招き猫さんコメントありがとうございました
2010/2/10編 S,Ma
震災当時のS,Ma様の獅子奮迅のご活躍ぶりは多くの方々から伺っています。
組織というのはどうしてもトップの個人名が表に出ます
多くの場面で私の名が出たことは代表であればいたし方のないことです
他の方よりもS,Maは多少はたくさん働いたでしょうが それは組織を代表するものとしては当たり前のことです
組織においてサブの方の名は常に縁の下の力持ちで 表には出難いものです
その方とともに 名の出ることのない方々のご尽力なくしては組織は成り立たないのですね
彼の阪神・淡路大震災でも動物救護活動には組織としての力を存分に発揮できたと自負はしています
それは 言うに及ばずサブとさらに組織を構成する会員の協力があればこそできたことです
いまも感謝の気持は忘れてはいません
私はそのことを常に誇りに思っていましたが 支えてくださった方々にうまく伝えられなかったこともあったかもしれません
奮戦の最中には相互に分かり合えていたと思います
平穏な時期にいたって組織を維持することのほうが困難であるのだと感じました
組織の維持は本当に難しいものです
老舗の看板が続いていることは 番頭さんが実力者として采配を振るわれているからでしよう
団体として組織の維持に当たられる方々に助言ができるとすれば サブの方の忍耐力と 実力しだいですと申し上げたいです
もしも サブが表に出ようとされることがあれその組織は傾きますね
赤い靴を履いて踊るトップも大変ですが 地下足袋を履いて踏ん張る人はもっと大変だと思うのです
[昔の映画で 魔法の赤い踏シューズを履いて踊り興じるバレリーナのモイラ シャラー? だったと思いますがとても美しく印象的な映画でした]
赤い靴が2足あれば両者が踊り狂うことになりますからね
船頭多くして船陸を行く では困りますからね
行政・獣医師会サイドの民間不信を払拭する救護活動を完了させた功績は大です。
日頃から行政と同等の「社会の忘れ物」対策に努力していましたから 殺処分についても常識的に考えて否定ができる状況にはなく 正面から[現状の過繁殖状況では安楽死処置は動物福祉からは切り離せないものです-S,Ma]を訴えてきました
「保健所」と言えば 殺処分の代名詞のように使われ 従事される方々には大きな責任もないままに蔑視をすることで「安楽死処置」(安楽殺処置)の議論さえも遠ざけられ 所謂動物あいごに関る人々の「ノーキル」嗜好は理性に基づく動物福祉の道から外れたものと感じていましたから一線を隔して参りました
行政機関と同等の苦難の数々を体験したことで 行政批判の力点が変わりました
とても罵倒などする気持ちにはなれず 飼主をはじめとする動物愛好家 活動家への疑問が増大していました
行政からある程度の信頼を頂いたことはそのような背景があったからでしよう
『CCクロ』の協働に於も「安楽死処置」(安楽殺処置)の全面否定では成り立たなかったと思います
震災被災動物については 飼主の意思の確認ができないことともに 悪意の放棄 遺棄はないとして一匹も殺処分はしないと決めていましたから 獣医師会との協働ができました
阪神・淡路大震災以前は 正面から話し合うこともなく 開業獣医師からは動物殺しに専念する団体と思われていた部分が多かったと感じます
当時はお気楽な獣医師として私たちも大きな尊敬はもてず 背を向け合った間柄といって過言ではない状況でした
当時の神戸市獣医師会長はS,Maの家庭動物の主治医としてよく存じ上げていたので 相互に逸脱することは無いという信頼があり 話し合うことには支障が無く 運が良かったのだと思います
被災動物の世話で協働して 毎日顔が合い 忌憚無く話し合えたことが相互信頼につながったことを考えますと 話し合うことがいかに大切であるかと教えられます
当時の行政機関においても優秀な方々が担当者であったこと 私たちもシェルターワークの経験があったこと等 困難なことが多かった割には順調に事業展開ができたのだと思います
個人と個人の信頼が団体と団体 行政機関と民間との連携へとつながり 本当に多くの点で運が良かったと思います
あの非常事態の最中にも 揚げ足取りに専念した人もありましたが 多様な人々がいることは自由な社会の証でもあるとは思います
招き猫さんに募金もしていただいたとのこと 改めて御礼を申し上げます
「受け皿(処分ゼロ)を目指すのではなく、蛇口を閉める(捨てる飼い主をなくす、繁殖させない)を私も目指しています。」
すべての人がその考えを支持してくだされば 殺処分頭数三桁も夢ではなくなるでしよう
S,Ma
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コメント
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「赤い靴を履いて踊るトップも大変ですが 地下足袋を履いて踏ん張る人はもっと大変だと思うのです」
赤い靴と地下足袋は面白い表現ですね。
その時、その場で赤い靴をはかされることになったり、地下足袋で踏ん張ることにもなります。赤い靴は順繰りに回っていきます。
執着してはいけません。
市民活動は一人で出来ることは何もありません。草の根の土壌が豊かにならないと、赤い靴をはいてみても、踊る舞台も観客もいないことになります。
市民活動は草の根の地下足袋運動です。
市民活動家としてのチョムスキーを知ったのは、50代半ばを過ぎてからでした。
あの偉大な頭脳でなければ、膨大な資料を縦横無人に消化していくことは出来ません。
国家犯罪について、水先案内をして貰った思いがあります。
そのチョムスキーが本音のところで、市民活動は大きいも小さいも無い、偉い人なんかいないんだ、草の根の小さな動きがあちこちに共感をよび、自然発生的に流れが大きくなっていく、その力は歴史の流れにかき消されるかもしれない、でもいつでもそういう草の根の動きがあり、そうやって人々はやってきたんだというような事を言っていました。
そういうものですね。
あまりカリカリしても始まらないと思えてきます。
投稿: 招き猫 | 2010年2月11日 (木) 19時54分
招き猫さんコメントありがとうございました
実は私は長い間 地下足袋をはいてきました
私の属していた団体の支部はトップが外国人でした
私よりも長く日本に住まわれていても 日本語はたどたどしい日常会話程度で暮らせていました
戦後の外国人は日本語になれなくても 立場の弱い?日本人の側で外国語に精通し相手との意思の疎通を図る事が当たり前だったからです
決して傲慢な方ではないのですよ 私を信頼してくださり任せていただいていたことは自負していました
しかし 行政交渉はもとより 表だって組織を仕切られることも無く 名誉支部長というところでした
常に表で行う表彰や 署名はその方に「赤い靴」を履いていただき 私は地下足袋で奮闘していましたが卑下したこともなく 不満に思うことは何もありませんでした
むしろ外国人であることを活用し 英国との交流にも利を得ていました
阪神・淡路大震災では対外的な折衝が多く 日本語ができなくては会議にも出られませんし 救護活動のご経験も無く 現場での指揮がとれる状況ではなかったので私が「赤い靴」を履く羽目になったのです 震災の動物救護活動現場では組織のトップを勤めましたが しかし 所属団体での地位は最後までサブで通しました
最後の責任は私が取る覚悟はしていましたがその方を押しのけてトップの座に着くことはしないと決めていましたから 支部設立40周年を期に「赤い靴」を脱いでいただき 同時に私も地下足袋を脱ぎました
その後はズック程度に履き替えていましたが 『CCクロ』で紆余曲折があった時期には現場で再び「赤い靴」と「地下足袋」を重ねて履いたのです
その「赤い靴」を無理に脱がせようとされたこともありましたが この『CCクロ』での「赤い靴」は信念のある信頼できる若い方々に譲ることができました
『CCクロ』の現状は踊るための「赤い靴」ではなく しっかりとしたスニーカーの時代になっています
「一匹でも多く適性譲渡で救いたい」という意志を受け継いでいただき 静かに情熱的に動物福祉の信念を靴底に入れてしっかりと歩いてくださっています
戦後の問題解決に際しての外国人効果は絶大だったようです
日本の動物福祉の種まきをされたお一人であった故G夫人が「面白いくらい」と表現をされていました
駐日大使婦人と同行されるとどこでも「黄門さまの印籠」のようだったそうです
そのDNAの名残は今も引きずっていますね
英国人 白人=立派!?!? ああ 残念至極 メディアの中にもこれに弱い人が多い
戦後の復興は完結していないですね
今日は「建国記念の日」だが「倦剋祈念の日」とならぬように願いたいですね S,Ma
投稿: S,Ma | 2010年2月11日 (木) 23時48分