報道の値打ち
報道の値打ち
私には報道に関する苦い経験がありました
38年間の活動を通じて 初期の約10年間は譲渡に頼りながら安楽死処置の思考がないままに 何とかなる程度で 個人的に関与する動物の頭数は自力でそのほとんどが譲渡で解決できる範囲でした
今から30-40年前の当時は 行政機関の収容動物の扱いは極端に劣悪で 「虐待」そのものであったのです
個人的に参加して始めた 動物救護活動は必然的に多方面に目が開け 殺処分について 譲渡についての知識も得ることになりました
良かれと思って譲渡をした動物たちのその後を追跡して見ますと 本当に「幸」と確信がもてる状況は少なく 善意は感じられても 適正な飼育状況ではないことも多々ありました
一旦譲渡した動物の返還を交渉することは困難でした
状況の改善をお願いしても先様の価値観で満足をされている場合は諦めを感じざるを得ませんでした
そのような経験をして 自らの譲渡基準を高くし 動物の生涯が忍耐で生かされることがないように気を遣いましたが その結果は譲渡先の減少にもつながり 手元であふれる動物の処遇に困りました
生かす限りは「幸」にこだわりたいと思っていましたから 不適正多頭数飼育は避けなければならないと覚悟をしていました
そのような経験から 「安楽死処置」に頼らざるを得ないと感じることになりました
知れば知るほどに 自力で対処している問題ではなく 動物行政そのものの基本が改革されることが必要であると感じました
個人としても また加入したグループや組織としても 少しでも知識を得た人であれば法律第105号の改正をしないままでは動物行政の改革はありえないという認識がありました
組織的な署名活動が全国的に行われその成果があって 一度目の法律改正があり法律第105号法 『動物の保護及び管理に関する法律』が『動物の愛護及び管理に関する法律』となりました
二度目に2006/6/『動物の愛護及び管理に関する法律』の見直しに伴い 罰則の強化と共に 業者登録等についても一歩前進しました
個人でできることは努力だけでは補えない 動物行政の改革と共に社会問題としての取り上げが必要だと感じました
団体にも加入し 行政交渉も重ねてこの10-20年間で 兵庫県 神戸市に於は顕著な改革がありました
単独団体の力でなどということではなく 全国の多くの組織と個人が一体となって協働した成果であります
その成果の現れとして「動物との共生を考える連絡会」が発足し 従来困難とされた団体の連合組織が実現しました http://nyanko.circle.ne.jp/dokyoren_top.html
--------------------------------------------------------------------------
ヒトと動物の関係学会http://www.asahi-net.or.jp/~sp8h-kin/da7-4.html
-----------------------------------------------------------------------
ペット法学会
これらの組織の発足と共に日本にも ようやく動物福祉を考える基本的な意識改革が始まりました
S,Ma個人の特徴として28年間(初期の約10年間は発想になかったので)を通じて 一貫して「安楽死処置」の必要性を訴え続けました
「過繁殖」の容認がある状況では 「殺処分」なくしては 「遺棄」しか解決の道はありません
多くの空想主義者や 経験不足者が唱える「譲渡で解決できる」のであれば「遺棄」はほとんどないはずです
不妊手術で解決できると唱える人もいますが 出生頭数の制御で譲渡との均衡が保てる状況ではなく 消費経済の営利に組み込まれてしまった「哀れな命」は圧倒的に過繁殖の状況が続いています
過繁殖を抑制できなければ殺処分か遺棄を認めざるを得ないのです
その表れの一部が「地域猫」と称して遺棄の変形で急場をしのいでいます
「地域猫」の提唱者も現状克服のための手段であり 将来は屋内飼育の指導が望まれると言われてはいます
「譲渡」で解決できる頭数に限りがあり 「遺棄」もできない人々により「多頭数飼育」 「不適切飼育」が行われて 社会問題となっているものも多数あります
日本に限らず世界中のどこにでも見られ 動物福祉の観点からは多くの問題をはらんでいます
「遺棄」=悪である認識があるところで 多頭数飼育が社会的に「善行」として見られることが多く 報道を含めて知識と理性のなさが「多頭数飼育」を容認し 時には礼賛されています
行政機関でのガス殺処分について その保管状況と殺処分にいたる状況の改善を訴えつつ 「安楽死処置」の必要性を訴え 自らも「安楽死処置」への理解については数少ない開業獣医師のご協力を得て実施して参りました
社会は「安楽死処置」について極端に冷淡でありました
「殺処分」方法の改善は不必要であり 生かすことに専念せよという考えを唱える者に賞賛を与えました
現状でも多くのブログはその傾向にあり 安楽死処置を否定するあまりに 個人の誹謗にもいたっています
個人名を名指しで捏造的な説明をつけてでも「悪人」扱いをして 自己の満足度を高めています
誹謗されている当人に「真偽」 「信義」を問いただすこともしないままに ブログでは多くの書き込み支持者は「ブログ管理者の正義」に同調しています
ネット社会の恐ろしい部分であり 付和雷同する「人の本質的な」同じ色に染まっていれば安心の感覚の表れでもあると感じています
この世は経済力のあるものに対抗するには 高名になるか同等以上の経済力を持つかという手段がもっとも有効でしょう
どちらにおいても達成できない者は相手を 「無視」することだと思います
怒るには相当の理由があり 相手に対して怒りの原因を是正して欲しいと欲するときに怒ることが望ましいと感じてはいますが 怒りはもっと単純であり 制御が困難であることが厄介であります
事実を曲げてでも「悪口」の低俗な伝播や ネットを利用してでも相手を誹謗しようとするのは人格高潔ではない人がすることとして「無視」が最もよいと感じています
社会的に高名な方々に関するあらゆる報道も 私たち個人は 報道編集者の思考の範囲にあるものしか知り得ません
悪意も善意も含めて報道編集者による洗脳はされたくないのですが 知らずに洗脳されている自分に気が付くこともあります
会ったこともない人を「好ましい」「嫌い」と感じているとき 報道の恐ろしい一面と 自分自身の頼りなさに気が付きます
ネットの「ブログ管理者の正義」に抵抗もなくなびく人々に批判ができるものではないのでしょう
そして 自らも報道被害を受けた経験があり 報道の恐ろしさともに 正確な報道に対する疑問は拭えませんし 全幅の信頼も寄せられません
事実らしいことも 悪意で報道された場合には当人の発言の当初と末尾のみを取り上げ肝心の説明部分である中抜きをする手法が取られることもありました
今も報道への不信は払拭できませんが 数少ない報道関係者ではありますが 尊敬できる方々がおられることに救われています
今年は世界の動物関係者が日本に集まり 4年に一度のIAHAIO (アイアハイオ)2007 Tokyo
世界大会が開催されます[末尾参照]
報道のご尽力なくしては成功はないでしょう
報道による広域の知識の伝播は認めざるを得ません
いかに正確に近い 中立の報道をしていただけるのか 疑義はあっても頼らざるを得ないのです
俗に言われるマスコミ受けが良いとはいえない当方にとっては報道関係者へは近寄りたくはないが 日常の啓発に際しても 手助けを借りなければならないジレンマに悩まされています
腹立たしいがありがたい報道が 「ありがたい」感謝で満たされることを祈りつつ 動物福祉の基本思想が 社会に根付くことに 人生の終盤に一踏ん張りしたい思いであります S,Ma 2007/6/28
« 遺棄 殺処分の問題に思う | トップページ | 読売新聞夕刊掲載記事 年30万匹「殺処分回避」通達 »
「動物福祉」カテゴリの記事
- 2014-7-12猫迷惑は作られるもの---過去録から(2023.07.14)
- 大阪万博でペットの同行を認める大阪市の愚策(2023.02.24)
- 2023-2-9in Megumi Takeda様情報 犬肉の食用関連(2023.02.11)
- 2022-9-6Megumi Takeda様情報咬傷事故犬の再譲渡による問題(2022.09.22)
- このポスターを見てどう思いますか? シェアから(2022.08.31)
コメント