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2010年4月15日 (木)

広島DP裁判の控訴支援

チッチさんコメントありがとうございました 2010-4-14onS,Ma

ひろしまDP原告団のこの件に関してあなたのお考え 行動は良いことだと思います

現役当時とは違いますから期待されるほどのことはできないとは思いますが すでに私も署名協力に着手はしています

前回のようなみじめな結果で終わらせたくないですね

募金をする側の意識改革にもこの機会は貴重なものだと感じます

公職選挙での各自の貴重な一票と 社会奉仕としての各自の意義ある募金とは通じるものがあります

募金をされる側があまりにも「善意解釈」の拡大をされたことにより 募金を受け取る側の自由裁量に任せすぎているように感じます

政治家に対しても同様に 大きな仕事をする政治家であればその程度の汚いことは許されると感じている国民は多いように思いますね

かつて 源田実氏という国会議員は「この程度の国民にはこの程度の政治でよい」と言う意味の発言をされました

この程度の刹那的なふわふわした募金には この程度の使い方でよいと集金活動屋に思わせるようなことがあってはならないのです

動物を営利の対象とされることも現状では致し方ありませんが 奉仕活動のふりをした集金活動屋に職業として募金集めをされては「善意」がこの国では衰退してしまいます

しっかりとした職業としてのシェルター運営をされることは 募金ではなく仕事の対価として受け入れ 収支も税務に適合したものとするべきです

募金なのか 依頼した仕事への支払い義務に沿ったものであるのか各人の認識も改めて見極めることも大切だと思います

貴重な一票も 貴重なワンコインも相手を確かめて投じなくてはならないと思います

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動物福祉」カテゴリの記事

コメント

本当に、こんな風になるとは思ってもいなかった。
犬猫の保護は身近な人情で、あくまで自己責任、個人の飼養者責任をわきまえていた。
草の根の善意は、自然体でした。

保護活動の看板を個人であげる人達と、一見、同じように見えて、実は出発点が異なっていたと思います。

1匹を保護することは、1匹分、飼い主責任が増えること。責任が負えないことには手を出さない。

 自称保護活動は、まるで余剰動物を社会が救う責務があり、自分たちは先人をきってやっているのだから、支援して貰って当たり前みたく、乞食根性がつっぱっている。
 犬猫をネタに寄付金乞食が増える一方です。

2010-4-16inチッチさんコメントありがとうございました

> 1匹を保護することは、1匹分、飼い主責任が増えること。責任が負えないことには手を出さない。


人の自由意思で動物を迎えることの「義務と権利」が「飼ってもよい権利」と解釈されていますね
先ずは「飼うための権利を得るためには義務」が大切ですね

個人的飼育であろうと 自称保護活動であろうと 動物を人の都合で束縛しているのですから「幸」にする義務があります

人であれば「監禁罪」に匹敵する保護活動が横行している現状は 動物福祉の思想が育っていないことを表していますね


『動物が命あるものである』『人と動物の共生に配慮』
『動物の愛護及び管理に関する法律』を適正に運用していただくためには 行政機関にももっと奮闘していただかなくては困りますね

 
そのための人材育成も 官民協働も 全ては予算計上が必要ですが現状は厳しいですね
S,Ma

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