私の持論のひとつに「65才定年説」
私の持論のひとつに「65才定年説」があります
全ての人は一旦65才で定年として主たる職から離れて 余裕のある人はボランティアをしていただき 窮しておられる方を優先して就業していただく事ができる社会になれば良いなと思います
社会の構成員としての 高齢者の居座りを抑制し 若い人々に自分たちの今後の生き抜く社会を作る意欲を持たせなければ彼らは社会人としての成長が遅れますし 価値観の違いから不満が募るでしょう
天下りもなく もてる知識も才能もボランティアとして社会に還元していただくことで生かされます
価値観は当節に生きる年齢でなければ同一には持ち得ないと思います
生きる時代の背景が違えば考え方が違うことも当然です
これは社会主義でなくても実現は不可能ではないはずですが 欲の塊の人々が構成している社会では無理でしょう
道路族だのなんとか族だのの権力保持者にしがみ付かれては変革は期待できません
変革が必要でない社会であれば それもまた問題があるでしょう
私もボランティアと言えども 40年間に渡る動物福祉の向上を願う活動の現場から一線を引いて 若い方々に任せてよかったと本心思っています
年齢の弊害は自覚する以上に大きなものだと感じます
よほどの事でなければ若い方の判断に任せて 決定事項に介入はしない 相談を受けたことにのみ答えることを原則としていますが 突き放すのではなく見守っています
私の場合は基本的な発想に大差がない そのような人材にめぐり合ったことは幸運であり 多くの組織で後継者の問題は深刻だと聞いてはいます
何事も機械が判断し 処理してくれることが増えた社会に生きていることは 自己判断力を低下させているように感じます
誤解を恐れずに言うならば 「危険」のない状況は五感の低下につながり 本来の危険回避の動物的感覚を失うことになりつつある その表れが 今日の種々の職種で起こっている「うっかりミス」ではないでしょうか
人生の大半をアナログで しかも日常生活の物品不足の時代もあり 「不便」を体験しましたがそれなりに良いことが多々ありました
「便利」は「不便」と表裏一体と感じます
その時代を過ごしましたから 常に節約 工夫は公私共に何事においても 身についていました
捨てきれないと言う弊害も身についていますが 代用品の工夫は即時に思いつくあたりは 我ながら「よくできた!!」と思うことがありますね
満たされない不幸もあるでしようが 満たされ過ぎることもまた不幸な事かもしれません
物はあふれるほどにあるがお金がない
盗んででも欲望を達成したくなる 悲しいことです
1962年 レーチェル カーソン氏が書かれた「サイレント スプリング=沈黙の春」
農薬の危険性に警告を発せられたことは良く知られています
http://www.kcc.zaq.ne.jp/dfaqv509/0851rach.html
レーチェル・カーソンの「沈黙の春」と伝記「レーチェル」
「沈黙の春」は1962年にアメリカで発刊された。農薬の大量散布など化学物質に頼りすぎて、環境、生態系を破壊し取り返しのつかない事態になっていると指摘した。当時のケネディ大統領の指示による直属の諮問委員会の報告書にはレーチェルカーソンがこの本で指摘した内容は正しいとされた。この経過については2002年発刊された伝記「レーチェル」(リンダ・リア著、上遠恵子訳)に詳しいが、以下に2つの図書を自分なりに要約し紹介する。
偉大な女性化学者の草分けである猿橋勝子氏の持論を貫かれた信念にも敬服します
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8C%BF%E6%A9%8B%E5%8B%9D%E5%AD%90
猿橋勝子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
猿橋 勝子(さるはし かつこ、1920年3月22日 - 2007年9月29日)は日本の地球科学者である。専門は地球化学。海洋放射能の研究などで評価された。
社会にもっともっと女性が進出し 真の意味での男女協働が実現されることを望みます
2008/2/29 S,Ma
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