「犬と猫と人間と」鑑賞の感想
「犬と猫と人間と」鑑賞の感想
昨日10/15試写会にお招きを頂いて大阪市内で観賞させていただきました
全体的に製作者の主観を抑制し客観視されることに重きを置かれたことはよかったと感じます
先ず このドキュメントを見る限りにおいての 第一印象として 日本は動物福祉では未だ夜明け前の感が拭えませんでした
あまりにも粗末な状況に甘んじた シェルターとは認めたくない保管場所で 動物に携わる人の心の安らぎのために 動物福祉からは程遠い状況下で収容される動物たちの惨めな姿に悲しくなりました
この「陽性強化」が主流であるとされる時代に尚 チェーンカラーによる首締め上げの「恐怖訓練」が「専門家」と名乗る人によりされている現実もまざまざと見せられました
それも動物愛護を名乗る施設においてです
問題行動の矯正により社会化の強化を図りたいと言う思いであったのでしょうが 犬に恐怖を与え 人への不信感を募らせ 自ら社会化を否定されているような行為です
後にこの犬は他のトレナーにより「陽性強化」で社会化に成功していましたが 施設職員はシェルターワークの基本を知りながらも自身の思想のために無視されているのか ご存じないのか
かつてシェルターワークとか譲渡基準があるから問題がある犬が処分されるのだと 恥じらいもなく言った活動家がいましたが 同様のお方なのでしょうか?
別の画面では 麻酔し鎮静下でなければ手入れができない複数の犬たちの不適切飼育の見本のような状況が映されていました
他の不適切多頭数飼育の場面でも殺さないことのために 吹きさらしのおりに閉じ込められる犬たちが映されていました
丁度天理であったあの不適切多頭数飼育を思い出させるような状況で 終生収容が「殺さない」ことの実行であると言うには悲しいことです
不潔で客観的な「幸」が認められない 施設管理者たちの心が慰められるために生かされる動物たちの哀れさに詫びる思いで画面を見つめました
知識のある人々にはこの画像に示される多くの場面が 動物福祉に無関心な 不適切多頭数飼育の実態が即座に分かりますが 一般の方々にはどのように映るのか?
単に心優しい人々の奮戦記として捉えられて せつな的な寄付でお終いにならないのか
心配するところです
せつな的な寄付が入ることで更なる不適切多頭数飼育が続くことを思うと「善意」「悪意」とは何か考えさせられてしまいます
生かすことと殺さなければならないことの判断の難しさと共に 自己愛に徹した「動物あいご」がもたらす動物の被害についても考えなければならないと感じます
当初 飯田監督は動物のことには全くの門外漢としてこの撮影に取り組まれたようですが 経過を追ってご自身の中で「何か」が変わられたのではないかと感じましたが 飯田監督のもっとも主張されたかったことは何かをお聞きしたいと思います
動物関係の活動をする者には気が付かない何かを感じておられるように思うのです
官民協働ということで『CCクロ』が取材を受けました
官民協働とは 言うは安く実行は困難が多々ある中で 形あるもの「神戸市動物管理センター譲渡事業支援ボランティアグループ(社)日本動物福祉協会CCクロ」として現在につなげられたことは 民も官も共に関係者の皆さんの忍耐と努力の賜物と思います
私個人としては 全篇を通じて「生」「死」「幸」「不幸」「人間のエゴ」「未熟社会の問題」が動物を介して示されたように思います
要保護の生命体としては人も動物も同等な問題点を有します
しかし 決定的に違うことは異種動物としてヒトと他の動物とは異なることを認めなければならないことです
福祉をないがしろにした動物収容=束縛は 尊厳の軽視であり 現実から逃れて「自己の心のあいご」に徹することになるように感じます
一部の学者や政治家 活動家と称する人々にもこの考えの方たちがおられますが 国民を意識誘導される際には遺棄や不適切多頭数飼育への賞賛とならないように願います
見るヒトの主観で大きな差が感じられるドキュメントではないでしょうか?
ヒトに寄り添うか 繁殖という形で商業動物として 生かされること 殺されることをどのように感じるのかを世に問うには価値ある映像であると思います
各地で劇場での上映が予定されています
ドキュメント製作依頼者の老婦人のご冥福をお祈りし 飯田監督の労をねぎらい 多くの方々に鑑賞をしていただき 動物福祉とは何かを改めて考えてくださいますようにお願い申し上げます S,Ma
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「官民協働とは 言うは安く実行は困難が多々ある中で 形あるもの「神戸市動物管理センター譲渡事業支援ボランティアグループ(社)日本動物福祉協会CCクロ」として現在につなげられたことは 民も官も共に関係者の皆さんの忍耐と努力の賜物と思います」
言うは易く行うは難し・・・本当にそう思います。CCクロは希望の星です。
愛護派市民が育たなければ、言い換えれば、育てば可也の事が出来る時代です。有体に言うと、育っていない・・、それが問題。
投稿: 招き猫 | 2009年10月19日 (月) 15時07分
映画に登場する神奈川動物愛護協会は、一昔前には、時限収容シェルターでちゃんとやっていたのではないですか?
ノーキル・シェルターになってからのあの堕落ぶりはどうですか?人間の偽善の犠牲になるのは、いつも物言わぬ犬猫です・・・
投稿: 招き猫 | 2009年10月24日 (土) 20時37分
招き猫さん
[CCクロは希望の星です。]
励ましのお言葉を頂きありがとうございます
[愛護派市民が育たなければ、言い換えれば、育てば可也の事が出来る時代です。有体に言うと、育っていない・・、それが問題。]
動物愛護と言うには抵抗を感じます
多くの活動はご自分も錯覚を感じておられない方々の「自分あいご」の活動といえそうです 自分が辛いから安楽死処置を回避して
遺棄や不適切多頭数飼育に陥る
「命の尊厳」は遺棄行為を正当化するための言い訳と感じます
遺棄されてどのような末路になるのか 終末までのその過程がどのように苦難の生涯かは「生かす」と言う言葉に美化されすぎています 現状の野放しの繁殖状況では人工淘汰が必然です 殺処分ゼロとする第一歩は法的根拠に基づく繁殖制限 即ち計画繁殖とすることだと思います 動物とヒトとの違いを認識しなければ動物は悲惨です 人のような法的な保護下にはないからです
その人さえも基本的人権が守られているとは言い切れない今日ですから 予算のぶんどりには難しいものがあるでしょう
【一匹でも多く適性譲渡で救いたい-S,Ma】
遠回りのようですが 社会に邪魔にされない動物との共生のためにも 改めて適正に譲渡することの意義を重く感じています
このことの理解ができる人が育たなければ「自分あいご」運動に席捲されます
【実現可能な最高峰が理想 それを超えるものは空想 理性を持って理想の実現を-S,Ma】
投稿: | 2009年10月27日 (火) 23時33分
外国でのノーキル・シェルターにもトリックのような感じがするところもありますね
適正譲渡をされることそのものの活動を非難するつもりはありませんが 一般的にノーキル・シェルターが可能であり 理想であるかのような印象を与えることには抵抗がありますね
そのシェルターではノーキル・シェルターでいられるのは 行政機関であったり他の全てを受け入れるシェルター等 周囲でカバーされているからだと言う現実も知ったうえで評価をしなければ 表面的な事実に感激する人々には陰で援護する人々の辛さは気が付かれないでしょう
かつてアークがノーキル・シェルターでいられたのはJAWS阪神動物救護センターでアーク施設へ入所させる前に引き取り協力をしていたから 世間的にはノーキル・シェルターでいられたのですが そこにも支援を受けた感謝はなく 責任者はことあるごとにJAWS阪神動物救護センター殺処分センターだと避難されていましたね
アークの繁栄?の基礎(資金支援も)つくりに尽力したJAWSはアークに対して何も要求をせず沈黙していますが 世間は殺処分したことのみで 今もJAWSを非難 誹謗をしています
殺処分反対のオルグ的活動をする意図ある人々の成果でしょうか
何も知らされないままにアークの支援者が増えていますね
現実は時に理不尽が罷り通ります
あなたが「鳥の広場」で書き込まれています
が日本レスキューの資料集を公開するために提供された依頼者の方もノーキル思想の方ですが その方は「安楽死処置をしてくださる方々(JAWS)がおられるので私たちがノーキルでいられる」と言明されました
それ故に資料集を公開することに協力できたのでしょう
しかし 他方の名を伏せていた方は礼儀に反すると思います
どのような活動でも礼儀をなくしては 何時かは人としての尊敬は得られなくなるのではないでしょうか
ここでもそれらの人々の活動に支援が集まっていますが そこに気付くための情報が与えられていないのが実情ですね
投稿: | 2009年10月28日 (水) 00時30分
貴女方にも責任はあります。オリバーさんが嘘をつき、パフォーマンスを繰り返していた時、貴女方は事実を公表しなかった。
北日本動物福祉協会の村田さんも、ブルー十字の時、ハッピーハウスの甲斐さんの件を公表しなかった。甲斐さんが偽の手柄本を出版して初めて、事実を公表しました。
国内の保護活動が、ここまで嘘と利害と偽善にまみれて堕落したのは、事実を知っていて、それを表に出さなかった多くの人々にも責任があります。
偽善の犠牲になるのはいつも犬猫です。犠牲になるのが自分自身や子供なら、誰も黙っていなかったでしょう。
「自分自身は不正は働かなかった」それだけでは不十分だったという事です。
投稿: 招き猫 | 2009年10月28日 (水) 20時38分
招き猫さん
[ 貴女方にも責任はあります。]
そうですね
そこは 言い訳になりますが 組織に所属する者の足かせでもあります
特に私の所属団体では「穏便」にと言うことに重きを置かれ 私としては歯がゆさを感じるところです
ただ一度文書で正面からアークを批判したことがありましたが 当時所属していた仲間内からは「何も言うべきではない」との意見が強くありました
当に何事にも「悪しき沈黙」です
沈黙を感謝される相手であればそれなりの意義はありますが 逆手にとっての自画自賛になるような相手では「悪しき沈黙」以外になにもありません
本気で沈黙を破るときは組織からの離脱が必要でしょうね
ご自分で作られた組織に長としておられるあなたと 既存の組織で束縛を承知で活動をする私との立場の違いでもあります
団体の維持や後進の育成には敵を多く作ることは極力警戒しなければならず痛し痒しのことがあります
NHKのクローズアップ現代でのペット業界問題での物足りなさの原因の一つが後日分かりました
NHKが当初に出演依頼をされた識者の2-3名の方々は番組の内容に異論がおありだったようですね ピンチヒッター的に出演された方が当日の熊本市方式の礼賛者だったということではないでしょうか
当初に出演依頼をされた方々がそれを受けて出演をされ 各方面での現状の実態なり評価を明らかにしていただければよかったと思います 残念です
一般国民の間ではNHKの信用度は高いですから その番組での発言や人物の社会的に位置することへの評価としての影響力は大きいと感じます
動物問題の第一人者と目され そのお方の発言が最高と評されることを危惧します
出演をされた方のデスクワークでのご活躍は一部認めますが 本来の総合的な動物問題の優れた識者は他におられることを周知したいですね
社会的に地位がおありだと言い難いこともあるのはある程度は肯けますが 対抗勢力は事あるごとに前面に出ることが得意な方々ですから 当方の陣営の代表的な方々も一歩前に出ないと注目をしてもらえません
日本人的な「穏便」「悪しき沈黙」は意識改革のためにはならず やはり 思想の改革には積極的に広報をしなければならないですね
体裁よく振舞い 言葉巧みな闇勢力の勢いに押されます
投稿: S,Ma | 2009年10月31日 (土) 00時43分
お忙しいのに回答を有難うございました。
お立場は重々承知しております。
「体の維持や後進の育成には敵を多く作ることは極力警戒しなければならず痛し痒しのことがあります」
平成の大改正以前は、とりわけ人を結集していくことが先決だったのだろうと思います。
(私はその後から出てきましたから、皆様のお陰で比較的楽なスタートがきれたように思います。それ以前の猫おばさん時代には、法整備の運動が根気良く続けられていることなど知らなかったし、関心もありませんでした。Oh・・・!)
多くの方々が人間関係のしがらみの中で、悪しき自主規制に陥っています。
自民党が愛想をつかされたのも、国民を置き去りにして、一握りの政界、財界のしがらみや利権が国政を左右する悪循環から抜け出せなくなってしまった側面がありますね。
愛護の法整備も進み、社会状況は変わりました。
変化に合わせて頭を切り替えていかないと。
これからの愛護推進は、愛護オタクの狭い世界、しがらみの中でなく、一般市民生活、地域社会に立ち位置を見出さなくては。
貴女のご意見は思想などというご大層なものではないでしょうし、愛護の世界から抜け社会に座標を持てば、世間はとっくの昔に貴女と同じ意見を持っていることがお分かりになるでしょう。
貴女が持っている経験、知識が生かせる場所は、愛護オタクの世界ではなく、一般社会のなかでです。
犬がどうたら、猫がどうたら、私達は係わって来た分、世間の人よりよく知っていますからね。
私達は貴女が多くのことを成してきた事を知っています。私も貴女の存在が無かったら、馬鹿馬鹿しくって、とっくの昔に動物関連の会なんぞ止めてます。
貴女方が、私より長く、辛抱強く、諦めないで取組みを続けてきた事実が、私を引き止めてきました。
「乗りかかった船だ、最後までやっか!」、そんなとこですね。
冗長になりました。御免なさい、こちらの記事は私のブログや会のHPで、また取り上げさせて貰います。
S,Maさん、有難う!
投稿: 招き猫 | 2009年10月31日 (土) 12時15分
お忙しいのに回答を有難うございました。
お立場は重々承知しております。
「体の維持や後進の育成には敵を多く作ることは極力警戒しなければならず痛し痒しのことがあります」
平成の大改正以前は、とりわけ人を結集していくことが先決だったのだろうと思います。
(私はその後から出てきましたから、皆様のお陰で比較的楽なスタートがきれたように思います。それ以前の猫おばさん時代には、法整備の運動が根気良く続けられていることなど知らなかったし、関心もありませんでした。Oh・・・!)
多くの方々が人間関係のしがらみの中で、悪しき自主規制に陥っています。
自民党が愛想をつかされたのも、国民を置き去りにして、一握りの政界、財界のしがらみや利権が国政を左右する悪循環から抜け出せなくなってしまった側面がありますね。
愛護の法整備も進み、社会状況は変わりました。
変化に合わせて頭を切り替えていかないと。
これからの愛護推進は、愛護オタクの狭い世界、しがらみの中でなく、一般市民生活、地域社会に立ち位置を見出さなくては。
貴女のご意見は思想などというご大層なものではないでしょうし、愛護の世界から抜け社会に座標を持てば、世間はとっくの昔に貴女と同じ意見を持っていることがお分かりになるでしょう。
貴女が持っている経験、知識が生かせる場所は、愛護オタクの世界ではなく、一般社会のなかでです。
犬がどうたら、猫がどうたら、私達は係わって来た分、世間の人よりよく知っていますからね。
私達は貴女が多くのことを成してきた事を知っています。私も貴女の存在が無かったら、馬鹿馬鹿しくって、とっくの昔に動物関連の会なんぞ止めてます。
貴女方が、私より長く、辛抱強く、諦めないで取組みを続けてきた事実が、私を引き止めてきました。
「乗りかかった船だ、最後までやっか!」、そんなとこですね。
冗長になりました。御免なさい、こちらの記事は私のブログや会のHPで、また取り上げさせて貰います。
S,Maさん、有難う!
投稿: 招き猫 | 2009年10月31日 (土) 12時16分