人生を変えた犬 動物とのかかわりの経緯
動物福祉への関わりの過程
1970年より動物救護ボランティア活動を開始
当初約10年間は個人的な動物救護活動が主であり 個人の範囲で譲渡を行なってきましたが たちまちのうちに多頭数飼育を余儀なくされて 犬猫を連れて神戸市郊外の田園地区で150坪の土地に
ミニシェルターを設けました
約16年間維持した後 60歳を契機に 高齢による判断力と体力の低下によって不完全管理となり 単なるホーダー(不適切多頭数飼育)となることを懸念し ミニシェルターを閉鎖しました
震災後に市街地に転居 自分自身にも自覚をさせて 他からの観測でも動物の受け入れができない環境にあることを示すためにあえて庭の殆どないところを選びました
高齢だった5匹の犬たちを連れて転居しましたが その後順次天寿を全うし自然に帰りました
現状は最高齢の16年の犬と 転居後早々にやむを得ず引取りをし(当時は子犬だった)12年になる犬と 余命6ヶ月と言われて最期を看取るつもりで引き取ったものの 元気になり我が家に来て2年 生存しているチビクロ(引き取り当時に推定10歳かと思われていた)の3匹がいます
動物についての知識は皆無の状況で始めた活動だったのですが 関心が増えるほどに 動物福祉に関する知識の取得に努めました
約30-40年前の活動初期の当時の社会はいたるところで捨て犬猫がいました
道端のダンボール箱は必ず開けてみることがフィールドワーカーの慣わしでしたし その殆どに子犬子猫の生体や死体が入れられていました
郊外地区から神戸市内に出るまでの短い峠は開発前で 夜間には狐や狸 ウサギも見かける状況でしたから 格好の捨て場所となっていて 往復に遺棄動物の救護活動をすることも日常のことでした
その後団体にも関わりフィールドワーカーとして常に実践的な行動と安楽死処置の必要性を説く理論啓発に携わってきました
ミニシェルターの自宅にも夜間に無断で置き去りにされていたり 近畿一円を越えて遠方からも多くの方々が頼ってこられました
無論 譲渡もしていましたが 犬30匹と猫20匹程度を収容限度にしていましたので 多数の動物たちの収容場所の限界があり長期収容は無理でした
処遇には気を使いましたから安楽死処置に頼らざるを得ませんでした
引き取りの際には安楽死処置を公言していましが当時の行政機関の保管状況の劣悪さから保健所への引渡しを嫌い丁寧に看取られることを望まれる方々が口伝えにより頼ってこられました
多い年では私個人の年間の引き取りと救護活動で保護した頭数が1200匹にもなりました
民間 行政機関も含めて 震災以後の動物に関する社会状況は 当時には想像もできない改善が実現しました
一方で過大にも感じられる擬人化の問題点やシェルターワークの点でも疑問を感じることが多く 「可哀想」の言葉で括られる「動物愛護」に戸惑いがあります
安泰の社会がかもし出す 「動物最優先」に行き過ぎがないことを願っています
社会に違和感や反感をもたれないようにしなければ その付けの殆どが動物に向けられ 虐待の一因にもなっています
理性的な対応こそが人と動物の共生には必要です
【一匹でも多く適性譲渡で救いたい-S,Ma】の考えが多くの方々に賛同を得て行きつつあると実感をしていますが 感情的な「可哀想」の言葉に支配される状況もたくさんあると感じています
読者の皆様はどのようにお考えでしょうか
タローとの出会いは私の人生の岐路となり 約40年間動物福祉の向上に努めることになりました
西宮市で親子共に家族により叩く蹴るの虐待をされていた子犬は ある日見かねた通行人により保護されたようでした
私が引き受けた当初は単に譲渡対象の子犬と聞いていましたが その後に事情を聞くことがあり この5ヶ月ばかりの子犬の只ならぬ怯えの原因を知りました
虐待の恐怖の記憶はその後7年間に及びましたが 最高の我が家の長男として14年の天寿を全うしてくれました
タローを引き受けた当時 マンションに手付けを入れていましたが 行き先がないのでと懇願されて迎えたこの子犬のために 契約を解除して 新興住宅地の角地に50坪ほどの一戸建を購入したのが泥沼への第一歩となりました
タローは利口なことではずば抜けていましたから 私がしつけの技法を知らなくてもあらゆることを学び会得してくれました
第一番目の犬が利口であり 悲惨でもあった「タロー」であったことは天からの使命を与えられたのでしょうか 宿命を感ずるところです
その後に出会った動物たちの殆どと言ってよいくらいに 怪我や病気で獣医師のお世話になりました
多くの出費もしましたが惜しいと思ったことはありません
タローとの出会いがなければ 趣味に興じていたことでしょうが 思いがけないかたがたとの出会いもあり 動物たちが人生を意義あるものにしてくれたのでしょう
[次回に続けます]
物救護活動を始めて間もない頃の1978年に 「サチ」は雨降りの夕方5~6名の小学生の子供たちに連れられてやってきました
小学生の子供たちは町内を一巡しても骨折をしていた3ヶ月に満たない子犬の引き取り手がなく 疲れ果てて我が家を訪れました
第一犬=コッカMIX「タロー」 推定5ヶ月齢 オス
第二犬=白黒の朕「シロ」 1年齢 メス(離婚をされた夫妻からの引取り)
この2匹に続く我が家では家族として迎えた3匹目の犬でした
急いでホームドクターに連れて行き手術となりました
3回の手術に耐えて 立派に成長してからは 数え切れない子犬 子猫の よき保母として天寿を全うするまで実に多くの子犬子猫の世話をして尽くしてくれました
救護活動で保護した子犬子猫たちが暖かい母のぬくもりを「サチ」に与えられ ひと時の安らぎのときを過ごすことができました そうして 私の手助けをしてくれた思いでは忘れられないものです
救護活動で保護した初めての猫 プッティー愛称「プーちゃん」
手のひらに乗るほど小さかったこの子猫も「サチ」に育てられました
朕のシロに寄り添っているシーネをつけた「サチ」
「サチ」が治療中にはベッドから落ちることが心配で この頃は私も犬たちと共に床に休んでいました
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