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2009年12月28日 (月)

何事も「反省」の有無が将来への評価につながるものと感じます

招き猫さんコメントありがとうございました

[まともな行政獣医に対する執拗な言いがかり、嫌がらせです。]

行政獣医師も千差万別ですね

某地方自治体の行政獣医師はかつて「サクシン-筋肉弛緩剤=脳は生きているが肺の筋肉の活動を停止させて窒息死させる薬剤」を「安楽死処置」(安楽殺処置)の薬剤だと公言していたことがありました 

そのことを批判した人よりも 支持した人が日の目を見るような結果があっては日本の動物福祉行政に先行きの不安がありますね

建物が立派であったとしても ソフトを動かす「人材」こそが将来の明暗を決めることになりますね

譲渡基準を適正に運用しようとされる方や 「安楽死処置」(安楽殺処置)を公正に検討されようと努力をされる方に対する評価がややもすれば理不尽な方向に流されそうになっているように聞くことがあります

行政機関ではなくても 社会に対して安易な受けを狙うかのような刹那的な考えの「良心の吐露」とでも表現しますか 受けやすい行為を「優しさに対する賛同」のような形で支持を表明されることは 将来を展望しない 現状の多数に逆らうことを恐れたとでも言いますか 基礎の動物福祉の思想伝達に配慮しない 付和雷同型の薄っぺらな行為に感じます

例えば 社会的に評判の良い事象(専門的には妥当ではない評価の事象)を褒めるにあたり 時流に乗ったつもりでは 自らの軽率さを呈するようなことになります

他でどのように立派と評価される実績を積まれたとしても 一つのその安易な行為が反省されることなく時の流れとともに「看過」されることを期待するようなことでは 動物福祉の啓発とは相反して本末転倒なこととなりかねないのです

誰しも時には良かれと思いつつ失敗はしますが 何事も「反省」の有無が将来への評価につながるものと感じます

失策に苦言を呈した人を無視をして侮蔑の態度で接しようとすることがあれば 従来築いてきた信頼を損ね 失意を抱かせ 敬意もともに葬ることになります 

そのようなことがあるとすればとても惜しいことに感じます

私も数々の失敗を重ねましたから 自らの器量の狭さを恥じるようなことをした経験があります

それらに対する反省の意があればこその提言です

何事も自尊心を砕かれるかのごとき苦言や行為には「感謝」はし難いでしょうが 苦言や批判に対しての対応の仕方こそがその人の本性を現すものだと思うのです

多くの人々への自己アピール パフォーマンスも程々には大切ですが 表現の方法や礼儀を失しないことも大切です

他人を利用することのみが目的での対人関係を保つことは社会を歪めます

社会に長く生きている人々の目は節穴ではないことも知る必要があります

今脚光を浴びておられる 飛ぶ鳥を落とす自信がおありの方々 ご自戒のほどをお勧めします S,Ma

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