ていても飽きないと思います

動物愛護推進員活動としても親しみやすくてよい方法ですね

みなさんもぜひお立ち寄りください S,Ma

http://club.kobe-np.co.jp/mint/multimedia/odekake/chotto_odekake/0002917002.html

·                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                               ニュースサイト

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2010426日掲載

5/7まで】猫15匹 陶器の作品展 三木

くららの陶猫とその仲間たち展

愛らしい陶器の猫を展示した倉田優子さん=三木市緑が丘町中

 陶芸教室講師の倉田優子さん(36)=三木市吉川町=による陶器の猫15点を展示した「くららの陶猫とその仲間たち展」が、三木市緑が丘町中のさんさんギャラリーで開かれている。あくびをしている愛らしい表情の作品などに入場者が見入っている。兵庫県動物愛護推進員の主催。5月7日まで。(斉藤正志)

 倉田さんは2008年ごろから、猫をテーマにした創作を始めた。耳をかいていたり、眠っていたりと、今にも動き出しそうな作品に仕上げている。ギャラリーの一角には金魚の泳ぐ水槽があり、横にいたずらしようと狙っている猫を配置するなど、遊び心も生かした。

 室内飼育の仕方などを記した展示スペースもあり、倉田さんは「猫の正しい飼い方を知ってもらうきっかけになってほしい」と話している。

 午前9時~午後5時。水曜休み。さんさんギャラリーTEL0794・87・2633

 【場所】 さんさんギャラリーオアシス (MAP
 【日付】 5月7日まで。午前9時~午後5時。水曜休み。

この記事は過去に神戸新聞に掲載されたものです。
内容については変更になっている場合がありますので、おでかけの際はあらかじめご確認ください。

2010年4月25日 (日)

 「動物愛護推進員の役割と課題」 シンポジュウムのお知らせ

シンポジュウムのお知らせ 転載です

第5回無料シンポジウム開催

2010年5月16日(日)
東京大学 弥生講堂・一条ホールにて
第5回公開シンポジウム
 「動物愛護推進員の役割と課題」 
を開催いたします。

2011年に予定されている動物愛護管理法見直しを控えた今、地域における
動物愛護と適正飼養の推進、啓発に大きな役割を担う動物愛護推進員について
環境省、自治体、動物愛護推進員からパネリストを招き、検討と意見交換を行います。

開催日:2010年5月16日(日)
場所:東京大学 弥生講堂・一条ホール
時間:14:00~17:00

詳しくは下記チラシをご覧下さい。
シンポ改8ブログ用

お問い合わせは当協会まで
特定非営利活動法人 動物愛護社会化推進協会
TEL:06-6971-1162 
E-mail:info@happ.or.jp
URL:http//www.happ.or.jp

入場は無料となっておりますので、ご興味のある方は
是非ご参加下さい!

2010年4月21日 (水)

犬と猫と人間と 上映情報です 2010-4-20 S,Ma

犬と猫と人間と  上映情報です  2010-4-20 S,Ma

まだご覧になっておられない方 一度ご覧下さることをお勧めいたします

人間 生かされている全てのいきものは生きている間は幸せでありたい

死す時は苦痛や恐怖から逃れたい

私が動物に関わる原点です

今できることは何か?

[手の届く最高峰が理想 それを超えるものは空想-S,Ma

現実の中で最善を求めたい

「ノーキル」も「殺処分ゼロ」も 現状では言葉遊びに等しい

過繁殖の現状では安楽死処置は動物福祉からは切り離せないものです

その前にしなければならないことは

[繁殖抑制-適正繁殖][一匹でも多く適性譲渡で救いたいS,Ma]

[飼育される動物たちも 飼育する人も 周囲の社会にも幸せを届けたい-S,Ma]


宝塚 シネ・ピピア2

上映終了日:4/23()

4/20 

4/21

4/22 

4/23 

     

14:10 18:30 |20:35   

一般¥1500 大学¥1300

シネ・ピピア2兵庫(26)宝塚(2)阪急宝塚線売布神社駅から徒歩1

住所 兵庫県宝塚市売布2-5-1ピピアめふ5F 周辺地図を見る映画館ウェブサイト

交通アクセス 阪急宝塚線売布神社駅から徒歩1

電話 0797-87-3565 

FAXによる上映案内 0797-87-3565 (10:0022:30)

駐車場 100 

駐車場料金 15030(映画鑑賞者2時間無料)

2010年4月15日 (木)

広島DP裁判の控訴支援

チッチさんコメントありがとうございました 2010-4-14onS,Ma

ひろしまDP原告団のこの件に関してあなたのお考え 行動は良いことだと思います

現役当時とは違いますから期待されるほどのことはできないとは思いますが すでに私も署名協力に着手はしています

前回のようなみじめな結果で終わらせたくないですね

募金をする側の意識改革にもこの機会は貴重なものだと感じます

公職選挙での各自の貴重な一票と 社会奉仕としての各自の意義ある募金とは通じるものがあります

募金をされる側があまりにも「善意解釈」の拡大をされたことにより 募金を受け取る側の自由裁量に任せすぎているように感じます

政治家に対しても同様に 大きな仕事をする政治家であればその程度の汚いことは許されると感じている国民は多いように思いますね

かつて 源田実氏という国会議員は「この程度の国民にはこの程度の政治でよい」と言う意味の発言をされました

この程度の刹那的なふわふわした募金には この程度の使い方でよいと集金活動屋に思わせるようなことがあってはならないのです

動物を営利の対象とされることも現状では致し方ありませんが 奉仕活動のふりをした集金活動屋に職業として募金集めをされては「善意」がこの国では衰退してしまいます

しっかりとした職業としてのシェルター運営をされることは 募金ではなく仕事の対価として受け入れ 収支も税務に適合したものとするべきです

募金なのか 依頼した仕事への支払い義務に沿ったものであるのか各人の認識も改めて見極めることも大切だと思います

貴重な一票も 貴重なワンコインも相手を確かめて投じなくてはならないと思います

2010年4月12日 (月)

伝統 文化 Ⅱ S,Ma

伝統 文化 Ⅱ SMa

上げ馬神事調査報告を個配させていただいた方からメールのご返信として貴重な情報をいただきました

日頃尊敬している方であり ご本人の同意を得ていますので複写文を掲載させていただきます

「意見は違って当たり前 他人の意見の尊重も忘れずに-SMa

SMaの信条ですが 視点を変えて物事に接するということは大切だと思います

上げ馬神事告発についても他のブログで 愛護団体の不穏な動きのような感覚でとらえておられることがあり シーシェパードと同一視されていましたので そのブログに彼らの暴力肯定の活動とは全く違うことを書き込ませていただきました

The Cove」についても「伝統文化」が防波堤に使われています

下記は Kさんから送って頂いたご意見に対するSMaの返信として差し上げました文書です

メディア不審について同感であり 報道の在り方には大きな不安があります

別にKさんの原稿を掲載しますが ご参考までに下記をご高覧いただければと存じます SMa


Kさま

何時も何かとお世話様になります

貴重な資料を送っていただきありがとうございました

 

このような意見が多くの人々の目に触れる手段のひとつが新聞であり 雑誌でなければならないでしようがなかなか取り上げられないのも現状ですね

 

ブログ掲載はお考えにはならないのでしようか?

Kさんや私たちが送る先では「当然」と肯定的に思われるだけに ご指摘の発想に気付かない人々にこそ気づいていただく機会となる広報手段がほしいですね

 

第二次大戦を仕方なくであろうとも報道で支援したメディアのDNAは生き続けているのでしょうね

報道機関といえども営利企業であり 売れないネタは書かない 流さない

まともな記事を書いたり 番組編成をしていては売れないということは国民の意識が低い

 

低い所に合わせなければ企業として維持できない

低い情報を与え続けられる 他を選ぶ手段も乏しく 国民は仕方なくその低い劣悪報道をみさせられる

それに馴らされると疑問は少なくなり 笑っていられることに満足させられ 疑問を持つ力をそがれてしまう

 

誹謗批判の差がわからなくなってしまう

 

意見が違うことに対して自らの意見として対立的に批判をすることは新たな前進につながる糸口となることはある 

意見が違うことをなぜそのような意見があるのか 検証もしないで先ず嫌悪し誹謗して終わる とその先には進歩はなく こう着があり 時には「伝統」「文化的遺産」の名によって悪しき「しきたり」が維持されてしまいます

 

The Coveについても 論じることにより生ずる非難に立ち向かう面倒くささが 検証もしないで先ず嫌悪し誹謗して終わることで楽に過ごすことができる 楽に生きられる選択肢となっているのではないかと感じます

動物の活動にも同じ現象が見えてきます

 

「あったかーい」「やさしーい」で括れるものはみな大歓迎であり その先までを推し量る人は少なく  とりあえず「ノーキル」「殺処分ゼロ」であればほめて差し上げる

 

「元の場所へ返したら 親猫が育てます」と言う迷せりふで 子猫を救護して せっかく行政機関へ届けられた市民に対して 間接的に言葉を換えて遺棄を示唆された行政獣医師がおられたことがテレビ報道でしっかりと全国に流されました

その行政機関では見事に収容頭数の減数に1ポイントを上げられたのでしょう

その「ノーキル」の姿勢が称賛されている

 

現実を知る人の多くは「ノーキル」も「殺処分ゼロ」も動物福祉を軽視しなければ成り立たないことは知っています

 

知識のない報道陣やコメンテイターに逆らえないのか 対立意見が言えない程度の動物福祉に関する知識レベルなのか 「よくないことは良くない」と言いたくないのか 得策を選択されたのか

「よくないことは良くない」と言い続けることの覚悟を決めて 改めて「鼻緒の緒を締めなければ」 なーんて言うから歳だと言われますか 靴の紐を締め直して一人になっても訴え続けたい 

 

因果な宿命を背負わされたものです 

宿命論者ですから 与えられた生かされ方と思っています

 

変人と言われて人生の大半は終わりに近く 残りも確りと「変人」で生きることになるようです

 

お体をお大切になさってください

佳き自己顕示をされますことに敬意を表します SMa


Kさんへ差し上げた文書には固有名詞と当該団体の顕彰 称賛に対する批判を書いていますが 当ブログ掲載に際してはSMaが削除しています SMa

The Coveに関する国内報道を考える KY氏原稿転載

The Coveに関する国内報道を考える

米国アカデミー賞のドキュメンタリー部門の受賞作であるザ・コーブが日本国内ではかなりの話題になりつつある。この映画は和歌山県太地町のイルカの追い込み漁を題材としたものであるがその残酷さを告発する作品であると多くの人々が語っている。昨年インディーズの登竜門であるやはり米国のサンダンス・フィルム・フェスティバルの観客賞を受賞してからこの映画は様々な地域で様々な形で評価/批評され続けてきたのである。しかしどこを見ても誰の話を聞いてもこの映画の本当に伝えるべきメッセージに着目して発言している者がいないと感じているのは私だけであろうか。米国で初めてこの映画が上映されてから我が国においてもいくつもの記事が全国紙に掲載されている。どれをみても「伝統」、「食文化」等々の言葉が羅列されており実際に実施されている行為、つまり漁の手段、方法などについての詳しい記述はない。おそらくこのような記事を書いている記者自身が現場を見たことがないと推測される。にもかかわらず大半の記事が正当な日本国民の文化に対する「ジャパン・バッシング」が行われているという主張を繰り返しているように思えるのである。事実にもとずくことなく悪者扱いされることはだれしも気持ちの良いものではなく怒りを感じることも当然である。しかしその肝心の事実がどのようなものであるかの確認は少なくともメディア関係者には調べる義務があるのでなかろうか。アカデミー賞の授賞式直後のワイドショー的メディアの騒ぎ方には尋常ではないものを感じるのみならず愚かさを感じざるを得なかった。好むと好まざると我が国のオピニオン・リーダーとなってしまっている各種「業界人」やコメンテーターのこの映画に対する意見に文化的文盲(cultural illiteracy)の深さと深刻さを感じたのは私だけではないはずである。メディアを通して彼らのコメントが公共の電波に乗り一般市民に届き大衆の意見に影響を与えていくのかと思うと背筋が寒くなる思いである。ではこの映画の「問題点」として指摘されている事柄を検証してみるといったいどのような問題が明らかになっていくのであろう。

イルカ肉とクジラ肉を食すこと

監督のシホョス氏が最も重視しているのは水銀汚染の実態である。これに関してはすでに国内でも研究者らが調査を行っており数値などが明らかにされている。イルカの肉を食している太地町内においても学校給食におけるその肉の活用に反対する町会議員が声をあげているという事実もある。地元でこのような声を上げるには相当な覚悟と勇気がいったであろう。むろんこのこともあまり日本国内のメディアは取り上げていない。海洋資源の水銀汚染は深刻な地球規模の問題であり、マグロ好きのシホョス監督自身が自分の毛髪の水銀値も一般の人よりは高いと発言している。ザ・コーブはその一端をとらえて特に水銀の含有量が高い食資源は食べなければならぬのでなければ食べないほうがよいのでは、という意見を述べているのである。これは特定の食文化の批判ではなく地球規模の問題提起である。映画の中ではクジラ肉と偽ってイルカ肉が販売されている実態もあることが明らかにされている。これはいわば不当表示の問題であり日本の消費者問題でもある。しかしあるワイドショーのコメンテーターは映画の中で日本人は「嘘をついて世界に販売しているといわれている。。」というような言葉を発している。そのコメント自体嘘である。映画の中では日本のスーパーなどでクジラという表示のものを購入し調べているシーンが出てくるが制作スタッフが世界各国の店に足を運んでいるわけでもなく映画の中ではそのような発言もない。さらには制作者たちはホテルの一室で「怪しいDNA鑑定」をしてそのような勝手な結論を述べているという発言もある番組のコメンテーターからあったが映画の中でそれを実施している専門家の背景調査をやっての発言であろうか。少なくとも映画の中ではどのような人材がどのような役割を果たしたかは明らかにされている。つまりそれぞれの専門家は自分の領域に関しては責任ある発言を顔を出してしているわけでありそれを疑問に思うのであればそれなりの根拠がなければならないことは大人として、社会人としてそして責任あるメディアとして当たり前のことではなかろうか。むしろそれを疑うのであれば独自の調査をしてほしいものである。

批判される食文化

もう一つ何度も日本のメディアで取り上げられている問題は異文化の批判に対する疑問や怒りであるがこれは特に捕鯨に関しても繰り返し言われていることである。食文化を他の国の人間にとやかく言われるのは不愉快である、また日本特有の文化を理解してほしいと関係者は何年もの間公言してきたのであるがそれにははたして国民のバックアップがどれだけあるのであろうか。少なくとも現代の日本国民の大半はクジラ肉、イルカ肉を日常的に食してはいない。あすから食卓にそれが上らぬようになるといわれても実はピンとこない人間のほうが多いのである。しかし今や日本国民は自分が食べていないものを食べていると世界中に攻められ罵倒されているのである。このような実態を一般の市民は果たして本当に知っているのであろうか。実はこれは日本国民自身が自分たちの間で議論をいしなければならぬことではなかろうか。そしてそのためには世界の考え方の流れを忠実に国内に伝えそれに対して国民が自分自身で考えるという土壌を作っていくことがジャーナリズムの果たすべき役割ではなかろうか。確かにシーシェパードのような過激な行為は容認できるものではない。しかしそのような行為に走っているのはごく一部の過激なアニマル・ライツの集団であり世界的に見ても彼らの行動を称賛している人々はそれほど多いわけでもない。しかし日本国内の報道はことさらこのような集団の事件ばかり取り上げ日本の捕鯨がいかにクレージーな攻められ方をしているかを強調し国民に冷静な判断を求めるような情報提供、事実の提供をしていないのである。むろん事実を知ろうとする意欲が国民にかけているのかもしれぬがそれを刺激するのもメディアの役割の一つであろう。

文化論に関してはもう一つ考えねばならぬことがある。それは文化は果たして変えてはならぬものであるか否かという議論である。もし今までの歴史の中で人間が作り上げてきた文化や宗教、風習を変えてはならぬものとするのであれば新宿副都心の高層ビル群の地下には無数の人柱が埋まっているはずである。ローマのコロセオでは今もなおグラディエーターの殺し合い、奴隷に野生獣をけしかける見世物等々が行われているはずである。吉原は今でも多くの文化的事柄を生み出した偉大な場所として持て早されているはずである。。。。そう、文化は人間の意識やモラルの変化とともに変わっていくものなのである。歴史を振り返ってみればその証拠はふんだんにある。象牙の国際商取引が問題になった時期に邦楽にとって三味線のばちをはじめとして極めて重要な様々な道具の原材料がなくなるのではないかという意見が国内で発されていた。この邦楽の将来に対する危機的な状況を危惧するべしという路線をとったある報道番組のレポーターが著名な邦楽家でもある三味線の師匠を訪ね合成材料で作られたばちで試し弾きを依頼した。番組ではさらに師匠に象牙のばちも合わせて使用してもらいどちらがよいかをたずねた。視聴者には明らかに象牙がよい、なくなるのは遺憾であるという発言が期待されているのであろうことがリポーターの言葉尻から伝わってきた。しかし三味線の達人であるこの御人はこう答えたのである。

「邦楽が常世の昔から象牙の音楽であったわけではありません.木製の道具を使っていた邦楽が大陸から象牙がもたらされたときに象牙の音色に変わっていったのです。象牙が手に入らなくなるのであれば今度はポリマーとやらの音色に変わっていくのかもしれませんな。。。」そして彼は朗らかに笑ったのである。見事な切り返しであるがこれこそが人間の文化の本質である。真髄である。昔からやっているのだから、という議論がはたしてどこまで通用するのであろう。真の文化人であった三味線の名手にはこれが当たり前のこととして理解できていたのである。むろん良い習慣、風習を軽視しているわけではないが文化であるからかえることはできぬ、かえてはならぬという主張も考えなおさなければならぬのではなかろうか。

そしてこの文化をなぜ変えなければならないかを考えるにあたって浮上するのがザ・コーブに対して批判的なコメントをしている日本メディアの発言にみるもう一つの間違いである。

牛、豚、そしてイルカ

イルカを食べるなというのであれば牛や豚はどうであろうか。西洋ではそれらを食べているにも関わらずイルカはだめだということがおかしい、というコメントは何人ものコメンテーターから聞いた言葉である。ここにも彼らの文化的文盲が露見しているのである。今世界の動きの中で注目されている事柄の中には農業動物の福祉がある。とりわけ欧州ではそのような動きが続々と法制化されている。販売される動物由来食品に関してその原材料となる動物自体の育成方法を明記することが非関税障壁になるか否かという議論は長くWTOをも悩ませてきた。例をあげれば採卵鶏(卵を産ませるために飼育されている鶏)の飼育方法の一つであり長きにわたり効率のよい安価な方法であるとされてきたバタリー・ケージ・システムに関する議論であるで。この飼育方法では鶏がその一生を拘束衣といっても決して過言ではないような狭い箱型の空間に閉じこめられることから近年では非人道的な動物の扱い方であるとされつつある。EUではそのような鶏肉や卵の生産方法が2012年には禁止されることとなっている。当然同地域に卵を輸出している国々もそのあおりを受けるであろう。このような流れの中では人道的なと殺方法に関する議論も様々な場で繰り広げられているのである。この世界的な動きの中ではたとえ食べてしまうものでも命がいたずらに苦しめられぬよう配慮することは人間として忘れてはならぬことであるという考え方が徐々に浸透してきている。サッカーのワールドカップが日韓合同で開催されたときに欧米で韓国の犬食い文化が批判された。もちろん犬がかわいそうであるという声も多数あったのではあるがメディアではそればかりが大きく取り上げられていたようである。実は犬を食べること自体に反対しているわけではないという人々もたくさんいたのである。それでもこのような人々が犬食反対の声を上げたのは食用の犬の扱いに対する抗議をしたかったからなのである。この時もメディアは全くその点を無視した報道をしていた。いくら食べられてしまうとはいえワイヤー・ケージにジャガイモのごとく詰め込まれ、時には撲殺されるといった扱いは決して生き物に対してやってよいことではない。犬に対してであろうと豚に対してであろうとこのような非人道的な扱いは人間としてやってよいことではない。これは幼い子供にでもわかることであろう。犬がかわいそうなのではない、生き物が、痛みを感じることができる生命体が極めて「痛い思い」を文字どおりしているのである。このように簡単なことがなぜ犬食い文化を批判する報道をする者に見えぬのか、それは本当に不思議なことであるとしか言いようがない。そしてイルカに話を戻せば牛も豚も鶏も、そしてイルカも食べるのであれば人道的なと殺をするべきであろうということになるのである。

映画の画面いっぱいに広がると殺シーンはどう見ても人道的ではない。ゆえに牛と同じではないのである。牛を食べるやつらに批判する権利はないという意見は全くと言ってよいほど的外れなのである。またクジラに話を広げれば自然の資源うんぬんよりもはたしてクジラという巨大獣を一瞬のうちに痛みや苦しみ、恐怖を感じさせずにと殺することは可能なのであろうかという議論をすることが妥当なのである。もしそれが不可能であるとすれば彼らを殺すことを今後続けて行くかどうかそろそろ人間は自分の胸に手を当てて考えなければならぬという文化、倫理的レベルに到達しているのではなかろうか。そしてさらにはその様な漁が人道的かそうでないかに関しては国民が考えるべきことであり当事者、つまり利害関係がある者の仲間内のみで考えるべきことではない。そのためには国民の有する情報基盤の整備が必要でありそれこそがメディアの役割である。やはり一度日本国内のメディアが太地町のイルカ漁の取材をするべきである。もしその時に取材の申し入れを拒否されたというのであればそれを正直に自国民に報道してほしいものである。太地町の当事者たちの言い分を載せるのであればそれをジャーナリストたちは自分の目で検証してからそうするべきではなかろうか。

最後にあるワイドショーの有名なコメンテーターがこの映画は日本人に対する欧米の人種差別の証であるという発言をしている。あまりに情けないコメントではないか。東京国際映画祭での上映の際にあるオーストラリア人の女性がシホョス監督に質問をした。オーストラリアは捕鯨や今回のイルカ漁などに非常に批判的な国家である。何か日本を非難するような発言が出るのかと思いきやその女性の発言は決してジャパン・バッシング的なものではなかった。「とてもためになる作品を提供していただき感謝します。私の国でもカンガルーが害獣扱いで極めてひどい駆除のしかたが横行しています。今度はぜひオーストラリアにも映画を撮りに来てくださいませんか。」彼女はそういったのである。より広いものの見方、周辺視野を広げた視点を持っていればこその発言である。人種差別発言の日本人コメンテーターのレベルの低さが情けないと思っているのは私だけであろうか。スペインでは闘牛という文化は牛を惨殺する野蛮な娯楽でしかない、それゆえにもう廃止するべきであるという大きな運動が国中で展開されている。もちろん擁護派もたくさんいるわけであり意見のぶつかり合いがあることは否定できない。それ自体はべつにわるいことでもなくむしろ健全なことであろう。日本においては健全な議論さえ持ち上がらぬのが現状である。このような世界の流れの中で自分たちだけがいじめられている、日本文化を理解できぬ困った奴らが海外にいる等々と吠えていても何の解決にもならぬどころか国民をさらなる混乱に陥れたり、自信を喪失させたり、自らを卑下するような状況に押し込めてしまったりすることにもなりかねぬのである。

人間社会におけるイルカの扱い

そしてもう一つ驚くべきことがあった。メディアに登場する方々はここまで無知なのであるかと我が耳を疑うようなことが起こったのである。問題の太地町で追い込まれたイルカがすべて殺されるわけではない、イルカ・ショーなどに送り込まれるものもある、という「言い訳」のようなコメントをしている司会者がいたのである。ここでも再び文化的文盲が露見してしまった。映画は米国をはじめとして多くの国々で設置されている海洋生物の展示施設(水族館)がいかに海洋生物の福祉を侵害してきたか、という点も取り上げている。映画の主役の一人であるオバリー氏はかの有名なフリッパーのもとトレーナーである。イルカの展示、その人気、そしてそれに続く搾取の火付け役でもある彼はその業界のあまりの無軌道な現状に背を向け自分が築き上げた産業を今や自分の手で破壊しようとしている。オバリー氏自身は米国内においても数々の違法行為で検挙されながら抗議活動を展開させてきたいわば札付きの過激派であり決して全面的に支援しやすい人物ではない。しかし彼のたどってきた道、彼の人間としての懺悔の日々、自分が死なせてしまったイルカに対する自責の念、そのようなストーリーにはどのメディアも一切触れてはいない。フリッパーを夢中でみた世代は今世界中で数々の責任ある社会的地位に身を置いているはずである。その彼らにオバリー氏のストーリーが理解できぬはずはない。むしろ自分が喜んでみていたものの本質を突きつけられれば真剣になってその是非を考えるであろう。なぜその全容がしっかりと報道されないのであろう。今や動物園水族館業界でも前述した食用動物を取り巻く状況と同じような動きが活発化している。展示するのであれば個体の福祉が守られなければならぬという改革の動きがあるのである。自然を理解し勉強できる場を子供たちに提供するための施設を、というのであればストレスで毛が抜けている動物や自然な動きが病的な常同行動に変わってしまっている動物を見せても仕方がないということは当然のことであろう。今や世界中で動物園も変化を求められている。この事実も世界の流れの中の常識の一つである。そしてこの動物園改革運動のシンボルともされている動物種が四種類ある。象、大型霊長類、熊、そして海洋哺乳類である。これらの動物は行動学的にも人工飼育が極めて困難であると学識経験者も述べている。彼らの福祉を守り教育に役立つような「自然」な展示をすることは至難の業であるということなのである。すでに欧米の著名な動物園の中にはゾウの展示を一代限りと公言しているところもある。つまり今展示している個体が死んだ場合次の個体は入れないということなのである。最近おこったシャチがトレーナーを殺してしまった事故も決してこのような福祉関連の問題と無関係ではない。自然の中では人間を襲った事例がほとんどないシャチがなぜ自分の管理者を襲ったのであろう。周囲の人間は本当にあのシャチの状態を十分に把握できていたのであろうか、福祉が侵害されたことからストレスがかかっていたのではなかろうか、そしてもしシャチの状態を徹底して把握し続けることが困難なのであれば今後も飼育し続けることは本当にやってもよいことなのであろうか.イルカとの遊泳をプールなどで行っている展示施設もあるが同じような疑問が出てくる。このような娯楽の中で発生した事故の報告を義務付けている米国においては10年間で十数件の報告例がある。すべてイルカが人間にぶつかり打撲、骨折などが生じた事例である。はたしてこれらの事故が彼らのイライラからくるものであるか否かは意見の相違があろうかとも思うが何かがおかしいことは確かである。また展示施設のイルカなどはしばしば餌の中に胃腸薬など添加されてあたえられている。ストレスで消化器官をやられてしまうからである。前述の司会者のコメントに戻るが、殺されぬイルカもいるのである、だから少しは救われるのでは、という議論は全くと言っていいほど的外れなのである。今や動物園改革の先端を行く考え方は海洋哺乳類の展示そのものを疑問視しているのである。救われるどころかさらなる問題の種がまかれているといっても決して過言ではない。

ザ・コーヴの意味

このように様々な角度から検証してみるとザ・コーブという映画がどのような問題提起をしてくれているかが見えてくる。そこには太地町という地域を攻撃しようという狭い意図は感じられないのである。むしろ文化、風習に囚われている人間がいかに滑稽な存在に見えてくるものであるかを物語った映画なのではなかろうか。また人間がいかに意地や執着で生きている生物であるかも浮き彫りになってくる。確かに太地町がやり玉に挙げられているのではあるがそれはおそらく実態を隠そうという過激な動きが題材としての取り上げやすさにつながったのではなかろうか。闘牛でも、カンガルーの駆除でも同じ映画がとれたかもしれぬ。一部の産業動物の飼育施設などでも同じことができたであろう。むしろ

鶏のバタリー・ケージの実態を撮ればもっと過激な映像が出てきたかもしれない。人間が自分が生きていく中でほかの生き物とどのようにつながるかは永遠の課題である。しかし我々ホモサピエンスは常に進化している生物であると私は信じたい。確かに今でもお互いに戦い無益な殺生を繰り返すこともあるが少しずつ文化的、倫理的進化を遂げていると思いたい。その壮大な流れの中にこの映画は位置付けられるのではなかろうか。

2010年4月 6日 (火)

2010-04-03三重県猪名部神社現地調査

2010-04-03三重県猪名部神社現地調査   

文責 S,Ma 2010/04/06

当日9:30am頃現地到着 16:30pm頃現地を離れる約7時間 斜面に立ち続けて あいにくの天候で寒い一日でしたが 撮影場所の確保をするために昼食にもありつけないままひたすら忍耐の結果 目の前で起きた転倒死亡事故という最悪の場面を撮影いたしました

この「イズミ号」という馬が犠牲となったことを重く受け止め この祭りのあり方を問い直さなければならないと感じます

昨日2010/04/05 テレビ朝日スーパーモーニングで「上げ馬神事」についての報道がありましたが 相も変わらず知識不足 不勉強な方々のコメントにがっくりとしました

コメントの中で「800年の伝統行事」と表現されていましたが仮に800年来変わらぬ形であったとしても 伝統も文化も時代とともに変化をするものです

ましてや 現地の方 (馬主) でさえも「20年前はもっともっとひどい有様だったのが世論によって改善されたのだ」と言っていました

この馬主は 上げ馬疾走前に広場で転倒した際に負傷した馬の足元を私が念入りに撮影していたことに腹を立てて脅しをかけてきました

実際に柵の竹筒を取り外し 馬を放してやると言いましたが 私はそのようなことではひるむつもりもなく「写されて悪いような馬を神事に出すことが間違っている」と申しました 

傍らにいた関係者が止めに入り その場主もその場で謝罪をされましたので その後は 相互に冷静に話すことができ「20年前はもっともっとひどい有様だったーーー」と聞きました 

他の地元の方に「死亡事故についてどう感じるか」と聞かれましたので率直に「まったく想定外の事故ではない死亡事故と 落馬した少年が負傷したらしく微動だにしない状況で横たわっていましたので 本来の祭りとしての楽しさは感じられない残念なことだ」と申し上げました

動物との共生を考える連絡会からも代表をはじめ会員たちが現地調査に参加していましたので 場内のアナウンスは意識されたかのように『動物の愛護及び管理に関する法律』違反にならないように過激なはやし立てや 鞭打ちはしないように」と言ってはいましたが 死亡した馬の説明もないままに私の見た限りでは誰一人として黙祷すらしないままにブルーシートで死体を包み クレーン車で運び出されました

その後は何事もなかったかのように行事は進められました

他の落馬した少年も落馬直後に石垣に体をぶつけた上に馬に踏まれてのではないかと感じられる状況がありましたが そのまま無理に(しきたりでしょうが)担いだり引っ張ったりで少年を土壁の上にあげていました 

上げられたまま少年はその場で動かないままに担架で運ばれてゆきました

救急医療からは考えられない処置のように感じました

少なくとも落馬した場所で担送されることが安全第一からは大切なことではないかと感じましたが しきたり通りに土壁を這いあがることのほうが「伝統維持」には大切な価値観のように感じ ここでも「人や動物の重大な負傷事故や命にも勝る.伝統とは何か」と問い直したい思いでした

会場を離れる前に関係者に少年の状況を問ましたが「意識もあるし大丈夫です」とは言われましたが 真実を伝えるためにはこのようなことも報道をされるのがメディアとしての役割ではありませんか?

心あるジャーナリストがおられるならば 過去にもこの神事による障害者がおられると聞きましたし この少年についても追調していただきたいと思います

少年とご家族のためにはそっとすることがよいのか このような形での「神事」という名のもとに隠ぺいされることを改め 今後のためにはあえて危険を冒さない祭りとされることがよいのか 地元の価値観に全てを委ねるのではなく 世論の関心も必要ではないでしようか?

上げ馬に成功した者への賛辞が大きく 落馬という「不名誉」が少年の心に生涯にわたり影響するのではないかと案じましたが 地元の方からは「伝統の改革」は言葉にはできないことではあろうと察します

それでも続けるということは「人」は承知でも 巻き添えにされる馬は不幸な限りです

祭りや伝統にはある種の危険は付きものだと言ってしまえば 伝統の名のもとに虐待が容認されかねません 

自らの意思で参加される「人」にはそれでもよしとされても この祭りでの「馬」は自らは意志を持って参加していないでしょう

その証拠にこの日引き出された12頭の馬たちは全て強烈に抵抗をしていました

ただならない怯えと興奮の状態にあり 絶対に人を信じて乗馬を受け入れているとは感じられない状況を目の当たりにして 日ごろから信心深くない私ではありますが「神事」として「神」はこの行いを喜ばれるのかと疑問にさえ思いました

2010-04-03-上馬神事5回目転倒馬死亡

後の情報では頸椎骨折と聞きました

口腔 鼻孔から多量の出血があり 転倒と同時に呼吸が止まるのを目撃しました

不浄を清めるかのように神主によりお祓いがあり 青年たちにより清酒と塩が撒かれていましたが黙禱も合掌もなく 談笑しながら次へと行事は進行されていました

2010-04-03-上馬神事9回目落馬

落馬直後の馬の下に少年の袴が見える

少年を肩で担いで土壁まで運ぶ様子

土壁の上で少年の袴が見えている 

2010-04-03-上馬神事神社前広場で興奮転倒

神社神殿前の広場で馬を馴らすのか廻っているうちに興奮して転倒した

右後肢から少量ながら出血があった様子でそれを集中的に写真に撮ろうとしていたら恫喝された

その他一連の写真

多くの馬は多少ではあるが体に傷があり 怯え 興奮 抵抗を示し 穏やかな馬はいなかった

馬主は「乗馬クラブの馬はもっと哀れだ」と言い 神事の馬を可愛がっていることを強調していましたが 少なくともこの日見た限りでは人と馬が信頼関係にあるとは感じられませんでした

悪しき伝統とならないために世論の関心は大切であります


上馬神事についての詳細は下記でご覧下さい

動物との共生を考える連絡会  http://dokyoren.web.fc2.com/  

E-mail rennraku@gray.plala.or.jp

改善のための

要望書送付先

 上記の暴力行為をやめさせるため、また問題点を改善させるために、
貴方の声を下記の宛先に送ってください。

 〒 514-8570 三重県津市広明町 13    三重県知事 野呂昭彦 殿

 〒 514-0004 三重県津市栄町 1-100 三重県警察 御中

 〒 514-8570 三重県津市広明町 13    三重県教育委員会 御中

 〒 511-8601 三重県桑名市中央町 2-37 桑名市長 水谷 元 殿

 〒 511-8601 三重県桑名市中央町 2-37 桑名市教育委員会 御中

 〒 511-0295 三重県員弁郡東員町大字山田 1600   東員町長 佐藤 均 殿

 〒 511-0295 三重県員弁郡東員町大字山田 1600   東員町教育委員会 御中

 〒 511-0106 三重県桑名市多度町多度 1681 多度大社 御中

 〒 511-0257 三重県員弁郡東員町北大社 796   猪名部神社 御中


協力者募集のお願い

 猪名部神社で 4 月第一週の土曜日と日曜日に、
多度大社で 5 4 日、 5 日に行われる上げ馬神事の実態を調査するために、
協力してくださる方々を募集しています。

どうぞ、私達と一緒に実態調査してくださるようお願いいたします。ぜひ名乗りを上げてください。

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