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2009年7月

2009年7月31日 (金)

「良くないことは良くない」と言わせてください Ⅲ

再び過去ファイルから2004/7/25付けの文書を再編集したものです

2004年当時と比較して大きな変化はあらゆる意味での貧困が増えたことでしょうか?

各位
酷暑の毎日ですがいかがお過ごしでしょうか

このところ見聞きしますことは 地球も狂い 人心も狂い 日本は危機的な状況にあると感じます
何とか 「良くないことは良くない」と言わなければいけないと思い辛口発言を続けておりますが 「良くないことを良くない」と言わないことに美徳を感じる傾向にある日本人の体質では本当に国が変るのか心細い思いです


末は米国の州か 隣国の属国になるのか そのような心配も当たらないこともないかもしれないと一人で考えています 

若い国民の体力も 知力も衰え 麻薬覚せい剤に犯され 無関心がかっこよさとなれば恐ろしい感じです 


独立国でありたいとの気持ちも薄れて 今日がよければ全て良いかのごとき思想が蔓延しているのではないかと大いに危惧しています


世界がバリアフリーになり 独立国の概念が変ることは悪くないが 不可能かなとも思いますから 独立国である限りは自尊心も独立していたい 属国となることは単なる仲良くはありえないでしょうから 自尊心も接収されることになるのでしょうね


ドライに無責任に言わせて頂けば 後1020年安穏であれば私の人生は終わるでしょう
しかし 動物は人に左右されますから今の内に出来うる限りの努力はしておきたいとあがいています

それでも高齢者となったことは否めません 私も私の周囲の方々も同様です
体力も気力も彼の阪神・淡路大震災救護活動の当時とは違います


60
才還暦と言う節目に賀状を差し上げる習慣を一方的に廃止宣言をさせていただきました
以後の生死の動向は伝えたくない なんとなく静かになったから居なくなったかなと 気付いていただければ十分 お忘れいただくこともありがたいことだと考えました
ので 死亡した場合は海外旅行中と申し上げるように家族に言っております

多くの名もない動物たちに墓石も与えず 葬儀もしなかったように 『人間の罪を許してください 神様の所へ(自然 命の発生元へ=私は人智を超える力の存在を感じますが 全ての既成の宗教は否定もしませんが属しません)お帰り』と見送りましたので 私も同じく葬儀もせず 墓石も持ちたくない 野生生物のように知らぬまに生まれ 知らぬ間に消えたい 私の望むところです

この国の大いなる転換期を迎えていますこのときに改めて感じることです

政治でも ボランティアであっても 世代は代わらなければなりませんので次世代はそのときに生きる方々が道を開かれることが良いと思います

2009年 今回 少数ながら政治家諸氏がそれぞれに政界を去られましたがご立派だと思います

ご業績に対する私個人の賛否はさておき ご勇退のご決意に対して敬意を持って「ありがとうございました」と申し上げます

すでに当のブログにも表明しましたが65歳定年説を[08-2-29 編 私の持論]としてブログUPしておりますが この時期ですので改めて主張させていただきます

冒頭に記しましたような危ない若者ばかりではなく しっかりとされた知性にあふれた方々も居られることです

国の将来をどうするのか真剣に選択していただくためにも 高齢者から若い方々へ責任ある地位を譲り 自らの将来を自らの考えで構築していただきたいのです

本当に大きな過ちを予見するとき「高齢者」「経験者」としての知恵を提言できればよいと思います
皆様はどのようにお感じになられますか? S,Ma

2009年7月18日 (土)

行政機関の責務

行政機関の責務

招き猫さん

ご意見ありがとうございました

[ノーキルなんて大不況の中で高利回りをうたう詐欺商品と同じです!]

09/7/16熊本市の動物愛護センターレポがTV報道されていました

収容動物の手入れをされ 確かに注目するべき改善点には職員ご一同様の意識改革の賜物と存じます

ご努力には敬意を表します

 

しかし 他方で全てが「譲渡対象」となるべきための行為であることには異議があります

殺処分対象であっても人道的に処遇されることが「普通」にされる国になっていただきたいのです

また譲渡後の動物の飼育状況を追跡調査されているのでしょうか?

私の経験からも言えることですが このことは譲渡前調査と共にとても大切なことです

ある地方自治体のセンターを訪問した際には情けないほどに 日本の動物福祉の低迷を如実に表されていました

近年の保管室形態の施設を使用されず 中型犬が漸く納まる程度の移動箱に法定機関の3日間収容されるとの事でした 通常の保管室は譲渡対象の引き取り犬を収容されるために空けておくと言うのが理由だそうです

殺処分しなければならない動物たちであればこそ 現状でてきる最大の人道的処遇にご尽力をお願いしたいのです

熊本市動物愛護センターにおいて 説諭の後に行政機関での引き取りを拒絶され 持ち込み者に連れて帰らせるという行為が 行政機関として正等であるのか私には納得が行きません

従来は多くの自治体で無条件受け入れをしたこともありました

そのことに動物福祉に関わる多くの人々から改善 即ち「説諭」を望んだことはあります

しかし 引き取り頭数ゼロが目的ではなかったはずです

安易に飼育放棄をさせない 今回は引取りに応じても今後の動物との共生についての基本姿勢の改善への啓発に基くものであることを要望したからです

現状で浸透しつつある行政機関での「ノーキル」を目標とするには 行政機関であるが故になすべきことを 職員の感情優先で避けておられるのではないかという疑問を持ちます

行政機関窓口で追い返した人が万に一の改心による飼育継続がないとは断言いたしませんが その人なりの最善を尽くされてもネグレクト保管に終わることもあるでしょうし 万感の思いで一代決心をされ行政機関に頼っておられることもあるようにも思います

私も40年間の活動暦で行政機関の窓口対応を日々直面してきました 

思わず横からの口出しをしたこともあります

苛立ちやもどかしさを感じた一人ですが 行政機関に持ち込む人の全てが悪意の人ではなく その決断をすることがその人の能力の限界であることもあると感じたこともありました

受け入れ拒否の事例の追跡調査で 事後の処遇 転帰まで見届け 支援があればよいのですが 窓口から消えた後は善意解釈で 「救命」できたと推量されることは民間のノーキル発想と差異がないと感じます

遺棄された場合は再び 行政費用で収容しなければならず 遺棄された動物たちも「命」はあるかもしれませんが苦痛を強いられることになり 動物福祉の基本からは外れることだと感じます 

社会にも迷惑動物として評価をされ 動物全体の社会的評価を低下させる要因ともなると思います

他方で社会を騒がせている「正当」ならぬ引取り業者の収入源アップに加担することにもなりかねません

譲渡についても「すべてを救う」のは言葉としては美しくても 行政機関としての「適性譲渡で救うことにより 動物の社会的地位を向上させる」役割を果たしておられるか この点にも疑問が残ります

国民を指導し法の理解の下での啓発という点では 行政機関は大きな義務を背負わされているのです

「殺処分」それは行政機関で働くことのリスクともいえるでしょうが 他で拒否された行為を行政獣医師と また 技術職員としての誇りにかけても「安楽死処置」を実行させてやれることでもあります

「愛」と「理性」が平衡した毅然とした態度と実行力が無ければ指導的存在にはなりえません

窓口での受け入れ頭数が減ることの要因が「受け入れ拒否」によるものであることが 真に動物福祉に適っているのか再考をしていただきたく 皆様の間での議論を高めていただけますようにお願い申し上げます

かつて私も開業獣医師と議論を交わしたことがありました

VETS,Maさんは極端なんだ 安楽死処置の依頼をした人に わたしが説教をすると動物を連れて帰るよ』

S,Ma「連れて帰る足で遺棄されていることもあり 世間体のためにネグレクト保管をされることもあり その後始末をS,Maが引き受けることもあります」と このようなやり取りをしたこともありました

その獣医師先生も震災以後はS,Maの評価を改めてくださったようでした

TVコメンテーター氏は「愛護センターといいながら殺処分は変だ」との意味を表明されましたが 何故そのような現状にあるのかを 通り一遍の「常識」ではないところにも留意をされ コメンテーター氏としての高度な意見表明をお願い申し上げます    

熊本市絶賛のこの時期にこのような意見表明をすることは個人的には大きなリスクを抱えることになることは承知していますが あえて「よく無いことをよく無いと言わさない」社会にながされたくないので意見表明をしたいのです   2009/7/17S,Ma


熊本市動物愛護センターについての新聞報道の写しを転載しておきます


HAPPニュースより転載

YOMIURIONLINE/読売新聞)

 飼い主の都合などで捨てられた犬の殺処分数が、熊本市では10年前の10分の1に減っている。

命の重さ説き犬の殺処分激減、熊本市動物愛護センター

飼い主の都合などで捨てられた犬の殺処分数が、熊本市では10年前の10分の1に減っている。市動物愛護センター(熊本市小山)に持ち込まれても簡単には引き取らず、時に職員が声を荒らげてでも飼い主に命の大切さを説き、思い直してもらうという異色の対応の成果だ。

2004年にセンターに配属された久木田憲司所長(獣医師)が、動物愛護管理法で「所有者は終生飼育に努め、自治体は飼い主に必要な助言を行うこと」とされていることに着目したのが取り組みのきっかけ。市はそれまでも、動物を安易に遺棄しないよう啓発活動を行っていたが、ほとんど効果がなかった。そこで、法律を根拠に、「安易にセンターで引き取らない」という異例の方針を打ち出した。職員には、飼い主に大きな声を出してでも、すぐには引き取らないような対応を求めた。

 センター愛護係長の小山信さんがある時応対した親子連れは、「年を取り、番犬の役に立たないから」と老犬を連れてきた。小山さんは「命を何だと考えているのか」とどなりつけた。そのうえで、「あなたがやっていることは、命のあるものでも年を取ったら捨てていいと子供に教えているのと同じだ。それでもいいのか」と詰め寄り、犬を連れて帰らせたという。

 こうした対応を不愉快に感じる市民もおり、「やりすぎだ」「捨て犬が増える」との苦情が市の窓口に寄せられることもあった。しかし、久木田所長は「命について話をしているだけで問題ない」と気に掛けなかった。

 取り組みの結果、持ち込みが激減し、97年度に946匹だった殺処分数は、07年度には78匹にまで減った。「安易に動物の命を考えないでほしかった。成果は出ている」と久木田所長は胸を張る。

 やむを得ず引き取った犬の譲渡方法にも徹底してこだわっている。市は、市獣医師会、愛護団体などでつくる協議会と協力して月に1回のペースで譲渡会を開催。譲渡を受けようという人には、捨てられた犬がガス室で処分されるビデオを見せ、飼い主としての適否を判断するために面接を義務づけている。譲渡後の去勢、不妊を約束させ、一生育てるとの誓約書も出させる。「動物の幸せを考えると、簡単には譲り渡せない」と小山さんは力を込める。

福岡県が動物の引き取りに手数料を設定するなど、各地の自治体が持ち込みに歯止めをかけようと工夫している中で、この「熊本方式」は注目を集め、自治体による視察や職員の派遣が行われるようになった。08年度から1年間、山口県下関市から派遣されていた獣医師の斉藤由香さん(27)は「職員の動物を救おうという意識が高い。貴重な経験を積むことができた」と話している。

2009329  読売新聞)


2009年7月10日 (金)

多頭数飼育問題 ご投稿ありがとうございました

招き猫さん

ご意見ありがとうございました

多頭数飼育は餌付けと同様に 時には依存症的に自発的にはやめられない状況にあるのではないかと感じることが多々あります

全てではないことも承知してはいますが 私が相談を受けた殆どの多頭数飼育 餌付けの例では幸せに生かされていると感じたことはありませんでした

公営集合住宅の空き家にねこが25匹残されていた例では 全ての部屋(天袋からバスタブまでも)が排泄物の滞積と 床に直に巻かれる餌により発生する悪臭で 呼吸もしにくい状況でした

畳みどころか 床板 建具までもが磨り減り ボロボロの状況になり ねこの生活環境としても また 公営資産ということからも 非常に問題であると感じました

3日に一度知人が餌を運ばれてはいましたが 毎日餌も与ええられない状況で悲惨そのものでした 

飼い主にも抱けない猫が多く 不健康な状況であり 私の判断では譲渡対象としては不適切であるといたしました 

飼い主は家族崩壊し 元には戻れないとの事で 話し合いの結果安楽死処置をさせました

新聞に投稿連載していた時分に取上げた例でしたが 全てを安楽死処置をさせたことはけしからんとの批判を受けた文書には 「部屋がボロボロの状況になるまでも懸命にねこを守った」との見方をされていて驚きました この感覚で判断をされるなら動物にも社会にも迷惑行為とは感じておられないことが明らかであり 問題の根の深さを改めて感じ入りました

その後飼い主様からは辛かったが安堵されたとのお気持ちを語られ 公営の火葬にいたしましたので慰霊碑にお参りをされていました 

的確に助言をし 相談者に受け入れられるように 支援ができる人も少ないのが実情であり 団体の多くも忙しさと世間体のためか 親身に相談を受けられることはごく少ないように感じます

私は全てに断られた最終のよりどころとしての役割だと自負していますので 誹謗中傷にも耐えられます

[ 保護活動の中に多頭飼育は多いですね。]

自らが正せないのに 多頭数飼育者がよくないと言うことは「啓発効果」としてはないでしょう S,Ma

2009年7月 3日 (金)

多頭数飼育は何故問題かⅠ

当ブログへご訪問くださりありがとうございます

過去に書き溜めた多数の文書がありますのでご覧頂き ご参考にしていただければ幸です

過去の事例であっても現状と大差は無く 参考にしていただけると思います

近年ネットにおける他人との意見の違いは絶対に許さないという風潮は恐ろしいと感じます

誰しも自分が正しいと思うことが社会運動に参加する活動のの原点ではありますが 意見の違いは 反面教師としての役割もあり 自分で気が付かない視点を見出す機会でもあると思っています

当のブログ訪問者さまで意見が違う方にも ご覧頂き改めてご自分であればどうされるかを お考えくださる機会となればありがたいと存じます

懸命な読者諸氏のご判断に委ねます 

2009/7/2 S,Ma

多頭数飼育は何故問題かⅠ

先ず実例からご紹介してそれぞれにお考え頂きたいと存じます

事例1) 2002年報告事例  (信頼できる行政機関 獣医師 法曹界 ボランティア 団体関係者 学者 報道関係者等 その他限定範囲の約200名前後の方々に私的にメール送信)

OO県在住猫多頭数飼育者から飼育猫の安楽死処置の介助と費用全額支援の要請があり OO県在住ボランティアさんの労力のご協力を得て獣医師による安楽死処置実施  

厳しい作業のご奉仕に対して心からの感謝を込めて敬意を表します

当の飼い主さんも心からの安堵と感謝を表明しておられました

この飼い主さんは以前 神戸市内在住当時にも外猫の餌付けと多頭数飼育をしていたが 生活破綻と 飼い主さん本人が病気のために飼育できないとの相談があり ほとんどの猫は感染症等不健康な状況にありましたので 諸経費の全面支援をして2~3匹を残して 12匹を引き取り 安楽死処置をさせました

飼い主さんにとって当時は悩んだ末 初めての安楽死処置であり迷いがおありだったと思われますが 私的な事情から転居を余儀なくされており 転居予定までの日数もなく 他の団体等にも相談されたが的確な回答がない 他に方法がないと言うことで当方に相談をされ 現実的な判断をされた状況でした

2002年のこの年の例でも経済的困窮と事件に巻き込まれ 居所を知られたくないと言う事情があり 国内を転々とされたのですが 行く先々で懲りずに(?)餌付けをされていた経過がありました

多頭数飼育者にはカウンセリングの必要がありますが 国内で人と動物の両者のための適切な指導ができる方は知る限りではほとんどおられないと思います 

専門家の養成と共に法的にも規制しなければ犠牲となる動物は絶えることがありません

 

何よりも多頭数飼育者本人も動物も地獄を経験することになりますが そのことは当人には自覚がないことが多く むしろ善行をしていると錯覚していると感じられるだけに他人の助言も意見も聞かれないのが通例です

過去の事例では安楽死処置に抵抗し拒否していた人々でも 時間をかけて説得し 納得の上で実施したものについては 周囲の非難や 経済的 労力的 時間的にも束縛され苦しめられていたことから解放され 日月の経過と共に心身ともに救われたことを感謝されることが多く 

これらの人々は多頭数飼育をすることが動物虐待であったと気付かれています 

そのことが当方にも救いとなっています 

不適切な多頭数飼育は動物の心身を虐待していることと同じであり それは

動物愛護ではなく自己満足に過ぎないということを理解していただくように

説得する側が信念を持って時間をかけて飼育放棄 中断をさせることが大切です

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